第十六章 王の死
第十六章 王の死
控え室にいる四人の祭司たちはまだ無事だった。応接間の椅子に腰をかけて思い思いにアジタ祭司長とラージャ王の帰りを待っていた。しかしその和やかな雰囲気は一瞬にして壊された。突然扉が開き、それと同時にアジタ祭司長がラージャ王を抱えて入ってきた。祭司たちは驚いて立ち上がった。
「アジタ祭司長、どうなされたのです!?」
クリパールが最初に声を上げた。
「大変じゃ!王は毒を盛られた。罠に掛かったのじゃ。じきここにも兵士たちがやって来る。守りを固めるのじゃ。わしは王の治療に当たる。」
アジタ祭司長は四人弟子たちにそう言うとラージャ王用の部屋のベッドに横たえた。すぐに治療に当たろうとしたが、ラージャ王がか細い声でアジタ祭司長の手を止めた。ラージャ王はもう血を吐かなくなっていた。
「アジタ祭司長…。」
「何です、王よ。」
アジタ祭司長は苛立たしげに言った。なぜ止めるのですか?と言いたげだった。
「今まで私を支え、国に尽くして下さったこと、感謝しています。私はもうダメなようです。どうかスターネーシヴァラ国を守って下さい。それとハルシャを…ハルシャを頼みます。これが私の最後の願い…。」
そう言い終るとラージャ王は静かに目をつぶった。
「ラージャ王!」
アジタ祭司長は呼び止めるように叫んだ。けれどラージャ王は息を引き取った。
「わしがついていながら。」
アジタ祭司長はラージャ王の亡骸を抱きしめ、悔しさと悲しみに打ちひしがれながらつぶやいた。赤ん坊の頃からラージャ王を見守って来たアジタ祭司長にとって、ラージャ王は息子同然だった。ラージャ王が生まれた日から今日までの記憶が浮かび上がった。アジタ祭司長の悲しみは計り知れないものだった。けれどそのまま悲しみに暮れている訳にはいかなかった。ラージャ王の遺言を果たさなければならない。そのことがアジタ祭司長を奮い立たせた。
扉の前では、つるの種をおいて今にもクリパールが術をかけようとしていた。つるの種を術で成長させて扉を封鎖しようとしていたのだ。他の三人の祭司はその様子を見守っていた。そこへアジタ祭司長がやってきた。クリパールは手を止め、他の三人もアジタ祭司長に注目した。
「ラージャ王が今しがた息を引き取られた。これからこの城を脱出し、スターネーシヴァラ城に戻る。シャシャーンカ王はスターネーシヴァラ国に攻め込んでくるつもりだ。一刻も早く城にこの事実を伝えるのだ。」
アジタ祭司長は覚悟を決めたようにそう言った。クリパールは急いでつるの種を拾ってポケットにしまった。
その時、おもむろに一人の祭司がアジタ祭司長の前に進み出た。
「出口なら私がご案内できます。使者として何度かこの城を訪れたことがあります。」
シンハだった。
「よし、案内を頼む。」
アジタ祭司長たちは生き延びてスターネーシヴァラ国にこの危機を伝えるため、ラージャ王の亡骸を蓮の香りがするベッドの上に残し、シンハの後に続いた。
シンハは先頭を走った。その後をアジタ祭司長がぴったりとくっついて走り、さらにその後をサチン、アビジート、クリパールの三人が走った。案内できると言っただけあってシンハは迷わず道を選んだ。王宮のいたるところに仕掛けられているという罠に掛かることもなく、突然兵士が現れてもすぐに別の道へ入り、出口を目指した。誰もがシンハを信じていた。
シンハは突然振り返りもせず、急に足を速めた。アジタ祭司長はそれについて行けず、遅れを取った。サチンとアビジートもそうだった。シンハのすぐ後を追えたのはクリパールだけだった。それが運命の分かれ道となった。
シンハは暗い角を右に曲がり、姿が見えなくなった。見失うまいとクリパールが追いかけた。その時、クリパールのすぐ後ろで重い鉄格子が天井から下りて来る音と降り注ぐ矢の音と共に仲間の叫び声が響いた。振り返るとそこには絶望的な光景があった。鉄格子の向こうで三人とも矢に打たれて瀕死の重傷を負っていた。
「アジタ祭司長!」
クリパールは鉄格子に掴みかかった。アジタ祭司長はクリパールの声に反応したものの、膝をついて動けない状態だった。あとの二人もその場に倒れて込んでいて、すでに虫の息だった。
「アジタ祭司長、今お助けします!」
クリパールはそう言うと鉄格子を力ずくで壊そうとした。もちろんびくともしなかった。アジタ祭司長、そして二人の仲間はカルナスヴァルナ城に仕掛けられた無数の罠の内の一つに掛かったのだった。アジタ祭司長はもはや自分も二人の弟子も助からないことを悟っていた。
「クリパール、わしらのことは良い。お前だけで逃げよ。シンハは先に行ってしまったようだから自力で出口を見つけるのだ。そしてスターネーシヴァラ国にこのことを伝えよ。」
「アジタ祭司長を置いては行けません!」
クリパールは叫んだ。
「わしはこれまでじゃ、クリパール。」
アジタ祭司長は厳しい口調で言った。背には無数の矢が刺さっていた。クリパールももはやアジタ祭司長が助からないことを悟った。
「良いか、クリパール。シャシャーンカ王はすぐにスターネーシヴァラ国へ攻めてくる。わしがいない以上城は無防備じゃ。アニルを呼び戻せ。これは祭司長命令じゃ。」
「アニル様?しかしあの方は追放されて今どこにいるのか分かりません。」
クリパールがそう言い返した。
「実は、アニルはグッジャラ国に預けてある。今はタール砂漠の砂の牢獄にいる。」
アジタ祭司長は今まで隠していた秘密を話した。『どういうことです?』とクリパールは尋ねようとしたが、その前にアジタ祭司長が口を開いた。
「これ以上説明している暇はない。行け、クリパール。城に戻り、何があったのかすべて伝え、アニルを呼び戻すのだ。スターネーシヴァラ国とここで朽ち果てるわしらのために。」
アジタ祭司長はそう言ってクリパールを送り出した。クリパールは重大な使命を帯びて当惑したような表情を浮かべたが、すぐに覚悟を決めた顔つきになった。
「承知いたしました。アジタ祭司長。今まで御指導ありがとうございました。」
クリパールは深々と最後のお辞儀をすると、勢い良く駆け出して行った。その背中を見送りながらアジタ祭司長は弟子の成長を感じていた。
クリパールはたまたま目に入った一つの階段を上がった。その階段こそ城が攻められた時のための唯一の脱出用経路だった。クリパールは無事カルナスヴァルナ城から出ることができた。