第二十二章 魔女ルハーニ
第二十二章 魔女ルハーニ
マルラーリーばあさんの家は町外れの森の中。ニルマダの診療所からずいぶん離れたところにあった。
小さな町の賑やかな大通りを歩いている時、ソーハンとモーハンが道すがら自己紹介をした。
「俺はソーハン。親父の跡を継いで町でつぼ屋をやってる。売るだけじゃなくてつぼ作りもやってるんだ。つまり俺は工芸家なんだ。」
ソーハンは格好をつけて得意げに言った。
「そんな大それたもんじゃないだろう。ただ水漏れしないつぼを作れるっていうだけなんだから。」
横からモーハンが言った。ソーハンはモーハンをキッと睨みつけた。
「俺はモーハン。絨毯屋で働いてる。絨毯の修繕をやってるんだ。こう見えても手先は器用なんだ。」
モーハンはそう言って自分の手をハルシャ王子に見せた。太くて短い指で、とても器用には見えなかった。ハルシャ王子は二人とも似たり寄ったりの性格だと思った。
「なあ、王子様ってお城で何してるんだ?」
ソーハンが尋ねた。
「いつも勉強している。語学とか、数学とか、科学とか、それに経済学と政治学も。」
ハルシャ王子は何気なく答えた。
「そんなに勉強してるのか。」
モーハンが感心したように言った。ハルシャ王子にはモーハンの反応が意外だった。勉強していることがそんなに感心されるとは思っていなかった。
「そんなに勉強して一体将来何になるつもりなんだ?」
ソーハンがまた尋ねた。この質問にハルシャ王子は戸惑った。ハルシャ王子はそんなことを考えたこともなかった。一体自分は将来何になるのだろう?ハルシャ王子は自問した。
「何だ、まだ決まってないのか。でも夢くらいあるだろう?俺の夢は王宮御用達のつぼ屋になることなんだぜ。」
ソーハンが目を輝かせてそう言った。ソーハンは良く見るとハンサムだった。髪がくせっけで、四方八方に伸びていて、そちらの方に目が奪われて気づかなかったのだ。
「俺の夢は自分の絨毯屋を出すことだ。」
モーハンの目も輝かせて言った。モーハンは良く見ると、若く見えた。一見するともう四十を過ぎているように見えるのだが、肌や髪がつやつやしていて、まだ二十台の若者だということを示していた。
「何だよじろじろ見て。」
モーハンが恥ずかしそうに言った。
「別に。」
ハルシャ王子はつんとした顔で言った。
それからしばらく歩いて町外れの森に入った。その頃には日が沈みかけて、夜行性の虫や獣たちが目を覚まし始めていた。あちこちから鳴き声が聞こえてきて、ハルシャ王子はその声に怯えた。モーハンとソーハンは危険な獣の声には反応したが、それ以外は特に気にも留めなかった。
さらにしばらく歩くと、ソーハンが上の方を指して言った。
「ここだ。」
ソーハンの指の先には、とてもへんてこな家があった。とんがり屋根にジグザグ煙突、目玉のような窓。それが木の枝の上にちょこんと乗っていた。
「あれがマルラーリーばあさんの家だ。」
ソーハンが言った。ソーハンは家だと言いったが、ハルシャ王子には家には見えなかった。大きな鳥の巣か何かに見えた。
「これが家?」
ハルシャ王子はそうつぶやいていた。
「魔女がお城に住んでるとでも思ったのか?」
モーハンがからかうように言った。ハルシャ王子はモーハンに冷ややかな視線を送った。
「おーい、ルハーニ!」
ソーハンが木の上の家に向かって大声で呼びかけた。ハルシャ王子はこんな変な家には変人が住んでいるに違いないと覚悟しながら、中から人が出てくるのを待った。けれど家から誰も出て来なかった。
「いないのか?」
モーハンがつぶやいた。その時背後から声がした。
「呼んだ?」
二人は驚いて後ろを振り返った。そこにはくすんだ桃色の服を着た小さな女の子が立っていた。くっきりとした目と顔の輪郭が印象的で、頭に亀を乗せて、肩から白蛇をぶら下げていることを除けばかわいらしい少女だった。白蛇は鎌首をもたげてこちらを睨んでいた。
「ル、ルハーニ。」
ソーハンとモーハンが怯えたように言った。
「何か用?」
ルハーニが蚊の鳴くような声で尋ねた。
「ちょっと聞きたいことがあって来たんだ。」
ソーハンが震えるような声で言った。
「ルハーニはタール砂漠って知ってるか?」
モーハンが尋ねた。
「知らない。」
ルハーニがまた蚊の鳴くような声で答えた。
「そうか。」
ソーハンは残念そうに言った。モーハンとハルシャ王子もがっかりした。
「でも、『どっちだの術』で道は分かるぞ。」
「本当か?」
ソーハンはそう反応してからあることに気づいた。
「今の誰の声?」
