公園駅
ITシステム系会社へと入社した主人公。社内制度で同じチームとなった同僚の様子がおかしくなり――。
「なあ、お前。駅の中に公園ってあると思うか?」
南波大介がそんな突拍子もないことを聞いてきたのは、新卒研修を終えた日の帰り道だった。
「駅の中に――というか、隣接してるってのは有りそうですけど。南波サン、何かあったんですか」
真新しい紺のスーツに身を包んだ南波サンは、いつになく曇った顔をしていた。彼がこんな顔をするのは珍しい。
偏見だとは思うが、日に焼けた赤黒い顔に、短く刈り込んだ髪の毛。昼休みになると、「あちー」と言いながらジャケットを捲りネクタイを弛める引き締まった手は、明らかに体育会系のものだ。
彼とは、晴れてIT企業に入社が決まってから知り合った仲だが、正直なところあまり得意とするタイプではない。何故こうして帰りを共にしているかといえば、社内で孤立した人間を作らないようにと定められた、先輩社員と新卒社員二人で行動するブラザー制度のパートナーが紛れもなく彼だったからだ。
しかし当時の「よろしく、ブラザー」という言葉と、肩に置かれた節の目立つ拳。真っ白な歯を見て覚えた『ああ、苦手だなあ』という思いや『どうして営業に回されないんだ』という悪態も、数ヶ月の苦楽を共にすれば親しみに変わってきていた。
「いやさ、ほら。一昨日電車の遅延で遅刻したって言ったじゃん」
証明書出したのに怒られたんだけどさあ、和田さんマジ酷くね。と、先輩への愚痴を溢した南波サンは、確かに一昨日は朝礼を過ぎてから出社してきた。どうやら電車の遅れで市営バスに間に合わず、タクシーも捕まらず総じて遅刻をしてしまったらしい。
事故で車を廃車にしてからというもの、公共機関を使って通い続けているらしい南波サンは無遅刻を保っていたが、ブラザー制度で当てられた和田先輩からの評価はお世辞にも高いとは言えない。普段の言葉使いや飽きっぽさ、悪い意味で時間に忠実という側面への当て付けか「常にトラブルを予想して行動するべきだ云々」と、小一時間ほど事あるごとに口を挟まれていた場面を思い出す。案外、南波サンの評価とは関係なく、社会人としては当たり前の事で、無難に無遅刻で過ごしてきた俺たちの認識が甘いだけなのかもしれないとも思うが。
「線路内に人が立ち入ったとか何とかで、乗ってた電車が止まったんだよ」
「昼休みに情報を見たよ。最近多いよな、そういうの。結局人は見つからなかったんだろ? 災難だったね」
「マジ迷惑な。で、止まったのがトンネルの中で暗かったんだけど、ホームみたいなもんがあって、奥にブランコとか滑り台とかさ、公園があったんだよ。そんな駅あるか?」
いやー。それは幾らなんでも、ないんじゃなかろうか。絶対にとまでは言えないが、駅ホームに遊具を置くスペースを取るのは難しいだろうし、第一、誤って子供が落ちる危険もある。
「そうなんだよなあ。それに昨日も今日も、ずっと外見てたんだけどそんなとこ無かったしな」
「なら、尚更おかしいよ。電車が止まってた間眠ってたんじゃない?」
あー、成る程な。と、どうやら南波サンには心当たりがあったらしい。まあ休日明けには徹夜疲れとよくボヤいている。今回もそうだったのか、駅に着いた頃には、彼の悩みは帰りに何処のラーメンを食べるかどうかへシフトしていたようで、俺は南波サンの背中を見送って帰路についた。
次の日の朝。南波サンは二度目の遅刻をして、再び和田さんから叱責の嵐を受けていた。あと十分早く起きていれば対応出来ていたのではないか、同じミスを繰り返すなといった言葉の雨を浴びながら、南波サンは口角を緩く上げながら「ハイ、ハイ、スンマセン」と空返事を返していた。
「あった。ちゃんとあったぞ」
彼が得意気に、しかしこれ以上の叱責を受けないために小声で話しかけてきたのは、ようやく和田さんから解放された後のことだった。
「あったって、何が?」
おいおい、「無駄話をするな!」とこっちにも火の粉を飛ばさないでくれよ。そんな表情をありありと浮かべて聞いてみると、南波サンは「公園だよ、公園駅」と返してきた。
「今日、こないだと同じとこで人身があってな。偶然また見えた。今日はきっちり起きてたって。保証する」
何の保証だよ。とはいえ、人身事故の話で盛り上がることにも気が引ける。南波サンの生き生きとした目も少し不気味で、その話はここで切り上げることにした。
その後だ。南波サンの姿が見えなくなったのは。
