第二十八章 死者の森
第二十八章 死者の森
森に入るとルハーニは森の不気味な雰囲気を感じ取った。それはクールマとシェーシャも同じようだった。クールマとシェーシャは人目がないので、ルハーニの肩に乗っかって、険しい顔をして森の入り口を見つめていた。けれどハルシャ王子はケロッとしていた。森から放たれる冷気にまるで気づいていないようだった。ハルシャ王子は世の中の多くの人のようにまったく霊感というものがなかった。
けれどそんなハルシャ王子にも森の奥に入ると、ルハーニが森の中に入りたがらなかった訳が分かるような気がした。森は鬱蒼としていて、日の光はほとんど届かなかった。さらに森は不自然なほどに静かで不気味だった。森といえば鳥や獣、虫たちの鳴き声がしそうなものだが、それが全く聞こえなかった。静まり返った森の中をハルシャ王子たちは黙々《もくもく》と歩いた。
「ルハーニ、大丈夫か?」
シェーシャが言った。
「うん。」
ルハーニは短く返事をした。ルハーニは息苦しそうにして、落ち着かない様子だった。ルハーニの目には森の中をうごめく死霊の白い影が見えていた。
「空気が重いのう。ハルシャ王子は大丈夫か?」
クールマが尋ねた。
「僕は平気。」
ハルシャ王子は本当に何ともないという様子だった。ハルシャ王子は不気味な森だとは思っていたが、それ以上のことは感じていなかった。ハルシャ王子は霊感がない人の中でも特に鈍い方だった。
「暗くなって来たな。」
シェーシャが言った。日が暮れるに連れ、もともと薄暗い森がさらに暗く、陰気になって来た。
「そうじゃのう。ではここで野宿しようかのう。ルハーニ、結界を張ってくれるかのう?」
クールマがそう言うと、ルハーニは立ち止まった。
「結界を張るって、一体何をするんだ?」
ハルシャ王子が尋ねた。
「聖水を撒いて呪文を唱えるんだ。」
ルハーニはそう言いながらリュックと肩に乗っていたクールマとシェーシャを下ろした。ハルシャ王子もそれを見て自分のリュックを下ろした。
ルハーニは手で、ハルシャ王子とクールマ、シェーシャ、そして二つのリュックをぐるりと囲んで、二人の人間が横になれるくらいの大きさの四角形を地面に描いた。それから背負っていた荷物の中から何やらごそごそと小瓶を取り出し、引いた線に沿って中の聖水を撒いて行った。聖水を撒き終わると今度は呪文を唱え始めた。
『囲いの中は我らの場所。
獣は立ち去れ。
虫は寄るな。
死霊はあの世へ帰れ。』
ルハーニはそう唱え終わった。ハルシャ王子はずっとルハーニの様子を物珍しそうに眺めていたが、ルハーニが覇気のない調子であっさり呪文を唱え終わると怪訝な顔をして言った。
「呪文は本当にそれでいいのか?」
ハルシャ王子はあまりにも短くて、心のこもっていない呪文に疑問を覚えた。
「これだけだよ。」
ルハーニは答えた。
「呪文ってもっと長々《ながなが》と、力を込めて唱えるものじゃないのか?」
スターネーシヴァラ国の祭司が儀式を執り行う様子を見たことがあるハルシャ王子は納得できない様子だった。けれどルハーニはそれを気も留めなかった。
「これで今夜は獣や虫は大体防げるから大丈夫。」
ルハーニがハルシャ王子を安心させるつもりで言った。
「大体?」
ハルシャ王子は突っかかった。
「お前、本当にそんな適当な術しか使えないで僕をタール砂漠まで連れて行けるのか?」
ハルシャ王子はまるでルハーニを自分の家来か何かと思っているような口ぶりだった。傲慢な態度に、シェーシャが怒った。
「黙れ!我々にはお前をタール砂漠まで連れて行く義務なんかないんだ。親切で連れて行ってやると言っているんだ。それなのに何なんだその態度は!」
「よせ、シェーシャ。この森で大声を出してはいかん。」
怒鳴ったシェーシャにクールマが慌てて注意した。シェーシャは静まった。
ルハーニは結界の外に目を配った。白い影がシェーシャの声に反応してうごめいていた。クールマとシェーシャも白い影を目で追った。
「ハルシャ王子、結界からは絶対出んように。」
クールマが警告した。
「分かった。」
ハルシャ王子はふてぶてしく返事をした。
