第3話 白く染まった絵
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「イオン、よかったですね。取りあえず、追い出すことができて。まだ、油断はできないですけど」
エルミタは、コカゲが消えて行った白い絵の方を見ながらそう呟いた。
「・・・」
しかしイオンは、それにこたえることはなく、ぼーっとした様子で、イツキの方を見据えている。
つい先ほどまで、人間だった人形。もちろん、今、はイオンとは何の関係もない存在。
(どうしてあんな人形なんかに)
「──イオン、どうしたのですか?」
イオンは、エルミタの方は振り向かずに呟いた。
「このヒト・・・とても懐かしい感じがするわ。不思議ね」
「──・・・」
黒々とした感情が、エルミタの心をむしばんでいく気がした。
きっとこの感情をコントロールすることは難しい。そのことはとっくの昔から理解していた。
エルミタは、イオンの手を取るとこちらに引き寄せる。
「たかが人形ごときに。おかしいですよ、イオン」
「そんなこと分かっているわ!ただ、なんとなくそう思っただけよ」
「なら、いいですけど」
エルミタは、イオンが腕にかかえるようにして持っている、イツキの優しさ、の絵を見ると
「それよりはやく、その新しい絵を展示しにしかないといけませんね」
「そうね!」
イオンはすぐにイツキに背を向けると、一枚の白い絵の中に飛び込んだ。エルミタもそれに続く。
その絵は、美術館内につづいており、エルミタはその絵を空いている壁のスペースに飾った。
イオンはその絵を見て、幸せそうに微笑んでいる。
「本当に綺麗ね。人間の優しさは。それに、こうして手をかざすとまるで体温があるみたいにあったかいわ」
イオンは絵の表面に掌をかざす。
「──・・」
(絵があったかい?そんなことあるわけないじゃないか)
エルミタは、そのイオンの手を取るとそれを両方の掌で包み込む。
「?」
「そんな絵より、イオンの方が数倍きれいですよ」
「あは!何言ってるの?褒めても何もでないわよ!」
「・・・本当のことなんですけど」
「はいはい、ありがとうね」
イオンは困ったように笑うと、そっとエルミタの傍から離れる。
エルミタはそんなイオンのことを、自然と目でおった。
(本当だよイオン)
あなたの優しさは、この美術館に展示してあるどんな絵よりもきれいだ。
値段なんてつけられない。
人間界の優しさが、絵をかくのに便利だと、館長同士の噂にきいてやってきたのだが、最初の頃は少しがっかりしたものだった。
優しさなんて、一枚の絵におさまってしまうほど、小さくて薄い。異世界で売るにしても、思った以上の評価が得られない。
(でも、あなたはだけは違ったよ)
まだ人間界で美術館をひらいたばかりのころ、あなたはここに来てくれた。
そして、自分の創った絵を見て静かに涙をながし「綺麗な絵ね」、と言ってくれた。
エルミタにとって、それは奇跡そのものだった。
ずっとその優しさと一緒にいたかった。
「好きだよ、イオン」
エルミタがその言葉を呟くように言うと、それをききとってくれたらしいイオンがこちらに振り向く。
「あたしもエルミタのこと、好きよ!」
「──・・」
エルミタから、自然と笑みがこぼれる。
・・・それと同時に、涙もこぼれた。
「!・・」
エルミタははっとすると、イオンに気付かれないように、彼女に背中を向ける。
一番望む言葉をもらったはずなのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
(そうか、まるで)
“言わせている”みたいだ。
*
コカゲはしばらくの間、美術館の周りをいったりきたりしながら、この先どうするか考えを巡らせていた。
美術館の裏の方にまわってみたが、裏口というものはなく、やはり入るとしたら正面の入り口のみのようだ。
(ここは一か罰かっ)
コカゲはひっそりと美術館の入り口まで歩みより、そして、強行突破しようと走り出す。
が、あっけなくスッタフの一人に捕まり、放り投げられた。
「いったー・・やっぱ無理か」
コカゲは地面から起き上がると、服についた汚れを払い落とす。
出入口の前に立つ、数人のスタッフは、こちらを食い入るように見ており、もちろん突破する隙なんてものは与えてくれない。
「はぁ」
コカゲはしぶしぶ、彼らに背を向けると、歩き出す。
(あー・・・どうしよ)
そして、再び考えを巡らせた。
「・・・」
(そーいえば、スッタフの人たちってみんな同じような服着てるよね)
黒のジャケットにズボン。女性は、スカート。
(家に同じような服あったけな)
*
コカゲは家(と言ってもアイカギ屋の2階)にある適当な服を着て、少し前おふざけで買ったコヨミの髪型そっくりのウィッグを頭にかぶり、黄昏色美術館に向かう。
その途中で、ガラス張りの店の壁に写った自分の姿を見た。
今までの自分とは、まるで別人。
(うん、大丈夫。いける!)
