フリーデンベルクの新しい流行と
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──フリーデンベルクの新しい流行と
今、フリーデンベルクで誰もが手に入れようとしているものがある。
それはコーヒーと紅茶という飲み物だ。
朝の目覚めとともにコーヒーを味わう。午後の時間に紅茶でお茶会をする。
そのようなことができるのは裕福層の証と言われ、その新しい生活習慣に追いつこうと誰もが少数しか流通していないコーヒーと紅茶を求めた。
しかし、どちらも手に入れるのは容易ではない。
「手に入ったか?」
「ダメです。商業ギルドの方は既に完売でした」
「魔法使い連盟の方は?」
「魔法使い連盟の会員以外には販売しない方針になってしまい……」
商人たちは顧客のために必死にコーヒーと紅茶を追い求めるが、本当に僅かにしか流通していないそれを前にくたびれ始めていた。
「そもそも誰がコーヒーと紅茶を持ち込んだんだ?」
誰もが疑問に思うのはその点だ。
コーヒーと紅茶はいつの間にかフリーデンベルクに流通していた。それを持ち込んだのは誰なのかが分からない。
最初にそれが出回ったのは魔法使い連盟であり、魔法使い連盟のフリーデンベルク支部長であるテレジアが客にそれを提供したことで認識された。
「何でもノートとボールペンを流通させているのと同じ商会だとか……」
「ヴォルフ商会か……」
最近の名前が聞こえるようになったヴォルフ商会。
しかし、それは謎の包まれている……。きっとその存在を隠そうとする貴族や豪商がいるのいだろうと人々は推測していた。
……だが、現実はそういうわけではなく、ただヴォルフ商会はまだシンプルに宣伝を行ていないだけである。
「この度はお招きいただきありがとうございます」
お茶会の文化が定着したのはフリーデンベルク市の市長ゲオルグにおいてもそうであり、彼はお茶で客人をもてなしていた。
今日、もてなされているのはヴォルフ商会のクリストフと魔法使い連盟支部長のテレジアだ。
お茶会の席には他に顧問のユリウスが同席している。
「君たちヴォルフ商会には世話になっているからね」
香ばしい香りを立てる紅茶を前にゲオルグがそう言う。
お茶菓子は以前、仁からもらったクッキーを模して作られたビスケットだ。だが、地球から仁が持ち込んだクッキーほどには食感は柔らかくならず、未だに満足のできる品質ではなかった。
お茶会の文化が生まれると同時にお茶会の席で食するお菓子などの文化も育まれ始めていた。そこでもヴォルフ商会のお菓子が売れていたりする。
「それで、クリストフ君。新しい商品を扱い始めるのだとか?」
「はい。これには皆さん驚かれるかと思いますよ」
クリストフがにやりと笑って取り出すのは、早速商品となった卓上計算機だ。
「これは?」
「計算機です。どのような問題でも解いてしまう伝説のアーティファクトのようなものですよ。試してみられますか?」
「ぜひ」
クリストフから計算機を受け取ったゲオルグはぽちぽちとボタンを押していく。すると、瞬時に答えが表示されて皆が『おおーっ!』と驚く。
「検算してみてくれ、ユリウス」
「ええ」
ユリウスが暗算で検算を行うが、間違った答えではないと分かった。
「素晴らしいな。これがあれば仕事は遥かに早く終わるだろう。それで生じた時間で新しい事業を始めることすら可能なはずだ。これはいくらで扱うつもりなのだろうか、クリストフ君?」
「あまり安すぎると既存の計算機を作っているものたちにから顰蹙を買うでしょう。なので金貨1枚と考えております」
「それでも安すぎるくらいだな」
これがあれば多くの時間と人を削減し、効率的な事業が行える。ゲオルグはまずフリーデンベルク市にこの計算機を是非とも導入し、仕事の徹底した効率化を図りたいとそう思った。そうなれば金貨1枚や2枚など微々たる出費だ。
しかし、この世界の計算機であるそろばんのようなものは銀貨4、5枚で買えるので金貨1枚でもという卓上計算機への厚い信頼がうかがえる。
「魔法使い連盟のお店でも扱う予定はありますか?」
「もちろんです。魔法使い連盟にはお世話になっていますし、若干の値引きも考えております」
「それは嬉しいですわ。きっと魔法使いたちもそれを欲しがると思います。魔法にもたくさんの計算が必要になりますからね」
魔法使いたちもその立場上、計算をすることが多い。魔法陣を描く際の適切な角度などを導き出すのにも計算が必要だし、魔法使いがかかわる天文学などでも計算は必要になってくる。それを間違わずに導き出せるならば、誰もが金貨1枚を惜しむまい。
「いやはや。便利な世の中になりますな」
「うむ。グリムシュタット村への優遇策の方もそろそろ実行に移さなければな。そろそろ冬が訪れる。農作物以外に村人が扱う手工芸品なども出てくるだろう。そうなるならば、そのような手工芸品を買い取る際の優遇策も必要だ」
「ええ。閣下。グリムシュタット村の発展をヴォルフ商会のジンさんは望んでいます。彼のその思いに応えれば、彼もまた我々フリーデンベルクとともに繁栄していくことに同意するでしょう」
「ああ。ジン君の機嫌を損ねてこうしてお茶会が開けなくなるのは困るしな。ははは」
お茶会がこうして開けるのも仁がゲオルグたちに優先的にコーヒーと紅茶を販売しているたためだ。
お茶会と言えども馬鹿にできず、こうして美味しい紅茶がここだけで出せることで、遠方から要人が訪れることもあるのだ。そのような要人との繋がりは、フリーデンベルク市にとって大きな利益を生むものとなる。
お茶会の場は外交の場となりつつもあったのだ。
「しかし、グリムシュタット村の農閑期の特産品というと何があったかな?」
「存じ上げません。少なくともフリーデンベルクとの取引はこれまでなかったのでしょう。ですが、ヴォルフ商会が何かしら面白いものを作ってくれるはずです」
「そうだな。期待しておこう」
そう言ってゲオルグとユリウスのふたりはクリストフを見る。
「ええ。必ずご期待の沿える品をご準備いたします」
と言ってもクリストフもこの時点では仁が何を準備しているのか知らなかった。
あまり農業に詳しくなく、農閑期があるということを把握しているかも怪しい仁が、農閑期に村人の仕事になることをちゃんと考えているのか……。……クリストフはあとで仁に連絡しておこうと思った。
「今でこそグリムシュタット村は無名の場所ですが、やがては発展し、フリーデンベルクを上回るときがくるかもしれませんな」
「ははは。そうかもしれないな」
そんな雑談を交わしながら、お茶会は終わりとなった。
フリーデンベルク市で流行り始めたお茶会。
これまでなかった文化が生まれた影響は少しずつ周囲に影響を与えていた。
遠方からフリーデンベルク市を訪れお茶会でもてなされた貴族が自分の領地に戻ってからもお茶会を開きたいと言い出し、遠方にもお茶が運ばれてお茶会が始まる。
そして、商品というものは遠方に行くほど物流費で値上がりするもので、コーヒーと紅茶は金貨で取引されるものとなっていた。そして、同時に遠方ではお茶会が開ける貴族こそが最新の流行にも通じたセンスのある貴族、などという風潮が生まれ始める。
その噂はフリーデンベルク市から離れた王都にも聞こえ始めていた。
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