第4話 館長の心
エルミタに案内されたのは、美術館の一番奥にポツリとあるドアの前だった。
絵と絵の間のある壁色と同系色ドアは、一見しただけでは特別だなんて思えない。
エルミタは何も言わずにそのドアを開けると、中に足を踏み入れる。
コカゲもそれに続いた。
「!・・・」
中は真っ白な壁の部屋で、その壁に一枚の絵がかかっている。
それ以外には、何もない。
暖かな桃色の花が咲き乱れる野原と、朝焼けの淡いオレンジと青色の空が描かれたその絵は・・・亜妃の心、だ。
「これが亜妃の絵・・」
コカゲはそう呟いたが、エルミタからは何の返答もない。ということは、その通りということだろう。
「じゃー・・・この心、亜妃に戻すけど」
何も言う様子のないエルミタのことが気になるコカゲは、改めてそう言った。
エルミタは、弱弱しい笑顔をコカゲに向ける。
初めて会った時に見た微笑みとは似ても似つかない、今にも壊れてしまいそうな笑顔。
「いいですよ。どうぞお好きに」
「・・・今まで強引なことしてきたのに、随分とあっけないんだね」
コカゲはそう言いつつ、手の中に一つのガキを現した。
「・・・虚しいと思いませんでしたか?
亜妃さんが僕に優しくしてくれるようになったのは、僕がそうしたからであってそれは本当の優しさではないんですよ」
「なんだ、分かってるじゃん」
コカゲは思わず口元を緩める。
「何ででしょうね。優しさが欲しいと、もがけばもがくほど、手に入れるのは全く別の何かなんです。僕はこんなもの欲しくなかった」
「・・・そーだよね。優しさは求めるものじゃなくて、誰かに与えるものだよ」
コカゲはカギを、亜妃の絵の表面にさしこむ。
その絵はあっと言う間にそこから溶け出し、残ったのは真っ白の絵だけだ。
「・・・」
「さて、亜妃の心も元に戻ったことだしもう安心だね」
きっと2人は、もうこの美術館からぬけでているだろう。
自分もそろそろ帰ろう、そう思っているとエルミタが寂しげに呟く。
「この美術館も、もう閉館ですね」
「・・・そーなるね」
「僕の代わりに館長を務めてもらった亜妃さんも、もういなくなってしまいましたし、今度は僕が館長ですねぇ」
「・・・そーなるね」
「・・・」
「・・・」
「亜妃さんにやさしくすれば、もう一度彼女はここにきてくれるでしょうか」
そう言うエルミタの表情は、やはり寂しげだった。
そのことを強く望んでいないように感じるのは、彼自身、その願いがかなわないと知っているからなのかもしれない。
「世の中、そんなにあまくないよ」
「・・・」
「けど、自分から会いに行くことは、できるよ」
コカゲは、エルミタの手をとると走り出した。
彼のやったことは、許されないこと。けれど、このまま終わってしまうのはコカゲ自身もどこか納得いかなかった。
エルミタが亜妃にもう一度会いたいと望むなら、まだ諦めてほしくない。
少しだけでもいいから、彼が前を向けるきっかけがほしい。
コカゲとエルミタは、真っ白の絵になってしまった美術館の空間を走り抜ける。
まだ、亜妃はこの近くにいるのだろうか。
が、出入口が近づいてきた時点でエルミタは突然立ち止まりコカゲの手を振り払った。
「!」
「余計なこと、しないでくれませんか?」
エルミタは、今までに見たことないような鋭い視線をコカゲに向ける。
「亜妃さんと樹さんのことを見て、やっと諦めがついたんです。これ以上、僕にバカな真似させないでください」
「バカな真似って何?わたしには分からないんだけど」
「人間はいいですよねぇ。心を宿した言葉で会話ができる。目に見えなくても大切なものを、言葉だけで創ることができる。本当にすばらしい能力だと思いますよ?」
「・・・」
「僕の言葉に心が宿ることはありません。だから、仮に何かを言ったとしても、亜妃さんに伝わることは何もないでしょうねぇ」
エルミタはそう言いつつ、壁にかけてある真っ白の絵を一枚取り外す。
彼が手に持つ部分から、白の表面にじんわりと色が広がっていることにコカゲは気付いた。
「・・・」
(もしかして・・・)
「何なら、アイカギ屋さんがここの館長になりますか?僕なんかより、あなたの方が上手くやれると思いますよ」
エルミタは、真っ白の絵をコカゲにまっすぐ向けるようにして持った。
「!ヤバ・・」
コカゲは、そこから飛び出してきた白の光をギリギリで避けるとエルミタの手首を勢いよく掴む。その衝撃で白い絵は彼の手から床に落ちた。
もう片方の手の中に、コカゲは心のトビラのアイカギを現す。
このカギは、エルミタの心のアイカギ。
コカゲはそのアイカギをエルミタの手に、そっと握らせた。
するとフワリとエルミタの心のトビラが現れ、それは少しずつ開いていく。
その中からは、パラパラとエルミタの心があふれ出していく。
