第三十五章 救出
第三十五章 救出
真夜中に、地下牢の階段を静かに下りてくる足音がした。その音でラーケーシュは目を覚ました。足音は徐々《じょじょ》に近づき、次第にランプのほのかな明かりが見えた。足音の主は最後の一段という所までやって来た。足音からしてラエではなさそうだった。ラーケーシュはついに『命令』が出たのではないかと思った。体を牢の隅に寄せた。恐怖で体がガクガク震えるのが分かった。足音の主はランプを突き出し、ラーケーシュを照らした。ラーケーシュは眩しくて顔が良く見えなかった。手で光を遮りながら目をしばたたいていると声がした。
「ラーケーシュ様?」
聞き覚えのある声だった。
「ナリニー!」
ラーケーシュは立ち上がった。声の主は間違いなく聞き慣れたナリニーのものだった。
「ナリニー、どうしてここに!?」
「怪しい人の後をつけて来ました。ご無事ですか?」
「無事だ。ナリニー、ここはどこなんだ?城はどうなってる?」
「ここは王宮の北の牢獄ですわ。」
「王宮!?ここは王宮の中なのか!?」
「ええ。すぐに助けが来ますから安心してください。」
「何で王宮に…。」
ラーケーシュはつぶやいた。
その時、物音がした。ナリニーとラーケーシュは息を呑んだ。
「ナリニー、怪しい人というのはどこへ行ったんだ?」
ラーケーシュが声を潜めて言った。
「分かりませんわ。階段を下りたはずですが、途中で見失ってしまいました。」
「ラエはいつもこの時間帯に食事を運んでくるんだ。食事の準備をしてやって来たのかも知れない。」
「どうしましょう!」
「明かりを消すんだ。」
「ああ!どうしましょう!このランプ、階段のところに掛けてあったから持って来てしまいました。」
「ええっ!?」
ラーケーシュはうろたえた。
「きっと私がここに入って来たのが知られていますわ。」
急ぎ足で階段を下りてくる音が聞こえてきた。
「いいから、明かりを消して。私が気を引くから隙を見て一気に階段を駆け上がるんだ。」
ナリニーは力強く頷くとランプの明かりを消した。
階段を駆け下りる足音と共にランプの明かりが見えてきた。ラエが新しいランプを持ってやって来た。ラーケーシュは気が気ではなかった。
「そこにいるのは誰だ!?」
ラエが怒鳴った。右手には鞘から抜いた剣を持っていた。ラーケーシュはナリニーが持って来てしまったランプをラエに目がけて投げつけた。
「うわああ!」
ラエがさっきまで灯をともしていて熱いランプを投げつけられて声をあげた。
「ナリニー、逃げて!」
ラーケーシュは叫んだ。ナリニーは急いで階段を駆け上がろうとした。けれどラエは見逃さなかった。ナリニーの手を捕まえた。
「きゃあああ!」
ナリニーの悲鳴が地下牢に響いた。
「ナリニー!」
ラーケーシュは牢の格子を掴みながら叫んだ。
その時、二つのランプの明かりが階段を駆け下りて来た。ソミンとチャカだった。剣が交わる音が響いた。ソミンがランプを放り投げ、剣を抜いてラエに襲い掛かった。放り投げられたランプはナリニーが受け止めた。
ソミンとラエ力比べのように剣で押し合った。鍛え上げられた肉体を持つ刺客のラエと教養程度にしか剣を習っていない文官のソミンとでは力の差は歴然だった。
ソミンは跳ね飛ばされ、後ろに後ずさった。ラエはその隙を見逃さなかった。再び剣を振り上げて襲い掛かった。ソミンはその一撃を何とか剣で受け止めた。
また力比べになると勝ち目がないと思ったソミンは身をかわしながら一撃を仕掛けた。すばやいソミンの動きでその一撃はラエの肩に決まった。ラエはよろめいた。ソミンはすかさす次の一撃で剣を跳ね飛ばした。そして丸腰になったラエに剣の先を突きつけた。
「降参しろ。」
ソミンは息を切らしながら言った。ラエは諦めて抵抗しなかった。
