#12【リアイベ】すっごいステージに立ってみた! (1)
【前回までのあらすじ】
ハイプロライブに出演することになった灰姫レラ。
短い期間の中で練習を重ね、
ついにライブ当時を迎える。
1話目はここから!
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■□■□河本ヒロトPart■□■□
ライブ出演までの12日間、香辻さんは忙しい日々を送っていた。
当日までに新しく3曲の歌と振り付けを覚え、さらにパフォーマンスとして仕上げなければならない。
動画と違って撮り直しはできない一発勝負だ。さらにお客さんはハイプロのライブを観に来た人たちという完全にアウェイな状況。香辻さんも中途半端なものは観せられないと、自分自身に言い聞かせるように熱心に練習に励んでいた。
アオハルココロと戦った時、灰姫レラは挑戦者だった。視聴者からしたら負けて当たり前、アオハルココロの胸を借りたステージだ。失敗しても、それはそれでネタに出来た。
しかし、今回のライブは違う。灰姫レラは出演者としてステージを彩る1人だ。失敗はライブ全体の評価に関わるし、ハイプロに迷惑をかけてしまう。何より、ライブを楽しみにしてくれていたハイプロのファンを残念な気持ちにさせてしまってはライバー失格だ。
香辻さんが感じるプレッシャーは桁違いだったはずだ。
実際、学校にいる以外の時間は全てライブに向けての準備に充てていた。朝は近所の公園で妹の紅葉さんとダンスの特訓、授業が終わればすぐに秘密基地へ行って夜まで練習、その合間にハイプロのスタジオで行われる合同練習にも参加、さらにはライブで初披露するオリジナル楽曲の制作、普通なら2~3ヶ月のスパンで取り組む事を詰めに詰め込んでこなしていた。
弱音を吐く暇もないスケジュールだ。いつも真面目に授業を受けていた香辻さんも居眠りが目立っていた。パンク寸前まで頑張っているのは分かっていたけれど、ヒロトには止められなかった。ライブへの参加を言い出した自分が、少しでも香辻さんを疑ったり止めたりしたら、彼女のライブへ向けて高めている集中力が切れてしまうからだ。
ヒロトには簡単なサポートしか出来ることはなかった。授業のノートをまとめたり、ハイプロとの打ち合わせに出たり、夜遅くなれば香辻さんを家まで送ったり、配信できない灰姫レラに代わってまとめ動画を作ったりした。彼女のためになるならと、疲労回復効果のあるスポーツドリンクを揃えたりもした。力の届かなさや、不安やプレッシャーを紛らわすような行動は自分らしくないと思ったけれど、何かせずにはいられなかった。
パンケーキに乗せたバターみたいに時間は溶けていった。次々にパンケーキが焼き上がっていくから、バターをいくら追加しても足りない。
そんな熱々のまま、ライブ当日はやってきた。
「いい秋風が吹いてるねー」
夜川さんが顔にかかった長い黒髪を指でサッとのける。
まだ午前中なので気温は上がりきっていない。遮る建物が少ない湾岸なので時折強い風が吹き付けると、少し肌寒い気がする。
香辻さんも翻りそうになるスカートを押さえていた。
「雨が降らないで良かったです」
香辻さんの視線の先、青空の下には長い行列ができていた。
「あそこで並んでる人たち全員が今日のライブのお客さんなんですよね……」
緊張で絞まった喉を開くように、香辻さんは生唾を飲み込んだ。
行列はライブ会場から伸びて、建物を一周してさらに歩道の先まで伸びている。3人が歩いている場所からは離れているので表情は分からないけれど、期待に胸を膨らませていなければ、開場の8時間前に並んだりしない。
「3000人以上収容できる箱が完売してるからね」
一般販売の倍率は4倍近くだから、重複をあわせても1万人近くが申し込んでいるはずだ。
「有名なアーティストも使ってるとこだよねー。あたし、友達に誘われてここ来たことあるけど中もけっこう広かったよ」
「そんな場所に私が……うっ、急に現実感が」
風に身体を冷やされたと、香辻さんは両手で自分の身体を抱きしめる。
「香辻さんは出来る限りの準備をしてきた。その時間を信じて」
「へいきへいきー。もしステージの上で転んじゃっても、あたしがめっちゃ笑って場を和ませちゃうよ。そういうの得意だから!」
二人の励ましに、香辻さんは神妙に頷く。
「ビビってる場合じゃないんですよね。失敗したら、めちゃくちゃ笑っちゃって下さい」
「うんうん、あたしが出来ることなんて、それぐらいだからね~」
夜川さんが任せろとばかりに肩を回してみせると、香辻さんはブンブンと首を横に振る。
「ぐらいじゃないです! 夜川さん、毎日配信して私がライブに出るって宣伝してくれてました! 全然配信できない私の代わりに、灰姫レラが練習してることとか、新曲のコールのこととかリスナーさんに伝えてくれたり! すごく、すっごく嬉しかったです。ありがとうございまっ」
頭を下げようとする香辻さんのつむじを、夜川さんは指でちょんと押さえる。
「いいって~。灰姫レラちゃんの初リアルステージだもんね。ファンとしても盛り上げないとっ!」
そう言って夜川さんはウィンクをする。モデルみたいに長いまつげからは、何か音が聞こえてきそうだ。
「が、頑張ります!」
香辻さんはぎこちなく両手で拳を作って構えてみせる。本人はファイティングポーズのつもりなのだろうが、木にしがみつく蝉の幼虫っぽさが拭えなかった。
「紅葉さんも来れれば良かったんだけどね」
妹の紅葉さんは、どうしても外せないフィギュアスケートの仕事で今回は不参加になってしまった。毎日香辻さんの練習に協力していただけに残念がっていたことだろう。
「配信で見るって言ってたから気にしないでいいんです。恥ずかしいから全部終わってからタイムシフトで見て欲しいって言ったんですけど……」
「リアルタイムで見ながら、コメントで絶叫してそうだよね」
ヒロトの言葉に香辻さんが渋い顔をする。
「うぅ、身内がコメ欄にいることほど恥ずかしいものは無いですよ」
「そういうものなの?」
まったく心情が分からないヒロトが、夜川さんに尋ねる。
「別に、あたしは嬉しいけど? ママはナイトテールの配信中に結構コメントしてくれるよ」
「文化圏の違いを感じます」
衒いなく答える夜川さんに、香辻さんは神妙な顔で頷いていた。
「文化といえばさ、ハイプロのお客さんすごいよね。お昼前なのに大行列でトイレ我慢できるのかな?」
