第三十章 祭司裁判
第三十章 祭司裁判
王宮の一角にある宝物庫。その頑丈な扉は大人十人がかりでやっと開けることができるほど重く、錠の鍵はラージャ王だけが持っていた。扉の前には二十四時間二人の見張りの兵士が張り付いて、怪しい者が近づけばすぐに捕らえられてしまう。この厳重に守られている宝物庫から一ヶ月ほど前、宝が盗まれた。
真夜中のこと。見張りの兵士たちはいつものように宝物庫の扉の前で槍を手に立っていた。この日も穏やかな夜で、城のどこかから雅な笛の音が聞こえた。このまま何事もなく夜が明けるものだと思われた。
しかし、翌朝になってみると、兵士たちは術によって眠らされているところを発見され、扉の錠は壊されていた。すぐに王宮の警備兵たちは集まって、十人がかりでしか開かない重い扉を開け、宝物庫の中を確かめた。
中には人が入った形跡があった。指輪が落ちていたのだ。引き続き調べると、宝が一つなくなっていることが分かった。そして指輪の持ち主がある祭司のものだということも分かった。
その祭司の名はアニル。ハルシャ王子の家庭教師だった。容疑者が祭司、それもハルシャ王子の家庭教師とあってはスターネーシヴァラ国の名誉に傷がつく。事件は極秘扱いにされ、裁判も非公開で行われた。
裁判はアニルが祭司であったので、普通裁判ではなく祭司裁判が開かれることになった。祭司裁判とは普通裁判とは違い、王の権力が及ばない裁判のことだ。そのため最終的決定権はアジタ祭司長にあった。法廷は西の棟のとなりにある研究塔の最上階の「天空の間」に設けられた。ここは通常祭司たちが儀式や集会を行う場所で、たとえ王族であってもむやみやたらに入ることは許されない場所だった。
「これより、祭司裁判を始める。本法廷は祭司の処分決定を目的とし、判決には王権が及ばないものとする。では、被告人、前へ。」
一人の裁判官の声が響いた。法廷にいる裁判官は三人の祭司。裁判官席の右端に司書長のプータマリ、左に医薬長のスバル、そして中央にアジタ祭司長が座っていた。プータマリ司書長の声が響くと、両手を縛られた祭司が連れてこられた。アニルだった。その様子をただ一人の傍聴者、ジェイ警備隊長が見ていた。
「被告人、風の祭司アニル。お前の罪状は窃盗及び反逆罪だ。これに対し何か申し開きすることはあるか?」
プータマリ司書長が尋ねた。
「私は無実です。私は何も盗んでなどおりません。」
アニルの冷静な声が響いた。
「しかし、宝物庫に残されていた証拠が犯人はお前であると指し示している。お前は自分の指輪が宝物庫の中に落ちていたことをどう説明する?」
スバル医薬長が鋭く追求した。
「指輪は盗まれたのです。」
アニルは淡々《たんたん》と言った。その表情には曇りもなく、焦りも動揺もなかった。
「そんな嘘が通用すると思っているのか?」
スバル医薬長が厳しい口調で言った。
「嘘ではありません。指輪は盗まれたのです。おそらく私を快く思わない誰かに。私は罠に填められたのです。」
「罠だと?」
「はい。私を快く思わない者が、私が盗んだと見せかけるためにわざと私の指輪を残して行ったのです。」
「それは誰だ?」
「はっきりこの中の誰がやったかは分かりませんが、アビジート、サチン、シンハダンストラです。三人は以前から私の周りをコソコソと嗅ぎ回っていました。」
アニルは堂々《どうどう》とそう答えた。
「その三人の祭司がそのようなことをするわけがないであろう。」
スバル医薬長は話にならないとでも言いたげだった。
「そうでしょうか?どんなに優秀な祭司でも過ちを犯すことはあります。だからこそあなたも私をお疑いなのでしょう?それとも私が魔術師と噂されているからお疑いなのですか、スバル医薬長?」
アニルが優雅な笑みを浮かべながら、挑発するように言った。スバル医薬長は苦虫を噛み潰したような顔をした。スバル医薬長はアニルの人を食ったような態度が嫌いだった。
「では、何かそれを証明するものは?お前が無実で罠に填められているだけということを証明できるものはあるか?」
プータマリ司書長はアニルの言葉に興味を示して尋ねた。
「いいえ、何もありません。」
明らかに不利な答えだった。しかしそうであるのにもかかわらず、あいかわらず堂々《どうどう》と相手の顔を見て答えるアニルの大胆さにプータマリ司書長は顔には出さなかったものの、不快感を覚えた。スバル医薬長なんて人目を忘れて思いっきり顔を顰めていた。
「アニル、見張りの兵士は術にかけられて眠らされていたが、お前はこのような術を使えるのか?」
ようやくアジタ祭司長が口を開いた。
