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#06【LIVE】アオハルココロと灰姫レラ (1)

【前回までのあらすじ】

ついにアオハルココロと灰姫レラの対決の時がきた。

ヒロトと桐子、二人を待つ結末とは?!


最終となる#06は一挙公開です!

 私はどこにも行けないし、


 何者にもなれない、


 ――ずっとそう思ってた。


 中学校に行かなくなって、今日でちょうど半年。

 そんな日のことなんて覚えてなくてもいいのに、私の残念な脳みそは嫌なことばかり引き出しの一番手前に置いている。

 最初はお腹が痛かっただけで、すぐに治ってまた学校に行けると思ってた。

 でも、違った。

 制服が着られない。

 スカートのファスナーは気持ち悪くても上げられる。

 でも、セーラー服が着られない。

 動悸に耐えて袖を通しても、胸のリボンがどうしても上手く結べない。

 指先が記憶喪失になってしまったかのように、リボンをグシャグシャにしてしまう。


 制服が着られないから、私は学校に行けない。


 酷い言い訳だと思うけれど、本当のことだから仕方ない。

 両親も何も言わないし、妹も気にしていない。何か問題を起こすぐらいなら、家に引きこもってくれていたほうが良いと思っているのかもしれない。

 そんな風に考える自分が嫌だ。

 考えだけじゃなくて、自分の全部が嫌だ。

 顔を見るのも嫌で、部屋中の鏡が私に背を向けている。

 問題はパソコンのモニタ。綺麗に見えるからと買った光沢グレア仕上げは、赦なく鏡のように光を反射する。特に真っ黒な画面だと、世界で一番嫌いな顔が映り込んでしまう。

 だからパソコンはずっと点けっぱなし。

 ずっと同じ画面だとここから動けない自分を突きつけられているようで、どんどん気が滅入ってくる。

 だから動画サイトを流しっぱなし。

 笑いもしない主人の気を紛らわせようと、パソコンは動画から動画へと渡っていく。

 その自動再生の果てで、私は一人の女の子(Vチューバー)に出会った。


 彼女はセーラー服を着て微笑んでる。

 ワタシハ、ズット、ワラッテナイノニ。

 なんでこの人はこんなに楽しそうなんだろう。

 ワタシハ、コンナニ、ツライノニ。

 なんでこの人はこんなに頑張ってるんだろう。

 ワタシハ、ナンニモ、シテイナイノニ。

 なんでこの人はこんなに応援されているんだろう。

 ワタシハ、セカイニ、キラワレテイルノニ。


 醜い嫉妬が止まらなくて、生放送中に意地悪な質問をした。


〈Vチューバーをしてて、辛いことや嫌なことはないんですか?〉


 たとえ無視されても、その仮面ペルソナに傷でもつけられればいいと思った。

 でも、彼女は答えてくれた。


『辛いことも嫌なこともあるよ。でもね、きっといつか終わると思う。今はぐっと歯を食いしばって耐えていても、終わった後に笑顔になれればいいかな』


 私の苦しみなんて知らない、ただの綺麗事で終わる――そう思ったのに。


『だから、あなたも諦めないで!』


 彼女はそう付け加えてくれた。

 見透かされていたんだ、私の浅ましい心なんて。

 そんな汚い私を見ても、彼女は、アオハルココロちゃんは受け止めてくれた。


 なりたいと思った。


 空っぽだった私の心に、憧れの火がポッと灯った。

 小さな、すぐにも消えそうなその火を、私は育ててみようと思った。


 彼女みたいになりたいから――。





 今、目の前に扉がある。

 『憧れ』に繋がる扉が桐子を待っている。

 呼吸を整えてトントントンと三度ノックすると、待たずに返事があった。


「はーい、いま開ける」


 厚手の扉がゆっくりと開き、河本くんが顔を覗かせる。


「おはようございます、河本くん」

「おはよう、香辻さん」


 ただの挨拶だけれど、桐子にとってはかけがえのない時。

 これが続くように、『憧れ』と対峙しなければならないのだ。


「あーーー! また名字で呼んでる! 二人とも何度注意すれば分かるの~?」


 桐子の背後にいた紅葉が顔を膨らませる。


「「気をつけます」」


 声が重なった桐子と河本くんは見合わせて苦笑する。今日までの特訓で、すっかり紅葉の言葉に逆らえなくなっていた。


「うんうん、それでよし!」


 二人の返事が気に入ったのか紅葉は大仰な仕草で腕組みをしウンウンと頷きながら、脇を抜けて秘密基地の中へ入っていく。


