帝国宰相は動かず
帝国宰相は文書を手に、「ハテ」と怪訝な表情を浮かべている。それは、そうだろう。コーブ事務局次長から渡された文書は、そもそも意味のない怪文書の類なのだから。
わたしはおもむろに、帝国宰相の耳元に口を近づけ、
「実は、その、なんだか分からないところが、一種の隠語・暗号なのです。放置すれば、教団は近々、帝都で暴動・破壊活動などを始めるに違いありません」
しかし、帝国宰相は「うーん」と首をひねり、
「じゃから……、連中が近々そういう騒乱行為に及ぶのであれば、その明白な……、誰が見ても明らかな証拠、確たる証拠がほしいのじゃ。この前も言ったであろう」
「確たる証拠ですか。確かに、わたしもそう思いますが……」
すると、帝国宰相は、ギロリと鋭い眼光でわたしをにらんだ。なんだか、雲行きが怪しくなってきたような雰囲気。このまま話を続け、文書の出所や入手の経緯等を訪ねられては、面倒なことになる。ここは、「玉の早逃げ八手の得」の精神でいこう。
「承知いたしました。次回は必ず、帝国宰相の期待に添うものを手に入れてまいります」
わたしはプチドラを抱き、帝国宰相に深々と一礼すると、くるりと向きを変えて足早にその場を離れた。
そのまま宮殿の長い廊下を進むこと数分、帝国宰相の姿が完全に見えなくなったところで、わたしは(いつもの癖で)手近にあった物陰に身を隠し、
「ふぅ~、やっぱりダメだったわね」
「ダメだろうね、あれでは……」
プチドラはため息をついて、わたしを見上げた。心なしか、プチドラの口調や視線が冷ややかな感じがする。
わたしはプチドラを自分の顔の高さまで持ち上げ、
「でも、帝国宰相は、あれでいいのよ。怪文書の類を真に受けるとは思っていないわ。問題は、ツンドラ侯。あの人をだまくらかして、調子に乗せて、教団への挑発行為をしてもらうの。もちろん、可能な限りゲテモンには話を持って行かない方向でね」
「う~ん、うまくいくかなぁ……」
プチドラは首をかしげ、腕を組んだ(なおも懐疑的な様子)。
わたしはプチドラを抱き、宮殿の長い廊下をゆっくりと歩き出した。いつもの御都合主義であれば、そろそろツンドラ侯にも出会うはず。ニューバーグ男爵に急かされ、廊下を猛スピードで走ってくるのが、通常の登場パターンだが……
「おかしいわね。今日は、どうして……」
「そうだね、今日はツンドラ侯、どうしたのかな」
プチドラを抱いて歩き回ること十数分。いつもなら向こうから問答無用でやって来てくれるのに、今日は、どういうわけか、ツンドラ侯の影も形もない。
「少し休憩するわ」
わたしはヘタリと廊下に座り込んだ(行儀が悪いのは分かってるけど、誰も見てないし……)。