「ハイプロはライブの物販で先行発売したり限定品もあるからね。売り切れないように今から並んでるんだ」
ヒロトが説明していると、香辻さんがハッとして足を止める。
「あっ! もしかして……参加者だからグッズが買えない……クシナちゃんのアクキー、タマヨちゃんのおみくじTシャツ、全員集合ポスター、限定タオル、限定トレカ……」
指折り数えて肩を落とす香辻さん。出演者であるけれど、それ以上にVのオタクとしてグッズを確保したいのだ。その気持ちはヒロトにもよく分かるので、後でスタッフに頼んでみることにした。
「それにフラスタも見たかったです……」
「ふらすたって?」
聞き覚えのない単語なのだろう余川さんが眉をひそめる。
「フラワースタンドの略称だね。出演者にファンや関係者が送る花飾りのこと」
「ああ、パチンコ屋さんとかの新装開店で飾ってあるアレねー」
納得する夜川さんに、香辻さんは訳知り顔で人差し指を振る。
「ハイプロファンのみなさんが贈るフラスタはすごいんですよ! 推しのイメージカラーの薔薇だけで作ったものとか、大御所演歌歌手さんのステージ衣装みたいにギラギラ光ってるものとか、バルーンアートと組み合わせてマスコットを作ってたり! どれも素晴らしいんですけど、一番の名物は出演するライバーのママさんが合同で贈るフラスタなんです! ライブの出演を目指して頑張ってきた集大成って感じがしてエモエモなんです! そういう皆の愛がいっぱい詰まってるのがライブのフラスタなんです!」
早口で捲し立てた香辻さんは我に返ると、ハァハァと息を切らしながらやってしまったという顔をしていた。
「全然知らなかった。まさに文化だねー」
「灰姫レラにも届いてるんじゃないかな?」
ヒロトの言葉に香辻さんはぶんぶんと首を横に振る。
「そ、そんな、私にフラスタなんて分不相応です! 100年早いですから!」
「じゃあさ、一緒に確かめに行こうよっ!」
両手を突き出して全力で否定する香辻さんに、夜川さんが誘うように手を伸ばす。
ヒロトはやんわりと首を振る。
「それが少し難しいんだ。フラスタはお客さんも通る場所にあるから、出演者が直接見に行くのは考えたほうがいい」
「そっかー、身バレは困るもんね」
リアルアーティストならライブ前の顔見せはファンサービスになるけれど、Vチューバーの場合は問題になってしまう。だから、ヒロトたち3人もこうして、かなり遠回りしてライブ会場の裏口に向かっている。ヒロトはタクシーを提案したけれど、香辻さんがせっかくなら会場や入場前のお客さんが見たいということで徒歩になった。
「イベントは二次と三次が近づく機会だからね。トラブルが起きるのはどっちにとってもよくない」
「ですよね」
言葉で自分を納得させる香辻さんだけれど、下がった眉が残念だと語っている。
「大丈夫、僕も写真をとっておくから」
「お願いします! 振り返り配信で紹介したいです!」
珍しく念を押す香辻さん。ライブのフラスタ紹介は出演者にとってやはり特別なのだろう。
ライブ後の楽しみにも話を咲かしながら、三人は会場の裏口に到着した。
裏口の前には駐車場になっていて関係者の車が停まっている。出演者の入出待ちを禁止する看板が置かれ、がっしりとした体格の警備員が睨みを利かせていた。
ヒロトたちは窓口で受付を済ませ、建物へと足を踏み入れる。
「なんか意外と普通だねー」
開口一番、広くない通路の壁に触れて夜川さんは言った。
「そうですね。コンサートホールの裏側って、もっとごちゃごちゃしたり、大道具が所狭しと並んでるのを想像してました」
「公演ごとに必要な物を搬入してるから、ホール自体には最低限の物しか置いてないんだよ。それにキャパ数を最大化するためには、裏側のスペースをできるだけ削らないとね」
ヒロトが解説しながら楽屋に向かう途中、30歳ぐらいの男性スタッフが機材を担いで3人の前を通り過ぎていく。額に玉の汗が浮かび、スタッフTシャツがぴっちりと張り付いていた
「皆さん働いているのに、私たちはこんなにゆっくりで良かったのかな」
香辻さんは申し訳なさそうにスタッフを見送って言った。
「機材関連のスタッフさんは準備でリハ前が忙しいだろうね。そんな場所で演者がうろちょろしてても邪魔になるだけだよ」
「っていうかさ、出発のギリギリまで香辻さんも練習してたじゃん」
夜川さんの言う通りだった。香辻さんが出発前に見てほしいということで、朝から3人で集まったのだ。
「リハーサルのリハーサルをしないと心配で……」
面目ないと香辻さんが顔を赤らめているうちに、楽屋が見えてくる。
演者の控室は3部屋に分かれていた。Sランクが6人部屋でA・Bランクが8人ずつ2部屋と、ここでもしっかりと待遇が別れていた。正面のスタッフルームの方はドアが開け放たれ、人がひっきりなしに出入りしているようだ。
ヒロトは灰姫レラの名前が張り紙に書かれたSランク部屋をノックする。
「灰姫レラと夜川愛美、河本ヒロトです。いま入って大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!」
クシナだろう迷いの無い返事に、ヒロトは扉を開ける。
「「「「おはようございます!」」」」
輝きの洪水のようなは挨拶が3人を出迎えた。すでに楽屋入りしていたハイプロライバーたちは、声のチューニングもバッチリのようだ。
「こんちはっーー!」
負けずに元気な挨拶を返す夜川さん。
「お、おはようございます!」
遅れた香辻さんも頑張って声を出したけれど、クシナたちに気圧されてしまっているようだった。
姫神クシナ、鷹尾ミツハ、秋宮タツキ、庭代ニギハ、ハイプロのSランクライバーたちが勢揃いしている。
ネット番組の収録の時のようにバッチリ化粧を決めているわけでもなければ、格好も胸に『HighPro』と書かれただけのジャージ姿だ。しかし、部屋には今日までに高めた熱と緊張感が充満していた。それが、わずかに引かれた口紅を戦化粧のように見せ、ただのジャージをコンバットスーツのように思わせている。
「起きなさい、タマヨ」
クシナが楽屋のソファーで寝そべっている白山タマヨの肩を揺する。余裕があるのか、豪胆なのか、しっかりと寝ているようだった。
「ふぁぁ~……あれ、もうリハ?」
寝ぼけ眼を細めたタマヨは、入り口に立っているヒロトたちを見て背伸びをする。
「灰姫レラちゃんたちが来たのよ。挨拶しなさい」
