最初の取引
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──最初の取引
「では、クリストフとの取引に入らなければいけませんね」
ヴォルフ商会の記念すべき初取引は、グリムシュタット村を訪れた最初の商人であるクリストフさんとの取引だ。
「クリストフさんとはノートとボールペンの取引ですね」
「きっとクリストフさんも喜んでくれますよ!」
俺はクリストフとの取引に使うノートとボールペンを既に箱で買って、グリムシュタット城の倉庫に保管しておいた。いつでも取引は行えるだろう。
「基本的に銀貨10枚での販売になりますが、あとはクリストフとの交渉次第ですね。彼の手並みを拝見しましょう」
「商談ってわけですね……。大丈夫かな……」
俺は地球でも優れた営業というわけではなかった。営業もやったことはあるって程度であり、本格的な商談の経験はないのだ。主に事務方だったからね……。
「大丈夫です。クリストフが賢い商人であれば、あなたを騙すようなことはないでしょう。あなたを騙して一度限りの取引で利益を得るより、これからも取引を続けた方が得であると分かるはずですから」
「ですね。こんなに素晴らしい商品を扱っているのはジンだけですから!」
ニナさんとリーゼがそう言って俺を安心させようとしてくれる。
「いざとなればグリムシュタット伯爵家の名前を出したまえ。そうすれば相手も下手なことはするまい」
アルノルトさんもそう言ってくれた。
「では、健闘を祈りますよ、ジン」
「はい」
というわけで、俺とリーゼはクリストフさんとの取引に向かう。
「ふふふ。ジンが商会長で私が副会長。そして、これが最初の共同作業だね」
「ああ。頑張ろう、リーゼ。上手くやってニナさんたちに認めてもらおう」
「おーっ!」
俺とリーゼはそう励まし合う。
「クリストフさん。お待たせしました。いろいろとありまして」
クリストフさんは集会場にいて、エリザさんと品物を冷やかしに来る村人の相手をしていた。一部の薬草などは売れたみたいだけど、毛皮や敷物はまだまだグリムシュタット村の住民には手が出ない。
「ええ。聞いております。商会を立てられたとか?」
「ヴォルフ商会と言います。これから末永くお付き合いができれば幸いです」
「こちらこそ」
まずは挨拶を行い、礼儀を尽くす。
「さて、今回クリストフさんと取引したいと思います商品はこちらです」
俺はそう言ってボールペンとノートを差し出す。それを見たクリストフさんは目を見開いたのちに、恐る恐るノートを手に取った。
「これは……。驚くほど白い紙ですね……」
ぱらぱらとノートを開いて、その白さに驚くクリストフさん。この世界の紙として使われている羊皮紙だとどうしても真っ白にならないという点があるので、こうして真っ白なノートはそれだけで珍しいのだ。
「そのノートにこちらのボールペンも試してみてください。きっと驚きますよ~?」
「ボールペン……?」
リーゼはそう言ってクリストフさんにボールペンを使うように促す。
リーゼに使い方を教わって、クリストフさんはボールペンを真っ白なノートの上に走らせる。インクが切れることもなく、滑るような書き心地に驚いて、再び目を見開くクリストフさん。
「こ、これは! いやはや……。もう驚いてばかりです……」
そこでじっとクリストフさんが俺の方を見る。
「これをあなたが作られたのでしょう、ジンさん?」
「え?」
「話は聞いております。グリムシュタット村の凄腕の職人の正体があなただと」
「ええ!?」
どういう誤解か俺がニナさんが流した凄腕の職人だとクリストフさんは誤解しているようだった。職人と言うのはカバーストーリーであり、そんな人はいないので、実際には該当者はいないのだが。
「ち、違いますよ。そうですね。けど、職人と親しい立場にあるのは事実です」
「そうなのですか?」
「ええ。自分はヴォルフ商会の商会長として職人さんと直接取引しております」
ある意味では嘘はついていない。日本で商品を買いこんでいるのは俺だ。
「では、その職人と直接取引することはできませんか?」
「それは無理ですね。ですが、グリムシュタット村まで来ていただけるならば、割引はいたしますよ。自分たちヴォルフ商会は立ち上がったばかりで、外への販路と言えばグリムシュタット伯爵家の伝手だけですから」
「なるほど……。そうであればお力になれます。自分のような交易商は様々な販路を知っていますから」
「おお!」
それからクリストフさんはノートとボールペンを売るならば、まずは自由都市の商業ギルドを相手にすると戦略を語り始めた。
「自由都市には様々な商人が集まり、少なからず商業ギルドとやり取りをします。そこにこのノートとボールペンが置かれていれば……。この商品の価値に気づかない商人はひとりも存在しないでしょう」
「なるほど。効率的な宣伝になるわけですね」
「その通りです」
この世界には新聞も、テレビも、ましてSNSもない。商品を宣伝するには口コミしかないのである。
「ジンさんはこのノートを1冊いくらで売られるおつもりですか?」
「銀貨10枚が希望する価格ですね」
銀貨1枚は庶民の1日の稼ぎで、10枚になると羊が2、3頭買えるのだとか。ノート1冊がそれだけってのは割と高値の設定だ。
「悪くありません。ですが、慎重にゆっくりと扱われた方がいいかもしれません。羊皮紙などを作っている商人たちにとって、こんな質のいい紙がずっと安く出回るのは脅威に映るでしょう。彼らが商売を妨害しようとするかもしれません」
「はあ。そういうリスクもありましたね。困ったな……」
俺は意図せずしてこの世界の既存の業界に対する商売敵になってしまう可能性があったのだ。そこは考えていなかった。
「なので、味方を増やしましょう。まずは魔法使いたちです」
「魔法使い、ですか? リーゼのような?」
「そうです。失礼ですが、お聞きします。リーゼロッテ様はかなり高位の魔法使いであられるのでは?」
クリストフさんはそうリーゼに尋ねた。
「ええ。まあ、アークメイジの階級にあります」
「やはりですね」
アークメイジってなんだろう?
「ジン。アークメイジっていうのはね。魔法使い連盟の上からふたつ目の階級だよ。そこそこ魔法が使える魔法使いってことだよ。本当は弟子を取ったりしないといけない階級でもあるんだけどねぇ」
「それってリーゼは凄いってこと?」
「あはは。一応はグリムシュタット伯爵閣下にお願いされて赴任するぐらいだから。基本的に私のような階級になると、国や自由都市の顧問になったりするよ」
「ええ!?」
思った以上にリーゼは凄かった! 国や都市の顧問って……日本で言うなら高級官僚とか大学の偉い先生みたいなものだしな……。ただのサラリーマンだった俺よりずっとずっと上の人間じゃないか。
「なので、リーゼロッテ様はご存じかと思いますが、魔法使いは紙とペンの両方を特にお使いになるお仕事でしょう。彼らにこの安くて質のいい紙とボールペンを売れば、間違いなく魔法使いたちが我々のバックについてくれます」
「そうですね。魔法使い連盟になら私も口利きできますよ」
「是非ともお願いします。まずは流通量を絞り、自由都市の商業ギルトと魔法使い連盟を中心に流通を目指す。これできっとこのノートとボールペンは大金に化けますよ。私の商人としての長年の経験がそう言っています……!」
クリストフさんはそう意気込みを明らかにした。
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