それに、スタッフには心がないようだし、少しの違和感なら誤魔化せるだろう。
*
コカゲは黄昏色美術館の前までもどっていた。
裏の方へまわってから、何事もないように正面に立っているスタッフたちに歩みより、彼らの隣に紛れるように立ってみる。
「・・・」
(大丈夫だね、気付かれてない)
コカゲはほっと胸をなでおろす。そして、一歩一歩後ろへ下がると、出入口のトビラの前に立ち、取っ手に手をかけ扉をそっと開いた。
コカゲは素早く中へ入ると、扉をしめる。
「よし・・」
美術館の中は数人のスタッフが、行き来している様子だった。
しかし、バレない自信はある。堂々としていれば、怪しまれることはないだろう。
コカゲは取りあえず、奥へ歩みをすすめていった。
(エルミタ、樹、どこ?・・あ、そういえば、ここにある絵って・・)
人の心でできてる。
コカゲは、壁にかけてある絵の前で立ち止まった。
それは空に溶けているような家の絵だ。
「・・・・」
コカゲは、その絵を見据えながら、手の中に一つのカギを現す。そして、絵の中にカギの先端を差し込んでみた。
カチャリと音がしたかと思うと、絵の中の色が一気に溶けだした。
その色は、球体になって絵の中から飛び出てくると、淡い光に包まれながらどこかへと消えてしまった。
絵は、真っ白になり何も写さなくなる。
どうやら、心のアイカギを使えば、この中に閉じ込めてある心を解放することができるらしい。きっとこの絵の心は、本人の中へもどったはずだ。
次にコカゲは、隣の絵の心を解放する。
絵の中からでてきた光は、すぐ近くにいた女性スッタフの中へ飛んでいき、彼女の体の中へ吸い込まれるようにして消えていく。
すると女性ははっとした様子で、周囲を見渡す。そして、慌てた様子で美術館からでていった。
「よし・・」
コカゲのやることはもう決まっていた。
目につく全ての絵に、心のアイカギを差し込み、そこに閉じ込められたままの心を解放していく。
美術館に展示された絵は、みるみるうちに色を失い、真っ白になっていき・・・そして、すべての絵が真っ白に染まった。
(これで、全部かな)
コカゲは、最後の一枚であろう絵にアイカギを差し込むとほっと溜息をつく。
周囲はスッタフもいなくなったこともあり、よりしんと静まり返っている。
もう、変装をする必要もないだろう。
コカゲは、頭にかぶったウィッグを外しつつ、考える。
(そういえば、樹は・・・)
亜妃と一緒にここからでていれば、いいのだが。
その時、後方から「アイカギ屋―!」と声がきこえてくる。
はっとして振り返ると、樹がこちらに走ってくる姿がみえた。彼は、微かに息を切らしながらコカゲの隣に立つ。
「はぁやっと見つかった。一体どこ行ってたんだ?」
「んー・・・ちょっとブラブラしてただけ。それより、亜妃とは会えたの?」
すっかり樹は元に戻ったようだ。
コカゲはそのことに安心しつつ、そう訊いてみる。
美術館に展示してある絵は、全て解放したはずだから、亜妃にも会えてもいいはずだ。
「会えたことは会えたけど・・」
「──・・・」
「つーか、あの時、アイカギ屋もいただろう?
