第二十五章 裏切者の懺悔
第二十五章 裏切者の懺悔
シンハは暗い粗末な部屋でただ一人、三つの棺を虚ろな目で見下ろしていた。三つの棺の主はアジタ祭司長、サチン、アビジートだった。シンハはゆっくりと棺の傍らにひざをついた。
「アジタ祭司長、私をお許しください。スターネーシヴァラの民を裏切り、王を裏切り、あなたを死に至らしめた私を、お許しください。」
シンハは穏やかな口調で棺の中で眠っているアジタ祭司長に許しを乞うた。
「私は幼い頃より祭司になるよう育てられてきました。代々多くの優秀な祭司を輩出してきた家に生まれた者の定めと思い、両親の期待に沿うよう、立派な祭司になれるよう努力いたしました。祭司見習いとして城で学ぶようになってからは講義をしてくださる先輩祭司たちに認められるよう勉学に励み、祭司となってからはあなたに認められるよう修行に明け暮れてきました。影を操るという技を極め、あなたの役に立とうとしました。それなのに、あなたは私を選んでくださらなかった!」
急にシンハの口調が激しくなった。
「どうして私ではないのです!?私のどこが期待に沿えていなかったと言うのです!?私のどこに不満があったと言うのです!?どこに落ち度があったと言うのです!?あなたが私を次の祭司長に選んでくださってさえいたら!…こんなことにはなりませんでしたのに…。」
涙がシンハの頬をつたった。アジタ祭司長は何も答えなかった。棺の中で眠ったままだった。シンハはアジタ祭司長からその隣に寝かせてある棺の主に目を移した。
「サチン、巻き込んでしまってすまない。お前には何の恨みもない。本当はこんなことしたくなかった。共に修行に励んできた仲だ。私たちはとても良いライバルだった。本当にすまない。お前の葬儀は私が責任をもって行う。灰はサンガムに流そう。アジタ祭司長とアビジートと一緒に。」
シンハはそう言うとアビジートの棺に目を移した。
「アビジート、私を許してくれ。仲間を裏切った私を許してくれ。お前は蛇を操るという能力を持った繊細な男だった。あまり付き合いはなかったが、寡黙な努力家で、日々古文書の解読に勤しんでいたことは知っていた。そんなお前を死に追いやった私を許してくれ。」
シンハはそう言ってアビジートの顔の上に涙を落とした時、アビジートの胸の上を這っている小さな黄色い蛇に気がついた。シンハはその蛇を手の平の上に乗せた。
「お前の蛇は私が世話しよう。せめてもの償いに。」
シンハは蛇を見つめながら言った。
その時、扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします。」
一人の家来が中に入ってきた。シンハは涙を拭って何事もなかったかのように毅然として家来に目を向けた。
「シンハ祭司長、シャシャーンカ王がお呼びです。」
「分かった。」
シンハは立ち上がると家来の後について行った。
大広間ではシャシャーンカ王とサンジャヤ大臣が険しい顔をしてシンハを待ち構えていた。
「ここへ。」
シンハが家来の後に続いて大広間に入ってくると、シャシャーンカ王が呼び寄せた。シンハはシャシャーンカ王の前に進み出た。
「誰が逃げたか分かったか?」
シャシャーンカ王が怒気をはらんだ冷ややかな声で尋ねた。
「はい。逃げたのはクリパールという名の祭司でした。」
シンハは自分がカルナスヴァルナ国の祭司長になったのにもかかわらず、シャシャーンカ王が自分に威圧的な言い方をするのが気になった。
「その祭司はどのような能力を持っているのですか?スターネーシヴァラ国では祭司は皆、特殊な能力を持っていると聞き及んでおります。」
サンジャヤ大臣が言った。サンジャヤ大臣はシンハをカルナスヴァルナ国の祭司長として認めてか、丁寧な口調で話しかけた。
「クリパールは植物の成長を操るという能力を持っています。『つるの種』という独自に品種改良した種子を操ることを得意とし、一瞬にして巨大な蔓に成長させます。」
シンハは答えた。
「ところで、そなたはラージャ王の死を確認したか?」
シャシャーンカ王が尋ねた。
「いいえ、私は確認しておりません。アジタ祭司長お一人で看取られました。私と他の三人の祭司はラージャ王の部屋から出されていました。」
シャシャーンカ王とサンジャヤ大臣はそれを聞いて明らかに動揺した様子だった。
「なぜ確認しなかったのだ!?」
シャシャーンカ王が突然怒鳴った。シンハは驚いて目をパチパチさせた。祭司長である自分がなぜこんな仕打ちを受けるのかと思った。
「シンハ祭司長、実は、ラージャ王の遺体は部屋になかったのです。」
サンジャヤ大臣がシャシャーンカ王に代わり、まだ何も知らないシンハにそう告げた。シンハは言葉を失うほど驚いてサンジャヤ大臣の顔を見た。
