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【密着】とあるVチューバーの日常24h【前編】

【登場人物】

 夜川よかわ 愛美まなみ

  高校一年生の女の子

  新人Vチューバー『ナイトテール』の中の人


 香辻桐子

  愛美のクラスメイト

  Vチューバー『灰姫レラ』の中の人


 河本ヒロト

  愛美のクラスメイト

  灰姫レラとナイトテールのプロデューサー

 2,479人が視聴中

 いつもの配信だと平均1500人ぐらいなので、普段は見ない人も先日のネット番組の出演をきっかけに覗きに来てくれたみたいだ。


「――というわけで、ちょーっとばかし遅くなっちゃたけど、『五月女さん家の』宣伝番組の感想はこんな感じかな~。とにかく面白かったよー!」


 リスナーさん達のコメントが、ポップアウトした小窓を下から上へと流れていく。こちらもいつもの1.5倍ぐらい速い。


〈ナイトテールちゃん、2位おめでとーーーー!〉

〈番組面白かったです!〉

〈2位でおしかったねー〉

〈初見です〉

〈一番おもしろかったよ!〉

〈興味出たのであとでタイムシフトで見ます〉

〈また番組出て欲しいな〉


 今日の配信の背景はマジックショーのステージ風。そこをコメントたちが規則正しく上っていく姿は、まるでトランプの兵士たちが行進しているようだ。


〈萌え豚キモすぎ たかが絵に向かってチヤホヤして頭おかしいんじゃない 4ねよ〉


 大勢が集まれば、お行儀の悪いコメントもある。こういう人にはポイッとステージから退場してもらうしかない。


「はーい、ここは暴言禁止だから、キミはさよなら~!」


 カチカチッと操作してブロック。

 躊躇は一切ない。自分とリスナーさん達が楽しむために必要なことだからだ。


〈ナイス!〉

〈報告しときました〉


「うん、ありがとねー」


 自分のために行動してくれたなら、まずは感謝だ。


〈変な奴は無視すればいいのに〉

〈スルー推奨〉

〈荒らしは放置でしょ〉


 もちろん、違う意見の人がいることも分かっている。

「それも一理ありだよねー」

 画面の中のナイトテールもうんうんと頷く。

「でも、あたしは嫌だって思うことはちゃんと言葉や行動で示すよ」


〈かっけー!〉

〈さすナイトテール〉

〈いやいや、火に油を注いでるだけでしょ〉


 ナイトテールとしてきっぱり言い切ると、コメント欄が賛否の言葉で沸き立った。


「別に正しい方法だとか言わないけどさー。あたしはリスナーのみんなとお喋りが楽しみたいのに、すぐ横でワーワー言われたら邪魔で目障りでしょ? そんな人を放置して、楽しみに来てくれた人たちが、我慢しなきゃいけないのイヤだし納得できないかな。だから、ビシッとブロックしちゃう」


〈荒らし耐性無いなら配信向いてないよ〉


「耐性とかじゃなくてさ、どんな形でもコミュニケーションを大事にしたいって話かなー。拒絶もコミュニケーションの形の一つだよ。例えば、ラブレターもらってもごめんなさいだってあるし、振り向いて欲しいからわざと冷たくしたりとか」


〈荒らしの事かまっても意味ないでしょ。無視無視〉


「無視ってコミュニケーションじゃないと思うんだよね。存在しないことにするんだからさー」


〈荒らしなんて、存在しない扱いでよくない?〉


「そうやって無視したら可哀想じゃん。こんな所でしか文句言ったり暴言吐くぐらいしか出来ない人たちだもん。いつもは無理だけど、時々は相手しようかなって」


〈やばっ!〉

〈聖女かな〉

〈完全に追い打ちでしょw〉

〈煽り全1〉


「ちゃんとお行儀悪いのはお断りですって言って、ブロックしてあげるからねー」


 話が通じない人間というのが、集団の中に一定数いる。やたらと頑固だったり、自分にしか興味がなかったり、あるいは悪意だったり、他にも理由は色々だ。


〈ブロックしても、新しいアカウント作ってくるから無駄でしょ〉


「アハハ、別にいいよー。また来てくれるんだし、いつかは変わるかもしれないじゃん」


〈荒らしてるような連中が変わるわけないってw〉


「わっかんないよー。自分自身で願ったり、誰かのためだったり、変わるキッカケなんていくらでもあるもんね」


〈ママかな〉

〈これは30〉

〈ままー!〉

〈ナイトテール30〉

〈これが16歳のわけ無いでしょw〉


 リアルの友達にも大人っぽいと言われることがあるけれど、こうやってVチューバーをしていると更に+10以上も年齢を上に見られてしまうらしい。


「ホントに16歳の現役高校生だってー」


〈喋り上手すぎるし声優とかの専門学校生でしょ〉


「こちとら13年間、伊達におしゃべりな女の子として生きてきたわけじゃないっての~!」


〈13歳?〉

〈サバ読み?〉


「あたし、他の子より喋りだすのが遅かったんだってママが言ってた。その遅れを取り戻そうとするみたいに、とにかくお喋りで煩かったみたいだよー。幼稚園に行く途中も知らない人に話しかけたりしてママを困らせてたんだって」


〈そんな感じする〉

〈落ち着きなさそう〉

〈そういう子、小学校の頃いたよね〉

〈見た目は16、中身は6歳かな〉

 盛り上がるコメント欄を見ていると自然と笑みが溢れてくる。


「こういう雑談って楽しいよね~。いくらでも話しちゃうけど、そろそろ時間でーす!」


 もうすぐ終了予定時刻の21時だ。


〈ええ! もう終わりー〉

〈延長!〉

〈行かないでー〉


 終わりを惜しむ声でコメント欄が埋め尽くされるけれど、笑顔を返すことしかできない。


「ごめんねー。宿題もやらないとだし、マンションだから自分の配信は、あんまし遅くまでやらないって決めてるの。その代わり、一つお知らせがあるよー」


〈なになに?〉

〈おっ?〉


 OBSのシーン切り替えを使って、準備しておいたサムネイル画像を表示する。黒髪ロングの女の子と、ナイトテールが一緒に写っていて、上部には二人を祝福するアーチのように配信タイトルが書かれている。

