第三十六章 荒野の刺客
第三十六章 荒野の刺客
ハルシャ王子とルハーニは死者の森を抜け、石と砂でできた荒地を歩いた。
「ここはもうタール砂漠なのか?」
ハルシャ王子がルハーニに尋ねた。
「分からない。」
ルハーニはいつものようにが短く答えた。ハルシャ王子は少しずつ初対面という緊張が解けてきて、ルハーニの短い返事や、変化のない口調、表情のない顔が癇に障るようになっていた。
「お前、もっと気の利いた返事はできないのか?」
ハルシャ王子がわがままな顔を覗かせた。ルハーニはわがままなハルシャ王子に気押されするだけだったが、シェーシャは大人気なく赤い目を燃やして怒った。
「何だその態度は!」
「フン、蛇が偉そうに!」
ハルシャ王子はラーケーシュを散々《さんざん》振り回して困らせたハルシャ王子になっていた。
「今、何と言った!?」
シェーシャが赤い目をさらに怒りで燃やし、赤い舌もチロチロ見せて、今にも噛み付かんばかりにルハーニの肩から身を乗り出していた。
「やめんか二人とも。」
ルハーニの肩に乗ったクールマが注意した。
「元はと言えばこいつが悪いんだ!」
ハルシャ王子はそう言ってルハーニの顔のど真ん中を指した。ルハーニは目を点にしてハルシャ王子の人差し指を見つめた。
「こいつがいつもちゃんとした返事を返してこないのが悪い!無口だし、無表情だし、何考えてるのか全然分からない!その上口を開けば怖いとか、嫌だとか、そんなことばっかり!お前みたいな女々しい奴、もううんざりだ!」
「許せん!シャアアア!」
聞くに堪えられなくなったシェーシャはハルシャ王子に飛び掛ろうとした。あと少しでハルシャ王子のほっぺたに鋭い牙が届くところだった。けれど尻尾が引っかかって空を噛んだ。ルハーニが泣きそうな顔で尻尾を押さえていた。
「ルハーニ!」
シェーシャが鎌首を百八十度方向転換してなぜ止めるのかと問いたげな声を上げた。ハルシャ王子も驚いた顔をして見つめていた。ルハーニはうつむいて何も言わなかった。クールマはやれやれというように首を横に振った。
ハルシャ王子たちはその日、一日中歩いて荒地のど真ん中で野宿することにした。森から離れるにつれて岩や小石がごろごろしていた荒地から、砂が広がる荒野へ変わっていた。柔らかい砂の上に落ち着くと、ルハーニは無言で昨日のように手をかざして火を起こした。
「怒ってるのか?」
時間が経って頭が冷えたハルシャ王子が尋ねた。ルハーニはむっつりした顔で無視した。ハルシャ王子は無視されるなんて初めてだった。
「おい、聞いてるんだ。何とか言え。」
ハルシャ王子が機嫌を損ねて言った。シェーシャの赤い目が見張っていた。
「私に話しかけないで。」
今まで口から聞いたことがないような刺々《とげとげ》しい口調でルハーニが言った。
「え?」
「私に話しかけないでって言ったんだ。私、もう君とは口を利かない。」
ルハーニはむっつりとして顔をして怒って言った。ハルシャ王子は言葉を失った。シェーシャも毒気を抜かれたような顔をした。クールマだけが何もかも分かったような顔をしていた。
「やれやれ、これがルハーニのへその曲げ方なんじゃ。怒ると黙り込むんじゃ。」
クールマが仕方なさそうに言った。
ルハーニは無言のまま水と食料を口にすると、さっさと自分だけ寝袋を敷き、眠りについた。
「ふて寝じゃ。朝になれば機嫌が少しは良くなっとるはずじゃ。」
クールマはルハーニのむっつりした寝顔を見ながらハルシャ王子に言った。
その晩、砂漠の荒野に灯っている小さな火を目がけて、サソリのように静かに忍び寄る二つの人影があった。オミトとオモルトだった。死者の森を抜けて必死の思いで追いかけてきたのだ。
二人はハルシャ王子とルハーニが眠っているのを確認すると剣を抜いて、ゆっくりと近づいた。ハルシャ王子たちはまったく気づかずにすやすや眠ったままだった。
オミトがハルシャ王子に、オモルトはルハーニに剣をつき立てようと振り上げた時、オモルトが足元にいるシェーシャに気づかず、その尻尾を踏みつけた。
「痛いいいい!」
シェーシャの声が何もない荒野に響いた。オミトとオモルトは驚いて剣を振り下ろすことを躊躇し、その間にハルシャ王子とルハーニは目を覚ました。剣を振り下ろそうとしている二人の男を見て叫び声を上げた。
「わああああ。」
「きゃあああ。」
オミトとオモルトは慌てて剣を振り下ろした。ハルシャ王子もルハーニもそれを寸でのところでかわした。立ち上がると荷物などに見向きもせず、一目散に逃げた。
「ルハーニ、置いていかんでくれ。」
クールマが後ろから叫んだ。ルハーニは逃げるので精一杯で二匹のことには構ってられなかった。
「クールマ、頭と手足を引っ込めろ。私が投げてやる。」
シェーシャが鎌首をもたげて言った。
「本当か。」
クールマはすがるように言った。
「ああ。さあ、早く。」
シェーシャは急かした。クールマは普段意地の悪いシェーシャも良いところはあると思った。
シェーシャは鎌首を使って器用にクールマの甲羅を持ち上げると、体を思いっきり縮めて飛び上がった。するとクールマの甲羅は回転しながら宙を飛び、オモルトの頭に直撃すると、地面の上に落ちた。オモルトは衝撃で意識を失って砂の上に倒れた。クールマも目を回して動けなくなった。
シェーシャは砂の上をスイスイと泳ぐと、スーとクールマの横を通り過ぎてルハーニたちの後を追った。
ハルシャ王子とルハーニは並んで全速力で逃げた。それはオミトも同じだった。大人の全速力と子供の全速力では勝負は見えていた。距離はどんどん縮まり、ハルシャ王子もルハーニもすぐ後ろまでオミトが迫って、時々剣を振り回しているのが分かった。
突然、ハルシャ王子の足がもつれて転んだ。ハルシャ王子の体はサラサラした砂の上に投げ出された。チャンスとばかりにオミトが襲い掛かろうとした。ルハーニはとっさにハルシャ王子を助けようと引き返した。けれど間に合わなかった。ハルシャ王子のすぐ後ろでオミトが剣を振り下ろそうとしていた。
「ハルシャ王子!」
ルハーニがそう叫ぶか否か、突然砂嵐が起きた。ルハーニは後ろから砂の壁がぶつかって来たような衝撃を受けて、砂の上に叩きつけられてそのまま意識を失った。
「ルハーニ!」
砂嵐で視界が遮られる中、ハルシャ王子がルハーニの姿を探した。ハルシャ王子を襲おうとしていたオミトは砂嵐に吹っ飛ばされていなくなっていた。ハルシャ王子も砂嵐に巻かれ、砂の小さな粒が目や鼻、口、耳、穴という穴に入り込んできた。だんだん息苦しくなって、目の前がぼんやりして、横に広がっていたはずの砂漠が、気がついたときには縦に突き立っていた。ハルシャ王子も意識を失った。