溢れ出した心は、周囲にある真っ白な絵に吸い込まれていき、そこに鮮やかな色を灯していった。
それは鮮やかすぎる色だったり、海のそこにいるような深い色だったり、秋の日なたにいるような暖かな色だったりする。
いつの間にか、美術館にある真っ白の絵にはすべて色が灯っていた。
きっとそれは全て、エルミタの本当の心。
エルミタは、心を使って絵をかく異世界人。
「ねぇエルミタ。・・・──言葉が使えなくてもいいじゃん」
「・・・」
「いっそ、言葉なんかよりもいいかも」
コカゲはポツリとそう呟く。
きっと言葉は、目に見えないとしても存在感がありすぎる。
いっそこうして絵になってしまった方が、凶器にはならないのかもしれない。
エルミタは、色の灯った周囲の絵に目を向けると呟いた。
「僕の心でも、こんなにたくさんの絵がかけるんですねぇ。驚きです。
でも、数だけ多くても、意味がありません」
「ふうん。じゃ、何なら意味があるの?」
「本当に美しい絵ではないと意味がないんです」
「・・・」
その時、出入口の方から誰かが入ってきた。
「!」
彼女は、人間に戻った亜妃だ。その後方に、樹の姿も見える。
2人はコカゲとエルミタの方に歩みよってくる。
「亜妃がどうしてももう一回、絵をみたいっていうからだっ」
樹はコカゲの見ると、不服そうな様子でそう言った。
「ごめんね。ツキ、つき合わせちゃって。
・・・あ、館長さん、こんにちは」
亜妃はエルミタの横を通るとき、軽く頭を下げそのまま歩みを進める。
・・・どうやら亜妃も、ここで事件に巻き込まれた事実を忘れているらしい。
エルミタはただただ驚いている様子で、この場に立ち尽くしているだけだ。
そんなことをしているうちにも、亜妃はご機嫌な様子で、どんどん先に行ってしまっている。
樹もその後を、慌てた様子でついていっている。
「・・・」
エルミタは少しの間、この場に立ち尽くしたままだったが、すぐにその足は一歩ふみでる。そして、小走りで亜妃の後を追った。
「行ってみるか・・」
エルミタがまた暴走するとは思えないが、やはり気になることは気になる。
亜妃が立ち止まったのは、一枚の絵の前だ。
それほど大きくはない絵だが、亜妃はそれをとても幸せそうな表情で眺めていた。
淡い青色を基調とした背景に、星や月が浮かんでいる。その真ん中に立つのは、傘を持った男の子。
穏やかでどこか寂しげな雰囲気のある絵だとコカゲは思った。
「・・・この傘がね、男の子を周囲の暗闇から守ってあげているってきがする。でも、少し透けているのは、暗闇の中にも光があるって傘が男の子に教えてあげようとしているみたいだなーって」
亜妃は幸せそうに言葉を続ける。
「まるでこの男の子、あたしみたいだなーって。何か励ましてもらっているみたいで安心できるのよー。あたしこの絵すごく好き。
ね、ツキはどう思う?」
「オレは・・そういうことは・・よく分からないな・・」
「ほんと鈍感ね、あなたは。こんな素敵な絵なのに」
その後も、亜妃と樹は絵について語りあっているようだ。
・・・その後方で、エルミタが静かに涙をながしていることにコカゲは気付いた。
その涙は、わずかに光を帯びている。
心で絵を描くエルミタのの涙はきっと、何よりも弱々しく何よりも温かい。
エルミタは震える手で、その絵を壁から外すと亜妃に差し出す。
「よかったら、持ち帰ってください・・」
その言葉に、亜妃の表情がぱっと明るくなった。
「本当に!?いいんですかっ?」
「そうしてくれた方が、僕も嬉しいですから・・」
「っ──ありがとう」
亜妃は満面の笑顏をエルミタに向ける。
そして、エルミタから絵を受け取ると、大切そうに胸にかかえて持つ。
「じゃ、行くぞ」
「うん!」
亜妃はエルミタに、軽く頭を下げると樹と共にこの場から立ち去っていった。
「・・・・」
エルミタはそんな亜妃の背中が見えなくなるまで、その場から動こうとしなかった。
コカゲの視界に入ったのは、エルミタの穏やかな微笑み。そして、彼は小さく呟いた。
「──今度は言わせなくて済みました」
次の日・・・アイカギ屋では。
コカゲは、帰り際にもらった黄昏色美術館のチケットとエルミタの心のアイカギをビンにいれる。
心のアイカギは、一度作ると何度も作れるのでこうして残してあるのだ。
彼の心のアイカギのデザインは、亜妃の持ち帰った絵と雰囲気が少しだけ似ている気がする。穏やかでどこか寂しげな淡い青色のカギ。
コカゲはそれらを入れたビンを、棚の空いているスペースに並べる。
「・・・」
(エルミタ、まだ人間界で美術館やっているみたいだから、今度コヨミと一緒に行ってみようかな)
ゆっくり見る余裕もなかったし、異世界に行く機会が中々ないコヨミに異世界の美術館をみせてあげたいのもある。
その時には、自分にとってもお気に入りの一枚を見つけてみよう、そう思った。
end