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#10【専門家に聞いてみた】Vチューバーにとって大切なこと (2)

【前回までのあらすじ】

作曲家のスミスさんから才能についての話を聞いた桐子。

身近な『アノ人物』に話を聞くようにとアドバイスをされる。

その人物に引け目を感じている桐子は――。


1話目はここから!

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 交差点の青信号が点滅している。

 ほんの少し急げば、十分に間に合う距離と時間だけれど、桐子は次を待つことにした。いつもなら慌てて走っている場面だけれど、今日は違う。思考ばかりがぐるぐる回っていて、身体の反応がワンテンポ遅れている気がしていた。

 信号待ちをしていた白いワゴン車が、思い出したようにヘッドライトを点けて走り出していく。もうそろそろ18時を過ぎる頃だ。


 プライベートスタジオからの帰り道。桐子は右手には鞄を携え、左手にはビニール袋を持っている。ビニール袋の中身は羊羹なので、左右のバランスが悪い。

 羊羹はスミスさんがお土産にくれたものだ。有名な音楽会社から送られてきた老舗和菓子屋のものらしい。桐子は遠慮したのだけれど、スタジオにこういったギフトが大量に届いて余ってしまうからと半ば強引に持たされた。


 お世話になりっぱなしだ。スミスさんにはボイトレをしてもらって、貴重なお話も聞かせてもらって、さらにお土産までもらったしまった。

 人が羨む環境だし、喜び勇んでスキップぐらいした方が良いのかも知れない。

 だけれど、与えられた『課題』が桐子の足を重くしていた。


 信号が青になり、横断歩道を渡る。次の角を曲がれば、もう自宅が見えてくる。防犯のために玄関やリビングは自動で点灯するので、明かりからは家に誰がいるのか判断できない。

 鍵を開けて玄関に入ると、英字柄の紐靴が並んでいた。どうやら紅葉は家にいるようだ。


「アハハハハハっ!」


 お腹を抱えている姿が見えてくるような笑い声が廊下まで響いてくる。普段なら「にぎやかだな」ぐらいにしか思わない声に、身体がビクッと緊張してしまう。


(これじゃ、ひきこもってた頃と一緒だから! 弱気じゃダメ!)


 リビングのドアノブを掴もうとして――。


(でもどうやって話そう……。紅葉と真剣な話ってしたことないし……)


 桐子は固まってしまう。相談相手が河本くんならもう少し気が楽なのだけど、妹ということでどうしても身構えてしまう。


(や、やっぱり、一度部屋でシミュレーションしてから)


 戦略的撤退を決めた桐子だったけれど、運命の女神は許さないとばかりに目の前のドアが開いてしまう。


「あっ! あああっ!」

「お姉ちゃんっ? どっしたの?」


 思わずキョドってしまう桐子に、紅葉も眉毛をピクッと上げていた。


「あ、えっと……紅葉、おかえり!」

「ただいま? って、帰ってきたのお姉ちゃんの方だけど?」

「だ、だよね!」


 変な間があって同意する姉、すれ違った妹は怪訝な表情のままトイレへ入っていった。


(い、いきなり過ぎてシミュレーションどころじゃっ!)


 バクバクと早鐘を打つ心臓を落ち着けようと、深く息を吸いつつリビングへ。

 テレビには漫才のバラエティ番組が一時停止のまま映っている。ソファーには紅葉の鞄が置かれたままなので、中学校から帰ってきてすぐに録画を見始めたようだ。

 紅葉はお笑いが好きだ。フィギュアスケートの合宿や遠征で日本にいない時もレコーダーに録画して、こうしてオフの時に見ている。


(私が紅葉に頼られるのって、番組の録画を頼まれたときぐらいかも)


 姉として勉強を教えた記憶はもちろん、人間関係や恋愛や進路を相談された覚えもない。紅葉はフィギュアスケートの合間に勉強も頑張っているし、友達関係も良好のようだ。恋人がいる雰囲気はないけれど、姉から見ても可愛いし性格も良いのでモテるに違いない。

