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邂逅、その名も織田信長

 隙を窺うように、巨大な虎の怪魔はゆっくりと三人の周りを歩く。信盛とお市はそれに合わせて身体を動かし、一切の隙を見せずに向かい合う。

 完全な膠着を破ったのは、怪魔だった。信盛が体の向きを変えようとした瞬間を狙い、力強く踏み込み襲い掛かる。信盛はサッと躱すと、その口元に刀を差し込み押し返す。


「んん......むん!」


 突き刺した巨大な刀は怪魔の食道を突き破り、背中から腹下までを一気に引き裂いた。怪魔は一瞬身体を強張らせ、信盛に覆い被さる様にして力尽きる。

 しかし気を緩める暇もなく、新しい怪魔が霧の中から飛びかかってくる。


「せいっ!」


 すかさず反応したお市が、背後から一鉄に飛び掛かった怪魔を一薙ぎで両断する。口から上下に別れた怪魔は血しぶきとともに地面に落ちる。しかしその血しぶきに隠れるように、更に一体の怪魔がお市目掛けて突進する。


「きゃっ!」


 不意を突かれたお市は、そのまま押し切られ転倒する。幸いアーマーのおかげで怪我はなかったが、危険な状況には変わりなかった。

 猿のような怪魔は倒れたお市に跨ると、とどめを刺そうと拳を顔めがけて振り下ろす。


「......しまっ!」

「お市様!」


 信盛は助けに向かおうとするが、新たに霧から出てきた牛の怪魔によって止められる。


「くっ! これでは――」

「うおおおおお! させるかぁ!」


 拳が振り下ろされたまさにその時、一鉄はお市を助けるべく体当たりする。一鉄では当然勝てるわけもないし、恐怖心から自分でもわかるほど足が震えていた。しかし優しい一鉄は、自分を助けてくれた恩人の危機に自然と足が動いていた。

 運動部で鍛えていた身体が幸いし、勢い良くぶつかった一鉄は怪魔を押しのける事に成功する。

 怒りの咆哮を上げた怪魔は一鉄に飛び掛かる。


「させません! 風切り!」


 直後、態勢を立て直したお市が妙な言葉とともに腕を振る。すると次の瞬間、空気の線がお市の腕を沿うようにして打ち出され、怪魔を空中で切り裂く。

 バランスを失い一鉄の後ろに倒れ落ちた怪魔は、なおも戦おうと身体を持ち上げるが、目の前に来たお市が振り下ろした刀によってあえなく絶命した。


「危ないところでした。お助けいただき感謝致します」

「い、今のって......」

「? 今のとは?」

「なんか手から出してませんでした?」

「......もしかして、魔法をご存知ないのですか?」


 手を差し伸べたお市は、驚いた様子で聞き返す。

 魔法? 戦国時代に、ファンタジーの代名詞と言われている魔法?

 もはや何が何だか、一鉄の頭はショート寸前の機械のように煙を上げている。


「無事でしたかお市様!」


 向こうで怪魔を処理した信盛が、慌てた様子で駆け寄ってくる。彼は無事なお市を確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。


「何とか......この方のお陰です」

「なんですと⁉」


 お市から話を聞いた信盛は、放心状態で立ち尽くしている一鉄を見て言葉を失う。こんな武器も持たないひ弱な小僧が、と信盛は己の考えが間違っていたことへのショックと、信じられないといった疑念でいっぱいになった。


「......おい、小僧」

「は、はい!」


 少し思慮した後、信盛は放心状態で立ち尽くしていた一鉄に向き直る。

 信盛の低い声で我に返った一鉄は、再び身体を強張らせて彼に向き直る。しかし威圧感はあるものの、信盛の口調は先程と違い殺気がなくなっていた。


「先ずは礼を言おう。主君の危ない所を救って頂き、誠に感謝いたす」


 初めて会った時とは打って変わり、信盛は兜によって下げれない頭の代わりに膝をついて礼を伝える。

 お市も、信盛の後ろから深々と頭を下げる。


「別に気にしていませんから! 顔をあげて下さい!」

 褒められなれていない一鉄は、恥ずかしさからすぐに二人に顔を上げてもらう。


「随分と謙遜しているな小僧。お主、名は何という?」

「南一鉄です」

「ふむ、ここいらでは聞かぬ名だが、何処かの家の者か?」

「い、いえ。というか......その……」

「どうかしたのか?」

「えっと……ここって、一体何処なんですか?」


「「......はあ?」」


 一鉄の素っ頓狂な答えに、お市と信盛は気の抜けた声を出す。しかし彼の今の状況を鑑みれば妥当な質問だろう。場所はもちろん、時代も戦国と似て非なるものを感じていた彼は、一先ずの状況整理のためにと思ったのだ。

 お市達は顔を見合わせて、再び一鉄をまじまじと眺める。自分たちとは違う着物。魔霧の中でも生身で動ける身体。そして先程から続くおかしな言動。二人の目に映る一鉄は、同じ人間というには何処か異質であった。


「信盛殿、これは一度兄上の下に連れて帰った方が良いのでは......」

「某もそう思いますが……如何せんここまで得体が知れぬとなると……」


「流石引き佐久間。随分と慎重ね信盛」


 不意に、お市ではない別の女性の声が聞こえる。一鉄が驚く暇もなく、お市の背後から黒いアーマーに身を包んだ女性が現れた。


「でも残念、あの方から連れて来いと命令よ」

「帰蝶様!」

「お義姉様!」


 帰蝶と呼ばれた女性は二人の間を通り抜け、驚いた様子で呆然としていた一鉄へ素早く歩み寄る。彼女は訳も分からず混乱している一鉄の頬を掴むと、品定めをするように鉄の指を体に這わす。