「『【アマキス】恋愛相談マスターが美少女ゲームのヒロインを本気で攻略してみた!』やっちゃうよーーーー!」


〈うぉおおおおおおおおおおおお!〉

〈きたーーーーーーーーー!〉

〈待ってました!〉

〈アマキスは名作〉

〈これはリアタイせねば〉

〈最高じゃん!〉


 今日一番の盛り上がるリスナーに、愛美の方もテンションが上がってしまう。


「やって欲しいってマシュマロが100通ぐらい来てたんで、このゲームに決めたよー」


 ちなみに河本くん相談すると、許可を取ってくれたりキャプチャー用の機材まで貸してくれた。配信では言えないけれど、発表と同時に心の中ではありがとうと言う。

「あたし、美少女ゲームってやったことないんだけど、まあ余裕っしょ!」


〈期待してます!〉

〈耐久かな?〉

〈完全にフラグ〉

〈これは一人ぼっちEDだな〉


 リスナーさん達の期待にフフンと余裕の笑みを見せる。

「それじゃ、明日の夜8時にまた会おうね~。おつしっぽ~」

 ファンの方が作ってくれたエンディングを流す。モダンジャズに合わせ、ステージに立つナイトテールにトランプが降り注いでいくという映像だ。


〈おつしっぽ~〉

〈楽しみにしてます!〉

〈おつしっぽ~〉

〈乙しっぽー〉


 完全にナイトテールがトランプに覆い尽くされたところで、風が拭く。トランプが舞い散ると、もうそこにナイトテールの姿はない。


〈おつしっぽ~〉

〈神エンディング〉

〈おつしっぽ-〉


 そして配信終了のボタンを押し、オフラインになる。

「ふぅ~~、今日の配信おしまーいっと」

 パソコンの電源を落とし一息付いてマグカップを見ると、一口も飲んでいない麦茶がそのまま残っている。2時間ぶっ通しで喋ってしまっていた。喉がカサカサしている感じが自分でも分かる。


「水分補給を忘れずに~」


 声に出して確認した愛美は、『Vチューバー用』と書かれたノートにも同じ文言を書く。それからマグカップの水を一息で飲み干した。


「ぷはァ~~」


 愛美は防音用の自作パーティションを片付けると、空になったマグカップを手に部屋を出る。

 廊下の向かいには『ユウ』と書かれたドアプレートが下げられている。愛美はそのドアをコンコンと少し強めにノックした。


「配信終わったよー」

「分かったー」


 返事に続いて部屋の中からゲームだろうBGMが聞こえてくる。配信中は声や音が入らないように弟には気を使ってもらっている。中学1年生という難しい時期の男の子にしては、姉の言うことをよく聞いてくれている方だろう。


「ユウ、お風呂は?」

「姉ちゃんが先に入っちゃってー」

「わかったー」


 一番風呂の権利はありがたいと、愛美は部屋に取って返す。マグカップと交換に、お風呂セットを手に脱衣所に向かった。

 クローバー印のドラム式洗濯機に洗濯物をポイポイと投げ入れてから浴室へ。

 シャワーを浴びて、身体を洗おうとしたらボディソープのボトルがスコスコと情けない音を立てる。昨晩、最後に入ったユウが、面倒臭がってそのまま放置したようだ。

 詰め替えパックで補充してからノズルをシュコシュコ。押し過ぎて大量のボディソープがタオルにかかってしまう。もったいないので、いつもより丁寧に全身を洗った。

 それからシャンプー。髪が長いから洗うのも乾かすのも時間がかかって少し面倒。思い切ってショートにしてしまおうかと友達やユウに軽く相談したこともあるけれど、大反対されてしまった。

 全身を洗い終えたら、お風呂の蓋を半分だけ開ける。脱衣所に用意しておいたスマホを持ってくる。ジップロックに入れてあるので準備は万全だ。


「ご飯も冷凍できるし、ジップロックくんは優秀だよね~」


 褒めてあげれば防水性能も少しだけ上がってくれるかもしれない。

 湯船に浸かりながら、ツイッターで『ナイトテール』で検索をかける。エゴサというやつだ。Vチューバーを始めてから出来た楽しみの一つだった。

 さっそく今日の配信の感想をリスナーさんが書いてくれていた。『面白かった』や『やる気出た』など一言から、全体を振り返った長文まで好意的な感想が次々に出て来る。


「ありがとー。あっ、この人、今日はコメントしてくれてたねー」


 一人ひとりの言葉が嬉しくて、いいねボタンを一回押しただけじゃ足りない。


「この人、バイト決まったんだ。よかったよかったー」


 いつも配信でコメントしてくれたり、ツイッターで感想を言ってくれている人は自然と名前やアイコンを覚えてしまう。リスナーさんの何かしらの特徴やエピソードが、ナイトテールの衣装に勲章として刻まれていくような感覚だ。

 エゴサの中には厳しい意見も見かける。的を得た意見なら頭の隅に入れておいて、あとの言いがかりは気にしない。全人類が仲良く出来ないんだから、合わない人も大勢いるのは仕方がない。

 一通りエゴサが終わったら、今度は自分の配信のチェックだ。


「あー、ここもっと上手い説明できたよねー」


 2倍速で飛ばし飛ばしに見ながら、過去の自分自身にダメ出しをしていく。エゴサでホカホカ有頂天の脳みそには丁度いい刺激だ。


「アハハハッ、このコメント面白い~。拾えればよかったなー」


 配信中も出来る限りコメントを見るようにしているけれど、どうしても見逃してしまうものがある。特にキレの良いコメントを、配信が終わってから見つけると勿体ない気持ちになるし、そのリスナーさんにも少し申し訳なくなる。

 そういうリスナーさんのコメントは、次こそ拾おうと思うので名前やアイコンを少しだけ意識するようになる。

 動画の振り返りを初めたのは、少しでも配信を面白くしたいからだった。

 チャンネル登録者数や再生回数を増やしたい訳でもないし、河本くんに言われたわけでもない。

 ただ自分が楽しみたいからだ。

 面白い配信ができれば嬉しいし、面白い配信をしている時は自分が最高に楽しんでる。

 顔を合わせて一対一でも、ネット越しの配信でも同じだ。

 ただ楽しくお喋りがしたいだけ。

 そのために自分の配信を振り返るのは有効だと思った。日記を見返すみたいなものだ。過去の自分との対話は気づけることも学べることも結構あったりする。

 動画に集中していると、ポーーンという電子音が聞こえてくる。パパが帰ってきたようだ。きっとすぐに汗を流したいだろうから、これ以上の長湯は止めておく。

 お風呂を出てリビングに行くと、パパがソファーに腰掛けてニュース番組をつけていた。一日の疲れがテカテカと顔に浮いていて、あぶらとり紙なら5枚ぐらい必要そうだ。


「パパ、おかえりー」

「ただいま。ユウは部屋か?」

「うん、ゲームしてるみたい。パパ、ご飯はー?」

「もう食べてきた。愛美たちはどうしたんだ?」

「スーパーの半額お刺身だよ」

「そうか、悪いんだが明日も遅くなりそうだ」

「なら、お母さんの着替えとか、あたしがもってくねー」

「そうしてもらえると助かるよ。さてと、風呂でも入るか」


 ソファーから「どっこいしょ」と立ち上がった父はリビングを出ていった。

 台所に行くと洗い終わったパパのお弁当箱が、すでに乾燥棚に置いてある。全部ママに任せっぱなしだった、昔のパパからは考えられない進歩だ。

 自分の部屋へ戻る途中で、ユウの部屋をノックする。


「ユウ、パパがお風呂出たら、入っちゃいなよー」

「分かったー」


 帰ってきたのは生返事だ。ゲームに夢中でお風呂どころではないのだろう。

 これまで愛美自身は一人用ゲームの類をほとんどやったことが無かった。友達にスマホのゲームを薦められてプレイしたこともあったけれど、長続きしなかった。だから、弟が宿題も放り出し睡眠時間まで削って熱中している気持ちがいまいちピンと来ていなかった。でも、Vチューバーになって自分でも一人用のゲームをプレイするようになって、その楽しさが少しだけ分かってきた。

