一、私の知らない貴方
「で、連絡先とかは聞いた訳?」
「そんなこと出来るわけないじゃん。何時も会える訳でもないし……」
残りの夏休みを例の喫茶店で過ごすようになってからは、受験勉強もはかどり時間が経つのもあっという間だった。その上通いつめた甲斐あって、彼の名前や、彼があの店の正式な店員ではないことも分かった。どうにも彼の本職は、喫茶店の上階の事務所にあるらしい。
店に顔を見せるときは何時も厨房の横の階段を降りてくるし、店が混んで忙しい時間帯によく現れることが多い。時折お客として珈琲や軽食をとりに来ることもあった。
そんな彼の様子を観察しながら過ごした残りの夏休みは私にとってとても有意義な時間だった。
そして夏休みのあけた今、人の心境の変化に目敏い友人に、夏休み中に何かあっただろうと言い当てられ、一から説明したところこうなったのである。
「決めた。今日の放課後行こうよ、その喫茶店」
一度言い出したらきかない友人のことだ……私が何を言おうと意味がないことは何より私がよく理解していた。連れていくしかない。
「アオイさんに会えたとしても、変なこと言わないでよ?」
「分かってるって」
平日の夕方なんて、彼に会える可能性を考えると極めて低いのだが、そのことはそっと私の心内にしまっておいた。会えなくてもケーキのひとつぐらいを奢れば彼女なら綺麗さっぱり忘れてくれるだろう。現にあそこのチーズケーキは絶品だし。
重い腰を泣く泣く上げて喫茶店へ向かった放課後、足取りの軽い友人とは裏腹に私にはおそらく負のオーラが漂っていたことだろう。