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黒銀の共鏡  作者: 泉 ゆう
紅の章
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第三話 行商人

「はぁ……。逃げ出してぇ……」


 雲一つない爽やかな朝には全く似つかわしくない声が響いた。


 ようやく荷馬車に、馬の餌、空の鉄壺、小麦の束、大量の手紙の詰まった木箱などを積み込み、御者台に腰掛けたラッカという名の男。


 男にしては長い赤髪を一つ結びに束ね、目深に被った鍔広の帽子から覗く三白眼は、普段の鋭さを失くし、まるで死んだ魚のように虚ろだ。


 そんな彼は行商を生業としている。あちらこちらの街へと荷物を運んでは、また荷物を受け取り、別の街へと向かう。そんなことを何年も続けているのだ。

 口も目付きも悪いが、経験は豊富で商会からの信用も厚い、一人前の行商人として名が知られていた。


 そんなラッカがなぜ、憎たらしそうに朝日を睨んでいるのかというと、今度の品下ろし先が真紅の街に決定してしまったからだ。


 エリュトロンへは、商会が抱えた専属の行商人が赴くことに決まっているのだが、残念ながら出立したその行商人は一向に帰ってくる気配がない。


 陸の孤島と化してしまったエリュトロンとの流通を再開させるべく、白羽の矢が立ったのが、偶然にもこの街を訪れてしまっていた不幸なラッカ青年だった。


「くそ、なんで俺が。……いっそ、ほんとに逃げ出すか?」


 ぼそぼそと後ろ向きな独り言が自然と漏れる。


「そうだ、みんな死んだって思ってくれる。商人にはもう絶対戻れねぇけど、死ぬよかマシだ。そんで、どっか知らない土地で慎ましく暮らすんだ……」


 現実逃避が始まった。考えれば考えるほど悪くない案だと思えてくる。そして、それは命を繋ぐという意味では正しい判断でもある。


 もっとも、商会の人間に見つからずに一生を終えることができれば、の話だが。


 田舎町で自分の家族に囲まれていよいよ大往生を迎える、まで妄想を進めた彼を、


「そこの商人、少しいいか?」


 偉そうな声が現実に引き戻した。


「あん? なんだ坊ちゃん……げぇ!?」


「人の顔を見て出す声じゃないな」


 振り返ったラッカの目に映ったのは、朝日を受けてきらきらと輝く二人分の銀色の髪。それだけで、自分に声を掛けたのが誰なのかを彼は理解してしまった。


「いやぁ、はは。これはこれは……」


 乾いた笑いが漏れ出る。


「――アステール様に、ルミナリア様」


 名を呼ばれた少年と少女は一瞬、ぴくっと反応を示し、今度はルミナリアの方が口を開いた。


「あなた、これからどこに行くつもり?」


「いやぁ、王様方には関係のないところだ……ですよ。ちょっと地獄までの片道切符を貰ったんで、荷運びがてらに、ね」


「…………」


 慣れない敬語で軽い調子に告げるラッカとは対照に、二人の表情はどんどんと険しくなる。その反応を見て、背に冷たい汗が伝うのが感じられる。緊張を冗談で紛れさせようとしたのは間違いだったようだ。


 特に目的地を誤魔化す必要もないのだから素直に話してしまおう、と焦って言葉を続ける。


「エリュトロンですよ、エリュトロン。まったく、ついてねぇよなぁ」


「……そうか。続けて質問だ。お前、どこから来た?」


 冷たい目線で次の問いを投げるアステール。ラッカは質問の意図が見えず、ルミナリアに視線を送るが睨み返されてしまう。


 なぜこうも敵視されているのか。敬語を上手く使えなかったのが悪いのだろうか。そもそも、どこからとはどういうことなのだろう。前にいた街の名を挙げればいいのだろうか。


 ここで返答を誤ると、とても良くないことが起きる気がする。ラッカはそう直感し、思考を重ねてようやく口を開くが、


「もういいよ」


 これ以上は話をする価値がないとでも言うように、ルミナリアは感情の篭っていない声でアステールの言葉を遮る。


「そいつ、罪人でしょ? 殺しちゃお?」


 罪人。唐突な宣告にラッカは目を見開き、先程まで目まぐるしく回転していた脳は動きを止めた。


「そうだな。城の牢まで運ぶのも面倒だ。ここで処理するか」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 口の利き方が悪かったってんなら謝る! いや、謝ります! なんで――」


 己を人間として見ない二人の会話に脳が警鐘を鳴らし、なんとか反論するラッカ。だが、


「許可なく喋らないで。罪人のくせに」


「――――ッ!?」


 いつの間にか深い紅に染まっていたルミナリアの影が、まるで意思を持ったかのようにラッカの首に伸び、その身体を持ち上げた。


「がッ……ぅぐッはッ……!」


 影に手を掛けようと必死にもがくも、その手には何も掴むことも出来ずに宙を掻く。そうしている間にも徐々に締まっていく首。少女はそれを舌舐めずりしながら昏い目で眺める。


 まるで大事な赤ん坊を抱き上げるように。ゆっくり。ゆっくりと少しずつ影に込められた力は強くなる。


 気道が完全に塞がらないように慎重に、ただ苦しめることだけを目的とする彼女の瞳が視界に入り、思考を埋め尽くすのは絶望。恐怖。戦慄。


 それに呑まれまいと、為す術も無く、だが必死に無駄な抵抗を続ける。そんなラッカの耳に、


「あ、そうだ。いいこと考えちゃった」


 雫の跳ねるような音が聞こえた気がした。


「またお前は……。ひと思いに潰さないから、いつも俺が殺る羽目になるんだぞ」


 小さく溜息を吐き出しながら、至極面倒そうに彼女を見るアステール。今度こそすんなりと処刑が終わりそうだと眺めていたのだが、またも期待は外れてしまったようだ。


 闇を孕んでいた少女の目はいつの間にか明るさを取り戻し、名案を告げたそうにうずうずしている。その影は未だにラッカを宙に浮かせたまま。


「あのね、これに乗せてって貰えばよくない?」


「元々そのつもりで声かけただろ? 俺は罪人と同行なんて嫌だからな。それに、そいつの代わりなら他にいるだろ」


 そう、当初は荷馬車に乗せて貰うつもりでラッカに声を掛けたのだった。だが、その御者が残念なことに罪人だと分かってしまったのだ。


「うーん……。でもこれの代わりに大事な国民が死んじゃうかもしれないの、もっと嫌じゃない? 今から探すのも面倒だし」


「なるほど、確かにな。……馬なら俺が操れるけど?」


 不快な罪人などさっさと殺して、荷馬車だけ有効活用すれば良い。少年はどうしてもラッカと行動を共にしたくないようだ。


「もう! ――あなたはどう思う? 今ここで死ぬのと……あれ?」


 そう言って見上げたラッカに、既に息はなかった。


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