 そういう自分の変化自体も面白いことだと思う。

 部屋に戻ってドライヤーで髪の毛を乾かしながらスマホをチェックする。


「あっ、灰姫レラちゃんやってるじゃん」


 通知をタップして配信を流すことにした。すでに配信開始から10分ほどが経っているようだ。


『そ、それでは雪山人狼をやっていこうと思いますっ!』


 気負った声の灰姫レラちゃんだけれど、トラッキングが上手くいっていないのかやたらと俯いていた。


『リスナーさんも参加してくれると嬉しいです、あっ、でも、もし一緒にプレイする時は配信画面は見ないようにして欲しいです。私もプレイ中はコメントは見ませんので』


 雪山人狼は他の配信で見たことがあるので、ルールは知っていた。

 遭難した雪山から脱出を目指すサバイバーたちと、それを阻止する人狼に別れて対決するオンライン対戦ゲームだ。銃を撃ったり、斧で叩いたりとアクション要素もある。物理攻撃で敵を倒したり出来るのが特徴だ。

 8人(サバイバー6人+人狼2人)でプレイできるので、Vチューバー同士の大規模コラボもよく開かれている。先日、共演したハイプロのメンバー同士のコラボは愛美もリアルタイムで見ていて、白山タマヨちゃんのリアル殺人鬼ムーブにお腹が痛くなるほど笑わせてもらった。


「レラちゃん、人狼系にハマったのかな?」


 つい先日、一緒に出演したネット番組でも人狼をプレイする機会があった。その時はレラちゃんのおかげで、ゲームがすごく盛り上がった。

『わっ、わっ、いっぱい部屋に入ってきてくれてありがとうございます! 初心者なので間違ったりすることもあると思いますが、よろしくおねがいします!』

 レラちゃんの挨拶にゲームの参加者たち7人も、ほんわかとした挨拶を返していた。

 そして始まる一戦目。

『私は、サバイバーです! 脱出を目指して皆さんと協力していきますね!』

 意気込んだレラちゃんは仲間たちのために資材集めに出かけていく。

「頑張れ~」

 見守りながらドライヤーを使っていると、レラちゃんに忍び寄る影が。


『ひあぁっ! オオカミが! 来ないでーーーー』

 逃げ回って瀕死になったところを他の参加者に助けられていた。

『ありがとうございます!』

 そう感謝しながら誤操作で、助けてくれた人を殴ってしまうおまけ付きだった。

『ごめんなさい! ミスです! 私は人狼じゃありませーーん! 信じて下さーーーー!』

 軽い反撃を食らって逃げ惑うレラちゃん。

「うんうん、外さないね~」

 その後も毒入り食料を食べてしまったりと散々な目に合っていた。


 髪の毛が乾いたので、バスタオルを脱衣所まで持っていく。洗濯機がいっぱいになっていたので、洗剤と柔軟剤を投入して回す。ドラム式洗濯機は一度に乾燥までやってくれるので楽だけれど、容量が少ないので数をこなさないとならない。


 部屋に戻ると――。

『あぁあああああ! そんなーーーー!』

 灰姫レラちゃんが(ゲーム内で)死んでいた。

「あはははははっ、もうって~」

 どうやら同行者が人狼と気づかずに、山陰におびき出されて始末されてしまったようだ。

『うぅ……皆さん、すみません。また役立たずで……』

 必要以上に済まなそうなレラちゃんに、コメント欄も困惑していた。


「ん~~?」


 レラちゃんはいつも頑張ってるけど、今日はちょっと気負いすぎのように思える。リスナーさんにもそれは伝わっているのか、彼女を気遣うようなコメントがちらちらと見えた。

 ナイトテールとして愛美がコメントをしても、今はレラちゃんも見ることができないのでそれこそ余計な一言になってしまう。

 仕方がないと、愛美はスマホを脇に置いて教科書とノートを開く。お風呂を出た後はいつも勉強の時間にしている。まずは数学の宿題にとりかかる。


 一方、配信ではレラちゃんが雪山人狼の二戦目を始めていた。

『今度は私が人狼です! みなさん、シーッ!』

 人狼として妨害工作に勤しむレラちゃんを横目に、愛美は三角比の問題を解いていく。

「サイン・コサイン・タンジェント~♪ ぐるっとマイナス90度まわして、コサイン・マイナスサイン、逆タンジェント~♪」

 オリジナルソングを口ずさむ。ただ計算したり暗記するだけだと勉強は飽きてしまうので、すこしでも楽しくなるように工夫する。

 配信の方ではレラちゃんの戦いも進んでいる。

『わ、私も人狼として頑張らないと……っ!』

 決意表明するレラちゃんを、リスナーさんたちは〈まだ早い!〉〈今じゃない!〉と必死に止めるが、その声は届かない。

 サバイバーの背後から忍び寄る人狼のレラちゃん。斧を振り上げる。

『お、お覚悟をーーーーッ!』

 ポカっとダメージを与えるけれど、相手は一撃では倒れてくれない。

『あっ……』

 気まずい見つめ合いの後に、襲った相手が手にしたのはライフル銃だった。

 そのままズドンと一発撃たれて、瀕死の大ダメージを食らってしまう。

『すみませんでしたーーーー!!』

 逃げ出したレラちゃんを、ライフル銃が追いかける。

 猫と鼠みたいな追いかけっこだ。その先には、他のサバイバー達が待っていた。

『襲われてます助けてくださーーーーい!!』

 なりふり構わずサバイバーに助けを求めるレラちゃんだったが、追いかけてくる相手も「レラちゃんが人狼です」と冷静な指摘を入れる。

『わ、私は安全です! 信じてください!!』

 サバイバー達は一瞬考えたような素振りを見せ、手に鎌や斧を握る。

 そして、一斉にレラちゃんが操るキャラクターに殴りかかった。

『なんでーーーー!?』

 サバイバーたちは「最初から普通に怪しかったから……」「このタイミングで襲撃って無いから……」と困惑気味に返事をしながらも、追撃の手を緩めない。

『死んじゃう! 死んじゃうぅうーーーー! あっ……』

 タコ殴りにされ最後の体力バーまで削り取られたレラちゃんは、雪原に倒れそのまま帰らぬ人となってしまう。

『あうぅ……死んでしまいましたぁ……』

 がっくりとうなだれているのが、画面越しにも分かる。声のこもり方からして、きっと本人はパソコンの前で突っ伏しているのだろう。

 期待通りのへなちょこムーブが見られたリスナーさん達は大喜びだ。〈絶対やると思った〉〈フラグ回収おつかれ〉〈草〉などなど、目では追えない速度でコメントが流れていった。