・・・何か、おかしくなっちまったんだよな、亜妃のやつ」
樹は今までになく、動揺しているようだ。
どうやら樹は、心を抜かれたという事実は忘れてしまっているらしい。これ以上、事態をややこしくしたくないので、ありがたいが。
そして、樹は不安げに揺れる瞳でコカゲを見る。
「本当にありえない。一体、オレはどうすればいいんだ・・・」
「──・・・・本当に、彼女、亜妃で間違いないんだよね?だいぶ、変わちゃったケド」
「当たり前だ!オレが間違えるわけないだろう」
「ふうん。じゃぁ、よろしく」
「は?よろしくって・・」
「・・・」
いつの間にかそこに、エルミタとイオンが立っていることにコカゲは気付いた。
樹も彼らの存在に気付いたらしく、はっと息をのむ。
エルミタは、相変わらずの柔らかな笑みを浮かべ、コカゲの方を見る。
「・・・おかしいですね、スタッフが全員いなくなってしまったようですが」
コカゲはそれに、クスリと笑った。
「まぁわたしが、全員分の心の絵を解放したらね。
君の隣にいる亜妃の絵は、まだだけど。どっか別の場所にでも隠してあるの?」
「やっぱり、あなたの仕業だったんですね・・・」
エルミタの表情に影が落ちたのが分かった。
何か仕返しされると思いコカゲは思わず身構えたが、その前に樹が動いた。
「亜妃!」
樹は、イオンの方に駆け寄ると彼女の手を取る。が、その手はすぐに振り払われてしまった。
「あなた、まだ言ってるの?あたしはイオンよ!」
イオンは、それが信じられないという風に声を張り上げる。その表情も、真剣そのものだった。
「はぁ?お前は亜妃、だ!!いい加減、目さませ!」
「目覚ますも何も、目覚ますのはそっちよ。あたしは、この美術館の館長で、人間界には営業できただけよ。もちろん、人間じゃないし、そのこと分かってる?」
「は?何なんだ!その設定!?」
「設定じゃなくて、事実よ!」
「なら、お前が亜妃じゃないってこと、照明してみろ!」
「・・・ツキはいつもそうやって、小難しいこといいだすわよね。
あたしが副館長とエルミタとここにいるっていう事実が、証拠じゃダメかしら」
「!」
その言葉に、樹は大きく目を見開いた。
「オレのことツキって・・・呼んだな・・」
「?──・・・」
イオンは、戸惑った様子で樹を見る。
「・・・あたし、そんなこと言った?」
「言ったよ!」
「・・・」
「・・・」
イオンは、目線をユラユラさせ、沈黙をおく。
言いたいことがあるが、本当に言ってしまっていいのだろうか。そんな不安がそこに現れているように見えた。
そしてイオンは、そっと口を開いた。
「・・よく分からないけど・・あたし、あなたと初めて会った気がしない・・・」
「!」
「でも、そんなことあるはずないわ。だって、あたし人間界にきたの今回が初めてだもの」
イオンの言葉に、樹は何のためらいも見せることなく彼女に抱きついた。
「!ちょっとっ離し・・」
「お前は亜妃だ!オレの大切な人なんだよ」
イオンは無理やり樹から離れようとするが、樹はそれよりも強くイオンのことを抱きしめる。
・・・すると、イオンの手の力が緩んだ。
「っ──どうして、きたの。ツキ」
イオンはポツリとその言葉をこぼす。
「せっかく鍵かけておいたのに・・・ここにくると危険なめにあうのに・・・どうしてきたの・・・」
「!・・」
「痛・・・」
イオンは、苦しそうに頭をかかえ背中を丸める。その背中は、微かに震えていることが分かった。
「おい!大丈夫か?亜妃!」
「っ・・・」
コカゲはその光景を見て、
(だよね、やっぱり・・・)
そして、視線をエルミタの方へ動かした。
樹と亜妃のことをすぐにでも引き離そうとすると思ったが、エルミタはただ淡々とした様子で2人のことを見据えているだけだ。
不思議に思ったが、そうしている今がチャンスだと思った。コカゲは、エルミタの方へ歩み寄る。
「エルミタ、亜妃の絵は何処?」
その時、コカゲは思わずドキリとする。
エルミタの目の淵にうっすらと、涙が溜まっていることに気付いたからだ。
その目は樹と亜妃のことを、どこか悲しそうにどこか苦しそうに見据えている。
「・・・エルミタ?」
「やっぱり、虚しいものですね」
「何?」
エルミタの声が小さすぎて、聞き取れなかった。
「・・・亜妃の絵は、こちらですよ、アイカギ屋さん」
エルミタは樹と亜妃のことには目もくれず、歩き出す。
「エルミタ、待って。何処にくの?」
亜妃は、まだ頭痛が残っているようで、頭を抱えながらエルミタを引きとめる。
エルミタはそれに立ち止まり、亜妃を見ると微笑んだ。
「大丈夫ですよ。イオンはそこで待っていてください」
「・・・」
エルミタは再び歩き出す。
(・・・ついて行ってみるか)
どっちみち、心を取り戻さないと、亜妃は人間にもどれないだろう。
エルミタのことを完全に信用したわけではないが、コカゲは取りあえず彼の後についていくことにした。