第2話 ようこそ!黄昏色美術館へ
ここのトビラは絶対に開けてはいけない。
開けることが許さる者は、この黄昏色美術館に導かれた者だけ。
「──・・・」
いや、正確には、開けるべきではない。導かれてしまった者以外は。
きっと自分は、そう思っている。
「館長、そろそろ次のお客さん、くるみたいだよ・・」
壁に飾られた一枚の絵を眺めていると、ここの副館長であるエルミタが声をかけてきた。
「わかったわ!迎える準備を開始して」
イオンは振り返ると、そう言葉を投げた。
それを聞いたエルミタや、その場にいた他の学芸員たちはそれぞれ行動を開始する。
「楽しみねー」
ここの絵は、人の心を必ずとらえてくれる。
きっと、大好きな一枚を見つけてくれる。
見てもらいたい。私の芸術を。
あなたの一生をかけて。
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コカゲは、樹に案内され、黄昏色美術館にやってきていた。
川沿いの道を進み、雑木林と通りぬけたその先に、この美術館はひっそりと建っている。
日も落ちているため、あたりはうすぐらい。入り口付近にある外灯のお蔭で、何とか視界だけは確保できている状態だ。
どこにでもありそうな、背が高くてすっきりとした外観の美術館だが、ここには異世界に迷い込んだと錯覚するように、人間界とは全く雰囲気があるように思えた。
「明かりついているし、人もいるみたいだね」
コカゲは背の高いトビラから漏れる明かりを見て、そう言った。
曇りガラスの向こう側にある人の動く影を、コカゲはしっかりと確認する。
「・・・だから、言っただろう」
樹は、少し不服そうだ。
そして、樹は美術館の入り口に近付き、ドアの取手に手をかけた。
「っ・・・やっぱりだ」
樹は何度も、ドアのぶを回してみたりドアを押し開けようとしてみたりしているが、美術館へのトビラは固く閉ざされたままだ。
樹は、コカゲの方へ振り向くと
「アイカギ屋、出番だ!」
「本当にいいの、何があっても知らないよ」
コカゲは、軽くため息をつく。
ずっとカギをかけている美術館なんてきいたことないし、正直嫌な予感しかしない。
「何のアイカギでも作れるって・・・嘘なのか?」
樹は、そう言って不審な目でコカゲを見た。
「・・・まさか」
コカゲが、掌を胸の前に持ってくると、その中に小さな光の粒が集まってきた。その光が弾けて消えたかと思うと、そこにあるのは一つのアイカギ。
「・・・は!?嘘だろ・・・さっきまで何も持ってなかったよな?
よく見せてくれ!」
樹はコカゲが手に持っているアイカギを奪い取り、それをマジマジと眺めた。
表面は紺色をしており、そこに銀色の粉が降りかかっているようなデザインのアイカギだ。
「手品か?一体どうやって・・・」
「手品でも何でもないよ」
コカゲは、口元を緩めると、樹が手に持っているアイカギを彼の手から引き抜いた。
そして、美術館のトビラの鍵穴へ差し込む。
カチャリとカギが開いた音を確認すると、コカゲは勢いよくトビラを開け放った。
「こんばんはー」
・・・が、誰もいない。
カウンターにも、その向こう側に見える絵の展示スペースにも。
「?」
コカゲは不審に思いつつも、中に歩みを進めていく。
「おかしいな、誰もいない」
樹もコカゲの隣を歩き、そう呟く。
「・・・そうだね・・」
コカゲは不思議に思いつつも、美術館の奥へ歩みを進めて行った。
広い廊下のようになっており、その壁にはさまざまな絵がゆったりとしたスペースをあけて展示されている。
空に溶けているような花の絵だったり、まるで宇宙に浮かんでいるような家の絵だったり、白の背景に黒色の鳥が飛んでいるような絵もある。
天井からの光は、薄暗く、その絵だけに注がれるスポットライトだけがやけに眩しく感じられた。
(本当にここ・・人間界・・?)