「おあぁよー」
アクビみたいな挨拶に同じハイプロメンバーたちが、申し訳無さそうに苦笑していた。
「今日はよろしくお願いします」
楽屋の雰囲気に飲まれてしまっている香辻さんに代わって、ヒロトが率先して話していく。
「こちらこそ、よろしくおねがいします。いいライブにしましょう」
親しげに三人と握手を交わすクシナだけれど、言葉通りの強い想いがプレッシャーと共に伝わってくる。
「は、はいっ! 頑張ります!」
最後にクシナの手を握った香辻さんは、緊張で弾けそうな声をしていた。
「お腹すいてない? 幕の内弁当あるからどうぞ」
クシナは楽屋のテーブルに積まれた平たい容器の方を見る。気を使って香辻さんを和ませようとしているのだろう。
「だ、大丈夫です! アズキパンを食べましたので!」
激しく首を振る香辻さん。空腹かどうか以前に緊張でご飯が喉を通らなそうだ。
「お二人の分もありますから」
そう言ってヒロトと夜川さんも気遣う余裕を見せるクシナ。ハイプロのトップとして数々のステージに立ってきた経験と貫禄が違った。
「お弁当は大丈夫です。それより大谷社長はどちらに? 挨拶したいんだけど」
ヒロトが尋ねると、クシナが他のメンバーを問うように見回す。誰も知らないのか、首を振ったり肩を竦めたりと、否定のリアクションしか返ってこなかった。
「社長はまだ会場入りしてないと思います」
「そうですか。ありがとうございます」
一通り話が終わったので、ヒロトたちは手荷物をまとめて置くことにした。
「小さなフラスタがいっぱいあるねー。ここだけ、お花畑みたい」
興味津々に楽屋の中を見回していた夜川さんが言う。部屋の隅にはブーケや小さなフラワーアレンジメントが大量に置かれている。
「楽屋花だね。フラスタと同じでファンからの贈り物だよ」
ヒロトが説明する横で、香辻さんも楽屋花を見ていた。小さいと言っても、可愛らしいアヒルだったり勇ましい鬼神だったりとメンバーのイメージに合わせて手の込んだデザインがされている。
「いっぱいの花。綺麗で、力強くて……チアリーダーさんたちが応援してるみたいですね」
笑顔の香辻さんだけれど、わずかに羨望が滲んでいるような気がした。
「うん、灰姫レラちゃんの言う通り。ファンの皆が私たちの元気の源」
クシナは赤いバラのブーケを手にとって、胸に抱き寄せる。
「ファンの皆から受け取ってきた想いを、今度は私たちがステージで皆にお返しする番ね」
他のハイプロメンバーたちも力強く頷く。
同じ事務所の仲間であるけれど、常に比較されるライバルでもある。実際、ハイプロに所属しているライバーの7割以上が一度もリアルライブに出演することなく消えていく。
そんな狭き門をくぐった彼女たちは全員が、ファンの期待に応えようと、ファンを楽しませようと、ファンに自分たちの輝きを観てもらおうと、強い想いを持っている。
その想いが重なる究極の場がこのリアルライブだ。ハイプロメンバーとしての矜持、Vチューバーとしてのこれまでの活動、そういったもの全てがかかっている。
灰姫レラは、今からそのステージに立ち向かわなければならない。
プロデューサーであるヒロトには、そんな彼女の背中を見送ることしか、もう出来ることは無い。
「それじゃ、僕はフラスタの写真を撮ってくるよ。夜川さんはどうする?」
「あたしはレラちゃんのメイク係するねー」
すでに夜川さんは持参したメイク道具のポーチを広げていた。
「え、私はいいですから」
「ダ~メ! お客さんから見えなくても、メイクは大事!」
遠慮する香辻さんだったけれど、身長で勝る夜川さんは簡単に肩を押さえられて座らされてしまっていた。
「ありがとう。香辻さんのこと頼むね」
ヒロトはスマホと財布だけを手に楽屋を後にする。男である自分がいつまでも居座っていては、皆も身支度がしづらいだろう。緊張している香辻さん一人を残すのは少し心配だったけれど、夜川さんがいてくれるなら自分よりも心強かった。
表口に向かう途中、舞台裏では様々な職種の人達が夕方のライブに向けて準備を進めていた。
モニタールームでは音響スタッフが大型のデジタルミキサーの調整を行っている。出演者のマイクからバンドの楽器、場内アナウンスやライブで使うムービーまで、音が出るものを全て管轄するライブの心臓部と言える場所だ。収録スタジオとシステム自体はあまり変わらないけれど、リアルライブでは空間として音響を作り上げるので、また違った専門性が必要だ。
搬入のために幕が大きく開け放たれていて、廊下からもステージ上が丸見えになっている。金属が擦れる音の元を探ると、スタッフがホリゾントライトを動かしていた。
ここまでは普通の音楽ライブと変わらない。
「位置とれてますか?」
二〇代の男性スタッフが青と白のウサギのぬいぐるみを手にカメラの前を行ったり来たりしていた。ぬいぐるみにはピンポン玉みたいなマーカーがいくつもついていて、その動きをカメラが読み取っている。
Vチューバーのリアルライブの最大の特徴は、ステージ上に設置されたモーションキャプチャ設備の数々だ。表情や動きを捉えるためのカメラがステージ上を囲むように設置され、それらを制御するためのパソコン。システム的に同時接続数に上限があるため、複数のセットを組み合わせてヴァーチャル空間上で合成することで擬似的に全員同時での共演を可能にしている。機器だけで億単位のものだ。ヒロトが地下スタジオで使っている小規模なシステムですら、一度不具合が出れば調整に時間がかかる。この規模のライブとなると、演者だけでなくエンジニアも寝られない日々が続いただろう。
ステージ上には多数のモニタも置いてある。本番ではステージと客席がスクリーンで仕切らてしまうため、演者からファンを見ることが出来るモニタが必要だ。それに配信のコメント用モニタと、歌詞を映し出すプロンプターだ。こちらもスタッフが実際にステージに立って、見え方を確認している。
忙しいスタッフを眺めていても邪魔になるだけだと、ヒロトはスタッフ用通路から会場エリアへと移動する。
開場前なのでお客さんの姿はなく、ヒロトの足音だけがやたらと廊下に響く。
前方から女性だろうか、スタッフがやってくる。ヒロトの姿を見ると帽子を目深に被るような仕草で会釈した。ヒロトをハイプロの人間と間違えているのかと思ったけれど、スタッフは足早に去っていってしまった。
(外部スタッフかな?)