ソーハンが不思議そうな顔をして尋ねた。
「わしじゃ。」
またさっきと同じ声がした。しわがれた年寄りの声だった。ソーハン、モーハン、ハルシャ王子はあたりを見渡した。
「ここじゃ。」
また声がした。三人ともどこから声がするかなんとなく見当がついた。ただ声の主があまりにも信じがたいものだったので、自分の耳がおかしくなったのではないかと疑った。三人ともルハーニの頭の上に乗っている亀を見つめた。
「そうじゃ。わしじゃ。」
亀はパクパクと口を動かしていた。どう見てもしゃべっているようにしか見えなかった。
「これは亀のクールマ。それでこっちが蛇のシェーシャ。二匹とも私の友達。」
ルハーニが手短に亀と蛇を紹介した。
「よろしく。」
クールマが挨拶した。三人はあまりの衝撃で挨拶を返せなかった。
「挨拶もできないのか?礼儀をわきまえない無礼者め。」
またどこからか別の声がした。嫌味っぽい若い男の声だった。三人は鎌首をもたげている白蛇を見た。白蛇は意地悪そうに赤い舌をチロチロ出していた。
「しゃべった。」
ソーハンが声を漏らした。
「そんなにしゃべる亀と蛇が珍しいかのう?」
クールマが言った。
「普通亀はしゃべらないぜ。」
モーハンが顔を強張らせて言った。
少しの間沈黙が流れた後、ソーハンがおどおどしながらまた話を切り出した。
「なあ、さっきの話なんだけど、タール砂漠へ行けるのか?」
ソーハンはルハーニを見て話せば良いのか、亀を見て話せば良いのか、それとも蛇を見て話せば良いのか分からず、一人と二匹を見回した。答えてくれたのはルハーニだった。
「『どっちだの術』を使えば行けるよ。」
ルハーニがポツリとそう言った。
「どっちだの術?」
モーハンが聞き返した。
「ああ、行きたい場所の方向を知るための術じゃ。ルハーニはまだ子供だが、立派な魔女じゃ。」
クールマが誇らしげに言った。
「マルラーリーの孫で、彼女からあらゆる魔術を伝授されている。マルラーリーも良い魔女だったが、ルハーニの方が才能がある。」
シェーシャが自慢げに言った。
「なら、頼みたいことがあるんだ。こいつをタール砂漠の砂の牢獄まで連れてってやってくれないか?」
ソーハンがそう言ってハルシャ王子の背中を押し出した。ルハーニ、クールマ、シェーシャはさっきから黙って突っ立っている気位が高そうな少年に目を留めた。少年は不安げな表情でルハーニを見つめ返していた。
「こいつはスターネーシヴァラ国のハルシャ王子なんだ。」
モーハンはルハーニたちに驚くことを期待しながら言った。
「スターネーシヴァラ国のハルシャ王子?というとあの賢王として名高いラージャ王の弟君か?」
クールマが聞き返した。
「そうだ。そのラージャ王の弟だ。」
モーハンが満足そうに言った。
「あのラージャ王の弟はこんな礼儀知らずの子供だとは知らなかった。」
シェーシャが嫌味っぽく言った。モーハンとハルシャ王子は気分を害した。
「それで、ハルシャ王子はなぜタール砂漠へ行きたいのじゃ?」
クールマが質問した。
「そこにアニルという祭司がいるんだ。僕はアニルをスターネーシヴァラ国に呼び戻さなくちゃいけない。スターネーシヴァラ国を救うためなんだ。」
ハルシャ王子が自ら答えた。この質問は自分が答えるべきだと思った。
「スターネーシヴァラ国を救うためとな?」
「兄上はシャシャーンカ王の罠に掛かって亡くなられた。シャシャーンカ王はスターネーシヴァラ国に攻め込んで来るつもりだ。今この危機を救えるのはタール砂漠の砂の牢獄にいるアニルという祭司だけなんだ。
だけどこのことを知っているのは僕と家庭教師のラーケーシュだけだ。そのラーケーシュも王宮で襲われて船着場まで逃げたところで別れた。僕を逃がすために犠牲になったんだ。城にはまだ僕らを襲った奴らがいるかもしれないし、城に戻っていたら間に合わないかもしれない。
だから僕がタール砂漠の砂の牢獄に行かなくちゃならないんだ。」
ソーハンとモーハンは互いに顔を見合わせた。自体があまりも大事だった驚いたのだ。
「どうするルハーニ?」
クールマが頭の上から見下ろしながら尋ねた。ルハーニは悩んでいた。
「道を案内するだけださ、ルハーニ。」
ソーハンが言った。
「そうだ。危ない目に会いやしない。」
モーハンが適当なことを言った。
「分かった。案内するよ。」
二人の押しが利いてルハーニはついにそう言った。
「よく言ったルハーニ!」
ソーハンとモーハンが歓声を上げた。
「偉いぞ。」
クールマが頭の上から言った。
「ルハーニ、死んだマルラーリーも誇りに思っているだろう。」
