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黒銀の共鏡  作者: 泉 ゆう
紅の章
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第七話 殺意

 華奢な右肩に激痛が走った。続いて目の端に鮮血が映る。少女は痛みに顔を歪め、思わずしゃがみ込もうとするが、それはできなかった。


 自分の腹から生えた骨の右腕が、彼女を逃すまいと、まるで抱き寄せるかのように胸を押さえつけている。背に当たる肋骨がゴツゴツして不快な気分だ。


「ねぇ、痛いんだけど。あと変なところ触らないで。離れてくれない?」


「殺す。殺す。殺してやる」


 激痛に耐えながら、平静を装って声を掛けるが会話は成り立たない。ぐちゅぐちゅ、と音を立ててまた低い声が響く。


「殺してやる。……殺してやる」


 足元にぼとりと何かが落ちる。目を落としてそれを見ると、血に塗れた肉の欠片。骸骨の口から溢れた彼女の右肩の肉の残骸だ。


 喰らっているのだ。己が生きながらにそうされたように、その元凶の肉を噛み千切っている。


「なるほど、私のこと食べちゃおうってことかな? 喉も胃袋もないくせに?」


「殺してやる」


 小馬鹿にしたように笑う。当然、それに対する返答はまともなものではない。やはり完全に狂ってしまっているのだ。


「うるさいよりはマシだったけど、こんな状態だったら尚更使い道ないかなぁ」


 この期に及んで、まだラッカの使い道を考えながら左手で口の周りの血を拭う。その時、微かにその耳に何かが蒸発するような音が届いた。


 なんだろう、と首を傾げていると、


「だからあの時に消しとけば良かったんだ。まったく面倒臭い」


 アステールが腰に片手を当て、赤い瞳に呆れを宿らせている。その瞳が語る。自分の蒔いた種は、自分で何とかしてみせろ、と。


 どうやら、彼にはルミナリアを助けるつもりはないらしい。彼女もそれを理解しているから、助けを請うような事は口には出さない。


「そんなこと言ったって――痛ぁ!?」


 ずきんずきん、と痛んでいた右肩にまた鋭い痛みが訪れた。骸骨の顎がより深く右肩を抉ったようだ。こうやって、ゆっくりと肉を削りながら彼女を殺すつもりでいるのだろう。


 楽には殺さない。だが確実に殺してやる。背中から伝わる憎悪がそう言っているように感じられた。


「あなた程度に私は殺せないよ。思い上がりも――ぐっ!」


 胸を締め付ける力が強くなった。大きく開かれた骨の手と、背に食い込む肋骨に挟まれて、身体の内側から自らの骨が軋む音が聞こえてくる。


「か……はっ……!」


 呼吸ができない。腹から昇ってきた血が、また口から吐き出される。左手で骨の腕を掴むが、その力は少しも弱まることはない。


 片手で胸に掛かる苦痛から逃れようと格闘していると、


「殺してやる」


 右肩から、太い枝を折るような鈍い音が鳴った。


「――――っ!」


 鎖骨が噛み砕かれ、右腕がだらりと垂れる。だが、彼女は悲鳴を上げない。目を閉じ、砕けるのではないかという程に歯を噛み締めるも、耐え難い痛みに涙が頬を伝う。


 それでも休む暇は少しもない。


「殺してやる」


 軽快な音を立てて、胸骨が割れた。


 もはや掴むというよりも、ただ骨の腕に乗せているだけとなった震える左手。吐き出した血はその手を濡らし、雫となって地に落ちていく。


 声は出ない。

 血が止まらない。

 倒れることも、膝をつく事すら許されない。


 そんな惨状を、眉間に皺を寄せてただ見ているだけのアステール。腰に片手を当てて。その反対の手を、震えるほどに固く握り締めながら。


 視線の先の、少女の影が赤く染まる。昏く、禍々しい紅色に。


「……こ、…………た」


 掠れた声でそう呟く。薄く笑みを浮かべながら。

 ルミナリアは骸骨に()()()()、その場に()()()()。左手に骸骨の右腕を手にして。


 突然の右腕の消失に重心がずれ、骸骨の身体が前に倒れそうになる。脚を踏み出してそれを耐えるも、眼下に光る昏く赤い瞳に、思わず後ろに大きく跳ぶ。


 痛みはない。だが、何が起きたかがわからない。恐らくは、あの紅い影がまた伸びたのだろうが、それを視認することができなかった。


「なんだ。理性、戻ってるじゃないか」


 意外だ、と呟くアステール。こちらに背を向けて座る彼女を見る。左手に持った骸骨の右腕をご機嫌に揺らす様から、その表情は想像に難くない。


「なんか思いついたんだろ? 何するつもりだ?」


 彼女の考えを聞こうと声を掛けるも、


「あ……、こ…………の」


「ああ、声出ないんだったな。後で聞く」


 そう言って動向を見守ることにした。


 右腕を失った骸骨は、警戒しつつもルミナリアと徐々に距離を詰めていく。右肩からは血を流し、僅かに膨らみのあった胸はひしゃげ、声も出せない程の満身創痍。


 この顎で、この爪でその細い喉を掻き切れば。それでも、不気味に輝くあの赤い瞳を見ると、何故かこちらが狩られる側に立たされているような錯覚を起こしてしまう。


「……殺してやる」


 内に残る復讐心を口にする。それだけで、気持ちが落ち着く気がした。


 憎悪を燃やす。

 怨みを膨らませる。


 己の運命を悲惨なものに変えた、眼前の悪魔を決して許す訳にはいかない。呪いにも似た願望を、心の内で強く唱えながら右脚を強く踏み締めた。


 左手を開き、一気に距離を詰める。


「…………ふふっ」


 雫が跳ねる音がした。


 その血濡れの喉を目掛けて、力の限りに振り下ろした左腕。だが、身体の勢いを止められず、そのまま地面に身体を擦り付けることになった。


 目の前にあるのは黒の装束に覆われた彼女の太腿。その上に乗る、自身の白い左腕。


 まただ。二度目であるにも関わらず、何が起きたのか理解できない。頭を支えになんとか身体を起こす。と、丁度目線が座ったままのルミナリアの高さに合った。


「り……、お…………ね?」


 薄く笑った彼女の口から告げられる、掠れた言葉。その眼は微塵も笑っていなかった。


 痛みを感じない身体になったとしても、憎悪をその心に宿していたとしても。それでも、どうやら恐怖を感じない訳ではなかったらしい。


 彼女に見抜かれないように、恐れを心の隅に追いやる。その紅い瞳に映る己の変わり果てた姿を、失せた眼に焼き付けて立ち上がる。


「……殺してやる。必ず」


 今のままでは殺せない。力が必要だ。確実に目的を達成する為ならば、無様に逃げるのも一つの選択だ。

 

 そう己に言い聞かせて、ラッカは森の中へと消えて行った。


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