「ジーーー……」

「僕の顔に朝ごはんのケチャップでも付いてる?」


 見つめたままだった桐子に、河本くんは不思議そうに首を傾げる。


「昨日はちゃんと寝ましたか?」

「ぐっすり。本番の途中で居眠りしないよ」


 答える河本くんの顔はいつも通りだ。穏やかに笑って、ちょっと何を考えてるのか分からないけれど、真っ直ぐに先だけを見ている。


「ドクターチェックはオッケーです」

「試合前のボクサーの気分だよ。リングに上がるのは僕じゃないのに」


 苦笑いしつつ河本くんは、桐子を秘密基地の中へ導いた。

 地下室はいつもより少し暖かい気がする。河本くんは配信機材だけでなく、温度と湿度も整えてくれていた。


「お姉ちゃん、ストレッチしよ!」

「うん」


 靴を脱いでベースステーションに挟まれたマットに上がる。

 屈伸から始めて身体をほぐしていく。前屈をすると人差し指の先が、ギリギリでマットに届かないぐらいだ。隣でY字バランスをしている紅葉ほどではないけれど、5日間のトレーニングで自分も少しだけ柔軟性が身についている気がする。


「急いじゃダメだよ、お姉ちゃん。アップはゆっくりじっくりね」


 紅葉はそう言いながら桐子を正座させる。


「いくよー。せーの!」


 二人で背中を合わせてから、紅葉が手首を掴み、桐子の身体を背中に乗せるようにして引っ張った。


「んっ……あんっ……んぅっ、んんんっ……んぅっ」


 背中がエビみたいに反って、口から吐息が漏れていく。


「お姉ちゃん、ストレッチ中にエッチな声が出るの直らないね」

「それ言わないの! ヒ、ヒロトくんに変に思われちゃうから……」


 しつこい妹に辟易しながら、ちらりと横を見る。河本くんはスマホでどこかと連絡をとっていて、二人のストレッチは見ていなかった。


「残念だったね、おねえちゃん」

「『何』がかな?」


 仕返しとばかりに今度は桐子が腕を引っ張り、紅葉の身体を反らすけれど、身体が柔らかい妹は吐息の一つも漏らさない。


「お姉ちゃん、やったな~。それっ、お返しだ!」


 紅葉は桐子ごとゴロンと転がると、アマレス選手も顔負けの俊敏さで桐子の背後をとっていた。そのまま、桐子の股を開かせると、グーッと背中を押し始める。


「んひぁっ! いだだだ! だ、だめぇえ! 股さけちゃぅうう!」

「それそれ~」

「んひぃいぃ! ギブ! ギブアップぅうう!」


 悶絶する桐子の身体を、紅葉はあの手この手のストレッチで弄び続けた。

 つま先から首まで時間をかけてほぐし、身体がポカポカと熱くなる。


「うん、こんなものかな」

「ふぅ……ありがと、紅葉」


 固まっていた歯車に油をさしたみたいに、身体の動きが軽く滑らかになった気がする。身長も1センチぐらいなら伸びているかもしれない。


「次は声出しでしょ、お姉ちゃん」

「うん、まずは深呼吸をして肺にいっぱい酸素を……すぅーーー」


 桐子が空気を思いっきり吸い込んだ時だ。

 ガンガンガン、ガガガンガンと地下室の扉が激しく蹴られる音がリズミカルに響いた。


「ぶはっ! げほっげほっ……だ、誰ですか?」


 桐子がひとしきり咽ていると、守るように紅葉が一歩前に出る。


「うっさいなー! ノックはもっと静かにぃっ!」

「紅葉のノックもあんな感じだけど」


 自分のことを完全に棚に上げている紅葉は気まずそうに、桐子の視線から逃れる。


「ヒロト、開けろーーーー! こっちは手が塞がってんだよーーー!」


 ハスキーな怒鳴り声が、厚い扉越し届いてくる。


「ふー、なんとか間に合ったか」


 警戒する桐子たちとは対照的に、河本くんは安堵に胸を撫で下ろしていた。


「お姉ちゃん、誰?」

「さあ?」


 首をかしげる姉妹に、河本くんは「あっ」と小さく声を漏らす。


「そういえば、スミスが来るって言ってなかったね」


 河本くんが扉を開けると、段ボール箱を抱えた人物がドスドスと大股で地下室に入ってきた。


「とっとと開けろよな」


 文句を言いながら抱えた段ボール箱を、その人物は脇のカウンターに置いた。

 身長は170センチを越えているだろう。紅葉が思わず「でかっ」と呟くほどだ。

 サングラスに黒のライダースジャケット、前髪から後ろにかけてボリューム感のあるポンパドールリーゼント、シルバーのピアス、背中にギターケースを背負っているというロックンロールな出で立ちだ。