シェーシャが鎌首をルハーニに向けて言った。
ハルシャ王子も何か言うべきかと口をパクパクさせたが、結局何も言葉が浮かばず、言うタイミングを逃してしまった。
「よし、じゃあ早速荷造りだ。俺たちも手伝うから。」
ソーハンが言った。
「お前さんたちは自分の荷造りは終わったのか?」
クールマが尋ねた。
「ああ、俺たちは行かないから。」
ソーハンが平気な顔でそう言った。
「仕事があるからな。」
モーハンも言った。
これに一番驚いたのはハルシャ王子だった。てっきり二人ともついてきてくれるものと思っていた。
「そんな!子供だけで行くのか!?」
ハルシャ王子が声を張り上げた。
「大丈夫さ。何たってルハーニは魔女だ。」
ソーハンが能天気そうに言った。
「そうそう。」
モーハンもそれに同意した。ハルシャ王子が愕然とした顔をしていると亀のクールマが話しかけてきた。
「まあまあ、安心なされハルシャ王子。こう見えてもわしは齢千年を超えておる。シェーシャも三百歳じゃ。二人とも立派な大人じゃ。」
ハルシャ王子はクールマとシェーシャを見た。亀と蛇が立派な大人だとは思えなかった。ハルシャ王子はルハーニを見た。ルハーニもハルシャ王子を見た。ハルシャ王子はぼうっと自分を見ているルハーニの目から何も感情を読み取れなかった。ルハーニの方も同じだった。怪訝そうな顔をしてじろじろ見てくるハルシャ王子が何を考えているのか分からなかった。不安な旅が始まりそうな予感がした。
翌朝、ハルシャ王子、ルハーニ、そして亀のクールマと蛇のシェーシャはニルマダの診療所の前で見送られて出発することになった。見送りに来てくれたのはソーハン、モーハン、ニルマダはもちろん、診療所に入院している患者も立てるものは外に出て二人と二匹を見送った。何人かの患者はしゃべる亀と蛇を見て心臓を悪くしたり、呼吸が苦しくなったりして、また病室に戻って行ったが。
「ルハーニ、本当に大丈夫か?」
ニルマダが心配そうに尋ねた。
「大丈夫。クールマとシェーシャもついているから。」
ルハーニが静かにそう言った。
「旅の間、怪我をしたり病気になったりするかもしれない。これを持っていきなさい。」
ニルマダはそう言って薬箱をルハーニに手渡した。
「ありがとうございます。」
ルハーニはお礼を言った。
「すまんのう、ニルマダ。気を使わせて。」
今日はルハーニの肩に乗っていたクールマが言った。クールマとニルマダは知り合いだった。
「気にしないでくれ、クールマ。私もマルラーリーばあさんによく持病の腰痛に効くまじない薬を作ってもらっていた。そのお返しだ。」
ニルマダはそう言った。それからハルシャ王子に向き直って、大きなリュックを差し出した。
「ハルシャ王子、中に水と食料、それからその他の必要なものが入っています。」
ハルシャ王子はリュックを受け取った。『ありがとう』という言葉が出て来なかった。人がこういう時にそう言うものだということは分かっていたのだが、実際に言ったことはなかった。リュックを受け取ったのにその場でもじもじしているハルシャ王子を見て、ニルマダにはハルシャ王子が何を考えているのか分かった。言葉にして出てこなくても、心がこもっている感謝の気持ちが伝わった。
「旅の間頼れるのはルハーニたちだけです。くれぐれも寛容な心を忘れないように。それから、次にお会いするときは心のこもった五文字の言葉が言えるようになっているといいですね。」
ニルマダは少し微笑んで、優しく送り出した。
「ハルシャ王子、ルハーニ、気をつけてな。それからクールマとシェーシャも。」
ソーハンが言った。『クールマとシェーシャも』というところは声が上ずっていた。一日経ってもしゃべる亀と蛇には慣れなかった。
「本当はついて行ってやりたいんだが、店があるんだ。悪いな。」
モーハンがすまなそうに言った。ハルシャ王子もルハーニも首を横に振った。
「ルハーニ、そろそろ行こう。」
シェーシャが言った。シェーシャはルハーニのリュックの上に乗っかっていた。
「クールマとシェーシャは人目を引く。隠れていた方がいい。」
ニルマダが二匹に忠告した。
「分かっている。町を出るまでは、リュックに隠れるから心配要らない。」
シェーシャが答えた。
「じゃあ、行って来ます。」
ルハーニが言った。
「行って来ます。」
ハルシャ王子も言った。ハルシャ王子の声には不安と感謝が入り混じっていた。
皆、ルハーニとハルシャ王子に手を振った。二人も皆に手を振った。さあ、旅の始まりだ。