そう思えてしまうほど、この空間は異様に静かだった。
まるで、ここの空間だけ世界から切り取られているよう。
「アイカギ屋、やっぱりここ・・・おかしいよな」
樹もコカゲと同様、この空間の異様さを感じ取っているようだ。
「・・・帰る?」
「いいや、行く」
コカゲと樹は一歩一歩、ゆっくりと美術館の奥へすすんでいった。
・・・すると、ひらけた部屋にでる。
ここの空間は、今までの絵より、大きなそれが展示されている部屋のようだ。
コカゲの体よりも大きな絵が壁にかかっている。
左側にも右側にも、奥の壁にも。
奥の絵に描かれているのは、白い肌を持つ女の人の絵だ。
一番遠い位置にあるにも関わらず、一番目をひく。
何だかとても不気味だ。
そんなことを考えていると・・・
「ようこそ、黄昏色美術館へ」
後方からその声が聞こえた。
はっとして振り返ると、そこにいたのは高校生ぐらいの少年の姿。
深い緑色の髪に、白い肌。
黒を基調とした、ジャケットを着ており落ち着いた雰囲気のある少年だ。
「僕は、この黄昏色美術館の副館長、エルミタ」
「──・・」
「・・お、人いたな、よかった」
がコカゲは、よかったという気持ちにはなれなかった。
彼─エルミタが持つ雰囲気はどこか異様で、人間らしさが感じられない。
「もしかして、君って・・・」
「早速だけど、チケットを拝見させてもらいますね」
エルミタはそう言いつつ、コカゲと樹の方に歩みよってくる。
樹はカバンの中から、チケットを取り出しエルミタに手渡したが・・・もちろん、コカゲはそのチケットを持っていない。
エルミタは、微笑みながらコカゲに手を差し出してくる。
「わたしは持ってないから」
「そっか。なら、帰って頂きましょうか」
「!」
エルミタはコカゲの腕をガシリと掴み、そして、出口まで無理やり引っ張っていく。
「ちょっと・・離してよ!」
「チケットを持っていない人は、ここにいる資格はないんですよねー」
「君、異世界人だよね?人間界でこんな美術館なんかひらいて、一体何やっているの?」
それに、エルミタの足が止まる。
「・・・やっかいな人間が、紛れ込んでしまいましたね」
「は?」
コカゲはその言葉に、エルミタの手を振り払った。
「異世界の存在を知っているなんて・・・ろくな人じゃないでしょう?」
エルミタは、柔らかい笑みでコカゲを見る。
コカゲはその笑みに負けないぐらいの、造り笑顔を浮かべた。
「初対面の人にむかって、その言い方はないんじゃない?」
「僕たちが必要なのは、チケットを持ったお客さんだけなんですよ。さっさと帰ってください」
エルミタは、出入口のトビラを開け、コカゲに出て行くように促す。
「──ねぇ、樹の彼女の・・・亜妃っていう人、知ってる?ここに来たっきり、戻ってこないみたいなんだけど」
「──・・・」
その頃には、樹も追いついてきており、エルミタのこたえにじっと耳を澄ませていた。
エルミタは、樹のことをすっと目を細め見る。
「その彼女、この美術館にいますよ?」
「!」
「今は僕の彼女ですけどねぇ」
エルミタの発言に、樹の目は大きく開かれる。
「はぁぁ?て、適当なこと言うなよ。そ、そんなことあるわけ・・・」
「だから言ったじゃん。何があっても知らないよって」
取り乱している樹に、コカゲはため息交じりにそう言葉を零す。
「人のことを完全に信じ切るほど、バカなことはないですね」
エルミタは、たんたんと言葉を並べる。コカゲもそれに、うんうんと頷き「そーいうこと」と言っておいた。
「ちょっと待て。やっぱりそんなことあるわけない!つ、つーか、ここにいるなら亜妃にあわせろよ!今すぐに!」
「──・・・いいですよ。彼女は、奥の部屋にいます。ついてきてください」
エルミタは、微笑みながらそう言うと踵を返し、美術館の奥に向かい歩き出す。
樹もそれに続き、コカゲも続こうとするが・・
「!」
いつからそこにいたのか、黒いスーツを着た人、数人に取り囲まれていた。
・・・・ここのスタッフの人たちだろうか。
コカゲのことを、冷めきった表情で見据えている。
