第四十四章 アニルとシンハ
第四十四章 アニルとシンハ
シンハはジェイ警備隊長とチャカを西の棟の自分の部屋にこっそり隠した。途中他の祭司たちに出くわしたが、クリパールと命からがら逃げてきて、ジェイ警備隊長とチャカに付き添ってもらっているという振りをした。三人を閉じ込めると、大胆にもシンハは王宮にやって来た。阿吽の会議室にいるはずのカルナスヴァルナ国の五人の刺客に会おうとしたのだ。五人が捕まったことを知らないシンハは阿吽の会議室の前まで来ると扉を叩き囁いた。
「私はカルナスヴァルナ国の祭司シンハ。シャシャーンカ王の書状を持ってきた。開けてくれ。」
返事は当然なかった。シンハはもう一度呼びかけようとした。
「何をなさっているのです?」
シンハは突然背後から声をかけられた。驚いて振り返ると、仮面をつけた文官が立っていた。ソミンだった。
「そこは鍵が閉まっていますよ。」
ソミンはそう言った。
「あなたは?」
シンハは自分の正体が知られていないことを願いながらソミンに尋ねた。
「文官です。」
ソミンは服をつまんで見ての通りだと示した。けれどそれはシンハが期待していた答えではなかった。シンハは相手を操れるように名前を聞き出しておきたかった。
「祭司殿はこんなところでどうかなさいましたか?」
ソミンは何気なく尋ねた。シンハは答えに困った。
「いえ、別に。」
シンハは言い訳を考えられずにそう言った。
「そうですか。それならばその部屋に不用意に近づかないのが賢明です。先日捕まった三人と関係があると疑われてしまいますから。まあ、祭司の方々に限ってそんなことあるはずはありませんが。」
シンハは驚いた。まさか五人の刺客のうち三人が捕まっているとは予想していなかった。けれどそれを悟られないよう取り繕った。
「三人はもう何か話しましたか?」
シンハは恐る恐る尋ねた。
「いいえ。口が堅くて手こずっているところです。」
ソミンは困っているような口ぶりで言った。
「大変そうですね。では私はこれで失礼します。」
シンハは不自然にそう言うとその場から立ち去ろうとした。
「お待ちください。どちらへ?私がお供いたします。」
ソミンがそう申し出た。いつものソミンらしくない行動だった。
「いいえ、結構です。」
シンハは逃げるように立ち去った。
シンハは青ざめた顔をしていた。すぐに刺客たちに書状を見せ、クリパールたちを任せて、自分はカルナスヴァルナ国に戻るつもりだったのに刺客のうち三人が捕まっていた。すべて計画が崩れてしまったのだ。シンハはとりあえず状況を把握しなければならないと考え、ジェイ警備隊長から話を聞きだそうと西の棟に足を向けていた。
その時だった。シンハは廊下の角を曲がると、葬儀の間から出てきたハルシャ王子とアニル、そしてナリニーに出くわした。シンハはハルシャ王子が五人の手に掛かって死んだものだと思っていた。アニルにしても追放処分になってとうに国を離れていると思っていた。シンハは心臓が止まりそなほど驚いた。
「シンハ。」
アニルが驚いて言った。
「アニル!」
シンハは自分から祭司長の座を奪った男に対する怒りと、自分が王宮にいると知られてしまった気まずさの入り混じった声で言った。
「シンハ、生きていたのか。」
アニルが言った。
「ええ。」
シンハは短く答えた。シンハの後ろからソミンがやって来た。ソミンはアニルとシンハが顔を会わせているところを見ると、アニルに仮面の奥から鋭い視線を送った。
「どうかしましたか?」
アニルはその鋭い視線に気づいて尋ねた。
「こちらの祭司殿が阿吽の会議室の前にいらっしゃいましたので、気がかりで。」
ソミンは意味ありげに言った。ソミンは捕まえた三人のカルナスヴァルナ兵が何も話さないので、誰の命令でやって来たのか知る手がかりはないかと阿吽の会議室内を探し、怪しい人物がやって来はしないかと阿吽の会議室近くで張り込みまでしていた。そしてとうとうシンハが網に掛かったのだった。ソミンは祭司のいでたちをしているのに手足を土で汚し、やつれた顔をしているシンハを一目見ておかしいと思っていた。