ヒロトは気にせずトイレとロッカーを横目に進む。角を曲がる前からロビーから華やかさが溢れ出しているのが分かった。
情熱的な薔薇を集めて作った赤いハート型のフラスタや、さくら色の風船の巨大なリボンのバルーンアートを使ったフラスタ、一方で紫の花を下地に黄色の花を飾って夜空に星を散りばめたようなシックなフラスタまで、様々なフラスタたちが競うように咲いている。
見た目は違っても、推しへの溢れるほどの愛を届けて、ライブを盛り上げようという想いは同じだ。
ヒロトはスマホを構えると、一つ一つ丁寧に撮影していった。開場時間になれば、この辺りは人でごった返すことだろう。その前にじっくりと撮影できるのは、関係者の特権だった。
(さすがハイプロだ)
所狭しと並んだフラスタは、2次元3次元を問わずトップアイドルと言って良いだろう。
その中に灰姫レラのフラスタが――無かった。
フラスタ自体が安いものではないし、灰姫レラがゲスト出演すると発表があってから出演まで二週間もなかった。ヒロトも難しいだろうと思っていたけれど、落胆のため息を漏らさずにはいられなかった。
(ライブ前に香辻さんを勇気づけたかったけど、こればっかりは仕方ないか)
アオハルココロのプロデューサーだった頃なら、ヒロトは念の為に匿名でフラスタを送っていただろう。フラスタの有無は本人のモチベーションだけではなく、お客さんに対してもそのライバーを印象づける効果がある。合戦に挑むのに自軍の旗を掲げていないような事態はプロデューサーとして絶対に避けなければならない。
(考えなかったわけじゃない。でも、何か違う気がしたんだ。ハイプロやファンだけじゃなくて、灰姫レラも軽んじているような気がして……)
その選択が正しかったのかは分からない。綺羅びやかなフラスタの写真を撮っていると、灰姫レラを着古したジャージで舞踏会に送り出してしまったような気持ちになってしまう。
「河本さん、お疲れ様です」
声をかけられ振り返ると、スタッフジャケットを着た雛木さんが立っていた。
「お疲れ様です。雛木さんもフラスタの撮影ですか?」
ヒロトと同じように、雛木さんもスマホを手にしていた。
「はい。ライバーさんに見せるのと、広報にも使うので」
エメラルドグリーンと黒の花で夜に光る蝶を模したフラスタを撮影しながら、雛木さんが答える。
「ハイプロの人気はすごいですね。勢いはV業界で一番じゃないですか?」
先日も資本金として13億を調達したと発表があったばかりだ。
「沢山のファンに応援されていて、ありがたいことです。それに応えようと彼女たちもさらに頑張ってくれて、私自身も引っ張られています」
自然に溢れる笑みが、言葉以上に雛木さんの心の中を雄弁に語っていた。
「雛木さんは楽しそうに仕事していますよね。ハイプロの公式ツイッターでも、こうして現場でも」
「この仕事に就いてから、毎日がお祭みたいで楽しいんです。扉越しに聞こえてくるこの音も、お囃子みたいに思えますよね」
機器のチェックのために再生されているのだろう、ポップで軽快な音楽が扉越しにロビーまで伝わってきていた。
「もちろん大変なことも沢山あるんですけどね。河本さんは毎日を楽しんでいますか?」
雛木さんの質問に、ヒロトの撮影の手が止まる。
「そうですね……今まで自分にはなかった感覚があったり、考え方が出来たり……そういうのが新鮮です。楽しいって言うのかは分かりません」
「それは孤独じゃないってことです。よかった」
付け足された何気ない一言には深い気遣いが込められている気がした。大人の余裕ではなく、雛木さん自身の経験から滲んだような優しさをヒロトは感じた。
どうしてケンジが、雛木さんを自分の会社に引き抜いたのか、少し分かったような気がした。
二人がフラスタを撮影している間にも、他のスタッフたちがせわしなく通り過ぎていく。
「なあ、おれのスタッフジャケットしらねえ?」
「さあ? 放り出してたら誰か片付けちまったんじゃないか。そんなことより荷物届いたのか?」
「わからん」
話しているスタッフが雛木さんを見つけて近づいてくる。
「ハイプロさん、すみませーん。物販のテーブルとかってもう準備しちゃって大丈夫ですか?」
「はい! お願いします!」
ハキハキと答える雛木さんに、スタッフが安心したと去っていく。
「すみません、色々とバタバタしちゃって」
雛木さんは申し訳無さそうに言ってスマホの画面を確認する。何か連絡の予定があるようだ。
「なにかトラブルでも?」
「交通事故の関係で荷物が遅れてしまって。物販も開始時間もあるので、急遽、タクシーや電車を使って手分けして運んでるんです。社長もそれで出かけてます」
ケンジのことだ、他人に任せていられないと飛び出していったのだろう。
「なにか僕に手伝えることはありませんか? 列整理とか何でもやります」
「大丈夫ですよ」
雛木さんにきっぱりと断られてしまう。
「今回のライブは外部のイベント会社にも依頼していますから、スタッフの人数は十分に足りてます。むしろ余ってるぐらいで、私なんか手持ち無沙汰で落ち着かなくて、写真を撮りに来たんです」
「僕も同じです。何か出来ることはないかって」
立場や役割は違えど、考えることは一緒だった。
「ライブが始まってしまうと、私たちに出来ることはありませんからね」
「裏方が出張る事態なんて、トラブルだけですから。僕たちは暇な方が良いですね」
ヒロトの言葉に、雛木さんはスマホから顔を離してフラスタを見る。
