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黒銀の共鏡  作者: 泉 ゆう
紅の章
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第八話 凪

「行かせてよかったのか?」


 土を踏み付ける音が聞こえてくる。


「"最後の楽園"なんだろ、この国は?」


 その声色はどこか非難めいている。アステールは、最初から罪人を生かすことに反対していたのだ。まだ手元に、監視下に置いておくならば、不満はあるものの安心はできた。


 しかし、あの状態で野放しにしてしまった。二人への怨みから何をしでかすか、分かったものではない。大事な国民を傷付けるかもしれないのだ。


 骸骨と化したラッカは、もはや二人以外に殺すことは敵わなくなってしまった。この国に危害が及ぶ前に、見つけ出して殺さなくてはならない。


「今からならまだ見つかるかもしれない」


 それでも、すぐにラッカの後を追わなかったのは何故だろう。彼女の意思を尊重したかったからだろうか。それとも、立て続けに苦痛を味わった罪人に、多少なりとも同情の念でも湧いたのだろうか。


 否、きっと、


「……わかったよ。とりあえず馬車に戻るぞ。治療はそれからだ」


 傷付いた彼女を、放っておけなかったのだ。








 赤い炎が荷馬車を覆っている。アンフィスバエナが去っても火を消さないのは、黒銀の二人は無傷で済んでも、馬に獣が襲われてしまっては旅が面倒になるからだ。


 抱きかかえたルミナリアを荷車に下ろし、仰向けに寝かせる。見るからに痛々しい姿に、アステールはまた眉間に皺を寄せる。


「な……、……よ?」


「黙ってろ。すぐとは言えないけど、治してやるから」


 砕かれた右の鎖骨と胸骨。もしかしたら背骨も折れてしまっているかもしれない。腹の傷も酷い。臓器もいくつか潰されているだろう。


 優しげにこちらを見つめて微笑む彼女に、より一層眉間に皺を寄せる。本当は血を流しすぎて、気絶してもおかしくない癖に。激痛に泣き喚いてもおかしくないはずなのに。


「……やりづらい。寝てろよ」


「や」


「今のは意味がわかった。もういい、暴れるなよ?」


 先ずは、腹の治療。(へそ)の少し横に開いた穴に拳をかざす。蝋燭程の青い火が腹に開いた穴の奥、貫通した背の傷口で小さく燃える。


 彼女がラッカに蘇生を施したのと同じように、少しずつ指を開いていく。


「あっ……ん……っ!」


 火が大きくなるにつれ、小さく呻くルミナリア。


「我慢しろ。苦手なんだ。お前と違って」


 蒼い火はゆっくりと燃え、背側の傷口を癒していく。穴が塞がり、火は次第に腹側に昇ってくる。


「はっ……あっ……」


 身体の中に燃え広がり、傷付いた臓腑に燃え移る。どうやら目の届かない部分にも損傷があったようだ。火が目に映る位置に戻るのを待つ。時間がかかるのは、臓器にもそれだけ深い傷を負ったということなのだろう。


「んんっ……くぅっ……!」


 ようやく火が動いた。後は腹に開いた穴を塞ぐだけだ。慎重に、少しずつ指を開く。


「あっ……はぁっ……」


「腹の傷はもう終わる。……ほら、終わった」


 指を開ききると、それと同時に火も消えた。黒の装束は破れ、そこから透き通るような白い素肌が覗いている。


 蒼炎に耐えきった彼女は息を荒くし、目尻に涙を浮かべていた。額には汗に濡れた前髪が張り付いている。涙を滲ませた赤い瞳で彼を睨みつけ、


「い……た、い」


「だから苦手なんだって。ほら、あと二箇所だ。我慢、な?」


「や……」


 弱々しい抵抗も虚しく、治療は繰り返される事となった。









「なぁ、怒るなよ。ちゃんと治っただろ?」


「うるさい。変態」


「はぁ!? お前、それが治療してやった奴に言うセリフかよ!?」


 揺れる荷馬車の上で口論が始まった。無事にルミナリアの胸と肩の治療を終えて、馬を再度走らせている。


「だって治療が終わったとき笑ってたもん! あなたが私の痛がる姿を見て悦ぶ変態だなんて思わなかった!」


「そんなわけあるか! あれは安心して――」


「ふーん? 安心、したんだ?」


 隣に座る少年を下から覗き込み、ニヤニヤと揶揄(からか)うように笑う少女。失言を悟った彼は、思い切り顔を顰めてそっぽを向く。


 それでも彼女はしな垂れかかるように彼の肩に腕を置き、


「心配してくれたんだねぇ。普段は素っ気ないのに、私が久し振りに怪我しちゃったから焦っちゃったんだね?」


「…………」


「それで慣れない治療なんかしちゃって。その最中もずっと痛がる私を泣きそうな顔で見てたもんね?」


「…………」


 図星を突かれて何も言えない。城にいては到底見ることのできないアステールの表情を存分に堪能できるのだ。それに本当のことしか言っていない。ましてや病み上がりの身。大義は己にある。


「うんうん、わかるよ? あなたは私のこと大好き――いったぁ!?」


 パシン、と頭が叩かれる。いい音が鳴った。頭を押さえる彼女をちらりと見て鼻で笑う。そのまま目線を正面に戻し、手綱を引くのに集中した。


 それを肩頬を膨らませて一度睨むと、「もう」と一言鳴いて、彼女も代わり映えのしない景色を眺め始めた。どうやらやり過ぎてしまったようだ。次はもっと上手い方法で彼を弄らなくては、とルミナリアは密かに心に決めた。


 その幼子のような決心をアステールはまだ知らないままでいたのだった。


 暫くすると、左肩に重みを感じた。耳を澄ませると、すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてくる。少年は寄りかかるルミナリアの頭に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。


 万が一これが狸寝入りだとしたら、またも彼女が意地の悪い笑みを浮かべる口実を与えてしまう。折角静かになったのだから藪を突く必要もないだろう。


 すっかり気の抜けた彼女の寝顔を見て、ただ微笑むだけに押し留めた。どうやら思ったよりもこの旅を悪くないと感じてしまっているらしい。複雑な気分だ。


 不規則に揺れる荷馬車。寝息と馬の蹄と車輪の音。それ以上の音はなく、彼らは北西へと向けて真っ直ぐ進む。


 紅の森の、一日目の夜が訪れようとしていた。


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