第四十一章 魔術師の道化師
第四十一章 魔術師の道化師
会議が終わると、アニルは用があると言ってハルシャ王子をラーケーシュに任せ、ルハーニをジェイ警備隊長に任せてどこかへ行ってしまった。
ラーケーシュは疲れているであろうハルシャ王子を部屋に連れて行くことにし、ジェイ警備隊長はおしゃべりの家にいる侍女にルハーニを任せて、自分はカルナスヴァルナ軍の侵攻に備えることにした。
「ではハルシャ王子、ラーケーシュ殿、これで失礼します。」
ジェイ警備隊長が別れの挨拶をした。
「ご苦労様でした、ジェイ警備隊長。」
ラーケーシュが言った。
「じゃあな、ルハーニ。」
ハルシャ王子がふてぶてしい態度で一応の挨拶をした。さっきルハーニに『水に流してやる』などと失礼なこと言われたことを忘れてはいない様子だった。
「うん。」
ルハーニはそんなハルシャ王子にルハーニは短い返事をしただでけだった。
ルハーニはジェイ警備隊長に連れられておしゃべりの家に向かった。二人が歩いていると、ジェイ警備隊長は愛想の良い笑顔で向こうから歩いて来る兵士と目が合った。チャカだった。チャカは笑顔でやって来た。
「ジェイ警備隊長、どちらへ行かれるのですか?」
チャカが尋ねた。
「おしゃべりの家に行くところだ。ルハーニを侍女に預けようと思って。」
ジェイ警備隊長が何の気もなく答えた。
「そうだったんですか!?それなら私にお任せください。私は子供の面倒を見るのが得意なんです。こう見えても八人兄弟の長男なんです。」
チャカは自信たっぷりにそう言った。
「だが、ハルシャ王子捜索長だろう?」
ジェイ警備隊長は一体何を考えているのだと言いたげだった。
「はい、ハルシャ王子が見つかったので、暇なのです。」
チャカはうれしそうに言った。
「ハルシャ王子を襲った五人の件はいいのか?あとの二人はまだ捕まっていないではないだろう。」
ジェイ警備隊長が言った。
「あとの二人はアニルが砂漠で退治したと言っていなかったかのう。放っておいても良かろう。」
クールマが口を挟んだ。ジェイ警備隊長《警備》もチャカも驚いた顔でクールマを見た。
「ああ、そうでした。だが、捕まえた三人の取調べはいいのか?」
ジェイ警備隊長が尋ねた。
「はい、それは取り調べ官が行います。」
「そうか、では問題ないな。だが…。」
ジェイ警備隊長は不安げにチャカを見た。
「本当に大丈夫か?」
「はい。」
チャカは自信たっぷりの笑顔で答えた。ジェイ警備隊長はこのチャカに小さな子供を任せるのは不安だった。けれどチャカは満面の笑顔でジェイ警備隊長の言葉を待っていた。
「では、チャカ、ルハーニを頼んだ。」
ジェイ警備隊長は言った。
「はい。」
チャカはうれしそうに返事をした。
ちょうどその頃、スターネーシヴァラ城の跳ね橋の辺りに一人の祭司がいた。クリパールだった。やっとの思いでカルナスヴァルナ国から脱出し、ここまで帰ってきたのだった。服はほつれ、手足は汚れ、その上あちらこちらに小さな傷があった。跳ね橋には城に用のある商人や町人の積荷や持ち物を検査している兵士たちがいた。兵士たちは列をなして順番待ちをしている人々に追われてクリパールには気づかなかった。クリパールは跳ね橋にいる兵士によろよろと近づき、兵士の一人の腕を掴んだ。
「私はスターネーシヴァラ国の祭司クリパール。ここを通してください。」
クリパールはそう言った。けれど兵士はクリパールの手を払いのけ、突き飛ばした。
「近寄るな乞食坊主。」
兵士はそう言った。クリパールは自分がスターネーシヴァラ国の祭司であることが疑われるなどとは考えてもいなかった。頭の中が真っ白になるのを感じた。
「とっととどこかへ行け。」
兵士はクリパールを追い払おうと持っていた槍を向けた。クリパールは誰か自分を助けてくれるものはいないかと列をなしている商人や町人に目を走らせた。けれど皆知らん顔をした。白い目で見ている者すらいた。クリパールはたとえようのないショックを受けた。自分はこれまでここにいる人々のために祈り、修練を重ね、今はシャシャーンカ王の裏切りを知らせるという重大な使命を帯びてここにいるのに、すべてはここにいる人々を守るためなのに、これはあんまりな仕打ちではないかと思った。