 年齢はたぶん20歳前後、

 ――の女性だ。


「紹介するよ、作曲家のブラックスミス」

「ういーっす。今日はよろしくな」


 スミスさんはサングラスを外して迫力のある三白眼を桐子と紅葉に向けた。


「ええええっ! スミスさんって、女性だったんですか!」

「あれ、聞いてなかった?」


 驚いている河本くんの横で、スミスさんは声に出さずに笑って悪戯の成功を大げさに喜んでいた。


「聞いてません! アバターも声も男の人っぽかったからてっきり……」


 ずかずか近づいてきたスミスさんが桐子をジロリと見下ろす。


「こっちのチンチクリンがフリフリで」

「お、お世話になっていおります!」


 頭上からの威圧感に桐子は慌てて頭を下げる。


「で、そっちのDLC衣装みたいなチンチクリンは?」

「香辻紅葉さん。桐子さんの妹さんで、灰姫レラの振り付け担当」


 河本くんに紹介された紅葉は値踏みするように、スミスさんを足から頭まで見上げる。


「ん、どうした?」


 スミスさんが怪訝そうな表情をすると、紅葉は口元に笑みを浮かべてスミスさんのポンパドールを指差す。


「頭に鳥乗っけてる~」

「あぁああっ?! んだと、てめぇ!」


 一瞬で沸騰したスミスさんが青筋立て、紅葉にガンを飛ばす。


「格好のことを言ったの、そっちが先でしょー」


 譲れない紅葉は一歩踏み出し、スミスさんを見上げて睨む。


「うるせー、チビキャラに比べてデカキャラはだいたい恵まれてねーんだよ!」

「はぁっ? 何いってんの?」


 紅葉はこれみよがしに首をひねってみせる。


「てめぇ、ゲームやんねえのか?」

「スマホで少しぐらいはするけど。パズルのやつとか」

「あー、これだからスマホでソシャゲとかやってる奴は! いくら課金しただの、くだらねえ! コントローラーを握らない奴は何やってもダメなんだ!」

「少しって言ったでしょ! そっちこそ見た目もやってることもオタクじゃない! あっ、だからお姉ちゃんに変なゲームやらせてたんだ!」


 おそらく『メロディシューター』の事を言っているのだろう。


「変なゲームじゃねえ、立派なトレーニングだ! そっちこそ、スケーターだか、シューターだか知らねえが歌のトレーニングの邪魔しやがって! フリフリに変なリズムを教えんじゃねえ!」

