第三十七章 砂漠に追放された祭司
第三十七章 砂漠に追放された祭司
次にハルシャ王子が目を覚ましたのはベッドの上だった。ルハーニはハルシャ王子より先に目を覚ましていた。そしてハルシャ王子が良く知っている誰かと話をしていた。
「アニル!」
ルハーニの向かい側に肩くらいまである黒髪を頭のてっぺんで二つに分けている若者がいた。ハルシャ王子はベッドから飛び出してその若者めがけて走って飛びついた。
「アニル!兄上とアジタ祭司長がシャシャーンカ王に殺された。シャシャーンカ王はスターネーシヴァラ国に攻め込むつもりだ。僕は王宮で覆面をした警備兵に襲われた。だけどラーケーシュに逃がしてもらってここにいる。ラーケーシュがどうなったか分からない。アニル、スターネーシヴァラ国に戻ってきてくれ。頼む。」
ハルシャ王子は一気に言った。
「話はルハーニから聞きました。というより何もかも知っていたと言うべきでしょうか?それより砂嵐で攻撃してしまってすみませんねえ。誰もここへは近寄らせたくなかったので、少し脅かすつもりだったんです。でもやりすぎたようで、全員砂に埋めてしまいました。放って置くと死んでしまうかもしれないので助けに行ったら、ハルシャ王子、あなたが埋まっていて驚きました。それにルハーニとしゃべる亀と蛇、剣を持った二人の男も。あなたとルハーニは軽いので抱えてこられましたが、二人の男は重かったので置いてきました。まあ、その内意識を取り戻して自力で帰るでしょう。」
アニルがそう話しているところに誰かが来た。灰色の服を着て、腰ベルトに剣を下げた若い男がクールマとシェーシャを籠に入れて部屋の前にやって来た。ハルシャ王子はこの男に見覚えがあった。
「アニル殿。」
男は部屋に扉がなかったが、一応その場で立ち止まって中に入る許可を待った。
「クールマ、シェーシャ!」
ルハーニは駆け出して男に近づこうとした。
「ジェイ警備隊長、その二匹をルハーニに。」
アニルが言った。ハルシャ王子は思い出した。その男は王宮の警備隊長のジェイだった。ジェイ警備隊長は狭い籠の中でケンカしている亀と蛇を喧しいと言いたげな顔でルハーニに渡した。ルハーニは籠を受け取るとすぐさま二匹を出してあげた。
「自由じゃ!」
「これで魚くさい亀から開放された。」
クールマとシェーシャが言った。シェーシャの一言が火種になってまたケンカが始まった。
「てっきりあやかしの類と思って閉じ込めしまいました。」
アニルが二匹に視線を落としながら言った。その鋭い視線から二匹を守るようにルハーニが二匹を肩に乗せた。
「アニル、どうしてジェイ警備隊長と一緒にこんなところにいるんだ?どうして城からいなくなったんだ?追放されたってどういうことだ?」
ハルシャ王子が畳み掛けるようにアニルに質問した。
「宝物庫から宝が一つ盗まれたことはご存知ですか?」
アニルが尋ねた。
「いいや、知らない。」
ハルシャ王子はそう答えた。
「実は一ヶ月ほど前、宝物庫にあった先代の祭司長の私物が盗まれたのです。その犯人が私だと疑われて祭司裁判にかけられ、反逆罪で追放処分にされたのです。ジェイ警備隊長は付き添い兼監視役として一緒に来ました。」
アニルが説明した。
「本当に盗んだのか?」
ハルシャ王子は一応確認するため尋ねた。
「まさか!私は罠に陥れられたのです。真犯人はおそらくシンハ、サチン、アビジートですよ。私が次ぎの祭司長に内定したことが気に入らなかったのでしょうね。」
アニルはやれやれといった調子で言った。
「僕は何も知らされていなかった。」
ハルシャ王子は自分だけ除け者にされていたような気がしていた。
「関係者以外誰も知らないことです。次期祭司長が宝物庫に盗みに入ったなんて大スキャンダルですから。」
アニルは皮肉っぽく言った。
「そういえばさっき、ルハーニに知らされる前から何もかも知っていたようなことを言っていたな?どういうことだ?」