 姉として勝っている部分が1つも見当たらない。


(だから、スミスさんも紅葉に話を聞けって言ったんだろうな)


 そんなことを考えていると、作戦もまとまらないうちに紅葉がトイレから戻って来てしまう。


「お母さん、用事があるって出かけてった」


 挙動不審な桐子を見て、母親を探していると思ったようだ。


「そ、そうなんだ」

「夕ご飯は宅配でも頼んでって、お金おいてったよ」


 ダイニングテーブルには5千円札がむき出しのまま一枚置かれていた。


「紅葉はなに食べたい?」

「んーとね、お笑い番組にはやっぱりピザかな」


 そう言いながらソファーに座った紅葉は、止めていたお笑い番組を再生する。


「なにピザがいい?」

「お姉ちゃんセレクションで!」


 任せるということだと解釈した桐子は、チラシから近所のピザ屋さんを選んで電話する。


「えっと、チーズたっぷりクワトロピザのMサイズを1つお願いします……はい、時間は大丈夫です……」

「あとサラダとチキン的なやつも食べたいなっ!」


 注文の途中で飛んできた紅葉の言葉に、慌ててチラシのサイドメニューの欄を探す。


「すみません! あと、えっと、えっと、シーザーサラダ!とチキンナゲットもお願いします」


 桐子の焦った注文も電話口の店員さんはきちんと聞き取ってくれてた。復唱を確認して、配達予定時間を教えてもらい電話を切る。


「混んでるから、ちょっと時間かかるって」

「りょうかーい!」


 番組を見ている紅葉は生返事だ。

 夕飯についてのやり取りが終わると、もう喋ることがなくなってしまう。

 手持ち無沙汰になった桐子は、新しい話題を切り出すことも出来ず桐子の横顔を見るぐらいしかなかった。


「ジー……」


 紅葉の容姿について、一言で言えば『顔がいい』だろう。同じ親から産まれたのに、紅葉は話題のフィギュアスケーターとしてモデルの仕事も経験している。ファンションも好きだけれど、家でゴロゴロしている時はカナダ土産の楓の葉っぱ柄の微妙なTシャツを着ていたりする。

 ちなみに身長は紅葉のほうが少しだけ(少しだけっ!)高い。


「ジーー…………」

「アハハハハハッ!」


 ポニーテールを揺らし、テレビを見ながら笑っている姿は普通の中学生女子にしかみえない。


「へー……アッアッアッ! やっぱニホンザリガニおもしろっ!」


 その実態は、日本フィギュアスケート界期待のホープだ。日本ジュニア選手権で、オリンピック出場経験もある選手を抑えて優勝を果たした。決勝でのトリプルアクセルを絡めた演技が話題になり、一躍人気になった。

 スポーツに1ミリも興味のなさそうな河本くんが、フィギュアスケート選手として紅葉の名前を知っていたぐらいだ。国民の70%以上は紅葉の名前を聞いたことがあるに違いない。


「あー、うんうん、アハハっ! そこはコーンフレークでしょっ!」


 笑いながらテレビにツッコミを入れている姿は、桐子よりも余程Vチューバーや配信者に向いていそうだ。

 紅葉は明るくて、愛想があって、社交的と、姉とは正反対だ。子供の頃から、紅葉は誰にでも愛されていた。親戚や近所の人からは必ずお菓子を貰い、初対面の人からは必ず可愛いと言われる。

 人間だけじゃなくて、神様にも愛されている。おみくじはいつも大吉だし、デパートの福引で一等を当てたこともあるし、お正月の福袋には目玉商品が入っている。桐子が当たったことがあるのは、鳩の落とし物ぐらいだ。

 スミスさんが言っていた全てを『持っている側』だと思う。

 そんな紅葉は、桐子の自慢だ。

 自慢すぎて、出来の悪い姉は引け目を感じてしまう。

 だから、コミュニケーションのとり方が分からなくなっていた。


 まだ紅葉が幼稚園に通っていた頃は、トテトテと小さな足を精一杯動かして姉の後をついてくる可愛いだけの妹だった。だけど、フィギュアスケートを始めてからは違う。才能を開花させ華々しく活躍をする紅葉と、平凡以下な自分を比べて距離を作ってしまっていた。

