静かなる林の中で
土曜日の午後の高校。
授業は午前中までで、熱心な生徒たちだけが校舎で勉強をしていた。
最難関進学コースを受け持つ慈雨は、
授業とは別に受験用の補修を受け持っていた。
最後まで残って応用問題を解いているのは、この学校に赴任して一番目をかけている男子生徒:黒岩だ。
入学当初不器用さ故に対人関係で悩んでいた彼は、今は皆に慕われる生徒会長だ。
その精神的成長を一から見守ってきた慈雨は、教員歴10年を迎えちょっとしたベテランになった身でも、彼の姿に改めて人間の可能性を深く感じいるのだ。
「先生、やっと終わりました。待たせてしまってすみません」
「大丈夫!やる気がある子には、ボクも張り切って教えたいから♪」
そろそろ、黒板を綺麗にしようか。
黒岩が片付けと身支度をしている間、過去問の解説で埋め尽くされてた板書を黒板消しで綺麗にいていく。
後は生徒を帰して、校舎の鍵を事務所に預ければ週末だ。勤労の後の素敵な休暇に、心はすでにウキウキとして軽い。
だから、
背中を後ろから静かに抱きすくめられるのを、期待していなかったといえばそれは嘘だ。
「なぁ、慈雨」
黒岩の恋人のような親密な物言いに、体温が少しずつ高くなる。
「今週末、おれの家親留守なんだ。
だから…」
おれんち泊っていけよ。
その優しい言葉が何を意味するのか、腰の奥の方から火照ってきた躰は充分過ぎるくらい理解していた。
「もちろんだよ」
だって、きみとボクの深い仲じゃないか。
深い林の中にある学校を出て、黒岩の家は割と近所にある。
原生林の残るこの田舎で、そこは天然の別荘のよう。
午後の日差しがまだ明るい中、開放的な黒岩の部屋のベッドの白いシーツの上、慈雨の心は蕩けていった。
可愛い教え子が深く深く求めてくるから。
教師と生徒、大人と子供、それらの境界線を軽々と超えられるようになるにはえらく時間がかかったけれど。
今の彼らの関係は、二人に静かで力強い安らぎを与えてくれる。
黒岩の精悍で実直な情熱を、一身に受け止める慈雨は母性の塊のようで。
「…蓮っ!」
職場では決して口にしない呼び名を切なげに呟き、慈雨は細く引き締まった浅黒い腕の中で果てた。
白い肌が汗でしっとりと濡れていた。
人間の雄にしては柔らかでほっそりとしたその体を、蓮は全身で抱き込んだ。
荒い息に、お互い胸がせわしなく上下する。
その度に肌が触れ合って、それだけで気持ち良くて、堪らなく幸せだった。
蓮は整った大人の顔立ちを見下ろし、その耳に優しく吹き込んだ。
「慈雨、心の底から愛してる」
自分がこんなに優しかったこと、気づかせてくれたのはあなただったんだよ。
「多分ね、みんな薄々気がついていると思うんだ」
一瞬お互い寝落ちした後、一緒にいそいそとシャワーを浴び、ゆったりとした寝間着に着替え終えた頃、蓮はポツリと呟いた。
同級生たちの事だ。
「だと思うよ。僕たちのやり取りを見てると、『夫婦みたい』って言われる」
「それ、誰に?」
「同僚の先生たち」
「ふーん」
なんだ、校内中でバレてんじゃん。
蓮は心の中で独りごちた。
「でも、祝福されている雰囲気だから、いいと思うんだ」
だって、この学校を改革していったのは僕たちだろ?
そう言ってニコニコ笑う慈雨の額に、蓮は静かに唇を落とした。