ハルシャ王子は怪訝そうな顔で恐る恐る尋ねた。ハルシャ王子はもしかしたらアニルがカルナスヴァルナ国のシャシャーンカ王の味方になっているのではないかと疑った。
「ご心配なさっているようなことはありませんよ。」
アニルはそう言うと、おもむろにテーブルの上に置かれている花瓶を手に持った。花瓶には美しい白と黄色の花が挿してあった。ハルシャ王子は周りを見渡した。清潔なベッドがあり、その上椅子やテーブル、ソファー、その他の家財道具が揃っていた。どれも良い品だった。ここがとてもタール砂漠の砂の牢獄とは思えなかった。
「ここはどこだ?」
ハルシャ王子がアニルに尋ねた。
「タール砂漠の砂の牢獄です。」
「これが牢獄?」
話を聞いていたクールマが後ろから口を挟んだ。
「ええ、そうです。グッジャラ国の祭司長の持ち物で、またの名を砂の要塞とも言います。」
クールマを鷹のような目で捉えながらアニルが言った。
「私はスターネーシヴァラ国から追放され、この砂の牢獄にいましたが、スターネーシヴァラ城で起こっていることを知ることができました。実は時々城に戻っていたんです。」
ジェイ警備隊長以外は耳を疑った。
「戻るって、どうやって?城門には兵がいる。見つからないはずがない。」
ハルシャ王子が言った。
「私は城門を通らずとも城に入れるんです。時々、真夜中にスターネーシヴァラ城に戻って、王宮に侵入しました。追放処分に処せられた者が戻ってきた場合は死罪になるので、見つからないように忍び込むのに苦労しました。
王宮ではあなたがいなくなって大変なことになっているらしいですね。それにラーケーシュ君も。でもラーケーシュ君は無事保護されましたよ。
ラーケーシュ君がアジタ祭司長の伝言を伝えてスターネーシヴァラ城はシャシャーンカ王の侵攻に備えています。
あとはあなたが私を連れて戻るだけです。本当はアジタ祭司長の伝言の件を聞いた時点で帰りたかったのですが、もしかしたらあなたがここまで来るかもしれないと思って待っていたんです。」
アニルはそう言うと、持っていた花瓶に挿してあった花を抜いて、水を床の上に撒いた。すると水に濡れたところから次々に青色の線や記号が浮かび上がってきた。
「さあ、帰りましょう。」
アニルはおどけた口調で言ったが目だけは真剣だった。
水が満遍なく床の上に広がると、何重もの円が現れ、円と円の間に象形文字にも見える記号が浮かび上がり、完全な形になった。一番内側の小さい円の中には文字が書かれていた。
『合言葉を唱え、行き先を告げよ』
「これは…」
そう口をついたのはシェーシャだった。
「これが何か分かるんですか、蛇さん。」
アニルがシェーシャに目を向けた。アニルは名前を知っていながらシェーシャとは呼ばなかった。いつものシェーシャなら怒るところだが、アニルに対してはそんな気にならなかった。
「これは魔方陣だ。」
シェーシャは何かに怯えるように静かな声で言った。
「その通り。」
アニルはシェーシャに向かってそう言うと、今度はハルシャ王子に向かって言った。
「一番小さい円の中に入ってください。指一本でもはみ出すことのないように。後で後悔することになりますから。」
アニルはそう言って円の中に入った。次にジェイ警備隊長が入った。
「ハルシャ王子、大丈夫です。」
ジェイ警備隊長は言った。ハルシャ王子は後ろにいるルハーニを見た。
「ルハーニもどうぞ。置き去りにして行く訳にはいきませんから。」
アニルが言った。
「ルハーニ、行こう。」
ハルシャ王子がそう言うと、ルハーニは心細げな顔で無言のまま円の中に入った。その後に続いてハルシャ王子も円の中に入った。
「よし、準備はいいね?」
アニルは三人と二匹を見回しながら言った。そして大きく息を吸い込むと言った。
「開けごま!スターネーシヴァラ城!」
青い文字や記号はますます青く鮮明になり、魔方陣全体が白い光を放った。全員がその光に包まれると、床が消え、まるで透明な板の上に立っているように魔方陣の上に立っていた。そして次の瞬間にはまた床が現れ、背の高い本棚が並んでいる狭い部屋にいた。