彼はその日の午後、取引先の会社へシステム調整の見学のため、先輩と共に出掛けたはすだった。しかし、帰ってきたのは憤怒から一周回って諦念したような静けさの先輩一人。どうやら取引先へと行く途中に南波サンとはぐれ、携帯電話へ連絡を入れても返事がない。先に会社へ戻っているかと思えばそこにもいない。
次の日も、また次の日も南波サンが出社することはなかった。
体調が悪いなら仕方がない。せめて連絡だけでも入れてはくれないか。そういう会社の留守番メッセージにも出ることはなく、とうとうクビだ、クビと先輩が低く呟きはじめたため、それをどうにか宥めた俺が会社帰りに自宅まで行くことになった。
南波サンは一人暮らしだという。大学時代に住んでいたアパートから通っているらしく、会社から電車を二つほど乗り継いた先にそこはあった。
二階の角部屋には手書きの表札で『南波』とだけある。郵便受けを見てみると、ぐしゃぐしゃと押し込まれた跡のある地域新聞が二部挟まり、扉の前にはスペースの争奪戦に負けたピザ屋のチラシが靴跡を浮かべて落ちていた。
「南波サン、いますか。俺です。南波サーン」
インターホンは壊れているらしく、ノックを続けるが一向に家主は現れない。会社には無事を確認してくるといってしまった以上、このまま帰るわけにもいかない。仕方なく、携帯電話からインターネットへと接続し、アパートの管理会社を確認すると電話をかけた。
他人の部屋を開けてくださいなんて要望は怪しまれるのではないかとびくびくしたが、会社への確認を行ってもらい理由を説明すると、アパートのオーナーに頼んでくれるようだった。
「ただ、今確認したところオーナーさんは外出中のようですので、後日になるかと思います」
では、南波サンが無事かどうかだけでも確認お願いします。明日の午後にでもかけ直しますので。そういって俺は駅へと踵を返した。
駅で電車を待っている合間に、南波サンに何があったのかを考えてみた。
ただ単に遊び疲れている。二度に渡って怒られたことに拗ねている。それらを総括して、もう後には引けなくなって困っている。あり得る。
あとは――
――例の駅を探している。
いやいや、それはない。そんなことで大の大人が無断欠勤するものだろうか。
しかし、最後に見た南波サン。公園のある駅を語っていた彼の目は、生き生きというよりも爛々と輝いて見えなかったか。
和田さんに怒られていたときのだらりとした笑顔。その笑顔を張り付かせた南波サンが、何らかの問題で電車が止まるまで駅間を往復し続ける……。
駅についたとき、電車が発車したばかりなのか、駅は無人だった。時間は21時時半を過ぎている。人気のない夜の駅という雰囲気に呑まれたためか、嫌な想像をしたので記憶を消去。ピピピのピ。よし、消去完了。明日も元気に社畜になろう。何にも疑問を持たず、与えられた仕事をやりつづけよう。そう誓いを立てていると、電車がホームに入ってきた。
乗り込むと、帰宅時間の都会への上りであるためか座席がいくつか空いており、俺は安心して背もたれに身を沈めることができた。タタン、タタンという一定のリズムが体を揺らし、眠気へと誘う。まだ、まだ降りる駅ではない――。
と、突如電車がガタタンという一瞬の浮遊感の後、金切り声にも似た急ブレーキの音を響かせて停止した。
立っていた数人の乗客が慌てて手摺にしがみつき、壁やポールに頭や体をぶつけた人の短い悲鳴があがる。一瞬の間が電車内を支配し、乗客がそれぞれの不安が張り付いた顔を見合わせたとき、その静寂を車内アナウンスが破った。
「……な、人身?」
混乱の渦中に早口で告げられたアナウンスの内容は、この電車が人身事故を起こしたというものだった。そういえば先程、何かが車輪の下を通過していく感覚があった。あの、ガタタンという震動はもしや……。
他の乗客も状況を察したのか、野次馬気取りの何人かは窓の下で行われている確認作業を写真に納めようとしていた。しかし、外は暗いようで上手くは写らないらしい。後ろを向き、周囲の人間に習って外を眺めてみるも、街灯や住宅街の灯りは見つからず、代わりに冷たいコンクリートの壁が車内の光に照らされて広がっていた。
トンネルだ。トンネルのなかにいる。
見回すと、今まで見ていた背面の窓ではなく、座席の正面の窓には下り線の線路が薄ぼんやりと浮かんでいた。上下線の間にはコンクリートのアーチが並んでおり、線路を隔てた向こう側の壁が、消火器の非常用ベルの灯りなのかオレンジとも赤黒いともいえる鈍い光で照らされている。
その奥に、何かある?