「はい、使えます。」
アニルは正直に答えた。そしてこう付け加えた。
「正確に言うならば、眠り薬を粉や気体にして、相手に吸わせることができれば、眠らせることができます。私は風を操るので、姿を見られずに、遠くから見張りの兵士に狙いをつけて眠らせることも可能でしょう。けれどそれには眠り薬をスバル医薬長に調合してもらうことが必要です。私は調合の仕方を知りませんから。」
アニルはスバル医薬長に向かって言った。
「スバル医薬長、アニルに眠り薬を調合してやったことは?」
アジタ祭司長が尋ねた。
「いいえ、ありません。しかし、保管庫にある眠り薬は誰でも持ち出すことができます。」
スバル医薬長がアニルを睨みつけてに言った。
「それは存じませんでした。」
アニルはわざとらしく驚いて見せた。それがスバル医薬長の癇に障った。
「ますます怪しいとしか言いようがありませんね。」
プータマリ司書長が冷たく呆れたように言った。
「スバル医薬長、特別な薬物は厳重に保管するように。」
アジタ祭司長が注意した。
「はい。」
スバル医薬長は気まずそうに返事をした。
「ではアニル、事件の夜のことを聞きたい。お前はあの晩一体何をしていた?正直に答えよ。」
アジタ祭司長が言った。
「私は自分の部屋にいました。」
アニルがそう答えると三人の祭司裁判官は押し黙った。まるでアニルが犯人であるという自白を聞いたかのような顔だった。
「証人をここへ。」
アジタ祭司長が静かに言った。どこか悲しげな顔だった。法廷に三人の祭司が連れてこられた。シンハ、サチン、アビジートだった。
「シンハ、事件の夜のことを話せ。」
「はい、アジタ祭司長。」
シンハは丁寧にそう答えると事件の夜のこと話始めた。
「事件のあった夜、我々は図書館におりました。それはプータマリ司書長が証明してくれます。」
「確かかな、プータマリ司書長?」
アジタ祭司長が尋ねた。
「確かです。」
プータマリ司書長ははっきりとそう答えた。
「我々が図書館を出たのは真夜中のことでした。我々はプータマリ司書長に挨拶をして、西の棟の自分の部屋に戻ろうとしました。その途中、月明かりの中、私は見ました。アニル殿がこっそり西の棟を抜け出すのを。」
アニルの表情が変わった。驚いていた。
「それは誠か、シンハ?」
アジタ祭司長が念を押すように尋ねた。
「はい。」
シンハは残念であるというような顔で言いった。
「サチン、アビジート、シンハの言うことに相違はないか?」
「相違ございません。」
二人は声を合わせてアジタ祭司長に言った。
「アニル、何か言うことはないか?」
アジタ祭司長の重い声が響いた。その声には罪を認めて刑が少しでも軽くなるようにして欲しいという気持ちが込められていた。アジタ祭司長はアニルが欲に目が眩んで盗みを働くような人間ではないと言うことをよく知っていた。けれど何かの他のことために宝物庫に侵入して宝を持ち出した可能性があるのではないかと疑っていた。
「私の言葉に何の偽りもありません、アジタ祭司長。三人の言葉を信じればあなたは後悔する。」
アニルはアジタ祭司長を真っ直ぐ見据えて言った。脅迫めいて聞こえた。アジタ祭司長はアニルの強い眼差しから目を逸らした。
「判決を下す。風の祭司アニル、お前は祭司の身でありながら窃盗の罪を犯した。宝物庫の宝を盗むことは反逆罪に当たる。よってお前を追放処分とする。スターネーシヴァラ国の領土から立ち退き、二度と戻ってきてはならぬ。」
隣にいたスバル医薬長もプータマリ司書長もこの判決には驚いた。追放処分を受けた祭司はこれでスターネーシヴァラ史上二人目だった。アニルは歴史的な大罪人となった。容赦ない判決だった。
「二人とも異論はあるか?」
アジタ祭司長はスバル医薬長とプータマリ司書長を睨みつけるように見て尋ねた。有無を言わせるつもりはなかった。
「異論ございません。」
当然二人共は異論を唱えなかった。反逆罪と見なすならば追放処分は妥当な判決だった。
「では刑の実行は明日の夜とする。」
アジタ祭司長がそう言ってもアニルは何も言わなかった。取り乱すことなく、おとなしく兵士に連れられて法廷から出て行った。アジタ祭司長はその様子を横目で見送ってからこう言った。
「皆のもの、分かっているとは思うがこの件については他言無用だ。次期祭司長が盗みを働いて追放されたと知られれば大スキャンダルになる。良いな。」
「はい。」
全員が声をそろえて返事をした。その声を確認するとアジタ祭司長は最後の言葉を述べた。
「では、これにて閉廷。」