 もう姉として妹の手を引くことなんてないのだから、せめて足だけは引っ張らないようにしようと思っていた。


「どうしたのお姉ちゃん? さっきから変じゃない?」


 桐子がボーッと眺めていた所為か、ソファーから身を乗り出した紅葉が心配そうにこちらを見ていた。


「変じゃないよ! そ、そうだ! 羊羹食べる? あ、ピザ頼んじゃったけど……」

「食べる食べる! 甘いものは別腹!」


 別腹の使い方が違う気がしたけれど、桐子はスルーすることにした。

 贈答用の細長い箱を開けると細い紐で結われた竹皮の包が入っていた。その竹皮を剥くとさらに銀色の包装で密閉されていて、鋏で切って開けるとようやく、黒光りする延べ棒が姿を現す。包丁で2センチほどの長さで切ろとすると、コツンと抵抗がある。断面には、小さな金塊を思わせる栗が入っていた。

 切り分けた栗羊羹とお茶を二人分お盆に載せて、ソファーでくつろぐ紅葉へ運んだ。


「栗羊羹だ! いただきまーす!」


 さっそく一切れ口に運ぶ紅葉。もぐっと一噛みしただけで、目がキラキラと輝いた。


「おいっっしーー! 羊羹のふにっとした後に、栗のゴロゴロ感がたまらない! お姉ちゃんも、早くっ!」

「う、うん」


 急かされた桐子は、フォークで羊羹を半分に切ってから口に運ぶ。


「……! ホントだ。上品な甘さ……高そう」

「お姉ちゃんが買ってきたんじゃないの?」

「スミスさんからお土産に貰ったの」

「さすが有名作曲家。いいお菓子もってるのお」


 紅葉はまるで時代劇の悪役みたいにニヤリと笑みを浮かべる。その芝居がかった仕草に桐子は声を出して笑ってしまった。


「あの人に会ったってことは、Vチューバー関係でなにかあるの?」

「うん、ちょっと新曲のお話とか」

「やった! お姉ちゃんの新しい歌きけるんだ!」

「やっ! まだ全然だよ! ぜ、全然……」


 熱い期待の込められたレーザービームみたいな紅葉の視線から、桐子は逃れつつ頷く。

 羊羹1つで思っていたよりもスムーズに話が進んでいることに驚いた。


(もしかして話す切っ掛けにお土産をもたせてくれたのかな)


 スミスさんの気遣いを無駄に出来ないと桐子は顔を上げて、紅葉を見つめる。


「それと、真面目な相談も聞いてもらった」

「真面目なってどんな?」


 紅葉も興味があると、羊羹を食べる手を止めた。


「色々と話をしてもらって……、それでスミスさんが言うには紅葉と話したほうが良いって。あっ! もちろん嫌じゃなければだけど!」

「するするっ! お姉ちゃんとなら24時間ずっとだってお話しする!」


 テレビを消した紅葉は姿勢を正し、ソファーの上でちょこんと正座する。

 そうやって改まられると、桐子の方は身構えてしまう。


「あの……さ…………」

「なになに?」


 紅葉の真っ直ぐ過ぎる瞳に、桐子は子犬が「待て!」をされたのに我慢できずにパタパタとしっぽを振っているようなプレッシャーを感じてしまう。


「さ、最近どう? 紅葉は?」

「わたし? ちょっと前にカナダ行った以外は、別にいつもどおりで普通かな」

「そ、そうなんだ。へー…………じゃなくて、その……」


 初っ端から選択肢を間違えたのか、会話が上手く続かない。困った桐子があたふたする姿が面白いのか、紅葉はニヤニヤと相貌を崩していた。


「なんで、こっち見るの」

「お姉ちゃんがカワイイから」


 姉の威厳ゼロの答えに桐子は頭を抱えたくなる。


(ゼロならゼロだし。とにかく聞かないと!)


