第1話 ハロースライム
「森田。夜は10時に出てファミレス三件回るからな。9時には来て積み込みしとけよ」
「あぁはい。わかりました」
「んじゃもう帰れ」
朝9時。深夜のビルメンの仕事が終わり、帰って寝て、起きたらまた仕事だ。もう3ヶ月は休みがない。昼間が休みだから今日は「休日」らしい。
安い給料でいいように使われているが、他に何か出来るわけでもない。というか、退職を申し出るとか、他を探すなんて面倒だ。
自転車で30分かけてアパートに帰る。袋ラーメンにカット済みのパック野菜セットとウィンナーを放り込んで出来上がり。
PCをつけて動画を眺めながら食べる。後は寝て、起きたらシャワーを浴びるだけ。買い物はほとんど通販で済ませ、友人も趣味もない。
森田覚。32歳。
今日も変わらず、何も無い、面倒なだけの一日だ。
別に自分を不幸だなんて思っちゃいない。楽しいとも思っちゃいない。何にも興味が無いなんてわけでもない。ただ、何をするのも面倒なんだ。
寝る前にトイレに行っておこう。トイレに行きたくなって目覚めたら面倒だからな。
ただそれだけ、特にもよおした訳でもないが、トイレに入った。
「は?」
しかし、そこには草原が広がっていた。
「何だ…これ……?」
後ろにはほんの2歩分ほどの小さな廊下。いつもの部屋だ。
一歩下がれば部屋に戻る。だが、トイレのドアの向こうには、汚い便器の代わりに緑の草原と澄み渡る青空が広がっていた。
こんな漫画みたいな展開が、俺なんかに訪れるなんて。こんなのは、未来ある少年少女や、もうちょっとやる気に溢れる人間にこそ有るべきじゃないのか?
そんなことを考えながらも、流石に多少の興味は湧いてくる。
緑の芝なんて、もう何年も歩いてない。青い空を見上げるのすら、いつぶりだろう。爽やかな風が吹き抜け、忘れていた何かが胸に迫る気がする。
少しだけ歩いてみたくなった。この綺麗な世界を、少しだけ。
だが、安全なんだろうか?辺りをキョロキョロ見回すと、草原に出て左手の方で丸い何かが跳ねていた。
透明な……水?自力で動いてるのか?
頭に浮かんだのは「スライム」だった。ゲームの最序盤に出てくる一番の雑魚。
そんな物がリアルに存在すると考えているわけじゃないが、この不思議な現象の中では否定しても仕方ないだろう。
……とりあえずやっちまうか。
うだうだ考えずに、ゲシッと蹴り飛ばしてやった。だがしかし――
「げうぅ!」
なんと、蹴り飛ばしたスライム?が反撃してきた。腹に突撃されて結構痛い。
「やろうふざけやがって!」
何もしていないスライムを襲ったのは俺だ。だが、俺たちは既に敵同士なのだ。もはやそこに理屈は存在しない。
俺は流し台の包丁を手に取り、跳ね回る邪悪なスライムをぶっ刺した。
ぶちゅり。一刺しすると、破れた風船のように謎の中身が飛び出し、べちゃりと潰れて動かなくなった。
「ふぅ。しょうもないことをしてしまった。包丁が傷んじゃうと面倒だな」
訳が分からんが、安全な場所では無いようだ。とりあえず、そこらで大地に栄養を捧げて戻ろう。
ポンッ!
突然小気味のいい音がした。スライムからだ。だがそこにはスライムの残骸は無かった。
代わりにあったのは――
「100円玉?」
謎の世界。スライムっぽい何か。それを倒すと手に入る現金。
たかが100円。されど100円、俺はこの先に起こることをすぐに想像した。
「あ、森田です。急に実家に帰ることになったので辞めます」
適当に嘘をついて電話をぶちきった。