クライム・ディベート・サークル 第三章『垂れ下がるザイル』
第三章目です。これから最終章まで一気にたたみかけて行きたいと思います。
第三章『垂れ下がるザイル』
その日の学校はいつもよりも騒がしかった。
明らかに学校で事件が起きたことを意味する形跡が一般生徒にもわかる形で、あまりに目立つ格好で残されていたからだ。
学校の高校生たちが通う西棟の二階『地学研究室』
普段は登山部が活動しているその教室の窓から備品であるザイルが垂れ下がっているのが発見されたからである。
いつもの白ジャージを着た生徒指導の体育教師が人払いをしている。
「あんまり近づくんじゃないぞ、今朝の全校集会で校長先生かあらこの事については説明がある。登校した生徒は速やかに自分の教室に向かい、その時間を待つように」
そんな時でも雄介と共に登校していた僕を見つけるや否や、声を掛けて来た。
「おい! 坂東和樹、いつになったらその金髪染め直してくるんだ!」
一瞬僕に群がる生徒たちの視線が集まるが、すぐに彼らは垂れ下がるザイルに向き直った。
こんな時でも注意を忘れないその生徒指導魂には頭が下がる一方だが、今は人払いが優先でそれ以上注意されることはなく、僕達も教室に向かい全校集会の時間が来るのを待つことになった。
全校生徒が体育館に集められる。僕は少し前に並んでいる雄介に目をやると彼は不敵な笑みを浮かべていた。
きっとすでに事件の経過が手に取るようにわかっていて、僕とのディベートを楽しみに待っているんだろうなあと思った。
校長から話された内容はこうだ。
昨日の深夜帯に学校に不審者が侵入したので、各々の私物等に盗難品が無いかの確認をする事、それを発見次第担任教師に伝えるようにとの注意喚起だった。
幸い、生徒、教師の私物が盗難されたという報告が無いままその日は放課後を迎えた。
そして当然、今回の事件についても僕たちのディベートは行われていた。
「今回の事件は実に良いな、正にこれを解き明かす事こそCDSの本質とも言える」
雄介は目を輝かせながらそう言った。
「確かに今回は僕たちの事だけでは無くて周りを巻き込んだ『事件』だったからね、でも誰も取られたものは無かったみたいだし、まずは何よりだなあ」
「ああ、犯人の目的は盗難では無かったみたいだな」
雄介は氷砂糖を口に一つ放り込んでそう言った。
「俺は、夜の学校に侵入した人物は、やはり登山部の人間だと考えている。ザイル自体は誰でも扱えるものだと思うがそれを使って学校を脱出せざるを得なかったということは、犯人はよっぽど追いつめられた状況にあったんだろうな」
僕は静かに頷いて雄介の話に耳を傾ける。
「焦っていたのにも関わらず、部室にあるザイルを使って冷静に対処した。しかも四メートルほどある高さの窓からの脱出だ。普段この道具を使い慣れている人間でなければ『物』を抱えたまま降りる発想は出来ても、実行できる人間は限られてくるだろう」
「物? やっぱり何か学校から何か盗まれたのかい、そんな話は誰からも聞いていないけどなあ」
「盗難ではなく私物だろうな、それにあくまでその日のうちに持ち帰らざるを得なかった物、ムギなら何が思いつく?」
僕は首を捻りながら考える。教科書や父兄に見せるプリントの類をわすれたとかか? でもそれは朝早く投稿して回収すればいいだけだ、犯人にとってもっと緊急性のある物とは何だろうか……
「犯人にとって非常に大切な物…… それか学校側にみつかったら厄介な事になる物だよね。それを回収に来たと考えるのが自然なんだけど、僕の頭じゃその日のうちに持ち帰らなければいけない物なんて思いつかないなあ。今日の休み時間に登山部の友達とも話をしたけど、彼も盗難されたものは何もなかったと言ってたよ」
かといって彼が嘘をついていないという証拠になるものは何もなかったが。
「冷静に答えたその友達をムギは怪しまなかったのか? ともあれ今回の事件で不可解なのはどうして学校が閉まった真夜中に侵入したかだ、前の飲酒事件のように昼休みに起きたならば事実隠蔽の為に焦って回収する気持ちもまだわかる。だが今回は部室の中だけで完結した出来事であり、部活動の為に合鍵を持っている人物が、朝練を口実に真っ先に登校して回収すれば良かったんじゃないかと考えたんだが、どうやら普通の『物質』では無かったというのが俺の見解だ。
普通の物質ではない…… とすれば答えは僕にも見えてくる。
「動物か……」
「そうだムギ、おそらく登山部は隠れて拾って来た捨て犬、もしくは猫を飼っていた。それも生まれて間もない動物だったんだろう。周囲の教室から鳴き声を聞いたものがいない事からその動物は段ボール箱の中で飼育されていたと推測する。犬の方が鳴き声がでかいからきっと猫だな」
「確かにそれなら学校に置いとく訳にはいかないもんね」