 奮起した桐子は立ち向かうように、紅葉を見つめ返す。


「あのね……紅葉がすっごい頑張ってるのは知ってるよ」

「いきなり褒めたりしてどうしたの?」


 話が見えてこない紅葉は人差し指と中指をクイクイっと曲げる。


「強化合宿に行ったり、海外の大会に参加したり、遊びたい時だってあると思うのに頑張って練習してる」

「お姉ちゃんにそんなに褒められると、逆に怖いんだけど……。何か嫌なことあった?」


 不安そうな紅葉に、桐子はそうじゃないと首を振る。


「そうじゃなくて、私の方が紅葉に嫌な思いさせちゃうかもしれないけど、聞いてくれる?」

「うん、心配しないで! お姉ちゃんの想いはドーンと受け止めるから!」


 全て任せろとばかりに紅葉は胸を叩いてみせる。その勇ましさは、前置きで引き伸ばしていた自分とは正反対だ。姉だとか関係なく、その胸を借りたいと思えるほど頼もしかった。


「あのさ……紅葉って天才なのっ?」


 身も蓋もないけれど、桐子が精一杯の勇気を振り絞った質問だ。

 笑われたり嫌な顔をされても仕方ないと思っていたけれど、紅葉の反応は違った。


「うーん……」


 腕組みをし目線を上げると、考え込んでいた。


「天才か天才じゃないか……どうなんだろう、自分じゃ今まで考えたことなかった」


 紅葉は首を左右にぐらぐら揺らしながら考えている。


「うーーーーん…………」


 表情が真剣だけれど動きはコミカルで、赤ベコみたいだ。


「……………………うんっ、わかった!」


 動きを止めた紅葉は腕組みを解いて、人差し指をピンと立てる。


「わたしはね、時々天才だよ」


 紅葉は自分の出した結論に満足そうだけれど、今度は桐子が首を傾げる番だった。


「時々って?」

「英語で言えばSometimes」

「そうじゃなくて、天才に『時々』なんてあるの?」

「あるっ! と、わたしは思ったよ」


 紅葉は頭の中から言葉を発掘するように、人差し指をくるくる回しながら喋る。


「うーんとね……演技が終わってリングの上でどうしても笑っちゃう時は、天才だと思う」


 人差し指の動きを止めた紅葉がニコッと笑みを見せる。


「何の後悔もなくて、ただただ嬉しくてたまらなくて、心の底から笑っちゃうの」

「それって、最高の演技ができた時ってこと?」

「最高かどうかより、自分が満足できたかどうか、かな。そういう時は良い結果がついてくるけど」


 そう言えば、紅葉が大会で優勝した時はいつも、キス・アンド・クライに行く前にすでに楽しそうに笑っていた。


「ごめんね、パッとしない答えで」

「ううん。ちゃんと紅葉の言葉で伝わってきた」

「なにが天才かって考えてもよくは分からなかった。だけど、わたし自身を天才じゃないって否定はしたくなかったんだ」

「それって、どうして? プライドがあるから?」

「うん、プライドもある。でも、それだけじゃないよ」


 そこだけは、はっきりしていると紅葉の言葉に迷いはない。


「わたしがフィギュアスケートの天才だって思うライバルが、世界にいっぱいいる。大会でその人達と競うし、勝つことだってある。だから、誰かに天才だって言われれば、わたしはその評価を受け入れなくちゃいけないと思うんだ」


 競技者として第一線で戦っている人間の覚悟が言葉から伝わってくる。

 灰姫レラとして、アオハルココロちゃんと対決して勝ったけれど、桐子自身は到底そんな風には考えられなかった。


「すごいな……紅葉は色んな経験をして、私よりずっと大人だね」


 今更だけど、学校よりもずっと広い世界を紅葉は知っているのだと痛感する。スミスさんや河本くんが持っているのと同じ感覚なのかもしれない。


「経験なんて人それぞれだから比べても仕方ないよ。自分探しで世界旅行した人も、お寺に籠もって修行した人も、どっちの経験が上等かなんてことないもん。どっちも、その人に必要な時間だったんだと思うよ」