アニルは冷静な目でシンハを見た。アニルもシンハの様子がおかしいと思った。命からがらで帰って来たように見えなくもないが、誰にも帰還を告げずに阿吽の会議室に行くというのはあまりにも不自然だった。アニルとシンハは睨み合った。
「裏切ったのか?」
アニルが冷たい眼を向けて尋ねた。
「私は裏切られたのだ!」
シンハは恨みのこもった声でそう答えた。シンハの背後でソミンは剣を抜いた。シンハもそれに気づいた。
「ソミン指揮官、ここは私に任せて、剣をしまって西の棟へ。このことをスバル医薬長とプータマリ司書長に知らせてください。ナリニー、ハルシャ王子を連れて行きなさい。」
アニルは二人に指示を出した。二人はすぐさま行動に移した。シンハそれを邪魔しようとはしなかった。黙って三人が去り二人だけになるのを待った。
「おとなしく捕まれば命だけは保証する。」
その場に二人だけになるとアニルが言った。
「囚われの身になるくらいなら死んだ方がましだ。」
シンハが憎しみに燃えて言った。
「そう言うだろうと思った。」
アニルがそう言って身構え、術の掛け合いが始まると思われたその時、突然シンハの袖から黄色い紐のようなものが出てきた。アニルはそれを見て大きく目を見開いた。アニルはそれが何であるか知っていた。
「災い。」
アニルはつぶやいた。シンハは何のことだろうと警戒してアニルを見た。
「やはり宝物庫の一件もお前の仕業か、シンハ!?」
アニルが言った。
「ああ、そうだ。私とサチン、アビジートでお前を罠に陥れたのだ。サチンもアビジートもお前が魔術を行っていると思っていた。だから次の祭司長にはふさわしくないと言ってそそのかしたら簡単に協力すると言って来た。私がお前の指輪を盗み、サチンがスバル医薬長の眠り薬を盗み、アビジートが蛇を使って眠り薬で見張りの兵士たちを眠らせ、宝物庫の小さな隙間からお前の指輪を中に入れたのだ。だが我々は何も盗んではいない。ただ見張りの兵士を眠らせ、お前の指輪を宝物庫に入れただけだ。本当に盗難があったとは。不運だったな。」
シンハはわざとらしく憐れむように言った。
「じゃあ、その黄色い蛇は何だ?」
アニルが指を指して尋ねた。シンハは手首に巻きついている蛇に目を移した。
「これはアビジートの蛇だ。飼い主がいなくなったから私が面倒を見ている。」
シンハはうっすら悲しみの色を見せた。
「それが何なのか知っているのか?」
アニルがそう言うと、シンハはアニルが言わんとしていることが分からず、眉を顰めた。
「それこそ宝物庫から盗まれた宝。先代の祭司長の私物で、災いが封じてあると言っていた品だ。」
アニルが言った。シンハはにわかには信じられなかった。まさかアビジートが盗んでいたのかと心の中で疑った。黄色の蛇は小さく、おとなしく、害があるようには見えなかった。けれどアニルは確実にシンハではなくその小さな黄色い蛇を恐れていた。アニルは黄色の蛇から目を離さなかった。
「シンハその蛇を渡せ。」
アニルは手を差し出した。アニルの中で優先順位が変わった。シンハを捕えることよりも、この黄色の蛇をどうにかすることの方が重要だった。
「私の気を逸らして術で私に攻撃を仕掛けるつもりか?」
シンハは自分を術にかけるための作戦ではないかと疑った。
「それはもともとただの紐だった。封印が解けかけて蛇の姿をとっているんだ。早くしないと手遅れになる。災いを封じ直さなければ。」
シンハはアニルの顔を見た。真剣な表情だった。その目は蛇一点に注がれていた。
シンハは手首に巻きついている黄色の蛇を手でつまみあげた。アニルの目はそれを追った。シンハはそれを確認すると、どうやら自分を騙すための演技ではないと思った。そして黄色い蛇を持っている限り、うかつに自分には手を出せないということを悟った。
「アニル、これが欲しいか?」
シンハの目が危険な光を帯びた。アニルがそれに気づいた時には手遅れだった。
「欲しいなら追って来るがいい。」
シンハは走り出した。アニルは追うしかなかった。