「火を起こそう。」
クールマがルハーニに言った。ルハーニは結界の真ん中に立つと、手を地面にかざした。手から地面に火の玉が落ちた。火の玉は薪もないのに燃え続けた。ハルシャ王子の目に揺らめく炎が映った。
「一体何をしたんだ?」
ハルシャ王子が驚きの眼差しで尋ねた。さっきまで機嫌を損ねていたことを忘れていた。
「ルハーニは炎の使い手なのじゃ。自在に炎を出現させることができる。」
クールマが橙色の炎を囲んで言った。
「炎の使い手?」
ハルシャ王子は反芻していた。ハルシャ王子の頭にアジタ祭司長と追放された祭司アニルの顔が過ぎった。
「炎を操る力を持っているのじゃ。」
クールマが説明した。
「タール砂漠の砂の牢獄にいる祭司は風の使い手だ。」
ハルシャ王子はそう口をついていた。
「風の使い手とな。」
クールマが興味を示した。
「ああ。アニルはアジタ祭司長っていう風の使い手の弟子だったんだ。」
「風の使い手が二人もいるのか?」
シェーシャが驚いたように言った。
「そうだ。でもアジタ祭司長はシャシャーンカ王の罠にかかってもう生きてはいない。」
ハルシャ王子は思い出すように暗い顔をして言った。ルハーニもそれを見て暗い顔をした。
「スターネーシヴァラ国では祭司の間で風の使い手は特別な存在だった。魔女や魔術師の中でもそうなのか?それって一体何故なんだ?」
ハルシャ王子が気を取り直すように顔をあげて尋ねた。
「ハルシャ王子は四大元素の話を知らんのか?」
クールマが言った。
「知らない。」
ハルシャ王子は素直にそう答えた。
「そうか。ならば教えよう。この世は主に四つの元素から成っている。その四つの元素というのは地、水、火、風じゃ。これらは四大元素と呼ばれる。四大元素を操ることができるのは能力の中でも非常に稀で、一つの時代に三人以上の使い手が生まれることはないと言われている。けれどそれが四大元素の使い手が特別な存在である理由ではない。理由は別にある。四大元素の使い手がそれぞれ集まった時、つまり大地の使い手、水の使い手、炎の使い手、風の使い手が集まった時、世界を作り変える力が生まれるのじゃ。」
クールマは鋭い眼をして真剣な表情で言った。
「世界を作り変えるだって?」
ハルシャ王子は息を呑んだ。
「そうじゃ。じゃがまあ、実際には不可能な話じゃが。」
クールマが肩の力を抜いて言った。
「不可能ってどうして?」
ハルシャ王子が喰らいつくように言った。
「天界の神々と冥界の神々が同時期に四大元素の使い手が集まらぬよう采配しているのじゃ。」
クールマが横にいるシェーシャに同意するよう求める視線を投げかけながら言った。けれどシェーシャは面倒くさそうな顔をして特に応答しなかった。
「そうなのか。」
ハルシャ王子はホッとしたように言った。
「ところで、アニルさんは何でタール砂漠にいるの?」
話の区切りがいいところでルハーニが遠慮がちにハルシャ王子に尋ねた。
「追放処分にされたんだ。」
「追放処分とは穏やかではないな。なぜ追放されたのだ?」
シェーシャが鎌首を起こして尋ねた。
「僕にも分からない。突然城からいなくなって、誰も行方を知らなかったんだ。だけど今思うとみんな知らないんじゃなくて、僕に隠してたんだ。」
「どんな人なんじゃ?」
クールマが尋ねた。
「僕の家庭教師だった。ラーケーシュの前の。さっきも言ったようにアニルは風の使い手で、次の祭司長に決まっていた。」
ルハーニは特に反応を示さなかったが、クールマとシェーシャは互いに顔を見合わせた。
「追放されたことを恨んでシャシャーンカ王に与したということもあり得る。タール砂漠へ行くのは危険ではないか?」
シェーシャが言った。
「確かに。じゃが、もしそうだとすればタール砂漠の砂の牢獄にはいまい。いるとすればカルナスヴァルナ国じゃ。」
「アニルはそんなことしない!」
ハルシャ王子が声を荒げて言った。
「信頼できる人物なのか?」
クールマが鋭い目をして尋ねた。
「もちろん。」
ハルシャ王子は言い切った。クールマはハルシャ王子の真剣な目を見てそれ以上何も追求しなかった。




