第三十九章 アニルとソミン
第三十九章 アニルとソミン
話しながら王宮のサクセーナ大臣の部屋に向かって突き進んで行くと、さっきの侍女たちから知らされたのか、一人の文官が頭を垂れてアニルの前に立ちはだかった。
「挨拶なら後にしてください。見れば分かる通り緊急なんです。」
アニルはその文官に言った。
「私も緊急の御用で参上致しました。ハルシャ王子のお命に関わることかもしれません。人目がありますので、どうかこのまま私の事務室にいらしてください。」
文官は声を落として言った。アニルは眉を顰めた。
そこへ白い衣を纏った一人の青年がこっちへやって来た。ラーケーシュだった。
「ハルシャ王子!」
ラーケーシュは手を振って駆け寄ってきた。アニルは知らない祭司が前方から近づいて来るのに気づいて、一瞬警戒の色を見せたが、ハルシャ王子がその祭司の名前を呼ぶと、安心したように再び視線を目の前の文官に戻した。
「ラーケーシュ!」
ハルシャ王子もラーケーシュに駆け寄った。
「ハルシャ王子ご無事で何よりです。私の無理な願いを聞き届けてくださったんですね。本当にアニル様を呼んできてくださった。」
ラーケーシュはハルシャ王子の両腕を掴んで言った。ラーケーシュの手首には縄で縛られた跡があった。ハルシャ王子は胸を詰まらせながらそれを見た。
ラーケーシュはハルシャ王子からアニルに目を移した。
「アニル様、よく戻って来てくださいました。しかもこんなに早く!」
何も知らないラーケーシュはアニルが地道にタール砂漠の砂の牢獄から馬か徒歩でやって来たのだと思っていた。
「ええ、まあ」
アニルは文官を前にしたまま適当に返事をした。
ラーケーシュもその文官に目を留めた。
「ソミン指揮官!」
ラーケーシュが言った。ソミンは顔を上げた。アニルは仮面をつけているのに気づいたが、特に気に留めなかった。
「知り合いですか?」
アニルがラーケーシュに尋ねた。
「はい。ハルシャ王子の捜索及び王子を襲った五人捜索の指揮を執っていらっしゃるソミン指揮官です。この方が私を地下牢から助け出してくださいました。」
ラーケーシュがそう言うと、アニルの心は決まったようだった。
「話を聞きましょう、ソミン指揮官。」
「ありがとうございます。」
全員ソミンの事務室に行った。中にはチャカがいた。
「お帰りなさいませ、ハルシャ王子。ご無事で何よりです。」
チャカが言った。アニルの顔は知らないようで、ただラーケーシュの付き添いで来た祭司だと思って挨拶した。ジェイ警備隊長には心から歓迎の意を示した。
「チャカ捜索長、扉を閉めてくれるか?これから例のことを話す。」
ソミンがそう言うとチャカは顔色を変えて扉の前に誰かいないか念入りに調べて閉めた。
「例の話とは何です?」
アニルが尋ねた。アニルは幼いハルシャ王子に代わって一行を取り仕切っていた。そのことをソミンは理解していた。
「これを見てください。」
ソミンはそう言って懐から例の書面を出した。
「紹介状?」
アニルにはこれが何を意味するのかがすぐには分からなかった。
「そこに名前のある五人はハルシャ王子とラーケーシュ殿を襲った者たちです。」
アニルは紹介状を書いた者の署名に目を走らせた。そこには確かにサクセーナ大臣の名があった。
「これは一体どこで?」
アニルが焦げ目を気にしながら言った。
「兵士宿舎です。ハルシャ王子が襲われた日、ぼやを起こしてほとんどのものが燃えてしまったのですが、これだけは奇跡的に無事でした。ぼやはおそらく証拠隠滅を図ったこの五人の仕業でしょう。」
ソミンが言った。アニルは紹介状を見ながら考えた。
「サクセーナ大臣がハルシャ王子を襲わせたと言うことですか?」
ジェイ警備隊長が困惑した様子で尋ねた。
「これを見る限りではその可能性が高いと思われます。」
ソミンが答えた。
「王子を襲わせるとはひどい家臣もいたものじゃ。」
クールマがルハーニの肩からしわがれた声で言った。
ソミン、チャカ、ラーケーシュは目を疑うようにルハーニの肩に乗っている亀に注目した。それから、もしかしたらこの少女が言ったのかもしれないと思って少女の顔をうかがった。けれどこの少女からあの年寄りの声は出ないだろうと思われた。再び亀を見た。
