第四章 ラーケーシュ
第四章 ラーケーシュ
ラーケーシュは西の棟にある自分の部屋に戻った。西の棟は祭司たちが住んでいる寮のようなもので、千五百人の祭司たちが住んでいた。
ラーケーシュは西の棟の入口で二人の先輩祭司に出くわした。ヘーマナートとゴーパティだった。二人ともラーケーシュよりは年上だが、二十そこそこで、祭司の中ではとても若い方だった。二人はラーケーシュを見つけるとニヤニヤ笑って足を止めた。
「おや、ラーケーシュ、こんなところで何をしているんだい?」
ヘーマナートが言った。
「きっとハルシャ王子に追い出されてきたんだよ、ヘーマナート。」
ゴーパティが意地悪そうに言った。二人は声を上げてせせら笑った。二人ともラーケーシュがハルシャ王子に追い出されたり、逃げ出されたりする度にこうやってネチネチといじめていた。
「ヘーマナート様、ゴーパティ様、お疲れ様です。私は先を急ぐので。」
ラーケーシュはこれ以上二人に絡まれないように、適当に挨拶して逃げようとした。
「まあ、待ちなさい。ラーケーシュ。本当は急いで行くところなんてないだろう?ハルシャ王子に追い出されたんだから。」
ヘーマナートが言った。そしてさり気なくラーケーシュの右腕を掴み、逃げられないように押さえ込んだ。
「やっぱりハルシャ王子も無能な奴を先生とは呼べないのでしょうな。」
ゴーパティは『無能』という言葉を強めて言った。ゴーパティもさり気なくラーケーシュを逃がさないようもう片方の腕を押さえた。ラーケーシュは完全に捕まってしまった。本当は二人を突き飛ばして逃げ出したいところだったが、先輩祭司にそんな無礼を働くわけにはいかず、ラーケーシュは仕方なく二人の嫌味攻撃に耐えることにした。
「無能とはとはちょっとばかり言い過ぎではないかい、ゴーパティ?ラーケーシュは星見だけはできるらしいじゃないか。」
ヘーマナートが『星見だけは』というところをわざとらしく強めて言った。星見というのは星の運行から暦を作ったり、未来を占ったりする学問で、天文学と占星術を混ぜたようなものだった。ラーケーシュはこの道の専門家だった。
「ああ、そうだった。そうだった。」
ゴーパティが意地悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべた。
「ラーケーシュ、やっぱりハルシャ王子の家庭教師など辞退した方がいいのではないかい?星見だけしかできないお前には荷が重過ぎる。」
ヘーマナートが言った。
「そうそう、お前のような者は最初から辞退すべきだったのだ。そもそも祭司になるべきではなかったのだ。」
二人はラーケーシュが何も言い返さないことをいいことに、言いたい放題だった。
「それにしても、アジタ祭司長はなぜお前などをハルシャ王子の家庭教師にご推薦なさったのだろう。まさかお前貢物でも渡したのかい?」
ヘーマナートが言った。
「そうだ。そうでもしなければお前なんかをご推薦して下さるはずがない。お前一体何をお渡しして取り入った?」
ゴーパティが言った。
これにはさすがのラーケーシュも頭に来た。アジタ祭司長はラーケーシュを祭司見習いとして受け入れたばかりか、ハルシャ王子の家庭教師に推薦した人物だった。自分のことならともかく、自分に目をかけてくれたアジタ祭司長のことを悪く言われるのは我慢ならなかった。ラーケーシュは腕に絡みついた二人の手を振り解いた。
「私は貢物など渡しておりません。それに、アジタ祭司長は貢物などに目が眩む方などではありません。アジタ祭司長を侮辱するようなことは言わないで下さい。」
ラーケーシュが突然強い口調で言い返してきたのでヘーマナートもゴーパティも驚いて黙ってしまった。
そこへ一人の祭司が通りかかった。この祭司もヘーマナートやゴーパティと変わらない歳だったが、二人よりも高い地位にある祭司だった。名前をクリパールと言った。三人ともクリパールの方を見た。
「二人とも、そこで何油を売っているのです?すぐに持ち場へ戻りなさい。」
クリパールはヘーマナートとゴーパティに言った。二人は注意されると気まずそうにすごすごとその場から立ち去った。二人が立ち去ると、そこにはラーケーシュとクリパールだけになった。ラーケーシュはハルシャ王子に逃げられ、追い出されたことを叱られるのではないかと身構えたが、クリパールはラーケーシュの方に向き直ると微笑みかけた。
「妬まれるのは辛いですね、ラーケーシュ。」
「え?」
「二人はハルシャ王子の家庭教師になったあなたを妬んでいるのですよ。私も若くして王宮付祭司として迎えられたので、風当たりが強かったんです。お気持ちがよく分かります。でも負けてはなりませんよ。あなたを推薦して下さったアジタ祭司長のためにも立派に役目を果たすのですよ。」
クリパールはラーケーシュを励ました。てっきり叱られるのだと思っていたラーケーシュはクリパールの意外な言葉に嬉しくなった。
「はい、頑張ります。」
ラーケーシュは元気を取り戻して言った。それを見てクリパールは満足そうに微笑んで立ち去ろうとした。けれど言い忘れたことがあることに気づいて立ち止まった。
「そうそう、言い忘れるところでした。明日、私もカルナスヴァルナ国へ行きます。留守にしている間、私の部屋にある花の水遣りをお願いします。隣部屋のよしみということで。」
クリパールはそれだけ言うとお茶目な笑顔を残して立ち去って行った。
「お任せ下さい。」
ラーケーシュはクリパールの背中に向かってそう言った。