「チャカ捜索長、この男を上にいる兵士たちに引き渡せ。」
「はい。」
今までナリニーと同じように牢の隅で固唾を呑んで見守っていたチャカがようやく剣を抜いて、ラエに突きつけながら階段を登らせた。
「ありがとうございます、ソミン指揮官。」
ナリニーが言った。ソミンは頷いた。まだ息を切らしていた。ソミンは無言のままラーケーシュが入っている牢の錠を剣で壊した。ラーケーシュは牢から出してもらうと仮面の男に礼を言った。
「ありがとうございます。」
ソミンは剣を鞘に収めながら頷いただけだった。
「行きましょう。事務室でお話を伺いたい。」
ソミンはそう言うとナリニーからランプを取って階段を登って行った。ナリニーとラーケーシュは後に続いた。
ソミンはラーケーシュ、ナリニーを連れて王宮にある自分の事務室に行った。ソミンは二人を中に入れ、椅子に座らせるや否や質問攻めをした。
「私はハルシャ王子捜索の指揮官ソミンです。あなたは祭司見習いのラーケーシュ殿とお見受けいたしますが、あなたは?」
ソミンはナリニーに目を向けた。
「私は王宮付侍女のナリニーですわ。」
「ナリニー、よく五人の居場所を突き止めてくれた。しかもその内一人の後をつけ、見事ラーケーシュ殿も見つけてくれた。礼を言う。」
ソミンは穏やかな口調で丁寧に言った。ナリニーは照れくさそうにはにかんだ笑顔を浮かべた。ソミンはラーケーシュに向き直った。
「ラーケーシュ殿、事態は急を要するので単刀直入に申し上げます。ハルシャ王子はどこにおられますか?」
今度は真剣な口調だった。
「私にもはっきりとは分かりません。おそらくタール砂漠の砂の牢獄に向かったはずです。」
ラーケーシュはそう言ってからチラリとナリニーの顔を見た。まだ何も知らないナリニーはラーケーシュが無事に見つかって喜んでいる様子だった。これからナリニーの耳に例のことを入れるのかと思うと心が痛んだ。ラーケーシュはナリニーがラージャ王のことを思っていることを知っていた。けれど後で他の誰かから聞くよりこの場で話すべきだと思った。
「私は重大なことをお伝えしなければなりません。」
ラーケーシュは言った。ソミンは注意深い目でラーケーシュを見た。
「ラージャ王とアジタ祭司長はシャシャーンカ王の罠に陥り殺されました。おそらく他の祭司も生きてはいません。
シャシャーンカ王はスターネーシヴァラ国に攻め込むつもりです。アジタ祭司長が送ったと思われるカラスがハルシャ王子の部屋窓にやって来てそう言いました。
その直後、ハルシャ王子と私は覆面をした警備兵に襲われ、城の外に逃げました。船着場で敵を足止めするために私は残り、ハルシャ王子だけを小船に乗せました。
ハルシャ王子はアニル様を呼び戻すためタール砂漠の砂の牢獄へ向かったはずです。」
ラーケーシュがそう言い終ると、ナリニーの顔は蒼白としていた。ソミンも仮面の下で青ざめていたが、ナリニーとは比べ物にならなかった。
その時、事務室の扉を開けてチャカが飛び込んで来た。
「大変です!阿吽の会議室に刺客は二人しかいませんでした。あとの二人はどこを探しても見つかりません!」
チャカはそう言ってから事務室に漂う重苦しい雰囲気に気づいた。
「刺客は五人。一人は地下牢で、二人は阿吽の会議室で捕らえた。あとの二人はおそらくハルシャ王子を追っているのだろう。捕らえた三人から詳しい情報を聞きだせ。」
ソミンがそう言うと、チャカはまた飛び出して行った。
ソミンはナリニーに目を移した。ナリニーは泣きもせず、ただ呆然としていた。何も知らなかったソミンにも察しはついた。
「ギリジャーを呼んで来る。今日はもう休みなさい。」
ソミンがそう言うと、ナリニーは一筋涙を流した。