『ゲーム、下手ですみません……他のVチューバーさんたちみたいにできなくて……もっと上手くなりたいです。ナイトテールちゃんみたいにお喋りでみんなを楽しませたり、姫神クシナちゃんみたいにその場を引っ張っていけたり……アオハルココロちゃんみたいに誰かの憧れになれたり……』

 声まで小さくなってしまったレラちゃんだったが、ハッとして視線を上げる。

『だ、だからもっともっと練習します! いっぱい頑張ります! 落ち込んでいる暇なんてないですよねっ! 次です、次っ!』

 レラちゃんは弱気を吹き飛ばすように言う。リスナーさん達も〈頑張れ!〉〈ファイト!〉〈きっとなれるよ!〉等など、あたたかい言葉を送って彼女を応援していた。


「ん~~……」


 勉強の手を止めた愛美はシャーペンのお尻で顎を押す。

 灰姫レラちゃんの魅力は『王道』だと愛美は思っていた。

 彼女はいつも真剣だ。ゲームでもイラストでも歌でも、一生懸命に挑んでいる。打算や計算が1ミリだって挟まる余地なんてないほど全力投球だ。

 だからこそ、成功も失敗も他の人の目には鮮やかに映る。成功は一緒に喜ぼうと思うし、失敗しても次があると思って安心して笑ったりできる。そして、一歩ずつ進んでいく彼女を応援してしまう。

 永遠の未完の大器というとてつもない魅力だ。

「『何でも出来る』とは真逆なんじゃないかなー」

 でも今の、灰姫レラちゃん自身はそんな自分に納得できていないようだ。


「ままならないよねー」


 例えば人狼ゲームは騙し騙されが基本。素直すぎるレラちゃんとは致命的に相性が悪い。練習である程度は上手くなるだろうけれど、それがリスナーさんたちの求めているものなのか――。

 才能と、努力と、魅力。

 今の自分と、なりたい自分と、求められている自分。


「やっぱり、ままならないな~」


 絶対の答えなんてきっと存在しない。悩むのは性に合ってないから、毎日が楽しく生きれるように選んでいくだけだ。


「まずはお勉強しないとね~」


 それから23時半まで、途中で洗濯物を畳んだりしながら今日の分の勉強を終わらせた。

 レラちゃんもちょうど配信を終える。結局、一勝も出来なかったので、エンディングの挨拶も少し消沈した様子に見えた。


「ふ~、今日はここまで」


 勉強道具を片付けて、たたみ終わった洗濯物(パパとユウの分)をカゴに入れてリビングへ。


「パパ、洗濯物はちゃんと部屋に持っていってねー」


 洗濯カゴをパパがお酒を飲んでいるテーブルの横にドスンと置く。


「寝る時に持っていくよ」


 テレビを見ながらのパパの生返事は、ユウとそっくりだ。


「いますぐにー!」


 ジトーっと睨んでいるとパパは仕方なさそうに重い腰を上げ、柔軟剤でふわふわになった洗濯物を運ぶ。それを見届けた愛美は歯磨きして、自室に戻った。


「ふぁ~~……んん……」


 そろそろ寝る時間なので、ベッドに入って電気を消す。

 スマホの仄かな明かりの中で、溜まっていたLINEの未読チェックと、ツイッターのリプライをしていく。

 友達の雛己ひなみからリプがあったので、そのままメッセージのやりとり。学校のことやおもしろ動画のこと。特別でない、学校でしてるのとそんなに変わらない話。

 そんな風に楽しくお喋りしていても、瞼が下がってきて――。


 ピピッ、ピピッ、ピピッ。

 スマホが耳元でアラームを鳴らす。

 朝6時30分、カーテンから漏れる光も、まだ少しだけ眠そうだ。


「おっはよ~」


 いつものように枕元の猫のヌイグルミに声をかける。子供の頃にママが作ってくれたクリスマスプレゼントだ。偶然だけれど、香辻さんが描いてくれたナイトテールと目がよく似ている。

 開きっぱなしのLINEを見ると、雛己の〈寝ちゃった?〉で会話が途切れていた。〈いま、起きた〉とメッセージを返すけれど、既読はつかない。ねぼすけの雛己が起きている方が大事件だ。


 寝間着のまま洗面所へ。洗顔を軽く済ませたらキッチンへ。

 まずは水を張ったお鍋とフライパンをコンロにかける。鍋を沸かしている間に、鶏卵4つを大きめのお椀に割って顆粒ダシと麺つゆで軽く味付け。そこに刻んだネギをパラパラ投入。

 フライパンに油を敷いて加熱。一滴垂らした玉子がジュッと気持ちいい音がするぐらいになったら、溶き卵を回し入れる。味付けはだし巻き風だけれど、面倒なので巻いたりしない。菜箸をシャカシャカと全体をかき回した後、フライパンの縁を使って、形を大まかに整える。

 十分に火が通ったら、ラップを敷いたまな板に載せて、さらにラップで包んで形を長い俵型にする。ちょっと熱いし、卵焼きが変に崩れないように大胆かつ慎重な指使いが必要不可欠。

 卵焼きを冷ましている間に、今度は洗ったほうれん草を茹でる。硬い茎の方から沸騰した鍋に入れて、葉っぱの部分はサッとお湯を潜らせる。シンクのザルにお湯ごとこぼしたら、冷水で一気にしめる。ギュッギュッと絞って水気をなくすと、茹でる前は抱えるほどの束が、両手のひらに収まるほどに小さくなっている。一口サイズに切ってから、醤油と砂糖、それに胡麻であえれば、もう完成だ。

 大中小のお弁当箱を3つ用意。冷蔵庫のタッパから、お米をそれぞれに詰める。食べざかりのユウが一番大きなお弁当箱で、お米だけでも愛美の1.5倍は入る。

 お弁当箱の半分がお米で埋まったら、後はそこにシリコン製の仕切りカップを置いて、作って冷凍してあったミートボールをポンポンと入れていく。ユウが4個で、パパが3個、愛美が2個。

 ミートボールの横には、ほうれん草の胡麻あえをどっさり、さらに粗熱が取れた卵焼きを1~3切れ配置。余ったスペースには洗ってキッチンペーパーで拭いたプチトマトを置けば、今日のお弁当の完成だ。

 サクッと洗い物をしつつ、朝ごはんのパンを焼く。冷蔵庫を開けて、ジャムが入った赤と黄色の瓶とにらめっこ。


「今日の気分はこっちかな~」


 手にとったのはマーマレードだ。

 食卓にパンとジャムの瓶と牛乳の入ったマグカップが並ぶ。


「いただきまーす」


 パンにマーガリンを薄く塗って、たっぷりのマーマーレードをのせる。

 パクリと一口かじる。ジャムらしい甘みとオレンジの柑橘系らしいほんのりの苦味に、口の中が涎で溢れる。

 やっぱり、ママが作ったジャムは世界一だ。

 優雅な朝食を堪能していると、男二人がのっそりと起きてきた。


「姉ちゃん、おはよー」

「おはよう、愛美」

「うん、おはよー」


 ユウは冷蔵庫からハムとマヨネーズを取り出し、パパは自分用のインスタントコーヒーを準備する。


「今日のお弁当は卵焼きとミートボール。ユウのには4個入れといたからね。トマトもちゃんと食べなよー」

「分かってるってー」


 トースターから目を離さずに、ユウは面倒そうに手を振る。


「愛美、いつもお弁当ありがとうな」


 コーヒーに砂糖と牛乳を入れながらパパが言う。


「でもな、毎日大変だろ? パパもユウも自分でなんとかするからさ」

「平気だって~。あたし、料理好きだし。それに二人に任せたら、毎日ラーメンとか油ものばっかり食べちゃうでしょ? そのせいでパパは会社の健康診断で引っかかったし、ユウも太ったーとか騒いでたでしょ」