「そっちこそ、変な歌い方教えて、お姉ちゃんのダンスの邪魔しないでよね!」

「二人ともストップーーー、もうすぐ本番!」


 桐子が仲裁に入るけれど、二人の睨み合いは激化の一途をたどる。


「この頭鳥女が先に文句つけてきたじゃん! それにお姉ちゃんのことチンチクリンって!」

「チンチクリンはチンチクリンだ! 嫌なら背、伸ばしやがれ!」


 お互いに一歩も引かずに一触即発状態だ。


「喧嘩しないでーーー! ヒロトくんも見てないでーーーー!」


 助けを求めた河本くんは、桐子たちのやりとりを見ながら声を出さずに笑っていた。


「スミス、例のブツはその段ボールの中?」

「お、そうだった。苦労したんだぜ。ギリギリになっちまったが、なんとか手に入った!」


 諍いなんて無かったかのようにケロッとしたスミスさんは、段ボール箱を開ける。

 ケーブルがごちゃごちゃと付いたグローブやベルトが無造作に数セット入っていた。


「精密機器を雑に突っ込んで……」

「文句言うんじゃねえよ。品薄なのをコネつかって揃えたんだからな」


 呆れる河本くんにスミスさんは眉を吊り上げる。


「ねー、このロボットの残骸みたいのなに?」

「対決とくれば、最終決戦装備に決まってんだろ!」


 覗き込んだ紅葉に、スミスさんはフンと鼻を鳴らす。説明になっていない答えに、河本くんが説明を引き継ぐ。


「モーションキャプチャースーツ。数十個の小型センサーで全身の動きをデータ化して、3Dのアバターと連動させられる」

「お姉ちゃんがいつも使ってたこっちじゃダメなの?」


 紅葉はテーブルに置いてあるトラッカーのセットを指差す。


「ダメじゃないけど、これを身につければダンスみたいな激しい動きから、指先の精密な動きまでより正確に表現できるんだ」

「なるほろ~。パフォーマンス対決にぴったりだね」


 納得して頷く紅葉に、スミスはどうだ凄いだろと胸を張る。


「だから最終決戦装備だって言っただろ」

「はいはい、そうですかー」


 また睨み合いを始めそうな紅葉とスミスさんを尻目に、河本くんは雑に放り込まれていたモーションキャプチャースーツをケーブルが引っかかったりしないよう丁寧に取り出していく。

 スーツと言っても、グローブ以外はセンサーとそれを固定するベルト類の集まりだった。


「スミス、桐子さんが身につけるの手伝ってあげて」


 河本くんは段ボール箱の中で絡まったケーブルを解きながら言った。

 桐子はスミスさんの手を借りて、モーションキャプチャースーツを身に着けていく。センサーの装着箇所が増えただけで、順番さえ間違えなければ難しいところはなかった。


「あの、ほとんどぶっつけ本番で大丈夫でしょうか?」


 手につけたグローブを握ったり開いたりしながら、桐子は心配を口にした。


「VRM系の汎用規格に対応してるからプログラムは何の問題もないよ。機器自体も前に使ったことあるからね」


 河本くんが言う『前』とはアオハルココロちゃんのことだろう。


「一応聞いておくと、このスーツお高いのでは?」

「気にせず、香辻さんはスーツを使い捨てるつもりで思いっきり踊ればいいよ」


 具体的な金額を河本くんは言わなかったけれど、桐子の記憶では1セットでウン十万するはずだ。


「ビビんなってフリフリ! ちいせえ事を気にしてる暇があったら、声のウォーミングアップすっぞ!」

「あ、はいっ! よろしくおねがいします!」


 余計な考えを振り払おうと桐子はお腹から声を出して返事をする。


「微調整するから、声出ししながら適当に動いてて」


 そう言って河本くんはパソコンに向き合い、設定を始める。


「首のストレッチはやったか?」

「はい、やりました!」

「じゃあ、先ずは口を思いっきり開けて、舌出せ!」

「はい! んんっ!」


 特大のあくびでもするように大きく口を開いて、舌をおもいっきり突き出す。


「10秒キープ!」

「はひぃ!」


 舌の裏側がぐっと伸びるイメージだ。


「お姉ちゃん、なんかエッチだね」


 余計な茶々を入れてくる紅葉を無視して、突き出した舌に力を入れて10秒堪えて、一度弛緩させる。これを3セット繰り返す。


「舌を回せ! デッカイ飴玉舐めるみたいにだ!」

「はいっ!」


 さらに舌を口の中でグルグル回す。左回転、右回転をそれぞれ10回ぐらい。舌先だけでなく根本を意識しながら。


「よし、次はリップロールだ! 唇動かせ!」

「はい! ブルルルルル」


 桐子は唇を閉じたまま空気を吹き出し唇を震わせる。最初の頃はプスプスと空気が抜けるだけだったけれど、トレーニングの甲斐あって連続して音が出せるようになっていた。


「よし、そのまま音程合わせろ」


 秘密基地に準備してあったシンセサイザーのキーを、スミスさんが叩いていく。

 最初は低いキーから徐々に高く。桐子はその鍵盤に合わせ、ハミングの要領で発する音を調節していく。扇風機の前でアーーーと言いながら声を上下させるような光景だけれど、これをするだけで唇や表情筋の動きがずいぶんと変わってくる。