クリパールは弱弱しく立ち上がると、言葉もなく、その場から逃げるように立ち去った。クリパールの目から若々《わかわか》しい気力や輝きが失せていった。
よろよろと歩いて一本の路地に入り込んだ。暗い路地で誰もいなかった。クリパールは壁にもたれながら虚ろな目に涙を浮かべた。
「アジタ祭司長、申し訳ありません。」
クリパールはそうつぶやくと、座り込んだ。クリパールはもう自分は死ぬのだと思っていた。何日も草の根や茎を食べて飢えをしのいでいたが、これ以上はもたないと思われた。アジタ祭司長の遺言を守れず、人々に見捨てられて死んでゆくのかと思うと悲しくて仕方がなかった。
「スターネーシヴァラ国の祭司クリパール様。」
声がした。暗い路地の向こうから聞こえてきた。
「誰ですか?」
クリパールは驚いて暗い路地の方を見た。
「跳ね橋を渡りたいのですか?」
暗闇からまた声がした。
「はい。どうしても城に伝えなければならないことがあるんです。」
クリパールは目を凝らしなが路地の暗がりにいる誰かを見ようとした。
「ではお手伝いして差し上げましょう。」
「本当ですか!?」
クリパールは味方ができて嬉しくなった。
「ええ。その代わり、あなたは次の王に伝えなければなりません。カーラーナルがやって来ると。」
「カーラーナル?」
「そうです。地獄の業火がやって来ると。以前ラージャ王にお伝えしたのですが、そのラージャ王は亡くなってしまいました。ですから、次の王にお伝えください。」
クリパールは鳥肌が立った。
「誰だ?なぜそれを?なぜラージャ王が亡くなったことを知っている!?」
「私は耳が良いのです。」
声の主はそう言って路地の暗闇からゆっくりと姿を現した。顔に化粧を施した男の道化師だった。クリパールはラージャ王の天幕に何者かが忍び込んだことを思い出した。そしてそれが魔術師ではないかと先輩祭司たちと話したことも。クリパールは目の前にいるのがその道化師であると確信した。道化師はクリパールに近づいた。
「お前はラージャ王の天幕に現れた魔術師・・・。」
クリパールは無意識にそううつぶやいていた。道化師は不敵な笑みを浮かべた。
「私が跳ね橋にいる兵士たちの目をくらませてあげましょう。その間に橋を渡って王宮へ。」
道化師は言った。
「なぜ助けてくれるのです?」
クリパールは警戒した目を向けて言った。
「カーラーナルのことを伝えなければならないからです。」
道化師の目に何か企んでいる様子はなかった。
「カーラーナルとは何です?」
クリパールは尋ねた。
「今は説明している時間はありません。けれど、いずれあなたにも分かるでしょう。」
道化師の言葉ははまるで学者か賢者のような教養ある人間の言葉のように思われた。クリパールは道化師の言うことを信じて立ち上がった。道化師はまた不敵な笑みを浮かべた。
「行きましょう。」
道化師はそう言うとクリパールの腕を掴んで走り出した。道化師は風のような速さで走った。クリパールは足を地面につけることさえできず、何かに引っ張られて、宙を飛んでいるようだった。周りの人間は二人のことが見えていない様子だった。
「私が手を放したら、全力疾走で橋を渡ってください。」
道化師は言った。もうすぐそこに跳ね橋を守る兵士がいた。道化師は兵士の目の前に向かって走って行った。
「手を離しますよ。一、二、三!」
道化師はクリパールの手を離すと同時に、兵士たちに術を掛けた。黒いレースのカーテンのようなものが兵士たちの顔の前に広がった。兵士たちはクリパールの姿も道化師の姿もが見えなくなった。
道化師は術をかけるのに成功したことを見届けると、微かに笑って、煙のように消えた。クリパールは言われた通り、全力疾走で橋を渡った。橋を渡ったあとも走り続けて王宮に向かった。