「ちょっと・・どいてくれない?」
コカゲがそう言っても、彼らはそこを動こうとしてくれない。
コカゲは、スタッフの間を無理やりとっぱしようとするが、後方から力図よく腕を引かれその勢いで床にしりもちをついてしまった。
「!・・」
それと同時に、コカゲの体を伝う、大きな違和感。
やっぱり、この人たちも人間では・・・ない。
「館長は、お客さまを迎え入れている最中だ。邪魔はさせない」
男性のスタッフは、低い声でそう呟いた。
「・・・──心のない、君たちが・・・何って言ってるの?」
「・・・」
コカゲの感じた違和感は、これだった。
今、目の前にいるヒトたちには普通の人間にある、温かさがなかった。
それは、温かさというより、安心感に近いものかもしれない。
その中がちゃんとした感情で、埋まっている安心感。ちゃんとした生きもの、と話している安心感。
彼らはまるで・・・動く人形だ。
やはり、ここは普通ではない。
──樹を中に進ませてはいけない。
かろうじて、まだ樹の背中はコカゲの視界に入っていた。
「っ・・・」
コカゲは、一か罰か床に足をつくと、スタッフの足の間を上手い具合にすりぬけ、駆け出した。
「樹!行っちゃダメ!!」
コカゲは、必死に叫びながら樹の背中を追いかけた。
後方からは、スタッフが迫ってきている。
樹に、叫び声は届かなかったらしく、彼は左の通路へ曲がりコカゲの視界から消えてしまった。だが、諦めるわけにはいかない。
コカゲは、スタッフを何とか振り切って、樹と同じ方へ曲がる。
「!」
が、そこには誰もいなかった。
今までと同じような、絵の展示されている通路が続いているだけ。
「一体どこに・・」
コカゲは周囲を見渡す。すると、視界の左側にかかっている絵に目が留まる。
「?─・・この絵って・・樹とエルミタ・・?」
ドキリとした。
樹とエルミタが確かにこの絵の中にいる。
よく見るとこの絵は・・・ゆっくりと変化していっているようだ。
この絵の中にあるのは、暗い道を歩く樹とエルミタの後ろ姿。・・・それが、段々と小さくなっていっている。
「っ──・・・」
迷っているヒマはなかった。
コカゲは、信じられないと思いつつも、絵の表面を掌で触ってみた。
「!・・・」
その掌には、まるで水面を触るような感覚が伝わってくる。
コカゲの手は、確かに絵の中に吸い込まれていた。
「あはは・・・こんなことってホントにあるんだ」
思わず、乾いた笑みがこぼれる。
驚きを通り越して、なんだかとてもワクワクした。
異世界にはよく行くコカゲだが・・・絵の中、なんて初めてだ。
コカゲはその手をより深く、絵の中に入れていく。
スタッフに追いつかれる前に、この絵の中に逃げてしまえばいいのだ。
すると、中から強く、引っ張られた。
「!!」
コカゲの体は、その力にされるがまま、絵の中に放り込まれ、勢いよくどこかに放り出される。
「いったー・・」
何とか体を起こすと、周囲を見渡した。
外から見た色は黒、だったが・・・ここは真っ白の部屋だった。
真っ白の部屋の壁に、真っ白の絵がかかっている。
今までの美術館と違い、何もない、部屋だ。
「・・・どうも」
コカゲは、苦笑いを浮かべる。
部屋にいるエルミタが、コカゲのことを不審な目つきで見下ろしていたからだ。
その隣で、樹も何事かとコカゲを見下ろしている。
「まさか、ここまで追いかけてくるなんて・・・随分、しつこいヒトですね」
エルミタは、より一層冷ややかな目でコカゲをみた。
コカゲは立ち上がると、その目に対抗できるぐらいしっかりとエルミタを見据える。
「君こそ、一体何たくらんでいるの?」
「僕は、館長の意向に従っているだけですよ」
「──・・・」
「ですよね、イオン館長」
エルミタが後方に振り向きそう言うと、そこには一人の女性が立っている。
エルミタと同じ、深い緑色の髪を長く伸ばし、茶色のジャケットに膝丈のスカートを身に着けている。
「その通りよ!」
館長─イオンは、可愛らしい笑顔をコカゲと樹へ向けた。
「ようこそ!黄昏色美術館へ!