「そのために私たちは今日まで準備してきたんです」
「ありがとうございます。色々と灰姫レラに便宜を図ってもらって」
「こちらこそ、何度もスタジオに足を運んでもらって」
短い期間だけれど、練習や打ち合わせを通してお互いに信頼を築いてきた。ライブを成功させたいという想いは1つだ。
そうして、フラスタの写真を撮り終わる頃には、壁越しに聞こえていた音楽が止んでいた。
「そろそろ最終リハが始まります。中に行きましょうか」
「はい」
時計をチェックした雛木さんが、観客席の扉に手をかける。
「本番を観客席で盛り上がれないのは残念ですけど、かわりにリハーサルを独占できるのは裏方だけの特権ですね」
雛木さんは若干早口になっていた。ハイプロのマネージャーではなく、いちファンの顔を見た気がした。
厚い扉を開けると『客席』が広がっている。客席と言っても、オールスタンディングなので、椅子などは置かれていない。高さ1メートル強の手すり状の柵で、チケットの座席ナンバーごとに分けられているだけだ。
本番と違い客席側のライトも全て点灯している。ライブを映し出すスクリーンが降りていないので、スタッフも機器も全てが丸見えだ。
ステージ上には出演するハイプロメンバー21人と灰姫レラが集められ説明を受けていた。
「えー、表の方はバタバタしているようですが、ライブは待ってくれないので、タイムスケジュール通り進めていきます」
説明しているのは舞台監督の男性だ。見た目は40代後半、恰幅が良くてXLサイズのスタッフジャケットを着ている。パーマか天然か分からないがモジャモジャの髪の毛をしていて、丸メガネの奥の目がクリクリとよく動いていた。
「それでは最終リハーサルを始めます」
「「「「はいっ!」」」」
「は、はい!」
一歩遅れた香辻さんだったけれど、雰囲気に飲まれまいと声は大きかった。
「気合バッチリね」
頼もしいと頷くクシナに、香辻さんはまたやってしまったと口を開けたまま固まっていた。
リハーサルはプログラムの順番通り、まずオープニング動画がチェック用のモニタに流された。この間にクシナをセンターにハイプロSランクの5人、その後ろにA・Bクラスの16人が並び、香辻さんはステージ袖に一旦はけている。
メンバーたちはバミリしてあるテープで立ち位置を見ながら、動けるスペースを確認している。スタジオで何度も練習していても、実際のステージに立つと感覚が相当違うらしい。
「うわっ身体のキレすごっ! まさアイドルグループって感じで壮観~!」
感嘆の声を上げたのは夜川さんだった。リハーサルの邪魔にならないように、観客席に移動してきたのだ。
「これ見ると、生身でも良いんじゃないって思っちゃうなー」
ステージの上で踊るハイプロのメンバーを見て夜川さんが不思議そうに言った。ライブに向けて自分やスタッフたちを鼓舞し、緊張を追い出すためなのだろう、リハーサルとは思えない全力さで踊っている。
「ここまでパフォーマンスを仕上げるからこそ、ネットとリアルのジャンクション足り得る。アイドルのMVでもなく、CG作品でもなく、Vチューバーのライブとして人々を惹きつけるんだ」
ヒロトの答えに、夜川さんは優しげな笑みを浮かべる。
「河本くんが言うみたいに思ってくれるのってさ……きっと皆にとって幸せなことなんだと思うよ」
その横顔は普段よりずっと大人びて見えた気がした。ヒロトが確かめるように瞬きをすると、その表情は消え、いつものように興味津々とステージに向けて目を輝かせていた。
「あっ、今なんで止めたの? 歌も踊りもミスしたようには見えなかったけど」
夜川さんが不思議そうに舞台袖を見る。3曲目の途中にスタッフが一旦ストップの声をかけたのだ。
「ここに来てパフォーマンスのチェックはしないから。演出のタイミングの確認か、機材関係だと思うよ」
リハーサルの進行を中断して、スタッフがキャプチャー用のカメラの位置と角度を微調整していた。留め具が緩んでいたようだ。
「本番じゃなくてよかったねー」
「生身の人間のライブなら多少の機材トラブルも力技で乗り切れるけど、Vの場合はモーションキャプチャーが壊れたりしたら文字通り動けなくなってしまうからね」
「そっかー、人前に出るわけにいかないもんね」
「お客さんはライブに、彼女たちの夢を見に来ているんだ。壊さないためには、小さなリスクも見逃せない」
そう言うヒロトは一粒の小石でも探すように、ステージの隅々まで目を凝らしていた。
少し弛んだケーブルに誰か足を引っ掛けたりしないか、映像や音声に乱れはないか、気にすれば気にするほど不安が湧き上がってきてしまう。もちろんトラブルに繋がるようなことなら、近くにいるスタッフが真っ先に気づくはずだ。そう頭で理解していても、胸の内側を制御できなかった。
(僕が杞憂民になってどうするんだ)
ヒロトが無意味な間違い探しをしている間にも、リハーサルは大したトラブルもなく進んでいた。少し時間が押していたけれど、それも問題になるほどではない。
「あっ、香辻さんの番きたよー!」
興奮した夜川さんに二の腕を掴まれガシガシと揺すられたヒロトの頭が、まるでヘッドバンキングのように観客席で揺れていた。
「わ、わかってるから。むち打ちになるからストップ」
「冷静すぎだよ! 香辻さん、見てなんとも思わないの?」
揺するのを止めた夜川さんに責められた理由が分からず、ヒロトは困惑に頭をひねる。
「まだリハーサルだし、僕が慌てても仕方ないでしょ」
