第二十九章 森の主
第二十九章 森の主
ハルシャ王子たちはリュックの中から旅の食料を取り出して食べた。質素な食事だったが、お腹が空いていたハルシャ王子は文句ひとつ言わずに食べた。お腹が膨れると、寝袋を敷いて眠りについた。ハルシャ王子とルハーニの枕元にはクールマとシェーシャが横になっていた。
真夜中のこと、ハルシャ王子は突然寝苦しくなって目が覚めた。けれどおかしなことに体が動かなかった。寝返りを打とうとしても、体が傾かなかった。手を動かそうとしても、上がらなかった。手に力を入れているつもりなのに、その力がどこか別のところに流れているような気がした。顔も動かせなかったが、目だけは動いたので右隣にいるルハーニの方を見た。ルハーニも寝苦しそうにうなされていた。枕元にいるクールマとシェーシャを確認した。二匹はぐっすり眠っていた。
そして、ふと左の方に目をやると、ハルシャ王子の心臓は凍りついた。こちらを見つめている死霊がいた。白く透けていて、真っ白な髪は長くボサボサで、痩せてくぼんだその目は大きく見開かれていた。死霊は瞬き一つせずじっとこちらを見つめていた。
ハルシャ王子は恐ろしくなって声を上げようとしたが、声は出なかった。それどころか死霊と目が合った途端に首が絞められているかのように息苦しくなった。
ハルシャ王子は何とかルハーニたちに助けを求めようと、顔や手を動かそうとしたり、声を出そうとしたりした。けれどさっきと同じように体に力が入らず、声も出なかった。
もがき苦しみ、意識が朦朧として目を閉じた時、急に金縛りから開放された。ハルシャ王子は思いっきり息を吸い込んだ。咳き込みながら、目を開けて死霊がいたところを見ると、そこには死霊の姿はなく、変わりに一頭のトラが座っていた。ハルシャ王子は襲われるのではないかと思って起き上がった。
「この脆弱な結界ではこの森に住む死霊は防ぎきれない。今夜は私がついていてやろう。」
トラは人の言葉を話した。ハルシャ王子はさっきまで絞められていた首を手で押さえながらまた咳き込むと、ルハーニの方を見た。ルハーニも金縛りから解放されたらしく、すやすやと眠っていた。ハルシャ王子は再び視線をトラに向けた。トラもハルシャ王子を見ていた。
「とんでもない連れがいるな。天界の使者と冥界の使者。それに炎の使い手。」
トラは低い声でつぶやいた。トラはルハーニたちの正体を見破った。ハルシャ王子は緊張した面持ちでトラから目を離せないでいた。するとトラは低い声で安心させるように言った。
「眠れ、王子。私はこの森の番人であり、この森の主だ。人を襲ったりはしない。」
トラは大きな手足をしまい、伏せた。襲うつもりはないと示しているようだった。
ハルシャ王子はゆっくりとトラから目を離し、再び横になった。そして目をつぶると、眠るまでの少しの間考えた。もし、さっきトラが助けてくれなければどうなっていたかと。首にはまだ絞められた感触が生々《なまなま》しく残っていた。今まで味わったことがない恐怖だった。
翌朝、目が覚めるとトラの姿はなかった。ルハーニは昨夜うなされていたことなどまるで覚えていないようだった。クールマとシェーシャもいつも通りで、ハルシャ王子とルハーニがうなされていたことさえ気づいていないようだった。ハルシャ王子はルハーニと二匹に昨夜のことを話そうか迷った。けれど誰も気づいていないところを見ると、夢だったのではないかとも思えた。ハルシャ王子は何も言わないことにした。
ハルシャ王子たちは朝から歩き続け、ついに森の出口に辿り着いた。森の出口は太陽の光が差し込んで、まるで光の出口だった。その出口から森を抜けると広大な荒地が広がっていた。この荒地のずっと向こうにタール砂漠の砂の牢獄があった。