「そんなにじろじろ見ないでくれ。落ち着かん。」
亀はまたしゃべった。ソミンたちは亀がしゃべっていると確信した。ソミンは亀から飼い主らしい少女に視線を移した。
「アニル殿、こちらは?」
ソミンが尋ねた。
「ハルシャ王子を私のところまで案内してくれた魔女のルハーニ、人の言葉を話す亀のクールマと蛇のシェーシャです。付け加えて言うと、ルハーニは私の弟子になることになりました。」
アニルに紹介されるとルハーニは軽く会釈をした。
「蛇もしゃべるんですか?」
チャカが尋ねた。
「蛇とは失礼な。私には名前がある。」
シェーシャ赤い目でチャカを睨みながら言った。チャカは恐怖で顔を引きつらせて後ずさりした。
「ソミン指揮官、これはお返ししときます。このことはくれぐれも内密に。」
アニルはそう言って紹介状をソミンに返した。
「なぜです?」
ソミンが予想外の反応に驚いて尋ねた。ソミンはアニルがサクセーナ大臣を弾劾しようと言ってくれると思っていた。
「ハルシャ王子を襲った五人の内二人はハルシャ王子を追って私のところまで来ました。私の術にかかり、二人のうち一人は意識を失っていたのですが、もう一人はかろうじて意識をとどめていました。顔に十字傷のある男で、私はその男に名前を尋ねたのですよ。『アプナール ナーム キ?』と。」
アニルがそう言うと、ソミンは仮面の下で蒼白とした表情になった。ハルシャ王子とラーケーシュもアニルの言葉の意味が分かった。
「答えたのですか?」
ソミンが恐る恐る尋ねた。
「ええ。男はオモルトと名乗りました。」
アニルは答えた。
「カルナスヴァルナ国から来たんだ。」
ハルシャ王子が鋭く言った。ラーケーシュは思っていた以上にハルシャ王子が語学を習得していることに気づいた。
「おそらく、そうでしょうね。もし五人がカルナスヴァルナ国の送り込んできた刺客で、それにサクセーナ大臣が関わっていたとなると、サクセーナ大臣が内通者である可能性があります。内通者が一人とは限りませんから、他にいないか様子を見て調べた方が良いでしょう。それにこれはサクセーナ大臣を失脚させ、捕らえるには十分な証拠とは言えません。しらを切り通されればうやむやにされてしまいます。」
アニルは的確な指摘をした。ソミンはその通りだと思った。
「分かりました。」
ソミンは納得してはいたが、サクセーナ大臣を糾弾できないことが残念だった。
「ハルシャ王子はこちらでお守りいたしますから、ご安心を。これからサクセーナ大臣を含めた五大臣に会わなければならないので失礼します。」
アニルは事務的にそう言ってハルシャ王子たちを引き連れてソミンの事務室から出た。
ジェイ警備隊長は不満げな顔をしていた。サクセーナ大臣がハルシャ王子を襲わせた首謀者の一人なのかもしれないのに、自分たちが城に帰ってきたことを知らせに行くのに納得がいかなかったのだ。
「アニル殿、サクセーナ大臣が敵かもしれないのに我々の無事を知らせ、ハルシャ王子を会わせるのですか?」
ジェイ警備隊長が不満たっぷりの口調で尋ねた。
「会うのはサクセーナ大臣一人ではありません。他の四人の大臣にも会って無事を知らせます。それから今後の対策も決めます。」
アニルが言った。
「もしサクセーナ大臣が内通者であったら、作戦がすべてシャシャーンカ王に筒抜けではありませんか。」
ジェイ警備隊長が食い下がった。
「そうならないよう、サクセーナ大臣に見張りをつけてください。ジェイ警備隊長。」
アニルはそう言ってすべてをジェイ警備隊長に押し付けた。ジェイ警備隊長は急に肩が重くなったような気がした。
ハルシャ王子はアニルとジェイ警備隊長との会話など上の空だった。サクセーナ大臣に命を狙われているかもしれないと聞かされてかなりのショックを受けていた。サクセーナ大臣に好かれているとは思っていなかったが、殺したいほど嫌われているとは思っていなかった。
さらに内通者かもしれないということもあって、ラージャ王を裏切った敵ではないかという考えが頭の中でちらつき始め、心をかき乱していた。
そんなハルシャ王子をルハーニとクールマ、シェーシャ、ラーケーシュは横目でうかがっていた。