「うっ……そこはパパもサラダを食べたり、気をつけるようにするから」

「ただでさえ夕食だって、買ってきたり、外で食べたりが多いんだよ。お弁当ぐらい節約しないとダメだって~。ねっ?」

「……分かった。でも、負担になるようだったらいつでもやめていいんだぞ。無理に続けても、よくないからな」

「わかってるから~。飽きたら止めちゃうし、心配しないでって」


 不安そうなパパに対して、ユウは深々と頷く。


「そーそー、姉ちゃん飽き性だからさ。最近ハマってるVチューバーだって、いつまで続くか」

「続けるのイイことだけど、まずは今を楽しまないとねー」

 ユウの言葉に軽く笑った愛美は、パンの最後のひとかけらを口に放り込み、残っていた牛乳で流し込む。

「ごちそうさまでしたー」


 お皿とマグカップを洗って、3人分のお弁当箱を保冷剤と一緒に袋に詰める。


「後はおねがいね~」


 二人に片づけを頼んだら部屋に戻って制服に着替え。身支度を整えて、鞄をチェックしたら学校に出発だ。着替えを入れたボストンバッグも忘れないように。


「いってきまーす」


 マンションの廊下から澄み渡った秋空が見える。

 今日も一日、楽しくなりますように!



 電車を乗り継いで高校へ。

 満員電車の中では鞄とボストンバッグでガッチリとガード。せっかくアイロンをかけたプリーツを乱さないようにするのが大変だ。

 8時13分に学校に到着。校庭では野球部が練習中だ。同じクラスの男子が、先輩の打った球を追いかけて校庭を走っている。夏の大会が終わって3年生が引退して、これから新チームが本格始動といったところなのだろう。

 愛美がまず向かったのは、図書室だ。一般雑誌から小説、実用書に学術書と蔵書が充実していて、高校のアピールポイントにもなっている。図書館とまではいかないけれど、高校にしては蔵書が多いので司書さんが常駐していた。

 開室前だけれど、中に人の気配がある。


「おはようございまーす!」


 声をかけて入ると、カウンターでは司書の諏訪部さんが新刊の『菌の里』にバーコードを貼る作業をしていた。


「返却おねがいします」


 鞄から取り出した文庫本を司書の諏訪部さんに差し出す。


「はい、確かに。この本、どうでしたか?」


 諏訪部さんは作業の手を止め愛美を見上げる。


「面白かったよー。あんなトリックどうやって思いつくんだろう。天才って感じが凄いした!」

「作者は現役の大学教授さんですね。文章は少し硬いところもありますが、論理性や整合性が心地よいと私は思いました」

「あー、分かる。探偵の謎解きが理系のテストっぽかった」


 思い出して頷く愛美に、諏訪部さんは嬉しそうに微笑んでいた。


「次は何を借りていきますか、夜川さん。同じ作者さんの本もありますよ」

「うーん、今はミステリーって気分じゃないかな……。そうだな~」


 カウンター横の貸し出しランキングをチラ見したけれど、惹かれるタイトルは無い。


「諏訪部さんのオススメはどんなのありますか?」


 こういう時は、詳しい人に聞くのが一番だ。


「そうですね。この本はどうでしょうか。私も読みましたがとても面白かったですよ」


 諏訪部さんは新入荷の一冊を愛美に差し出す。


「『仮面の国』? どんなお話ですかー」

「仮面が無いと喋れないシャイな女の子と、面打ちの少年が出会い、大冒険に出るお話。少し前の作品だけれど、王道感のあるファンタジーでとてもワクワクが詰まっていますよ」


 説明してくれる諏訪部さんの手は、本の内容を慈しむように表紙へ触れていた。


「冒険のワクワクって秋にぴったりかも! それに諏訪部さんの推しなら間違いないし、お願いしまーす」

「楽しんで下さいね」


 貸し出し手続きをした文庫本を受け取り、愛美はページが折れてしまわないように丁寧に鞄の奥にしまう。


「また面白い本、教えて下さーい」

「はい、またのお越しをお待ちしています」


 柔和な微笑みに見送られ、愛美は図書室を後にした。

 校内に喧騒が満ちていく。朝練が終わった生徒だけでなく、他の生徒たちも登校してきたのだ。

 足を速め、混む前にロッカーコーナーに寄っていく。着替えの入ったボストンバッグを突っ込んでおくためだ。家庭総合や選択科目などなど持ち帰らない教科書を端に寄せて、なんとか大きめなバッグを押し込めた。

 教室に着くと、もう席の半分ぐらいが埋まっていた。


「姫乃、おっはよー」


 隣の席に声をかけると、姫乃ひめのが弄っていたスマホから顔を上げる。


「マナマナ、はおっ!」


 朝からテンションが高い姫乃が、愛美の背中をポンっと叩く。


「いつもより早いねー」

「えへへ、マナマナに宿題を写させてもらおっかなーって思って」


 言葉の端に遠慮を滲ませつつも、姫乃はつぶらな瞳で見上げてくる。姫乃は自分の幼い顔立ちと、その愛らしさをよく知っている。そんな風に甘えられたら男の人なら簡単に首を縦に振ってしまうだろう。