「うん、ありがとう」

「それに、お姉ちゃんは『ここ』が」

「きゃっ!」


 急に抱きついてきた紅葉が、桐子の胸に顔を埋める。


「『立派』に大人だよ! いいなー、羨ましいなー、わたしも欲しいなー」


 真面目な話に耐えられなくなったのだろう紅葉は茶化すように言って、桐子の胸のクッションにコンコンと軽く頭突きを繰り返す。


「子供じゃないんだからやめなさい」


 桐子に押し返されながら、紅葉は甘えるように桐子の手に頬ずりする。


「で、なんでお姉ちゃんは、天才かどうかなんて聞くの?」


 紅葉が真剣に考えてくれたのだから、自分も誠実に答えるべきだ。


「河本くんと出会ってから、私の周りがすごい人ばっかりで……それに比べて私は才能ないなって落ち込んでた」

「Vチューバーのことは分かんないけど、お姉ちゃんの可愛いは才能!」


 ガシッと抱きつこうとする紅葉を、桐子はスイっとスウェーで躱わす。


「それは紅葉が特殊なだけだから」

「配信でもみんなにカワイイって言われてるでしょ」

「それは『灰姫レラ』だからで……」

「どっちもお姉ちゃんなんだから、素直に受け取ればいいのに」


 納得できないと紅葉はぷくーっと頬をふくらませる。桐子はフグみたいなその顔を両手で挟んでぺちゃんこにした。


「無理だよぉ」

「そこっ! ズバリ言って、お姉ちゃんに足りないのは自信っ! もっと自分に自信を持とうよ!」


 人差し指をズバッと突きつけてくる紅葉に、桐子は視線を逸らす。


「自信なんて持てるわけないよ。他の人より出来ないことばっかりなのに」

「だったら、自信を鍛えようよ、お姉ちゃん!」

「鍛えるって? 自信を?」


 根性論じゃないのかと半信半疑のまなこで聞き返す桐子に対して、紅葉の視線にブレはない。


「自分を好きになることと、自分を嫌いになることを繰り返して、自信は鍛えられる! って、コーチが言ってた。わたしもそうだと思ってる」


 何かを思い出すように紅葉は自分の胸に手を当てる。


「練習しても全然上手くいかない時は、なんでこんなに下手っぴなんだろうって落ち込む。試合で大失敗しちゃった時は、悔しくて堪らない。そういう時って、自分のことがすっごく嫌いになっても仕方ないと思うんだ」

(紅葉でも落ち込んだりするんだ)


 こうやって紅葉がスケートの事を話してくれたのは、初めてかも知れない。


「でもそこで、全部を否定しないようにする。下手でも昨日よりは少し良くなってるかもしれないし、大会の結果が散々だったとしてもジャンプだけは良かったかもしれない、何も成果がなくても真剣に向き合った時間だけはあったとか、無理矢理でも良いから、とにかく自分を褒めてあげる」


 その言葉に桐子は心当たりがあった。

 紅葉はスケートで出かけた時、必ず自分にもお土産を買ってくる海外だけじゃなくて、電車で1時間ほどの距離でもだ。それが『ご褒美』なのかもしれない。


「自分の全部を嫌いにならなければ、少しずつだけど前に進める。進んでいれば、今まで出来なかったことが出来るようになったり、大会でいい成績が出せる時もある。そういう時に、いっっぱい自分を褒めて、自分のことをいっぱい好きになる! どうせ、また『出来ない自分』と戦わなくちゃいけないんだから、その時に備えるためにね」


 言葉を整えるように、紅葉はお茶を一口飲む。


「ただの繰り返しじゃなくて、ちょっとずつ強くなれる。そうすれば、立ち直り(サイクル)が早くなったり、深い底からも抜け出せるようになる。それが自信が鍛えられるってこと。だから、出来ないこと=悪いことじゃないんだよ……てっ、これほとんどコーチの受け売りなんだけどね」


