Episode.93 未来へ繋ぐ希望
小さな窓から差し込む午後の陽光が、寝台を柔らかく照らしている。
そこには先ほどと変わらず、苦しそうに眠るリリシアの姿があった。
額には汗が滲み、呼吸は浅い。
魔障病は今なお、静かに彼女の身体を蝕み続けている。
ミリアは寝台の脇へ膝をついた。
細く震える手をそっと握る。
「……リリシア」
優しく呼びかけると、リリシアはゆっくりと瞼を開いた。
失われていく視界の中で、霞むミリアの姿を見つけると、小さく微笑む。
「……ミリア、さん……?」
声には、もう以前のような力がなかった。
「ごめんなさいですぅ……」
その一言に、ミリアの胸が締め付けられる。
この子は最後まで、自分が皆に迷惑をかけていると思っている。
そんなことは、一度もなかったのに。
ミリアは静かに首を横へ振った。
「謝らないで。あなたは何も悪くない」
「でも……。みんなの旅を止めちゃって……。心配ばかりかけて……」
言葉の途中で咳き込む。
ミリアはその背中を優しくさすった。
「そんなことない。私たちは仲間でしょう?困った時は支え合う。それが仲間なんだから」
その言葉を聞いたリリシアの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
ミリアは優しく微笑み、小瓶を取り出した。
黄金色の液体が、陽の光を受けて美しく輝いている。
「完成したよ」
リリシアは目を丸くした。
「それって……」
「そう。エリクサーだよ」
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。
ライガも腕を組んだまま、小さく笑う。
ゼインも壁にもたれながら口元を緩める。
ミドナが静かに頷いた。
「どうぞ、お飲みください」
ミリアはリリシアの身体をゆっくり起こし、小瓶を手渡す。
リリシアの指先はまだ少し震えていた。
その黄金色の液体を見つめながら、小さく息を吸う。
「……ありがとうございます」
小瓶を唇へ運ぶ。
最後の一滴まで飲み干した、その瞬間だった。
――カァァァァァ……。
柔らかな黄金色の光が、リリシアの身体を優しく包み込んだ。
身体の奥深くまで染み込んでいた瘴気が、黒い霧となって静かに消えていった。
リリシアはゆっくりと目を閉じる。
木々が葉を揺らす音。
鳥のさえずり。
仲間たちの息遣い。
失いかけていた音が、一つずつ世界へ戻ってくる。
五感が、ゆっくりと蘇っていく。
「……」
リリシアは静かに唇へ指を添えた。
小さく舌先で唇をなぞる。
その瞬間。
思わず目を見開いた。
「……甘い」
その一言に、ミリアは思わず息を呑む。
「リリシア……?」
リリシアの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「味が……。味がしますぅ……」
堰を切ったように涙が溢れる。
「わたし……。もう、ご飯の味が分からなくなるんじゃないかって……。みんなの声も聞こえなくなるんじゃないかって……。ずっと……。ずっと怖かったですぅ……!」
その言葉とともに、リリシアは子どものように泣き崩れた。
ミリアは何も言わず、そっとその身体を抱き寄せる。
細い肩が震えている。
「もう大丈夫」
ミリアは優しく背中を撫でる。
「もう苦しまなくていい。もう、一人じゃない」
リリシアは何度も何度も頷きながら泣き続けた。
部屋にいた全員が、その姿を静かに見守っていた。
ライガは照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「ったく。心配かけやがって」
そう言いながらも、その目元はどこか柔らかい。
ゼインは小さく肩をすくめた。
リリシアが涙を拭きながら少しだけ笑う。
その笑顔を見て、ミリアもようやく笑顔になった。
その時、不意にミドナがリリシアを見つめ、穏やかに目を細める。
「……やはり」
皆が振り返る。
「どうしました?」
ミリアが尋ねると、ミドナはゆっくりと答えた。
「リリシアさんの魔力が変わっています」
リリシア自身も驚いたように自分の手を見る。
すると、その手の周りには淡い魔力が自然と揺らめいていた。
以前のような不安定さはない。
荒れ狂う炎のようだった魔力は、今はまるで静かな湖面のように穏やかだった。
「エリクサーは病を治すだけではありません」
ミドナは静かに微笑む。
「体内の魔力そのものを、本来あるべき姿へ導く霊薬なのです」
リリシアは自分の胸へ手を当てた。
不思議なくらい身体が軽い。
魔力が自然と身体へ馴染んでいる。
「なんだか……。前より元気ですぅ」
その笑顔に、部屋の空気が一気に和らいだ。
ミリアは嬉しそうに笑う。
リリシアも今までで一番晴れやかな笑顔を浮かべた。
長い絶望の先で、ようやく掴んだ希望。
その温もりは、仲間たち全員の胸にも、確かに灯っていた。
