第六話 骸骨
「はぁ……。あー、久しぶりにすごく笑っちゃった」
「何を遊んでんだよ」
呆れたような声が炎の奥から聞こえてきた。軽く息を整えながら、目尻に付いた涙を指で拭う。
「ねぇねぇ。ペットでも飼ってみる? 結構、可愛くて楽しいかも」
「飼うとしても、アンフィスバエナだけはごめんだ。気色悪い」
「えー。何だったらいいの?」
暫しの沈黙。
「……マーナガルムなんていいな。かっこいいし、もふもふしてる」
「あー、そっち系かぁ」
なるほどなるほど、と頷いて。ふと、本来の目的をようやく思い出したルミナリアは、骸骨に目を戻す。
未だに乾かない、むせ返るような悪臭を放つ血溜まりの中心に、静かに眠る白。退廃的で、何とも形容し難い美しさを感じてしまう。
こうして近付いてよく見ると、彼が纏っていた衣服は引き裂かれ、着ているというよりは布が骨に引っかかっている、といった表現の方が正しいだろう。
少しばかり肉片がこびり付き、血で汚れてはいるものの、骨には罅は入っていないようだ。
「これなら成功……するかな? 久々だからなぁ」
誰に言うでもなく呟いて少女は握り拳を作る。そのまま手を前に出し、ゆっくりと指を開いていく。
胸骨の少し下。鳩尾の辺りに小さな赤い火が灯る。蝋燭のような灯火は広がった血を吸い上げて、その色をより紅に近付ける。
少しずつ、少しずつ。指の動きと連動して、周囲に土の色が戻ってくる。それと正反対に、火は血を吸い上げる程に紅く、大きく燃えていく。
血液を一滴残らず取り込んだ紅炎は、拳大の大きさに膨れ上がり、どこか怪しげに揺れていた。
指を完全に開いて、手の平を下に向けた彼女は、ふう、と溜息を吐いてラッカを抱き起こす。
「これで大丈夫なはずなんだけど。どうかな?」
無言で暫し見つめるも、胸の炎が静かに揺れるばかりで何の変化も訪れない。
「えー! 失敗しちゃったの? やだー!」
「なんだ。ダメだったのか? じゃあもういいだろ? 戻ってこいよ」
「ま、まだ分かんないもん! 起きて! ほら、起きるの!」
ようやく目障りな罪人から離れられると思ったアステールの声色は、心なしか嬉しそうだ。
だが、ルミナリアは自分の時間と労力を無駄にした事を認められないでいる。ぺちぺち、と髑髏を叩いたり、がくんがくん、と揺さぶっては声を掛ける。
「ほら、朝だよー。お昼だけど。お寝坊さんは許さないよー? ――ふふっ。ん、こほん」
揺らす度に髑髏の歯が噛み合って、かちかち、と音を立てるのが少し楽しく感じてしまったのを、彼女は軽く咳払いをして誤魔化す。
必死の呼び掛けも虚しく。どうやら本当にラッカの蘇生に失敗してしまったらしい、と理解した彼女は暗い表情を浮かべる。
「えー、もう遊べないじゃん。まだ色々考えてたことがあったのに。うわぁ。最悪だぁ……」
「はいはい、残念だったな。後片付けしようか?」
「うん、お願い……」
完全に意気消沈した彼女は立ち上がり、一度名残惜しそうにラッカを見ると、馬車に向けて歩き出す。
彼女が失敗するのも無理はない。何せ、肉体のない蘇生など彼女にとっては二度目の事なのだ。それも、最後にそれを行なったのは遥かに昔のことだ。
そんな記憶を辿りながら、炎の壁を通り抜けるアステール。こちらに向かって、とぼとぼと歩いてくる彼女に苦笑を漏らし、白骨に目を向ける。
「……ん?」
かたかた、とその顎が小刻みに鳴っている。まさか、と思っていると、今度は横たわったその身体がぎこちなく立ち上がろうとしている。
「嘘だろ……」
失敗に終わったと思った彼女の蘇生は、時間差で成功していたのだ。
徐々に明るくなるルミナリアの表情とは対照に、彼の表情は暗くなる。丁度、つい先程までの表情を交換した形になってしまった。
「やったやった! やっぱりね? 私が失敗なんてするはずないもんね? うんうん、わかってた!」
「はぁ。勘弁してくれ……」
大人しくそこで死んでいればいいものを。彼女に付き合う以上はどうせ、また苦しむ羽目になるのだ。それならば今のうちに眠っていた方がいいだろう。
あの罪人にとっても、アステールにとっても、それが最善の筈なのに、彼女が我儘を通そうとすると、尽くその思惑は外れてしまうのだ。
「おはよう! 気分はどうかな? もう痛いとこないでしょ?」
己の脚で立ち上がった骸骨に、満面の笑みを浮かべて声を掛ける彼女。
それに対する返答は、
「――――ャ」
「や?」
「ケヒャ! ケヒャヒャヒャ――! クハ、クケ、ケケケケケ――――!!」
ラッカが命を落とす前に聞いた高笑い。顎を鳴らしながら胸を反らし、ひたすらに笑い続ける。
突然のことに目を丸くする彼女だが、すぐに気を取り直し、肋骨を叩きながらまた声を掛ける。
「ねぇ、聞こえてる? お返事はちゃんとしなくちゃ、ダメ、なんだよ……」
言葉を紡ぐも、徐々に消え入るように小さくなっていく。無駄だと理解してしまったからだ。
蘇生には成功したが、精神は、魂までは完全には修復できなかったのだろうか。否、完全に修復したからこそ、ラッカは狂っているのだ。
そんな二人のやり取りを後ろで見ていたアステールは彼女に話し掛ける。
「これに何か使い道でもあるのか?」
「あはは……」
返ってくるのは乾いた笑い。そういえば、と彼は周囲を見回す。目的の物はすぐに見つかった。
「あいつ、そういえば一匹殺ってたな」
目にしたのは少し離れた位置に落ちている、頭を失くした一匹のアンフィスバエナの死骸。それをじっと見つめる。
なぜ今これが気になったのだろうか、と顎に手を遣り、考え始めるも、
「はぁ。思いつかないや。うるさいだけだね。もう消していいよ」
彼女の声を聞いて思考を放棄する。先程から耳障りな音を立てている元凶を黙らせるべく顔を上げ、
「は?」
「……え?」
銀髪を風に揺らすルミナリア。その腹からは血に塗れた白が生えていた。
自らの腹を見下ろす。腕だ。骸骨の腕が、背中を貫通して腹を突き破っている。べっとり、とその指先を彼女の血に染めて。
血液が喉を伝って逆流してくる。思わず咳込むと、唾液が混じり、どろりとした赤い液体がその小さな口から吐き出された。
信じられない、という表情を浮かべてゆっくりと後ろを振り向く。
「――――殺してやる」
恐ろしく低い声が、かちかち、という音を伴って耳元で聞こえた。