「はの……何を……」

「本当に生身のようね。筋肉はあるようだけど、何で平気なのか気になるわぁ?」


 帰蝶は一鉄の話など聞こえておらず、興味深そうに身体をいじる。一鉄は手を伸ばして止めようとするが、気付いた時には身体ごと両腕をがっちりとホールドされており、身動きを取れなくされていた。


「なんなんですか一体⁉」


 女性のいい匂いと、鎧越しでもわかる柔らかい肌の感触に、一鉄は恥ずかしさと少しの快感を覚え顔を熱くする。しかし腕を振りほどこうともがいても、帰蝶は全くもってびくともしない。


「おおおおおお義姉様! 何をなさっているのですか⁉」


 すぐに、お市が大慌てで二人を引き剝がす。帰蝶は先程と違いするりと腕を解き、続け様にお市を抱きしめる。


「男はこうすると喜ぶのよ。お市ちゃんも覚えておくといいわ」

「お義姉様は既に夫婦でしょう! ましてや初対面の男性に......はしたないです!」

「うふふ......ごめんなさいね坊や」

「あ……いえ」


 一鉄は正直、悪い気分ではなかった。気味の悪さはあったものの、あれをされて喜ばない高校生男子はいないだろう。


「帰蝶様、本当に信長様が?」

「ええ。半刻後には評定をやると恒興に言ってたわ。恐らく、その坊やの事でしょう」


 既婚者で信長の妻。ということは恐らくこの人が帰蝶、濃姫で間違いないのだろう。ゲームなどでは見たことがあるが、想像していたよりもっとお姉さまキャラで驚きである。

 加えて、一鉄は信長が自分と会おうとしていることに驚いていた。あの織田信長に会えるなど、歴史好きにはたまらないシチュエーションである。


「ということで、その坊やは私が清州まで連れて行くわ」

「清洲城にですか⁉」

「ええ。あの人が待ってるわ、急ぎましょ」

「? 急ぐって一体――」


 がしり。

 一鉄が返事をするより早く、帰蝶は彼の背後に回り込み再び身体を抱きしめる。一鉄が背中に当たる柔らかい物体を認識した時には、既に抜け出せないほどしっかりと拘束されていた。

 もう一度言おう。一鉄は正直、悪くない気分だった。


「じゃ、一足先に戻るわ。気を付けてね二人とも♡」


 誰かが声を発するよりも早く、一鉄の足裏から地面を踏んでいる感覚が消えうせる。顔に強く吹きつける風、かき分けるようにして消えていく霧。一鉄はようやく、自分が高速で移動していることに気付く。


「あの……二人は大丈夫なんですか⁉」

「大丈夫。簡単に死ぬようなたまじゃないわ」

「ほれなら......うっ!ごほっ......」

「ちょっと苦しいかしら。少しだけ辛抱してね坊や」


 すぐにといっても、もう既に限界なんですけど!

 心の中で叫んでいると、目の前の視界が明るくなる。霧の中にいたせいか、強い光によって眩んだ目が落ち着くと、広々と続く一面の平原が、そして遠くには巨大な城の一部が薄っすらと見えていた。


「うわあ......飛んでる......」

「ふふ......素敵な感想をありがとう。もう少しだけ、辛抱して頂戴」


 先程よりもスピードを落とし、帰蝶は美しい草原を素早く通り抜ける。背後にはあの黒い霧が、なおも色濃く一帯を包んでいた。

 みるみるうちに城が大きくなっていき、やがて五分もせずに巨大な平城が、活気にあふれた城下町が姿を現す。人々は見えていないのか、誰も一鉄達に気づくことなく生活している。


「ここが......清洲城......」

「凄い活気でしょう? でもまずは、あの人に会いに行きましょうか」


 すごい勢いで町を通り過ぎ、石垣造りの城壁を飛び越えて、帰蝶は一番大きな邸宅の庭先に音もなく着地する。砂埃一つ巻き上げず、帰蝶は優しく一鉄を離す。


「お疲れ様坊や。大丈夫だったかしら?」

「はい! ......これが、清洲城......」


 本物の城が、目の前にある。本物の城に、脚をつけて立っている。一鉄はこの事実に興奮して辺りを見渡す。資料館で見たことがあるその景観に、一鉄は本当に自分が戦国時代に来たのだと実感する。


「来たか、特異なる者よ!」


 不意に、右手から大きな男の声があがる。驚いてそちらに振り向くと、そこには織田木瓜の入った大紋姿の男が一人、顔一面に笑顔を浮かべて立っていた。


「よくやったぞ帰蝶。褒めて遣わす」

「ありがたき幸せにございます、殿」


 先程までとは打って変わり、膝をつき深々と礼をする帰蝶を見て、一鉄は彼の正体に気づく。彼女が頭を下げる人間は、大名の妻である彼女が殿と呼ぶのは一人しかいないはずである。

 つまり、目の前にいる男こそが。歴史に名を刻み、天下まであと一歩まで迫った男。そう、彼こそが――


「余は織田上総守信長である。歓迎しよう、特異なる者よ!」


 ――尾張の戦国大名、織田信長であった。

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