「ああ、おそらく登山部員は持ち回り制で子猫の入った段ボールを持って帰宅する決まりがあった。しかし、この日犯人は自分が当番であったことを帰宅してから思い出したんだろう。だから夜の学校に侵入して部室に行き、子猫を回収した、だが運悪くそのタイミングで宿直の教師が深夜の見回りに部室の近くまで来たんだ。教師が隣の教室のドアを捻る音が聞こえた時、犯人は焦った。自分が部室のドアの鍵を閉め忘れていたことに気付いたからだ。急いで窓を開け、ザイルを掛けて段ボールを抱えたまま夜の学校から逃走した。校長が深夜に不審者が侵入したとはっきり言ったのと盗難事件に重きを置いたのは、その時宿直の教師が段ボールを抱えて校庭を走り去る生徒の後ろ姿を懐中電灯で照らしてみたんだろうな。だから警察に連絡せずに、学校だけの問題として処理しようと考えたわけだ」
雄介は自分の顎に手を当て、首を捻りながら話を続けた。
「俺に理解できないのは何故わざわざ当番制にしてまでその子猫を持ち帰らなければならなかったのかだ。昼間は段ボールで飼っていて、隣の教室まではその鳴き声も届かない、ならばエサやミルクでも残しておけば勝手に食べるだろうに……」
そしてひとしきり自分の推理を終えると立ち上がりタープの外に出て、お決まりのセリフを言った。
「ムギの見解を聞かせてくれ」
僕は雄介に一つ質問する。
「雄介は動物を飼ったことが或る?」
「いいや、一度もないな」
そう雄介は即答した。
「じゃあ子猫の鳴き声が小さいというのは予想か…… 確かに犬に比べれば猫は生活音が小さい、動物禁止のアパートで飼っていてもばれないという話もよく聞くからね、それでも意外と子猫の声って高くて通るよ、普通に元気な子猫だったら鳴いたり壁を引っかいたり、ほぼ放課後の部活動にしか使われていない教室だったとしても、以前から飼われていたなら教室の前を通った人間が何かの拍子に気が付くことがあるんじゃないかな」
雄介はいつものようにポケットからチョークを取り出し床にメモを記し始める
「僕の見解では恐らく、子猫は瀕死の状態だった。それこそ鳴き声を上げることも出来ない位に、だから部員たちは休み時間毎に様子を見に行ったりしていたんじゃないかな?そして自分たちが目を離した際に子猫が死んでしまうことを恐れた。だから持ち回り制で終えに連れ帰ることにしたんだ」
雄介が口を挟む。
「そんなことをしてもいずれ誰かにばれるだろう、なぜもっと早く里親を探さなかったんだ?」
「多分探していたのかもしれないけど、学校に持ち込んでしまった以上、大っぴらにその活動が出来なくなってしまったのと、きっと部員全員がその子猫に情が移ってしまった事もあるんだろうね、今までばれずに飼えていたんだからこれかあらも大丈夫だと思ったのかもしれないし」
僕が話し終えると、雄介はチョークをポケットにしまい直し、向かい合わせのベンチに座った。
「不合理的だな、俺には理解できん」
そして氷砂糖を口に放り込んだ。この行動が雄介の何かしらの考察が終わっていない事を意味していた。
「なあムギ…… 話は変わるが、今この街では大きな事件が起きてるんだ」
真剣な顔をしてそう言う雄介。
「それって殺人事件の事だね、二件も立て続けに起きているから学校中で噂になっているね」
「うむ、しかし犯人の行動基準が見えてこないんだ……」
雄介は少し憂いのような表情をして、僕の瞳をのぞき込んだ。
雄介の見せたその表情に僕は慄然した。彼にとっては事件とは自分の高性能な頭脳をフルに活用できる唯一の玩具であり、いつも楽しそうに真相究明に心血を注ぐ。しかしこんな雄介の顔は未だかつて見たことが無かった。雄介がはっきりと『犯人の行動基準が見えてこない』と口にした以上、現行については何かしらの目星は付いているのだと思うのだが、はっきりとしないその口ぶりからは、まだ雄介にもわからない不確定な部分が多く残されているのだろうと僕はその時感じた。
「まあいい、今回は登山部の犯行動機がわかったからな。今日はこれでお開きにしようか」
そういうと雄介は荷物を纏め、屋上の出口へと向かう、僕も急いでそれを追いかけた。
何かがおかしい、雄介が事件の全貌を口にしないなんてことは今まで一度も無かった。
それだけこの事件が難解なものなのか、それとも……
まだ、終結していないのか……
それが僕の恐怖心を煽った。
そしてその予感は現実のものとなる。
登山部の事件解決から三日後、再びこの街で事件が起こった。
被害者の名前は『鈴木新』
彼は今春、県外から大学に引越すためにこの街に引越してきた大学生で、死因は登山用のザイルを使った首つりによる縊死だった。
自宅のアパートの二階ベランダで発見され、自殺と判断が下った。
全五話の構想です。