「まったく、しょうがないなー、姫乃くんは」


 愛美は猫型ロボット風に言って、数学のノートを取り出す。


「ありがとうございます! マナマナ様!」


 調子よく平身低頭する姫乃の後頭部に、愛美はノートをポンと乗せる。


「別にいいけどさー。宿題は自分でやらないと意味ないんじゃない」

「いいのいいの、テストで点数が取れれば万事大丈夫だもん。結果が全てだって、アルキメデスも言ってたでしょ」

「そうだったかー」


 適当なことを言う姫乃に、愛美も適当な相槌を打つ。


「数学は1限目だから、頑張って写してね~」

「えっ! 全然、時間無いでしょっ!?」


 時間割を把握していなかった姫乃は、慌てて自分のノートを開いてシャーペンを握る。


「どこどこ? どこ写せばいいのっ!?」

「このページの章末問題1からだよー」


 仕方ないなと、愛美は指差して写すページを姫乃に教えていると、背後から気だるげ声が聞こえてくる。


「おはー、二人ともなにしてんだ?」


 怪訝そうに目を細めた雛己が、ヌッと首を突き出す。


「マナマナの宿題パクってるとこ」

「最低だな」


 悪びれない姫乃に雛己が即座にツッコミを入れる。


「雛己、めずらしく遅刻しなかったねー」

「マナのLINEで起きた。二度寝しそうだったから頑張った」


 答える雛己は眠そうにあくびを噛み殺した。


「えー、マナマナのモーニングコールずるい! ワタシも優しく起こしてよっ!」


 当然の権利だと抗議する姫乃に、愛美は顎に人差し指を当てて少し考える。


「んー、モーニングコール権と宿題コピー権はどっちか一方しか使えないけどー?」

「ダメダメ! なら宿題コピー権で!」


 愛美がノートに手を伸ばすと、姫乃は子供がオモチャを隠すみたいに小さな体で机に覆いかぶさった。


「遊んでないでとっとと写しちゃいな。先生来ちゃうよ」

「ハイハイっ! ハイッ!」


 姫乃は超特急で手を動かすけれど、途中で問題が抜けていたり、写し間違えたりしていた。そんな彼女を焦らせるように、教室は登校してきたクラスメイトで賑わっていく。

 その中には、香辻さんの姿もあった。


「香辻さん、おはよー」

「お、あっ! お、おはようございます!」


 ビクッと驚いた後に口をモゴモゴさせた香辻さんは、ショートカットを揺らしてぎこちなく頭を下げる。身長150センチぐらいで(胸以外は)小柄な香辻さんは動作の一つ一つが小動物みたいで可愛らしい。

 香辻(桐子)さんこそ、今話題の人気Vチューバー『灰姫レラ』ちゃんの中の人だ。愛美はちょっとしたことからVチューバーに興味を持って、色々と動画を見ているうちにたまたま彼女の正体に気づいた。

 自分もVチューバーを始めたいと相談すると快諾してくれて、ナイトテールのデザインも香辻さんが描いてくれた。業界用語で言うところの『ママ』さんだ。

 先日のネット番組も、灰姫レラちゃんと一緒に出演した。少しは距離が近づいたかなと勝手に思っているけれど、学校での香辻さんはよそよそしいままだ。

 愛美の後ろの席に座った香辻さんは、何か考えているような表情で鞄の中をゴソゴソと探っていた。


 ホームルーム前のチャイムが鳴って、姫乃の宿題のコピペが佳境を迎えた頃、河本くんがようやく教室に姿を表した。

 いつも通り寝癖がちょこちょこ跳ねていて、他人の目や学校にはまるで興味なさそうに見える。実際、クラスの中では浮いている方だし、若干変人扱いされている。

 そんな河本ヒロトくんは、灰姫レラちゃんのプロデューサーだ。パソコンの知識もすごいらしくて、ナイトテールの2Dモデルを動かしてくれたのも彼だ。愛美のVチューバー活動も色々とサポートしてくれている。

 業界の人たちと色々と繋がりもあるらしい。トップVチューバーの『アオハルココロ』ちゃんとも、何やら因縁があるようだ。

 そんな河本くんにとって、高校は狭くて退屈な世界なのかもしれない。だから、ほとんど人付き合いもせず、授業中も寝ていたり、他のことをしていたりするのだろう。

 もし、その想像が当たっていたとしても――。


「河本くん、おはよー」


 愛美は河本くんに挨拶をする。


「おはよう、夜川さん」


 イヤホンを外した、河本くんから返事があった。やり取りに気づいた香辻さんも振り返る。


「お、おはよう……です……」

「うん、おはよう。香辻さん……」


 ぎこちない挨拶のあと二人の視線が合ったけれど、それだけだった。避けているというより、言葉が見つからない感じで口をつぐんでいた。

 二人の仲が悪いわけではない。むしろ愛美からは信頼し合ってるいるように見えていた。

 そんな二人の様子がおかしくなったのは、先日のネット番組出演からだ。そこでちょっとしたトラブル?があった。

 香辻さんと河本くんが、あるVチューバー事務所の社長さんと口論になってしまったのだ。社長さんは河本くんの知り合いのようで、お互い遠慮なしに意見をぶつけ合っていた。

 内容自体は『才能』に関することで、傍から聞いていた愛美にはどちらの言い分も一理あると思えるものだった。

 ただ、その言い争いのきっかけになった事務所所属Vチューバーさんが、収録の直後に引退を発表していた。そのこと事も含めて香辻さんが悩んでしまっているようだ。河本くんの方も社長さんとの口論の最後に投げかけられた言葉で、何かショックを受けている様子だった。


(できれば、いつも通りの二人に戻って欲しいけど……)


 香辻さんと河本くんは、Vチューバー『ナイトテール』を産み出してくれたママとパパだ。子供ととして両親には仲良くしていて欲しいし、友達だと思っているから何とかしたい。


(あたしに出来ることって何かあるかなー?)