自分に言い聞かせるヒロトに、夜川さんは肩をすくめる。
「そうじゃなくってー! メイクとかさ、言うことのないの?」
「メイク? よくわからないけど、頑張ってると思うよ」
「えーー、それだけ?」
夜川さんが不満そうに口を膨らませている間にも、灰姫レラのリハーサルは進んでいく。
「灰姫レラさん、もう動いて大丈夫ですよ」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
センサーの微調整が終わって声をかけられた香辻さんは、ぎこちなく右手を上げて見せる。
「それじゃ、一曲目からお願いします」
舞台監督さんの指示で香辻さんが歌い始める。出だしで思いっきりつっかえてしまったが、曲は止まらない。香辻さんは川に流されてしまった猫みたいな必死さで、調子を取り戻そうとしていた。
「緊張しているな」
突然聞こえた背後からの声、ヒロトは自分のことを言われたのかと驚いて振り返る。
「ワンテンポおくれているし、動きも硬い」
立っていたのはケンジだ。ペットボトルの水で喉を潤しながら、ステージであわあわと慌てている灰姫レラに視線を注いでいた。
「社長さん、こんにちは」
「挨拶が遅れて失礼。トラブル対応で外に出ていた」
夜川さんの挨拶に応えたケンジは、ハイプロのロゴが入っているタオルで額を拭う。
「色々すごいですねー。映像もだけど、音がバシバシって身体にぶつかる感じがして」
「この音圧は会場でこそだ。本当なら生バンドを入れたかったが、この出演者の規模になると機材でスペースが足りない。だが、次に計画しているアリーナクラスの単独イベントでは、さらに上を目指せるぞ」
野望を語るケンジは珍しく自慢げだ。
「それってライバーとスタッフを信じてるから」
「ハイランダープロダクションの力をだ」
ヒロトの言葉を遮ったケンジは鼻を鳴らす。
黙って二人のやり取りを聞いていた夜川さんが、軽く首を傾げる。
「質問いいですかー?」
「なんだ」
「どうしてそこまでリアルライブに拘るんですか? 生身のアイドルよりも、機材とか色々大変みたいだし制約もあるのに、なんでかなーって」
「ファンが求めているからだ」
当然だと答えたケンジが言葉を続ける。
「リアルライブとはいえ、ファンが目にするのはあくまでスクリーンに映し出される映像。言ってしまえば、配信や円盤で観るのと、映像としてはまったく同じだ。演者側も別撮りの録画や遠隔地からのリモートでも体裁は変わらない」
ケンジの言葉通り、機材やスケジュールの関係で別撮りしたもの流したり、バーチャル空間上で合成して大人数の全体楽曲とすることもある。
「重要なのは、体験だ」
熱の入ったケンジは身を乗り出さんばかりに、観客席の手すりを握りしめる。
「リアルライブだけじゃない。普段の生配信や動画、Vとしての活動全てが巨大な体験の塊だ! 成功も失敗も、成長も挫折も! ファンはそこに『止まらないストーリー』を見出し、エンタメとして昇華しているのだ!」
息も荒く語るケンジに、スタッフの視線が集まる。
「すみません、少し静かにして下さい!」
すかさず舞台監督の注意が飛んだ。
「……」
ケンジは露骨に面倒くさそうな表情で小さく咳払いをすると、握っていた手すりから手を離しヒロトの方を向く。
「とにかくだ、ヒロト。大見得を切った以上、俺に後悔させるなよ。灰姫レラにステージ上で無様な姿を晒させるぐらいなら、今から急病にしてもいいんだぞ」
灰姫レラのリハーサルの姿に不安を感じたのか、ケンジが念を押す。
「この期に及んで心配するなんて、らしくないよ」
「ふん、それは自分に言っているのか?」
試すようなケンジの言葉に、ヒロトの答えが一瞬遅れる。
「僕は信じてる」
「肩に力がはいっているな」
そう指摘されて初めて、ヒロトは爪の跡がつくほど手を握り込んでいることに気づいた。
確認の終わった灰姫レラがステージ袖に下がるのに合わせるように、ヒロトも飲み物を買いに客席から一度外に出ていった。
リハーサルは大きなトラブルもなく終わった。
開場までは1時間を切ってしまった。
「ふ~~、とりあえず一安心だね」
夜川さんが安堵に胸をなでおろす。エンディングの確認が終わって、緊張感から開放され跳ねるように伸びをしていた。
「どうだろう。僕はリハで問題が出てくれた方が安心できたよ」
「さすがに石橋を叩きすぎだって~」
呆れ顔の夜川さんがエアドラムの真似をする。ヒロト自身も考えすぎだと分かっていたけれど、何も出来ないもどかしさが狩っても狩っても生えてくる雑草のように杞憂を芽吹かせていた。
ケンジと話を終えた舞台監督が、観客席の方を向く。
「リハーサル終了です! 時間が押してるんで、演者さんは直前番組の方に早くお願いします! 開場もありますから、用のないスタッフは裏に回って下さい!」
ヒロトたちは、雛木さんたちハイプロのスタッフに続いてバックヤードへと移動した。
廊下はリハーサルを終えたハイプロのメンバーたちが溢れていた。
水を飲んで身体を休めていたり、イヤホンで曲の最終チェックをしたり、ツイッターで呟いたり、他のメンバーと話したりと、それぞれの方法で本番に向けて準備をしている。
祭りの前の熱狂の中、香辻さんは所在なさげに壁際に立っていた。誰かに渡されたのだろうペットボトルのストローに口をつけている。中身がまるで動いていないので、手持ち無沙汰をごまかしているだけのようだ。
「いたいた~、香辻さーん!」