 ウォーミングアップをしつつ、モーションキャプチャーの調整をしていると時間はあっという間に過ぎていく。

 緊張を解そうと三人は絶えず桐子に話しかけ続けてくれていた。


「お姉ちゃん、いい感じで身体動いてるね」

「フリフリ、今日は割と声出てるじゃねえか」

「プログラムに問題はないよ、桐子さん」


 この時間がずっと続けばいいのに――。

 しかし『鐘』は鳴ってしまう。


「アオハルココロ側から招待が届いた。本人はもうVRワールドで待ってるって」


 本番まで後20分、ウォーミングアップは十分に出来ていた。


「準備はいい、桐子さん」

「は、はい!」


 心配をかけまいとした桐子の声が少し上ずってしまう。


「待った! みんなで円陣組もう!」

「お、いい事言うじゃねえか妹」


 元気よく手を挙げた紅葉に、スミスさんも意外と乗り気だ。

 異論はないと河本くんもオペレーター席から立ち上がり、収録スペースであるマットの上にあがる。


「はいはい、肩組んで!」


 まずは紅葉の伸ばした手に、スミスさんが若干屈んで肩を貸す。


「隣でいいかな、ヒロトくん」

「もちろん」


 桐子と河本くんが肩を組む。

 最後に桐子と紅葉の姉妹、河本くんとスミスさんのコンビがそれぞれ肩を組んで四人の小さな円陣を形作った。


「それじゃあ、灰姫レラさんから一言おねがいします」

「えっ! わ、私?!」


 河本くんの無茶ぶりに狼狽える桐子。それを見て紅葉とスミスは揃ってニヤニヤと笑っていた。


「えっと……本日はお日柄もよく」

「お姉ちゃん、長くなっちゃうよ!」

「あっ……その…………あ、ありがとうございます……………………」

「それだけじゃ寂しいよ、お姉ちゃん」

「えっ、やっ……今日までとっても楽しかったです。わ、私は……もっとVチューバー続けたいです! ヒロトくんと! みんなとっ!」


 意気込みとかを喋るべきだったのだろうけど、不思議と頭の中に目の前の対決のことが浮かばなかった。


「さ、最後はヒロトくんも! 一言!」

「僕も?!」

「灰姫レラのプロデューサーなんだから、と、当然です!」


 自分の言葉じゃ締まらないと、桐子は河本くんに無茶振りした。


「……桐子さん」

「は、はい!」


 改まった口調に桐子は思わず背筋を伸ばした。


「僕をもう一度、夢の中に連れてきてくれてありがとう」

「……ど、どういたしまして」


 照れてしまって桐子も上手く返せない。

 変な沈黙が続いてしまう。


「うーん、なんか辛気臭くて締まらねえな。もうちょっとなんか言えよ、ヒロト」


 スミスさんの言葉に困った河本くんは、三人を見回して小さく頷く。


「勝とう」


 短く真っ直ぐな言葉。

 『勝ちたい』という願望でもなく、

 『勝つ』という意思表示でもなく、

 『勝とう』という前に進む言葉が河本くんらしかった。


「よし、勝って祝勝会に焼き肉行くぞーーーー!」


 我慢できなかったのかスミスさんが叫ぶ。


「おーーーーーーーー!!!」


 それに笑いながら三人も声を重ねた。



 四人それぞれが配置についたところで、桐子はHMDを被る。

 前面カメラが映し出す現実世界の中に、VRワールドへの扉が浮いていた。

 配信はアオハルココロちゃんが用意したVRワールドと彼女のチャンネルを使って行われる。


「灰姫レラ、入ります!」


 桐子の合図で河本くんがログイン処理を行うと、仮想の扉が開き灰姫レラのボディを飲み込んだ。

 明滅の後、地下秘密基地の落ち着いた照明から、VRワールドに放り出される。

 そこは白い空間だった。

 方眼用紙のようにマス目状の線が、遥か彼方の地面まで引かれている。このマス目がなければ平衡感覚が狂わされて、自分が立っているのか、空中に浮いているのか分からなくなりそうだ。