 少しバツが悪そうな紅葉に、桐子は小さく首を振る。


「誰かに貰った言葉だとしても、紅葉にしっかりと根づいてるんだよね」

「うん」

「だったら、もう紅葉のモノだよ。私は紅葉から聞けて良かった」


 桐子から手を握ると、紅葉はくすぐったそうに照れていた。


「それに、わたしは独りじゃない。コーチやファン、応援してくれる人たちが沢山さんいてくれる。その想いを出来るだけ真っ直ぐに受け取って、わたしは自分を好きでいたいって思う」

「応援してくれる人たち……」

「お姉ちゃんにもいるよね」

「うん、河本くん、スミスさん、夜川さん、『灰姫レラ』を好きだって言ってくれる人たち、もちろん紅葉も。本当にありがとう」

「大好きなお姉ちゃんだもん、応援するのは当然だよ! これからも沢山褒めちゃう! ちゃんとご飯食べて偉い! 生きてて偉いって!」


 任せろと胸を張る紅葉は中学生とは思えないほど頼もしかった。


「お姉ちゃんなのに、助けられてばっかり。なんにもしてあげられてなくて、ごめんね」

「全然そんな事ない! 今のわたしがあるのはお姉ちゃんのお陰だから! 人生を変えてくれたんだよ!」

「へっ?」


 まるで心当たりのないという桐子の反応に、紅葉の方が驚いていた。


「なぁーんで!? ホントに覚えてないの?」

「えっと………………ごめん、本当に分かんないや」


 妹との思い出で一番印象に残っているのが、子供の頃にザリガニに指を挟まれてビービー泣いている姿だった。


「お姉ちゃん、小さかったわたしにシンデレラの絵本をよく読んでくれたよね」

「うん、紅葉が幼稚園ぐらいかな?」


 一番お気に入りで、お母さんにも沢山読んでもらった絵本だ。だから、平仮名も怪しいぐらい幼かった桐子でも紅葉に『読んで』あげることができた。


「大きくなったらわたしもお姫様になるんだ!って思ってた。 あの頃ってお母さんも働いてたから、あんまり一緒にいられなくて。自分を少しだけシンデレラと重ねてたんだと思う。もちろん意地悪な継姉あねはいなかったけど」


 屈託なく笑う紅葉に、桐子もつられて笑みがこぼれる。


「幼稚園でもお姫様になるって言ってたら、別の子に「お姫様なんてなれるわけない」ってからかわれて、すっごくショックで泣いちゃった」

「そう言えばあったね、紅葉が泣きながら帰ってきたこと。なんでって聞いたら幼稚園で喧嘩したって」


 紅葉が誰かと喧嘩をするなんて、後にも先にもこの時ぐらいだから、けっこうはっきりと記憶に残っていた。


「お姫様になれないって落ち込んでるわたしに、お姉ちゃんがお父さんのおっきなタブレットを持ってきて、ユーチューブで動画を見せてくれた」

「あっ」


 ようやく桐子の頭の中でも記憶が繋がった。


「やっと思い出した? その時、初めてフィギュアスケートを知ったんだ。キラキラの綺麗なドレスを着て、ガラスの靴でスイースイーっと格好いいダンスをして、その舞踏会を皆が見てる。本物のお姫様になれるんだって、お姉ちゃんが教えてくれた」


 その後だろう、小さかった紅葉がタブレットの使い方を覚えて、動画を見るようになった。子守の代わりではないけれど、手がかからなくなったのは確かだ。


「きっかけだったなんて、知らなかった。友達に誘われてスケート始めたんだと思ってた。いつも楽しそうに教室に行ってたから」

「順番が逆だよ。スケート教室で友達ができたんだって」


 そう言って笑って話していた紅葉が、ふっと思いつめた顔になる。


「夢中になって練習して、大会に出るようになって……その所為でお姉ちゃんにいっぱい迷惑かけちゃった」

「迷惑かけたのは私の方だよ。紅葉が頑張ってるのに、私は家にひきこもっちゃって……」


 フィギュアスケートで有名になった紅葉に、ひきこもりの姉がいるなんてスキャンダルでしかない。


「お姉ちゃんを迷惑だなんて思ったこと一度だってないから! 学校なんて行きたくなければ行かなくていいし、だからって働かなくても良いし! わたしがお金稼いで、お姉ちゃんを養うからって思ってた!」