混雑する中から見つけた夜川さんが手をふる。こっちを見た香辻さんは、慌ててストローから口を離す。
「あっ、はい!」
「お疲れ様、と言っても本番はこれからだけどね」
ヒロトは和ませるつもりで話しかけたけれど、香辻さんの手にしていたペットボトルをポコっと凹む。
「あの……どうでしたか? 私、結構ミスしちゃって」
「大丈夫、気にするほどじゃないよ」
ヒロトの言葉に、香辻さんは消えそうな声で「そうですか」とつぶやく。
それを見ていた夜川さんがヒロトを押しのけるようにして前に出る。
「よかったよ~! ミスなんて気にしない気にしない!」
抱きつこうとする夜川さんを、ヒロトは慌てて引き止める。
「マーカーがズレちゃうから濃厚接触はダメ」
「じゃっ、今はこれだけー」
夜川さんは香辻さんの右手を取ると、自分のエネルギーを注ぎ込むみたいに両手でギュッと包み込む。
「あ……ありがとうございます」
香辻さんは戸惑うように俯いていたけれど、その横顔は嬉しさに耐えきれないように口角が上がっていた。
5分ほど廊下で待っていると、真ん中の楽屋からハイプロのスタッフが顔を出し、全員に向かって声をかけた。
「直前番組、始まります!」
その声に演者やスタッフは自分のスマホを取り出したり、楽屋とスタッフルームに置かれたモニタに目を向ける。
ハイプロの公式チャンネルで配信が流れていた。
『はい! はじまりましたライブ直前の公式番組〈今日の18時からライブやるってよ!〉。司会はわたくし、鹿島ハバリが都内スタジオよりお送り致します!』
張り切ってMCをしているのは、ハイプロ所属の新人ライバー鹿島ハバリだ。今回ライブの出演こそ叶わなかったけれど、人気からこの大役に抜擢されたようだ。
『時間が押してるってスタッフさんに急かされているので、さっそく最初のコーナーから行ってみましょう! 現地の乾坤一擲さん!』
画面がバーチャルスタジオから、現実世界へと切り替わる。
スーツ姿に頭巾を被った男性がマイクを手に立っていた。乾坤一擲、フリーアナウンサーでVチューバーとの絡みも多い男性だ。こういったライブイベントでは、リアル側の演者として重宝されている。
『はい、こちらはライブ会場前にいます乾坤一擲です! 見て下さい、このお客さんの数を!』
カメラが横を向くと、詰めに詰められたお客さんの列が映る。皆、この直前番組を見ているのかスマホを片手に、カメラに向かって手を振っている。
『それではインタビューをしていきますよ! まずは貴方から!』
そう言って乾坤一擲さんがマイクを向けたのは、外国の方らしき彫りの深い顔立ちの男性だった。
『今日はどこからいらっしゃったんですか?』
『あー、わたしはイングランドから来ました』
『日本語が上手ですね』
『ありがとうございます。翻訳の仕事をしています』
『そうですか、ハイプロにハマったきっかけを教えて下さい』
『んー、やっぱりクシナさんのアーマード・ソウルの実況です。扱いの難しい軽量機でセラフを10時間かけて撃破したところでビックリしました。私はクリアできなかったのですごい人がいるなと。そこから切り抜きをみたりして、気づいたら沼にハマっていました』
『ありがとうございます。今日のライブも楽しんでください』
『はい』
『それでは次に並んでいる――』
乾坤一擲さんが、また別の人にマイクを向けていた。
番組の配信は続いているけれど、ヒロトたちのいる楽屋前廊下でも新しい動きがある。
「次は出演者の一言コーナーです! 楽屋ごとに行いますので、まずはクシナさん達から準備をお願いします!」
「はいっ! すぐに行きます」
返事をしたクシナを先頭にSクラスライバーの5人が配信機材がセットされた真ん中の楽屋の中へと入っていく。
「ゲストの灰姫レラさんもお願いします」
「わ、私も一緒にですか?!」
手にしていたペットボトルを落としそうなほど慌てる香辻さん。灰姫レラの直前番組の出演は予定されていなかった。
「社長が……」
若い男性スタッフは困ったように、外れにいたケンジの方を見る。
「無理強いはせん」
捨てるように言うケンジだが、その目は「出ろ」と言っている。
「だ、大丈夫です! 直前番組、出させてもらいます!」
応えた香辻さんは自分の頬をポンポンと叩いて気合を入れると、楽屋の中へ入っていた。ヒロトや夜川さんは廊下で、他のメンバーたちとスタッフルームのモニタや各自のスマホで配信を見守っていた。
(大丈夫かな)
ヒロトが心配しているうちに、お客さんへのインタビューが終わり、映像がバーチャルスタジオへと戻る。
『お客さんたちの熱気もアツアツですが、次は出演者の方々に意気込みを語ってもらいましょう!』
1人だけだった鹿島ハバリの横に、クシナたちの姿が並んで表示される。もちろん灰姫レラの姿もあった。
『クシナ先輩から一言ずつお願いします!』
『ハイプロのライバーとして、このステージに立てることを光栄に思っています。ファンの皆が応援してくれたお陰です。そんな皆を全力全開でお腹いっぱいでもう入らないっ!てぐらい最高に楽しませてみせます!』
クシナの自信の漲る言葉は、声にも魔法のキラキラが込められているかのようだ。
楽屋側の配信機材は音声だけで立ち絵は動かない。しかしその声だけで、リハーサルで身体をほぐし終わり、ライブに向かって高まっているのが伝わってくる。
配信のコメント欄も大いに盛り上がって〈頑張れ!〉や〈楽しみにしてます〉など声援で溢れかえっていた。
『次はタマヨ先輩』
『ガンバリマッスルスーツ120%』
