今度は侯爵のお願い
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──今度は侯爵のお願い
俺が石鹸類の類を持ち込んでから7日後のことである。
クリストフさんが急いだ様子でグリムシュタット村に戻ってきた。
「ジンさん。コーヒーを大量に仕入れることは可能でしょうか?」
そして、クリストフさんはヴォルフ商会の事務所に入るなりそう尋ねる。
「コーヒーを大量に、ですか? まあ、別にできなくはないですが、フリーデンベルクで何かあったんですか?」
俺は疑問に感じてそう尋ね返した。
「実はですね。貴族の方から注文があったのですよ」
「おお。そうなのですか?」
「ええ。フィリップ・フォン・ハーゲンフェルト侯爵閣下からの注文です」
知らない人だが、侯爵ってことは結構偉い人だよな……? アルノルトさんは伯爵だから、その1個上か?
しかし、貴族の方がコーヒーを買い求めているとは。これまで貴族への販路は主にアルノルトさんに任せていたので、クリストフさんが持ち込む話としてはかなり珍しい。
「分かりました。どれだけあれば十分ですか?」
「そうですね……。いつも魔法使い連盟内の店舗に卸すのと同じくらいの量があれば」
「そ、そんなにたくさんのコーヒーを個人で購入されるのですか……?」
俺が魔法使い連盟向けに出しているコーヒーはかなりの量だ。インスタントながら数万近くするぐらいの量を買っては送っている。
「何もおひとりで飲まれるわけではありませんよ。王都に持ち帰られて、広めたいと仰っているのです。どうでしょうか? 王都にまでヴォルフ商会の名が広がれば、めでたいことだと思うですが」
「う~ん。そうですね。それは良さそうですが、一度アルノルト様たちに相談しても? 貴族相手の販路はアルノルト様たちに任せていましたから」
「そうですね。連絡はしておくべきだと思います」
報連相は大事だ。今はアルノルトさんとニナさんに貴族向けの販路は任せていたので、問題がないか聞いておかなければ。
というわけで一度お城に行ってアルノルトさんの意見を聞く。
「別にいいんじゃないかな?」
アルノルトさんはすぐにそう言ってくれた。
「販路は多ければ多いほどいいだろう? それに私とクリストフ君は同じヴォルフ商会の一員だ。別にライバルではないのだからね」
「ありがとうございます、閣下」
アルノルトさんが快諾するのにクリストフさんが深々と頭を下げる。
「お願いするとしたらヴォルフ商会のこととグリムシュタット村の村のことを宣伝しておいてほしいことぐらいだよ。ははは」
「そうですわね。なかなかグリムシュタット村の知名度は上がっていませんもの」
アルノルトさんが笑い、ニナさんはため息。
「ところで、アルノルト様とニナ様はフィリップ様とはお知合いですか?」
「いやあ。接点はそんなにないね。フィリップ卿は歴史ある大貴族だが、私たちはぽっと出の新興貴族だから」
俺が尋ねるのにアルノルトさんは首を横に振る。
「しかし、フィリップ卿は文化人として知られていますね。あの方がコーヒーなどのヴォルフ商会の品を気に入っていただけたら、きっと王国中の貴族が同様に商品を買い求めるかもしれませんわ」
ニナさんはそうわくわくしている様子だった。
「そうだね。せっかくなのでコーヒー以外にも売り込みをかけてみてはどうだい?」
「ふむ。コーヒーとセットに同じように味わえる紅茶などでしょうか?」
「いいじゃないかな。とはいっても、仕入れるのはジン君だから彼次第なのだが」
そう言ってアルノルトさんとクリストフさんが俺の方を見る。
「分かりました。日持ちするお菓子なども準備しておきます」
「おお! ありがとうございます、ジンさん!」
というわけで、俺は新しい販路として期待されるフィリップさんという貴族のためにコーヒーと紅茶、それからお茶菓子を仕入れることにした。
市内の商業施設に向かい、そこでそこそこいいコーヒーと紅茶を買いあさる。これは値段がそれなりならば美味しいだろうという考えである。これまで安いインスタントコーヒーとペットボトルの紅茶で満足していた違いの分からぬ人間ですので……。
そんなこんなで段ボール1箱のコーヒー&紅茶を購入。いつものように不審がる店員さんの視線を浴びる。
「あとは日持ちのするお菓子、と」
異世界のものの流れを考えるとかなり余裕を持っていないと、賞味期限が切れてしまうと思われる。そうなってしまい食中毒など起こされてはヴォルフ商会の信頼にかかわる問題だ。
なので賞味期限に注意しながら十分に長いクッキーなどを購入。
これらを持っていざ異世界へ!
「リーゼ。クリストフさんはいる?」
「お城にいるよ~。呼んでくるね!」
そういうとリーゼはお気に入りになった自転車で颯爽とお城の方に向かう。グリムシュタット村に限れば異世界でも自転車はそこまで珍しい品ではなくなっている。
「ああ。ジンさん、どうでしたか?」
「こちらになります」
俺はどさりとコーヒーと紅茶、そしてお茶菓子が詰まった箱を置く。
「おお! ありがとうございます。では、早速フィリップ様にお届けしますね」
「はい。お願いします」
こうして俺たちはクリストフさんをグリムシュタット村からフリーデンベルクへと送り出した。
「さて。一仕事終わったところでお茶にしよう、リーゼ」
「そうだね。紅茶にする? コーヒーにする?」
「紅茶にしようか。お菓子もあるよ」
「えへへ。こういうのって役得だねぇ~」
俺とリーゼは事務所で紅茶を楽しみながら、ちょっとお高いクッキーなどのお菓子を味わったのだった。
* * * *
それからフリーデンベルクへと戻ったクリストフは高級宿に宿泊しているフィリップの下を訪れた。
「閣下。お待たせして申し訳ありません。こちらが商品となります」
「おお! 待ったかいがあったよ!」
フィリップはコーヒーと紅茶、お茶菓子の詰め合わせに満足げ。
「お菓子の方は閣下への贈呈品となります。お茶と味わわれてください」
「すまいな。いやはや、どれも見たことがないほど上品な包みに入っている……」
フィリップはコーヒーや紅茶の収まっている紙箱から眺めてさらに満足げだ。
「しかし、君たちヴォルフ商会は様々な品を扱っているのだね。2週間、このフリーデンベルクに滞在して王都でも見たことのないような品をいくつも見かけた。どれも驚かされるものばかりであったが、それらのほとんどがヴォルフ商会の品だという」
「はい。実を言いますと、恐らく閣下もウィスキーなるお酒について聞かれたことがあるのでは?」
「ああ。国王陛下が痛く気に入っておられた酒精の高い……まさかあれも?」
「そうです。ヴォルフ商会はグリムシュタット村にいる凄腕の職人によって作られた品を扱っているのですよ」
「グリムシュタット村……。ああ、確かアルノルト卿が治める土地か。あそこには何もないと思っていたが、そのようなことはなかったのだな……」
そう言ってフィリップが考え込む。
「その職人の弟子などはいないのかね? いるのならばぜひ支援させてほしい」
「あいにく存じません」
「ふうむ……。残念だが王国の貴族の庇護下にあるのあらばよしとしよう」
フィリップは弟子がいるならば自分の領地に招待しようと思ったようだが、そのような甘い考えは通じないとすぐに分かったようだ。
「では、私はこれを王都に広めてくる。今回は取引できたことに感謝する」
「いえいえ。こちらこそ閣下の知己が得られたことを嬉しく思います」
フィリップはコーヒーなどの代金として金貨をどさりと渡し、ヴォルフ商会は大儲けとなったのだった。