目を凝らすと、赤茶けた色彩が映る壁には段差があるようだった。丁度、駅のホームのように黄色い線が段差手前で真っ直ぐに引かれ、その奥には上に続く階段のスロープのように斜めとなった天井が多くを隠していた。
ふと、南波サンの言葉を思い出した。『で、止まったのがトンネルの中で暗かったんだけど、ホームみたいなもんがあって、奥にブランコとか滑り台とかさ、公園があったんだよ』
それを思い出した今、改めてその景色を見ると、はっとする。あの倒れた看板のようなものは、ブランコの座席ではないだろうか、繋がる鎖が片方落ち、トンネルを揺らす震動でゆったりと円を描いている。そして、入り組んだ鉄パイプだと思ったものは、錆びに覆われた滑り台ではなかろうか。そして、首から上はスロープの影となって見えないが、こちらを向いて手招きをする紺色のスーツの人影は――。
いつの間に作業が終わったのだろう。ガクンという駆動音を響かせて、電車が出発していた。暗く、赤い空間が窓の向こうでスライドしていき、視界から消える。水の中に入ったかのように外界の音を遮断していた耳に、謝罪アナウンスが流れてきた。どうやら次の駅で警察の現場検証が入るために電車の運休を行うらしい。
ぼんやりとしたまま車外に出された俺は、電車の復旧を待つ者や家族へ電話をする者の波に混ざり、赤々とした運休と遅延の文字が流れる案内板を眺めていた。
電車が運行を再開したのは、それからきっかり一時間後のことだった。
事故を起こした車両は何処かへと片付けられ、順に駅を通過してきた電車が来るらしい。そんななかで、俺は半時ほど前に見た赤黒いホームが気掛かりで仕方がなかった。
あそこにいた人影は一体誰だったのだろう。あの空間は一体何のためにあるのだろう。地上にはあの場所に繋がる出入口があるのだろうか。この線路を辿っていけば、調べることができるのではないのだろうか。あれは誰だろう。
「ちょっと君!」
ぐいと腕を掴まれ、俺は後ろへと大きくよろけた。と、目の前を金属音を引き連れた電車の先頭が通過していき、停止する。驚いて振り向くと、青ざめた顔の駅員が驚いた形相で俺の腕を引いていた。
「危ないじゃないか!」
そう叫ばれたと同時に、耳元で「見れないじゃないか」という、聞き慣れた低い声が聞こえたような気がした。
その後、ホームの椅子に座らされ、もう一人駅員が駆けつけ、もう少しで大事故だったことや自殺はいけないと滔々と説得された俺の顔は、酷く青ざめていたことだろう。
駅員の話では、ホームの中程から電車がくる直前に線路へと歩みより、まるで自宅の敷居を跨ぐように自然に飛び降りようとしたらしい。終始にやにやという、だらりとした笑顔を浮かべていたので目をつけていたそうだ。
当の俺はそんな記憶は全くといっていい程ありはしない。それを聞いてパニックとなり、「公園のついたトンネルの駅が気になって――どうもすいません」と謝り続けていると、どうやら頭のおかしな客だと判断されたらしい。
ないない、そんなものは無いんだよ、といい聞かせられながら、次に来た電車の一番後ろの車両に乗せられ、常に目が届く範囲で帰ることになった。
翌日、相も変わらず南波サンは来てはいなかった。結論から言うと、もう二度と来ないだろう。アパートの管理会社へ確認する前に、彼の居場所が判明したからだった。
彼は昨日の夜、線路に侵入して電車に轢かれたらしい。時間は21時半過ぎ。俺の乗っていた電車と同じ路線だった。そして、俺の足元の車輪を通過したのが彼だった。即死だったらしい。
南波サンがどうしてそんなところにいたのかは解らない、と先輩は話していた。しかし、俺はこう思う。彼は、あの公園の遊具の並んだ駅に行きたかったのだろうと。
あの路線は今も稀に線路内へ人が入り込む。そして、時折凄惨なものとなってしまう。彼らは何をしに進んでいるのか。そう思うたび、南波サンのことを思い出してしまう。
これは作者が実際に「見たはずだ」と思い込んでいる駅の話です。東京から隣の県へと行く際に見たのですが、何度も利用しているのにその時しか見られませんでした。もう一度見てみたいと思っていますが……。
取り敢えず終わらせる。というコンセプトで書いたため、文章などが滅茶苦茶かと存じます(言い訳乙)が、少しは暇潰しになれたなら……と思います。
是非、皆さんも電車に乗っているときは、スマホではなく窓の外を見てみてはいかがでしょうか。