『…………えっ、それだけ?』
『一言っていったじゃん』
『そ、そうですね。独特なコメントありがとうございます。次はミツハ先輩に――』
1人ずつコメントをしていき、ついに灰姫レラの順番が回ってくる。
『ゲストの灰姫レラさんも一言お願いします』
『えっと、あ、わ、私はリアルのステージが初めてで、それがハイプロの皆さんと一緒だなんて凄いことになってしまって……。過去ライブも全部観てて、いつも凄い盛り上がりで、最後には私も一緒になって泣いちゃって! えっと、そんな場所に私が立てるなんて思ってなかったです! 一緒に練習させてもらってても、ハイプロの皆さんは本当に凄いんです! 歌もダンスも上手で、とにかくオーラがあって! だからみんな見て下さい! 8000ポイントで見れます! 実質タダみたいなものなんです!』
興奮して早口で捲し立てる香辻さんの声が廊下まで聞こえてくる。そこかしこから耐えられないと漏れる小さな笑い声に、張り詰めていたスタッフ間の空気がほどよく解れていた。
『えーっと、意気込みというか、宣伝ありがとうございます』
『あっ……』
正気に戻ったところで顔を真赤にしているのが立ち絵でも分かってしまう。
『ゲストの灰姫レラさんでした。それでは次のメンバーと交代してもらいましょう!』
クシナ達と入れ替えに、次の8人が楽屋へ入っていく。
遅れて出てきた香辻さんは、まるでライブ本番のステージで大失敗してしまったかのように肩を落としていた。
「やってしまいました……途中から頭、真っ白で……大切な直前番組で失態を……」
ぶつぶつとつぶやいている香辻さん、すれ違ったスタッフが何事かと驚いていた。
すかさずフォローに入るヒロトと夜川さん。
「大丈夫、ちょっとオタクな早口が聞き取りづらかっただけで、見てる人に熱意はちゃんと伝わったから!」
「そうそう、コメント欄のみんなも楽しそうにしてたよ! 宣伝大事って」
実際のところ香辻さん本人を除いては、誰も失敗なんて思っていないだろう。
「ハイプロの皆さんのためのステージだから、盛り上げたいと思って。少しでも力になれたのなら」
「そうだね。でも」
納得しようとする香辻さんの言葉を、ヒロトは遮った。
「灰姫レラも出演者なんだよ。応援するだけじゃない、応援される側でもあるんだ。忘れないで」
「はい……分かってはいるんです。だけど」
香辻さんは続く言葉を、自信なさげに飲み込んだ。次に掛ける言葉をヒロトが迷っていると、そこに焦った様子で近づく人影があった。
「灰姫レラさん!」
「は、はいっ!」
大きな声にビクンと背筋を伸ばす香辻さん。おっかなびっくり声のした方を振り返る。
人でごった返す廊下に、息を切らせて立っていたのは、ヒロトも見覚えのある女性だった。
「サギリさん?!」
喜びと驚きの入り混じった声を上げる。
先日引退したばかりの三ツ星サギリだ。灰姫レラが同じ番組に出演した際には、ジーンズにシャツという姿だったが今日はスタッフジャケットを着ている。
「もう違うけど。ま、好きに呼んでいいよ」
もう吹っ切れたと言うように、サギリは笑う。
「あの、どうしてここに?」
「ハイプロのスタッフやってるの。それでこれ、交通事故で遅れてた荷物を回収してきた」
小脇に抱えていた箱を差し出す。クール便の張り紙がしてあった。
「灰姫レラ宛。ライブに間に合ってよかった」
ニッと笑ったサギリは香辻さんに箱を渡す。
「私の? もうすぐ本番なのでいまは」
「いますぐ開けてみな」
「え、はい?」
戸惑いつつ箱を開ける香辻さん。
「これって……!」
言葉を詰まらせた香辻さんは、幻じゃないことを確かめるようにギュッと強く瞬きをする。
固まってしまった香辻さんの横から、夜川さんが箱の中を覗き込む。
「これって、楽屋花?!」
箱の中にはフラワーアレンジメントが入っていた。
白いバラを中心に灰姫レラのドレスっぽく差し色の花を使っている。よく見ると、花が飾られている籠は、衣装のティアラを丁寧に再現していた。
「わ、私、送ってくれるひと、いた」
震える声の香辻さんは語彙が尽きたかのように片言になってしまっていた。
「あうぅ、いたよぉ……うっ、うぐぅ……」
「よかったーーーー! ほら! 河本くんの言った通り灰姫レラのファンの人も見てるんだよ! 応援してくれてるんだよ! 良かったね!」
涙で動けなくなってしまった香辻さんの代わりとばかりに、夜川さんが盛大に喜んでいた。香辻さんはその「良かったね」に、涙を零しながら何度も何度も頷いていた。
「メッセージカードがついてるね」
隅に添えられたカードには手書きで『ライブ楽しみにしてます!』とだけ書かれていた。以前にもらったファンレターとは違う筆跡のような気がする。
「僕が預かっておくね」
ヒロトはティッシュと交換で、楽屋花の入った箱を受け取る。
「私、頑張ります」
香辻さんは涙を拭う。
「ライブに来てくれた人、配信で観てくれる人のために! 最高のステージを見せます!」
灰姫レラは涙で濡れた小さな拳をグッと握りしめた。
それを待っていたかのように、スピーカーが鳴る。
『ただいまより開場します。慌てずにご入場下さい』
ライブがもうすぐ始まる。
自ら手助けできない歯がゆさに悩むヒロト。
そんな彼をよそにライブ本番はやってくる!
ハイプロのライバーたち、
そして灰姫レラのステージが幕を開ける!
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