第十九章 カラスの伝言
第十九章 カラスの伝言
その頃、ハルシャ王子はこの日もいつものように部屋でラーケーシュに勉強を見てもらっていた。そしていつものようにラーケーシュを困らせていた。
「ハルシャ王子、キーコボル?」
「別に。」
ラーケーシュの『お元気ですか?』というカルナスヴァルナ語での質問にハルシャ王子はそう答えた。
「そういう時は『エークロコム』と言うのですよ。」
「ふーん。」
「ハルシャ王子、アプナール ナーム キ?」
ラーケーシュは今度『あなたの名前は?』と質問した。
「知ってるんだから、別に聞くことじゃないか。」
この日のハルシャ王子はいつになく不機嫌で、反抗的だった。そんな失礼な態度にラーケーシュは目をつぶるわけには行かなかった。
「ハルシャ王子、それが目上の者に対する口の利き方ですか?」
ラーケーシュは注意した。するとハルシャ王子は反省するどころかラーケーシュに言い返した。
「ラーケーシュはまだ祭司見習いじゃないか。同じ半人前のくせに。」
ハルシャ王子はふてぶてしく言った。
「何ですかその態度は。ラージャ王がお帰りになったら言いつけますよ。これでも私はあなたの先生なんですから、もう少し態度には気をつけて下さい。」
「アニルはそんなこと言わなかった。」
その言葉はラーケーシュの胸に刺さった。アニルの代わりとして家庭教師になったラーケーシュにとって比べられることは何よりも辛かった。
「私はアニル様ではありません。」
ラーケーシュの声が急に小さくなった。傷ついたような顔をしているラーケーシュの横顔をチラっとハルシャ王子は盗み見た。
「そうだな。ラーケーシュはアニルと違う。」
ハルシャ王子はそう言った。あいかわらずぶすっとして不機嫌そうな顔をしていたが、先程とはちょっと表情が違った。ハルシャ王子もどこかしょんぼりしていた。反省しているのだった。ラーケーシュは素直じゃないハルシャ王子のことが少し分かったような気がした。
「そうです。私はアニル様とは違うんです。」
ラーケーシュはいつも通りの元気な声で言った。何だか嬉しそうだった。
二人が言い合っていると、部屋の窓に一羽のカラスが止まった。不自然な光景に二人は目を見張った。カラスは突然喋り始めた。声はアジタ祭司長のものだった。
「カルナスヴァルナ国にてシャシャーンカ王の罠に掛かり、毒の杯を受けてラージャ王が亡くなられた。サチンとアビジートはすでに虫の息。じきに息を引き取るであろう。そしてこのアジタもスターネーシヴァラ国に戻ることは叶わぬ。
わしら三人はカルナスヴァルナ城に仕掛けられている無数の罠のうちの一つに陥り、矢を浴びたのだ。あとの二人、シンハとクリパールも無事カルナスヴァルナ国から脱出できるか分からぬ。わしらと同じ罠には陥らなかったものの、他の罠に陥っているかもしれぬ。二人が無事スターネーシヴァラ国へ辿り着けない場合を考えてこのこと伝えておく。
シャシャーンカ王はスターネーシヴァラ国に攻め入るつもりだ。至急追放処分に処した祭司アニルを呼び寄せよ。この窮地を救えるのはアニルのみ。アニルの身柄は秘密裏にグッジャラ国に預けてある。今はタール砂漠の砂の牢獄にいる。至急アニルを呼び戻せ。これは祭司長命令じゃ。」
カラスはそれだけ言うとまるで何事もなかったかのようにただのカラスに戻ってどこかへ飛んで行った。
ハルシャ王子はラージャ王の死を聞かされて凍りついた。突然姿を消したアニルの行方など気にならなかった。ただラージャ王の死が頭の中を駆け巡っていた。
「大変だ!すぐにサクセーナ大臣に知らせなくては。」
呆然としているハルシャ王子の横で、ラーケーシュはそう言うとすぐにハルシャ王子の部屋から飛び出して行こうとした。ラーケーシュは勢いよく部屋の扉を開けて出ると、横から覆面をした二人の警備兵が現れた。警備兵たちはラーケーシュ目がけて剣を振り下ろした。
「わあああ!」
ラーケーシュは寸でのところでかわした。再び警備兵たちが剣を振り上げて襲いかかった。
「うわっ!」
ラーケーシュはこれもまたかわした。かわした時に、警備兵の一人の顔に手が当たり、覆面が外れた。警備兵の頬に十字傷があった。こんな傷がある警備兵は見たことがなかった。それにたった二人という少人数で襲って来たところを見ると、謀反が起きたというわけではなさそうだった。ラーケーシュはこの二人の男は警備兵になりすましている刺客だと見破った。一人が外れた覆面を直している隙に二人の刺客の間を通り抜けて廊下に飛び出した。
「ラーケーシュ?」
悲鳴を聞きつけてハルシャ王子が部屋から顔を出した。
「ハルシャ王子危ない!」
ラーケーシュは叫んだ。二人の刺客はハルシャ王子を見つけると剣を掲げて襲い掛かろうとした。ラーケーシュはとっさに一方の刺客を突き飛ばした。その刺客ははずみで、もう一人にぶつかった。
「ハルシャ王子こちらに!」
ラーケーシュがそう言うと、ハルシャ王子は刺客たちの横を通り抜けて廊下に出た。ラーケーシュはハルシャ王子の手を引っ張ってその場からつれて逃げた。