この美術館では”人の優しさ”を展示しています。人間特有の優しさという心は、絵に素晴らしい色合いを表現することができるんです」
イオンは指を頭の上で弾く。すると、手の上の空間に、半透明の絵が現れた。
「この絵は、カエデという名の女性の優しさ、です。空色の中に沈む黒の花がとても印象深いですね。色の対比を楽しむには、ぴったりの絵だと思います。この絵は、一階の西側に・・・」
「亜妃!」
そう叫んだのは、樹だった。
樹は勢いよく、イオンに抱き着く。
「お前、こんなところで何やってるんだ!?早く帰ろう!!」
「──・・・?」
樹の言葉をきいたイオンは、ただ驚いたような表情で固まっている。
明らかに、知らないヒト、にする反応だとコカゲは感じた。
イオンは、半ば強引に樹から離れると
「何するの!?サイテーっ」
「??・・亜妃?一体、どうした?」
樹はただ茫然とした様子で、イオンを見据える。
その光景を見て、コカゲの額にも嫌な汗がにじんでくるのが分かる。
(あの人が・・・亜妃?まさか)
だって、あの館長にも心がない。
けれど、樹が言っていることも間違いだとは思わない。
すると、副館長のエルミタが動いた。
彼は樹とイオンの間に割って入る。
「館長、そんなことより、早くはじめないと・・」
「っ・・・そうね」
イオンは、踵をかえすと、壁にかかっている真っ白の絵の方まで走っていく。そして、それを壁から取り外すとまた、こちらに戻ってきた。
イオンは真っ白な絵を胸にかかえ、樹に向き合う。
「樹、逃げた方がいいかも・・」
コカゲはいつの間にか、そう呟いていた。
確信があるわけでは、ないが、嫌な予感がする。
すると、その瞬間、エルミタが樹の後方から彼の両腕を掴みこんだ。
「!?」
「樹さん、あなたはきっと素晴らしい絵になってくれるわ」
イオンが微笑むと、真っ白の絵の表面がゆっくりと波打ち、白い光のようなものが勢いよく飛び出してきた。それは、樹の体全体をあっと言う間に飲み込む。
白の光は、樹から何かを吸い取ったようにより強く輝くと、彼の体から離れ、再び絵の中に戻る。
樹の体は、力なく床に倒れ動かなくなった。
「!?・・・樹?」
コカゲは、樹の方に駆け寄り、彼の体を揺さぶる。
今までの健康的な肌色は、血の気のない白い肌になっている。
「・・・──心がない」
信じがたい事実に、コカゲは唖然とする。
代わりに、心を感じ取れるようになったのはイオンの持っていた白い絵。
白い絵は、イオンの腕の中でじんわりと色づき始め・・・やがて、一枚の美しい絵に姿を変えた。
「チケットに選ばれたことはあるわ。なんてきれいな色なのかしら」
イオンは、胸にかかえた絵を見て幸せそうに表情を歪める。
「ここのスタッフに、心がない理由って君たちだったんだね」
コカゲは立ち上がると、イオンに冷ややかな目線をむける。
そして、必死に考えを巡らせた。
この美術館は、想像していた以上に、たくさんのことが狂っている。
「エルミタ、この子は、お客さんかしら?」
イオンは不思議そうに首をかしげる。
「ちがうよ、館長。このヒトはチケットをもっていない」
「そう、なら、早く帰ってもらわないといけないわ。
異世界で売る大切な絵たちを汚されたくないもの」
イオンは指を頭上で弾き
「新人さん、早速仕事をお願いするわ。この子を外に追い出してちょうだい!」
すると、ぐったりとしていた樹が、ゆっくりと身体を起こす。そして、コカゲの体を軽々しく持ち上げ肩の上に乗せた。
「ちょっと樹!しっかりして!!」
コカゲは必死にそう叫び、樹から逃れようともがくが、彼の大きな手はそれを許してくれそうにもない。
「亜妃をつれ戻すんじゃなかったの!?」
「・・・」
樹は、コカゲの言葉に反応する様子なく、一枚の絵の方に歩みよる。そして、その絵の中にコカゲのことを放り込んだ。
「!」
一瞬、視界が真っ白に染まったかと思うと、コカゲの体は地面を勢いよく転がった。
立ち上がりまわりを見渡してみると、ここは美術館の外のようだ。
美術館に行くまでにあった雑木林の中のようで、当たりは全くと言っていいほど明かりがない。
遠くにかろうじて、美術館の明かりが見える。
「あー・・どうしてこんなことに」
美術館の館長、イオンが亜妃だったなんて。
それは間違いなく事実なのだと思った。
きっとその亜妃も、他のスタッフと同じようなもの。
──心を抜かれてしまった。
(だとしたら、主犯は副館長のエルミタ・・・)
彼は、異世界人だったことに加え、心があった。
エルミタに何かききだせば、状況を変えられるかもしれない。
コカゲは、美術館目指して、もくもくと歩みを進めていく。
「・・・」
出入口のトビラが目に入ったが、その前には数人のスッタフが立ち見張りをしているようだった。
「あーやっぱ、簡単には入れさせてもらえないか」
コカゲは、ため息をおぼす。
(さて、どうするか)