 殺風景と呼ぶにしても、あまりにも何も無い。

 ライブ配信開始までのタイマー表示だけが空中に浮き、世界の終わりをカウントダウンしている。

 その虚無の世界で『彼女』は待っていた。


「こんにちは、灰姫レラちゃん」


 アオハルココロちゃんが、桐子だけに向かって笑いかける。

 VRボディに宿った本能とでも言うのだろうか、全てのVチューバーに君臨する王を前にして、桐子の心は震えていた。

 歓喜とも、畏れともつかない感情が津波となって押し寄せてくる。

 少し前の自分だったら、きっと卒倒してしまったはずだ。


「お待たせしました、アオハルココロちゃん」


 でも今の自分は、まっすぐに『憧れ』を見つめて応えることができる。


「髪、切った?」

「へっ? 切ってませんけど……?」


 桐子は思わずリアルボディの髪の毛に触れる。もちろん床屋さんには行っていない。


「雰囲気が変わったから。以前に会った時は泣き出す寸前の迷子みたいだったのに、今は別人みたいに堂々としてわたしの前に立ってる」


 アオハルココロちゃんは桐子の目の前まで来ると、フフッと優しく微笑む。


「頑張ったんだ、ヒロトと」

「はい! でも、ヒロトさんだけじゃありません。スミスさんと私の妹がいっぱい、本当に沢山助けてくれました」

「……そっか、灰姫レラちゃんは心強い仲間を手に入れたんだ。まるでRPGみたいに……」


 アオハルココロちゃんは少し寂しそうに頷く。


「あなたが勇者なら、私は魔王ね!」


 顔を上げたアオハルココロちゃんは楽しげに笑い、新しい遊びを見つけた子供みたいに声を弾ませる。


「よくぞここまで辿り着いた、灰姫レラよ」

「ふへ? なんでいきなり他人行儀に?」

「お決まりの台詞だから、最後まで聞く!」

「は、はい!?」


 アオハルココロちゃんが何をしたいのか分からず、桐子は突然の小芝居に首を傾げる。


「もし、わたしの味方になれば、世界の半分をあなたにあげる」

「この真っ白なVRワールドの半分ですか?」


 周囲を見回す灰姫レラに、アオハルココロは察しが悪いと首を振る。


「わたしの持ってるモノの半分。Vチューバーとしての人気に、地位と名誉、それにお金も。アオハルココロのぜ~んぶを、わたしとあなたで半分こするの」

「そんなこと出来るはずありません」

「それが出来るのがVチューバーのいいところ。ちょうど、わたしとあなたは声質がよく似てる。専用のプログラムを使えば、もっと近づけられると思わない?」


 悪巧みを隠すようにアオハルココロちゃんは声のトーンを落とす。


「それって、まさか……私がアオハルココロちゃんの『中』に『転生』するってことじゃ……」

「正解♪ 二人で一人のアオハルココロ。面白そうでしょ?」


 無邪気に笑うアオハルココロちゃんを前に、桐子の身体は背筋に冷たいものを感じた。


「絶対に駄目です! わたしがアオハルココロちゃんになるなんて……そんなの……」

「Vチューバーがキャラを変えたり、路線変更するなんてよくあることじゃない。灰姫レラちゃんみたいにね」

「わ、私は……」


 否定できない桐子に、アオハルココロちゃんは優しく手を差し伸べる。


「ファンのみんなだって、きっと新しいアオハルココロを気に入ってくれる」

「でも……」


 桐子はアオハルココロちゃんの手から逃れるように、右を向く。リアルの世界では、その先のオペレーター席に河本くんが座っている。


(なんで何も言ってくれないの?)


 二人の会話は聞いているはずなのに、河本くんは黙っている。


「そこにヒロトがいるんだ」


 『灰姫レラ』の視線に気づいたアオハルココロちゃんが、なにもないVR空間に向かって話しかける。


「ヒロトも他の二人も、うちの事務所に来ればみんな一緒!」

「みんな一緒……」


 アオハルココロちゃんの発した言葉に心がざらつく。


「そう! みんなが絆で繋がって、みんなが仲良くする世界! 一緒に創りましょ」


 もう一度差し出された手。

 その手を掴めば、きっといろんな苦しみから開放される。

 何をしても、

 誰にも見てもらえない、

 気づいてさえもらえない、

 そんな寂しい思いをもう二度としないですむ。

 けれど――。


「……嫌です」


 桐子はアオハルココロちゃんの手を振り払う。

「私、みんなが仲良くする世界なんて要りません! 喧嘩したり、分かりあえなかったり、誰かと比べて辛い思いをしても……それでも自分が自分でいられる世界がいいんです!」

 『昔』には戻りたくなかった。

 他人の顔色ばかり窺っていたあの頃には――


「そっか……残念」


 言葉と裏腹に、アオハルココロちゃんはどこか嬉しそうだった。

 頭上のタイマーが1分を切る。

 配信用のVRカメラが次々空中に現れ、配信チェック用のVRモニタがその後ろに大きく表示される。


「今日であなたのパーティは解散。勇者灰姫レラの物語はここで終わり。魔王アオハルココロが世界征服しちゃう」


 アオハルココロちゃんはその場でくるりと一回転して、両手をひろげる。

 待機中の視聴者のコメント欄が表示され、配信が始まっていないというのにライブ配信の投げ銭で次々にフラワースタンドが立っていく。


「灰姫レラ(わたし)の物語は終わりません! 終わらせたりしません!」

「なら、死力を尽くしてかかってきなさい、灰姫レラ!」

「はい! 全力で勝ちにいきます、アオハルココロちゃん!」


 そして、ライブ配信が始まる。

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