 考えていると、雛己がちょんちょんと愛美の肩を突いた。


「最近、香辻さんたちと仲いいよな。放課後も遊んだりしてさ」

「あたしと全然違う世界を知ってて、楽しいよー」


 ちなみに姫乃と雛己には、Vチューバーをやっていることは言っていない。愛美が『身バレ』するのは構わないけれど、それで香辻さんたちに迷惑をかけたくないからだ。


「ふーん、そっか……楽しいんだ」


 雛己のつまらなさそうな反応に、姫乃のペンが一瞬止まる。


「マナマナが遊んでくれなくて、ヒナヒナふてくされてる~」

「ちっ、違うから! そんなんじゃ……」


 姫乃の弄りに雛己はプイッと顔をそらす。そんな可愛い仕草に愛美はニンマリと笑ってしまう。


「そっかそっか~。じゃあ、明日は三人で遊びに行こうね!」

「暇だし、別にいいけど」


 雛己のそっけない言い草に、姫乃が小さく吹き出す。


「にししぃ~、ヒナヒナはツンデレだな」

「ちっがうっ!」


 力いっぱい否定する雛己は耳まで赤くなっている。煽った張本人の姫乃は満足気にうなずいて、視線を横に向ける。


「ツンデレと言えばさ。あの二人、ちょっとギクシャクしてるでしょ」


 声を小さく抑えた姫乃が見ているのは、香辻さんと河本くんだ。二人の雰囲気は、関係ない姫乃にも伝わっているようだ。


「ふーん……もしかして付き合ってるのか?」


 雛己は自分から話題が逸れたと安堵しているようだ。


「ん~、恋愛とは違うかなー」


 もちろん直接聞いてはいないけれど、香辻さんと河本くんの間にそういった雰囲気は無い。ガードの硬そうな河本くんはともかく、香辻さんが隠せるとも思えない。


「でも、ちょっとばかし空気が変なんだよねー……心配かな」

「……マナはどうしたいんだ?」


 気遣ってくれる雛己に、愛美は眉をキュッと寄せながら頷く。


「二人が楽しそうにしてるとこが見てたいなー。お節介かもしれないけどさ」

「お節介だったらマナの得意分野だろ?」


 励ますような雛己の言葉に、姫乃も力強く何度も頷く。


「マナマナと話してると楽しくて、悩んでることとか忘れちゃうもんね」

「いや、それはヒメノの頭が単純なだけだ」

「えーーー!!」

「文句言う前に、さっさと宿題を終わらせろ」

「はーーーい!」


 ド正論で突っ込まれた姫乃は亀みたいに首を引っ込める。


「ありがとー。ちょっと二人と話してみるね。だからお昼はゴメン!」

「マナがしたいようにしなよ」

「明日はたっぷり遊んでもらうから、覚悟しといてね!」


 雛己と姫乃が、グットラックと控えめに指を立てる。

 迷った時に背中を押してくれる、二人は最高の友達だ。



 さて授業が始まったら、悩み事は頭の片隅に追いやっておく。自分が動けない時に悩むのは、精神衛生上よくないことはよく知っている。

 それに集中して出来るだけ授業の内容を理解しておけば、予習も復習も宿題もずっと楽になる時短テクニックだ。

 ――なんて御大層なことを思っていても、眠い時は居眠りしてしまうんだけど!

 割と偏差値の高めの高校なので、みんな真面目に授業を受けている。以前に河本くんがVチューバーの動画を見ていて先生と揉めたのは例外中の例外だ。今日起きた事件といえば、1時限目の数学で姫乃が授業中に先生にあてられて盛大に自爆したり、3時限目の英語で雛己がラップを披露したりぐらいだ。ちなみに河本くんは授業中の半分以上は居眠りをしていた。



 平和な午前が終わり、決戦の昼休みがやってくる。


「河本くん、香辻さーん! 一緒にお昼ごはん食べない?」


 愛美は先制攻撃とばかりに、二人が席を立ち上がる前に声をかけた。


「えっ?!」「別に構わないけど」


 驚いている香辻さんと、躊躇わなかった河本くんの声が重なる。二人は気まずそうに見合わせた後、香辻さんが頷く。


「よ、よろしくおねがいします!」


 香辻さんはぎこちなくカクっと頭を縦に振った。

 二人に案内されて校舎のはずれにやってきた。屋外にベンチが置いてあって、他には女子のグループが一組いるだけだ。愛美は教室で友達と食べることが多いので、この場所を知らなかった。


「二人はさー、いつもここでお昼食べてるの?」


 尋ねながら愛美はお弁当袋を開ける。保冷剤がまだひんやりとしていた。


「えっと、相談がある時はだいたい」


 答えた香辻さんは、オオカミの絵柄のお弁当箱をぱかっと開ける。


「香辻さんのお弁当おいしそーっ!」


 ブリの照焼をメインに、アスパラガスの肉巻きや黄身のトロッとした味付け卵、人参と蓮根の煮物、それに炊き込みご飯のお稲荷と彩りから栄養まで完璧だ。しかも、人参が紅葉の形に飾り切りされていたりと細部まで手が込んでいる。


「今日はお母さんが作ってくれて、その、いつもより豪華なんです」


 はにかむ香辻さんは嬉しそうだ。

 本人が少し話してくれたけれど、香辻さんの母親はあまり家にいないらしい。妹さんが有名なフィギュアスケートの選手で、その練習や海外遠征についていっている。


「それに比べて河本くんはさー」

「ん?」


 愛美のジト目に、河本くんが首を傾げる。彼がコンビニの袋から取り出したのは、おにぎりとコロネパンだ。


「もう少し栄養とか考えた方が良いんじゃない?」

「そうなんです! 河本くんは一人暮らしですから、倒れたりしないか心配なんですからっ!」


 香辻さんも力強い援軍を得たとばかりに、河本くんに詰め寄った。


「それなら大丈夫。香辻さんに食生活を注意されてからは、毎朝サプリを飲むようにしてるよ」


 肝心の河本くん本人はどこ吹く風だ。


「サプリ漬けはダメだってー。タンパク質が足りないし、顎の力が弱くなるし、消化器官もいざってときにビックリしちゃうんだからね」


 愛美は自分のお弁当からミートボールを一個とりだして、河本くんの食べかけのおにぎりに、グイッと強引にのせる。


「河本くんにも、おすそわけだよー」


 困り顔の河本くんだったけれど、愛美の眼力に負けてミートボールごとおにぎりをパクリと頬張る。


「うん、美味しい。ありがとう」

「私もどうぞです!」


 慌ててブリの切り身を箸でぶっ刺して、突き出す香辻さん。


「メインのおかずを貰えないって!」


 琥珀色のタレがとろりとタレて美味しそうだけれど、流石に河本くんもこれは断った。


「えっと! なら野菜です! 野菜を食べないと! 健康があぶないっ!」


 テンパった香辻さんが、河本くんのおにぎりにアスパラガスをぶっ刺し、さらに人参をギリギリのバランスでのせた。


「あ、ありがとう……」


 有名料理家の奇抜な料理みたいな見た目になったおにぎりだったけれど、河本くんは美味しいと言って食べていた。


「ちゃんと食べるんだよー。身体を壊しちゃったら、元も子もないんだからね」


 注意する愛美に、河本くんは自信アリとおにぎりを飲み込んだ。


「サバ缶の12個セットを頼んであるから大丈夫」

「魚への信頼感が半端ないねー。でも、野菜もちゃんと食べようね」


 心配しているのが、河本くんはいまいちピンときていないようだ。愛美と香辻さんは視線を交わすと、同時に溜め息をついた。

 河本くんの食生活も心配だけれど、今日一緒に昼食タイムを過ごしている目的は別だ。二人から『その話題』に触れないのなら、愛美自身が斬り込んでいくしかない。


「学校で3人で食べるのって新鮮だよねー」

「そうですね。Vチューバーを始めなければ、ほとんど話すこともなかったかも知れません」


 不思議そうに言う香辻さんに、愛美はどうだろうと微笑む。


「同じクラスなんだし普通に話したりしたと思うけどさ。少なくとも、一緒にネット番組に出るなんて経験はできなかったなー」


 愛美が持ち出した話題に、香辻さんの箸が止まる。

「番組後の食事会、すぐ帰っちゃったのはもったいなかったかな。ケーキもお寿司もいっぱい残ってたし」


「そ、そうですね……」

「でもあんな事があった後じゃ、難しいかー」


 ネット番組に出演した日、ハイプロ社長との口論の後に愛美たちが控室に戻るとなんとも言えない重い空気が漂っていた。特に番組スタッフさんたちが、過剰に気を使っていて食事を楽しむどころではなかった。


「あの時はすみませんでした……自分でも止められなくて……。夜川さんにも嫌な思いをさせてしまってたら」

「そんなことないよー。むしろ楽しかった。感情的になってる香辻さんなんて、学校じゃ絶対に見れないもん」

「あぅっ……あ、アレは……なんというか……色々と重なってしまって…………」


 香辻さんは慌てたあと、魚の骨が引っかかってるみたいに言葉を飲み込んだ。


「三ツ星サギリさんとは、知り合いだったのー?」


 口論の発端となったライバーさんの名前を上げる愛美に、香辻さんは目を伏せる


「……いえ、直接話したりしたことはなくて。でもデビューの時期が近かったり、サギリさんもアオハルココロちゃんの事をよく配信で話題にしてたり、『青春黙示録』の歌ってたみた動画も出してて……私が勝手に親近感を抱いてたんです」