「紅葉がそこまで思い詰めることなんてなかったのに。頼りなくてごめんね」

「違うよ、お姉ちゃん……わたしが家族をバラバラにしちゃったんだから」


 苦しそうに声を詰まらせる紅葉に、桐子も気道を直接締め付けられたみたいに呼吸が不自由に感じてしまう。


「わたしがフィギュアスケートで大きな舞台に立つために、お母さんは仕事を辞めて時間を使わなくちゃいけなかった。お金もかかるからお父さんはもっと働かなくちゃいけなくなった……」


 紅葉は指が食い込むほど自分の太ももをギュッと握りしめる。


「だから、お姉ちゃんが一番苦しい時に、誰も気づけなかった……家族なのに……忙しいからって、お姉ちゃんのこと放っておいちゃった……」


 震える弱々しい声に桐子は堪らず、紅葉の両手を掴む。自分を罰するように握った紅葉の手を、太ももから引き剥がす。


「そんなことない! 色々あったけど、ひきこもりになっちゃったのは私が弱かったからだよ! 紅葉が責任を感じることなんて、1個もないんだからね!」

「でも、お姉ちゃんと家の中がちょっとおかしくなった時に、私がフィギュアを辞めてれば……お姉ちゃんが辛い思いをしないですんだかもしれないのに……でも、フィギュアが辞めれなかった。辞められねくて……ごめんなさい、お姉ちゃん」


 俯いた紅葉の瞳から雫がこぼれ、桐子の手を濡らす。


「ううん、辞めなくて良かったんだよ」


 桐子はあれる涙を全部受け止めようと、紅葉を抱きしめる。もう中学2年生なのに、腕の中の紅葉はトテトテと後ろついてきていた頃みたいに小さく感じた。


「ごめんね……ごめんぇ……おねえちゃぅ……」

「謝らなくていいから。私は紅葉に好きなことをやってて欲しい。いつも笑ってて欲しい。紅葉は私の自慢の妹だもん」


 よしよしと頭を撫でると、紅葉はくすぐったそうに鼻をすすった。


「ぐす……おねえちゃん、ありがとお」


 抱き返してきた紅葉の肩に、桐子は涙を隠した。お姉ちゃんとして、妹に泣いている所はみせられないのだ。


「紅葉が妹で良かった」

「わたしも、お姉ちゃんがおねえちゃんで良かった」


 そのまま涙が引っ込むまでの10分ぐらい、顔を合わせることができなかった。

 ようやく落ち着いて、ソファーに座り直そうとすると、桐子のスマホが着信音を鳴らした。


「誰? お母さん?」

「ううん、知らない番号。ピザの配達かな?」


 香辻家の場所がわからなくて迷っているのかも知れないと、電話に出る。


『こんばんわんわん』


 女の人の声だ。


『灰姫レラちゃんの電話であってるかな?』

 電話越しで少し籠もっているけれど、よく知っている声に似ている。でも、その人はこの電話番号なんて知らないし、かけてくるはずなんて無い。


「あ、あのどちら様でしょうか?」

『わからない? コラボもして、ワタシはオトモダチだと思ってたのになー』


 「だーれだ?」と目隠しを楽しむみたいに笑う声と彼女の言葉に、そんな筈はないという先入観の霧が一気に晴れていく。



「う、嘘……な、なんでアオハルココロちゃんが?!」

姉妹の絆が強まったと思った矢先、

アオハルココロから電話が!

なぜ番号を知らないはずの彼女から?


次回で#10が最後の予定です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 全く正反対だけど一番身近な存在である妹との会話、面白かったです!自分への評価に対して責任を持つという、紅葉のプロスケーターとしての考え方にしびれました。そして姉想いのなんと優しい心の持ち主で…
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