「シンハ祭司長のお話ではラージャ王は部屋のベッドの上に寝かせ、アジタ祭司長が治療に当たり、その後、ラージャ王を置いて祭司四人で逃げたということでしたが、ラージャ王の遺体がベッドの上になかったのです。」
サンジャヤ大臣が言葉を続けた。
「つまり、クリパールとか言う祭司がラージャ王の遺体を持って逃げたか、アジタ祭司長が妙な技で遺体をどこかに隠したかということだ。しかし、そなたがラージャ王の死を確認していないとなると、遺体であったかどうか怪しいものだ。」
シャシャーンカ王が蔑むような一瞥を送って、吐き捨てるように言った。シンハは一体何が起きているのか、わけが分からなかった。
「これより、そなたはスターネーシヴァラ城へ戻れ。そなたの裏切りはまだ知られてはいまい。戻ってこの書状を王宮に送り込んだ刺客に渡せ。これにはクリパールという祭司を始末し、そなたに協力するようにと書いてある。祭司を始末してラージャ王の生死を確認したらここへ戻って来い。」
シャシャーンカ王は側に控えていた文官に書状を渡した。文官はシンハに書状を差し出した。しかしシンハはすぐに受け取ろうとはしなかった。
「シャシャーンカ王、私は…」
「そなたは今回の件が片付くまで祭司長就任を保留とする。良いな?」
シャシャーンカ王は冷たくそう言い放った。シンハは耳を疑った。耳の奥で何かが崩れていく音が聞こえた。
「分かったらさっさと行け。」
シャシャーンカ王が冷淡に追い立てた。シンハはあまりの扱いのひどさに抗議しようと口を開きかけた。
「何をボヤボヤしている!?さっさと行け!」
しかし、それはシャシャーンカ王の怒号でかき消されてしまった。シンハは苦々《にがにが》しい表情を浮かべて書状を受け取り、大広間からから立ち去った。
「シンハ祭司長。」
シンハは大広間を出たところで誰かに呼び止められた。
「チョンドロ殿。」
シンハが自分を呼び止めた相手の名前を呼んだ。文官のチョンドロが廊下でシンハが大広間から出てくるのを待っていた。
「シンハ祭司長、お馬の準備ができております。こちらへ。」
チョンドロは冷たい口調で言った。
「馬?」
シンハは馬車の間違いではないかと思った。
「はい。万が一、クリパールという祭司が先にスターネーシヴァラ城へ着いていた場合、馬車でシンハ祭司長がお戻りになると怪しまれますから。」
チョンドロはそんなことも分からないのかと馬鹿にしたような言い方をした。シンハは普段なら腹を立てるところだが、今はどうでもよく思えた。不安に押しつぶされて怒りを感じる感情が鈍っていたのだった。
シンハはチョンドロの後をトボトボと歩くと、王宮の外に通じる扉の前にやって来た。扉が門番の兵士によって開かれると、一頭の馬が用意されているのが見えた。そしてその横にサンジャヤ大臣がいるのが見えた。
「サンジャヤ大臣!」
チョンドロが驚いたように言った。サンジャヤ大臣は二人の後に大広間を出たはずなのにそこに立っていた。
「チョンドロ、シンハ祭司長は私がお見送りする。お前はもう下がって良い。」
まるで邪魔者を追い払うような言い方だった。チョンドロは不満そうに二人に挨拶をして下がった。チョンドロが去ってしまうと、サンジャヤ大臣はシンハに話しかけた。
「私はこの王宮に勤めて長いので、大体のことは知っています。近道も、そこら中に仕掛けられているすべての罠の位置も頭に入っています。大広間からここまで最短距離で来るには、大広間を出て右手にある十三番目の扉に入れば良いのです。その部屋には王宮の外につながる通路が隠されているのです。」
サンジャヤ大臣はそうシンハに教えた。シンハはなぜサンジャヤ大臣がここへ先回りできたのか納得した。
「馬に乗るのをお手伝いしましょう。」
サンジャヤ大臣は言った。シンハは後ろからサンジャヤ大臣に支えてもらいながら馬に跨り、足を鐙に固定してもらった。
「お帰りの際はお気をつけて。どんなに急いでいても案内の家来が来るまでお待ちください。この王宮のいたるところに罠が仕掛けられております。万が一、その罠に陥ることがあっても一度警告致しました以上、責任を負いかねます。」
サンジャヤ大臣はまたいつかのように含みのある言い方をした。シンハもまた言葉の通りに受け取った。
「それから…どうかシャシャーンカ王とチョンドロの無礼な態度をお許しください。」
サンジャヤ大臣は付け加えるように言った。シンハは無言で首を振った。打ちひしがれているシンハをサンジャヤ大臣は哀れに思った。
「シンハ祭司長、差し出がましいようですが、一つ忠告させてください。」
「何でしょう。」
「裏切り者は報われません。どちらにつくかはっきりお決めになった方が楽になります。それだけです。ご帰還お待ちしています。」
サンジャヤ大臣はそう言うと馬の尻をポンと叩いた。すると馬は走り出した。シンハは慌てて手綱を握り締めた。馬はスターネーシヴァラ城に向かった。