「あたしもサギリさんの動画みたけど、歌とかめっちゃ上手かったんだね」

「そうなんです。綺麗な低音で歌われる方で、好きだったのに……。なぜ引退しなくちゃいけなかったのか……」


 理不尽だと言うように、香辻さんは味付け卵を箸で切る。それを見た河本くんが口を開く。


「ハイランダープロダクションは所属ライバーに対して、ランク制をとっているんだ」

「ランク制って、お給料とか違うってことー?」

「金銭面は分からないけど、サポート体制がぜんぜん違う。例えばSランクの姫神クシナはオリジナル楽曲を三ヶ月に一度は発表しているけれど、Cランクだった三ツ星サギリは歌が上手くても楽曲の提供を受けられなかった。動画にしても、Sランクなら専属のチームが加工も編集も手掛けてくれる。Cランクにはそういう特典はない」


 河本くんの説明に、香辻さんは顔をしかめる。


「企業なら、ちゃんとライバーさんのことサポートしてくれないと……」

「所属の全ライバーにソロ楽曲を提供する『だけ』なら可能かもしれない。でも、PVや宣伝も含めたら莫大なお金がかかる。大量にリリースしたら、どんなに素晴らしい歌や楽曲だったとしても潰し合いになって埋もれてしまう。あらゆる意味で、全員を均等にサポートするのは不可能だと思う」

「……」


 香辻さんの視線は下がっていくけれど、河本くんのちょっとオタクな説明は止まらない


「特にハイプロはリアルイベントを重視しているからね。その出演者を決めるにもランク制は分かりやすい指針になってる。そういう意味では、ライバーやファンにもメリットはちゃんとあるんだ」

「成果主義かー。企業らしい考え方だよね。その分、狭き門って感じなの?」


 愛美の質問に、烏龍茶で口を湿らせた河本くんは頷く。


「Sランクは姫神クシナを筆頭に5人ほど、その下のAランクとBランクが合計で30人ほどで、Cランクが50人だったかな。デビューした時は全員がCランクで、たしか3ヶ月ごとにランク変動があるはず」


 そこで河本くんは一呼吸おく。


「そして、一番下がNランク」

「Nって? Cの次ならDでしょ?」

「ノーマルのN。そして、CとNの間にはそれだけ隔たりがあるってことでもある」


 説明を黙って聞いていた香辻さんが蓮根をつまんだ箸を震わせる。


「サギリさんはCランクからNランクになって……やっぱりそれが理由で辞めちゃったんですか……」

「情報だけから推測すればね」

「応援するのに、ランクなんて関係ないのに……」

「本人には目標があったのかもしれない。SランクやAランクじゃなければ達成できないことだったのかも」


 河本くんは分からないと首をふるけれど、香辻さんは縋るように諦めない。


「でもです、続けていればまたNランクから上がって、SやAを目指せたかも」

「一度Nランクに落ちてから、再び上がったライバーはいない。それだけハイプロは厳しいんだ」

「……っ」


 事実を突きつけられ言葉を失う香辻さんに代わって愛美が首をかしげる。


「さすがにそれってさー、評価システムがおかしくない?」

「一概にそうとも言えないよ。コンテンツに溢れた世の中で、常に視聴者数とその視聴時間の奪い合いが発生してる。これはVチューバーに限った話じゃないけどね。そんな状況でハイプロは新人を多くデビューさせて、視聴者に常に新しい刺激を提供する戦略を取ってる」


 話しながら河本くんは拾った枝で、地面にS~Cのピラミッドを描く。


「あー、それは分かる。新商品とかデビューってついてるだけでも、気になっちゃうよね」

「新人を増やすと、ハイプロ全体での視聴者は増える。一方で、同じハイプロという箱の中でファンの食い合いが発生する。既存のライバーのファンがデビューした新人に流れるわけだけど、これがランク制と結びつくとかなり厳しくなる」


 地面に描いたピラミッドのCランクの下の部分に壁を描いて、『新人』と書き加える。


「新人がデビューしたCランクの壁がどんどん厚くなっていくのに、伸び悩んでいるライバーの視聴者はさらに減っていくという事態が発生してしまう」


 河本くんは『新人』という壁の下にNランクを付け加えた。


「ハイプロが安定してこの戦略をとれるのは、Sランクに人気実力ともに揃っているライバーがいて、ハイプロというブランドを着実に広げ続けているからってのもある」


 最後にピラミッドの頂点にある『S』ランクに、外部からくるファンを矢印で描き加えた。

 その解説イラストをジッと見つめていた香辻さんが、重い口を開く。


「ハイプロという会社の中での三ツ星サギリさんは、河本くんがいま話してくれた通りなのかも知れません……それでも、サギリさんという1人のVチューバーさんがいなくなってしまうのは残念で……寂しいです」


 口惜しそうに零す香辻さんから、河本くんはまるで責められているような表情で顔を背ける。


「……誰も永遠には生きられないし、どんな楽園もいつかは廃墟になる。全てに終わりは来るんだ。来るべきなんだ」


 河本くんの瞳には強い意志がこもっている。まるでここに居ない誰かを見据えているようだ。


「その終わり方が選べたなら幸いじゃないかな。怪我や病気だったり、家族の都合だったり、経済的な事情だったり。続けたくても続けられないより、自分の意志で幕を引けたならその方がいいと僕は思う」

「去る者は追わずですか。引き止めて欲しいと思ってるかも知れないのに……」


 寂しそうに言う香辻さんの姿が、愛美にはうなだれる子犬のように見えた。


「追われる方がツライことだってあるんじゃないかな。出来ることなら全て忘れてしまいたい、誰も自分を知らない場所でイチからやり直したいって思う人だっている、きっと」


 相対する答えをした河本くんは、優しくどこか物寂しい横顔をしていた。

 香辻さんと河本くんは、どちらからともなく食事を再開する。この話はもう止めようと、示し合わせたかのようだった。


(二人の雰囲気が変な理由。ちょっとだけ分かってきたかも)


 愛美はご飯をもぐもぐと食べながら、頭の中を整理する。


(香辻さんと河本くん、それぞれが別のことを抱え込んじゃってるんじゃないかな)


 きっかけは同じことでも、二人の中に生まれた感情や想いはまったく違う物なのかもしれない。


(気持ちの表面が、別の事でコーティングされちゃってるからツルツルと滑っちゃって通じ合えない……)


「うん、分かった」

「えっ?」「んっ?」


 唐突に声を上げた愛美に、二人は驚いて飲み物をこぼしていた。


「あはっ、なんでもないよ~」


 愛美は笑ってごまかし、お弁当のほうれん草のおひたしを一口で頬張った。

後編へ続きます!

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