零、出会い
見上げればただそこには真っ青に澄んだ空が広がっていた。所々に散りばめられたお飾り程度の白い雲には少しも興味が湧かなかった。
アオイ。
私が知る彼の唯一の部分。名前か名字かも分からないけれど確かにあの喫茶店の女主人がそう呼んでいた。アオイ君、と。
初めて会ったのは、暑さの残る八月下旬のこと。受験勉強に早くも飽きが来て、図書館への道を少し逸れた所に、そこはあった。
そして、彼がいた。
少しでもアスファルトの熱を下げる為、彼は店の前にホースで水を撒いていた。特に変わった情景でもなければ興味を引くような動作をしているでもない……
そんな彼に見惚れてしまったのは、多分その時の暑さも少しぐらい手を貸していたに違いない。
白いワイシャツの袖をたくしあげて、黒いズボンに同じく黒のダブリエ。周りを行く人々はハンカチを片手に酷く暑そうなのに、彼は汗ひとつかいていず、とても涼しげだった。
一通りの作業をやり終えて店の中へと入って行った彼の背中に誘われるように私はその喫茶店に足を踏み入れた。静かにジャズの響く店内は、少し控えめに冷房が入れられているだけの空間。けれども、優しく風が流れてとても居心地の良い所だった。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から聞こえた耳障りの良いアルトの響きに意識を戻す。さっと店内を探ると、彼の姿はもうなかった。