◆◆◆
リリシアが完全に回復してから数時間後。
リリシアはすっかり血色を取り戻し、いつものように嬉しそうに辺りを見回している。
「空気まで美味しいですぅ~!」
胸いっぱいに息を吸い込み、満面の笑みを浮かべる。
その姿を見たライガが豪快に笑った。
「ははっ! さっきまで寝込んでた奴とは思えねぇな!」
「も、もうライガさん!」
頬を膨らませるリリシアに、一同から自然と笑いがこぼれる。
その笑い声を聞きながら、ミリアは胸を撫で下ろしていた。
そこへミドナが、小さな木箱を抱えて歩いてくる。
「皆さん」
静かな声に全員が振り向く。
箱の中には、小瓶が四本。
黄金色の液体が静かに揺れていた。
「エリクサーです」
「先ほどリリシアさんが飲まれた一本を除き、残りは四本ございます」
ミドナは一本ずつ丁寧に手渡していく。
まずはミリアへ。
「ありがとうございます」
次にライガ。
「……俺も飲むのか?」
ミドナは優しく頷く。
「魔障病は瘴気を吸えば、誰にでも発症する可能性があります。ザンガと戦うのであれば、万全を期すべきでしょう」
「なるほどな」
ライガは迷いなく栓を抜いた。
黄金色の液体を一気に飲み干す。
「……うめぇ」
思わず漏れた感想に、一同が笑う。
「よく分かんねぇが、身体の奥が熱くなる感じだ」
ライガは拳を握る。
身体の芯から力が湧き上がるような感覚。
傷ついた筋肉が癒え、疲労が嘘のように消えていく。
「こりゃすげぇ」
次はゼイン。
彼は小瓶を眺めながら苦笑した。
「万能薬か。こんな高級品、一生縁がないと思ってた」
「飲まないの?」
ミリアが尋ねると、ゼインは肩を竦める。
「いや。せっかく命を懸けて集めたんだ。ありがたく頂くさ」
静かに飲み干す。
直後、ゼインは目を細めた。
「……これは驚いた。身体が羽みたいに軽い。これならもう少し長生きできそうだ」
「縁起でもないこと言わないでくださいですぅ!」
リリシアが慌てて突っ込む。
そのやり取りに、また笑いが起こった。
その時だった。
ミドナがリッカへ視線を向ける。
「リッカさんの分もございますよ」
しかしリッカは両手をぶんぶん振った。
「いやいやいや!ぼくはいらないよ!」
「え?」
ミリアが驚く。
リッカは笑いながら肩をすくめた。
「ぼくは戦う人じゃないからね。それに、これは本当に必要な人が持ってるべきだよ」
そう言ってミリアの胸を軽く指で突いた。
「君たちは、この先もっと危ない場所へ行く。だから一本でも多く持ってて!」
その笑顔は、いつもの軽い調子だった。
けれど、その奥にある優しさは誰にでも伝わった。
ミリアは静かに頷く。
ミドナは一本だけ箱へ戻す。
「では残る一本は、皆さんがお持ちください。いつか、誰かを救う日が来るかもしれません」
ミリアはその言葉を静かに受け止めた。
この一本もまた、未来へ繋ぐ希望なのだ。
「リッカ……ありがとう」
ミリアは優しく頷く。
リッカは照れ隠しのように笑った。
「お礼なら無事に帰ってきてから聞くよ!ぼく、案内人だからさ!帰り道もちゃんと案内してあげる……って言いたいところだけど」
少しだけ表情が柔らかくなる。
「ぼくの仕事はここまで。星降りの街まで戻らないと、次のお客さんが困っちゃうからね。星降りの丘を通らないならみんなだけでも大丈夫でしょ!」
その言葉に、皆が少しだけ寂しそうな顔をした。
短い旅だった。
それでも、この少女がいなければ
天空神殿へ辿り着くことはできなかった。
ライガが腕を組んで鼻を鳴らす。
「世話になったな」
「おっ、赤髪のお兄さんに素直に礼を言われるなんて珍しい!」
「うるせぇ」
二人は顔を見合わせて笑った。
ミドナも穏やかに微笑む。
「皆さん。どうか、お気をつけて」
ミリアは胸元へそっと手を当てた。
勇者から受け継いだ光が、確かにそこに宿っている。
「はい。必ず、この世界を救ってみせます」
その声に迷いはなかった。
仲間たちも力強く頷く。
リリシアは元気いっぱいに笑い、
「今度はわたしも、皆さんのお役に立てるよう頑張りますぅ!」
ライガは拳を鳴らす。
「次はいよいよザンガだ」
ゼインは静かに笑う。
「その前に、一度王都へ戻るんだろ?」
ミリアは大きく頷いた。
「セシリア様や教皇様に報告しないと。エリクサーが完成したことを」
彼女は青空を見上げる。
自分たちの帰りを待っている人たちがいる。
ミリアたちは晴れやかな表情で天空神殿を後にした。
彼らの背中を、ミドナとリッカはいつまでも見送っていた。
高く澄んだ空を、一羽の白い鳥が翼を広げて飛んでいく。
希望を胸に抱いた旅人たちは、再び王都への道を歩き始める。
それが、新たな運命への第一歩になるとも知らずに。
第三章 『勇者の光』は完結になります。
次回はCharacter Statusと幕間のちょっとしたお話になります。




