敵
村の奥の沼地で、ピックとロナとクエンはボス・ガス・ホイップを撃破した。
そのあと――クエンが、ロナに向かって発砲した……!
クエンは片目に単眼鏡をあてがっている。
単眼鏡はスコープになっており、その照準は正確だ。
スコープの中心に映るのは、金髪の少女ロナ。
今のクエンは右手に単眼鏡を、左手にハンドガンを持つ。
クエンのハンドガンには、音や光を消すサプレッサーが内蔵されている。
彼の構える動作を見ていない限り、よけるのは不可能と言っていい。
一秒にも満たない刹那のなかで、ロナの危機を救ったのはピック。
……ではなかった。
現在、ピックの武器である赤いオクトパスは沼に着水し、白いスクイードは沼の上を旋回している。
自前のフリスビーも、クエンの立ち位置には即座に届かない。
だから単純に、この場でロナを危機から遠ざけたのは――ロナ自身であった。
ロナは、こうなる可能性を自分で考えていた。
天井の沼地から飛びおり、真下の地面に靴をつけた時点で、ロナは……。
クエンの射線の延長線上に、風車のタイタンを配置していたのだ。
なおタイタンの羽根は……ひらいた状態にして、クエンのほうに向けてある。
そしてクエンの反応を確かめるべく、あえて近くの木をじっと見た。
果たしてクエンはこれをチャンスと捉え、ハンドガンでロナを撃った。
ただし直前、ロナはタイタンの羽根をつかみ――つかんだ羽根を高速回転させていた。
結果、クエンの弾丸は風車の風圧により吹き飛ばされた。
ロナ自身はタイタンの軸に仕込んだアース・パイの重力に取り付き、不動を保った。
石のポニーを右手に構え、ロナはクエンに向きなおる。
……そして、すでにピックも動いていた。
沼の手前で跳躍していた。
水面に浮かぶオクトパスに着地する。
ついで、宙を舞うスクイードにフリスビーを当てる。
フリスビーとぶつかって方向転換したスクイードが、クエンの周囲を回りだす。
まとわりつくようにスクイードが飛び、彼の腕の動きを封じた。
もはやクエンは、ハンドガンの第二射を放てない。
そんな彼の様子を目に入れ、ロナが静かに言う。
「……もしかしてわたし、読み違えたら死んでいました?」
単眼鏡を片目にくっつけたまま沈黙するクエンを、ロナがにらむ。
タイタンの羽根の回転をとめ、言葉を継ぐ。
「クエンさん。口には出しませんでしたが……あなたも村の人たちも怪しいとは感じていました。実力もわからない通りすがりの二人にボス・ホイップ討伐を依頼することといい……きのう死人が出たとは思えないくらいに、きょう会ったみなさんが笑顔だったことといい……変だったんですよ」
……ここでピックが沼から上がり、クエンの背後に回る。
ロナは続ける。
「なによりピックおじさんも気にしていたことですけれど、クエンさんたちの服には大小の差こそあれ、それぞれ同じエンブレムが付いていますよね。……そこに、ただの村以外の……なんらかの思想的な強いつながりがあるんじゃないかとも思っていました」
そのエンブレムには、大口をあけたコミカルな天体と「ハンガームーン」の厳かなロゴが浮かんでいる……。
ちょうどこのときピックは、クエンの上着のそれを見ていた。
「もしかして、クエンさん」
ロナの言を引き継ぎ、オクトパスの泥を払いながらピックが冷静に問いを発する。
「あなたがたのエンブレムがあらわす『ハンガームーン』とは、ココア・サン・クッキーの内部に想定されるハンガーではなく……組合の名前かなにかですか。その組合の目的に適うからこそ、クエンさんはロナさんを始末しようとし、この沼地まで誘導した……そう愚考いたしますが」
「警戒していたのなら」
クエンが沈黙を破り、ゆっくりと口を動かす。
「どうしてノコノコ、僕についてきたんですか」
「……すぐにここを去りましょうか、ロナさん」
ピックはクエンとの話を打ち切り、ウエストポーチからロープを取り出す。
クエンのまわりを飛んでいたスクイードを回収したうえで、彼を手近な木に縛りつける。
「あなたはわたしの問いに対して答えず、話題をそらしました。仲間を売る気はないということです。また、それなりの質問に付き合わせて時間を稼ごうとしているようにも見えます。……しばらくクエンさんが帰らなければ村のみなさんがこちらに来るのでしょう?」
そうなれば、ピックもロナも袋のねずみである。
クエンたちは、二人を村に案内した時点で襲うこともできたのだろうが……。
おそらく「始末するなら証拠の残りにくい沼地で」「手を下す前に二人の実力を見極める必要がある」「ボス・ガス・ホイップと戦闘させて弱らせたうえで確実にほうむろう」「同行するのが一人だけなら油断するはず」などと考えて、すぐには襲わなかったのだと思われる。
ピックはクエンの単眼鏡とハンドガンを草陰に放り投げ、ロナに聞く。
「とにかく、クエンさんはあなたを殺そうとしました。どうします?」
「相手の事情もわからないのに余計なことをしては、こちらの不利になりかねません。でも、やっぱりショックなので……警察には知らせます」
ロナは身震いした。
「すみませんクエンさん……わたしは天使や聖女じゃありません。短いあいだでも共通の目標のために協力できた人から銃口を向けられたら普通に残念ですし、怖いし、ただただトラウマです。裏切られる可能性を事前に考えていても……ですよ」
それからロナとピックは言葉を発さず、クエンをその場に置いて走った。
来た道に対して横方向に進む。
♢♢♢
じめじめした草木を抜けた先に、アース・パイの途切れが現れる。
地面のはしっこから真下をのぞくと、地面と接する壁面が下に向かって延びているのがわかる。
そこからロナとピックが降下――。
百メートル以上落ちたところで壁面が途切れた。
二人が、パイの裏側に到達したのだ。
その裏側の面にロナとピックが靴を当てる。
パイの重力に引かれて二人が体の方向を転換し……。
着地する。
裏面では土のなかから、植物の根っこが生えている。
二人は、根っこのあいだを駆け抜けた。
沼地を載せたパイをあとにし、村を載せるアース・パイの裏に移った。
村の裏面に人影はなかった。
代わりに、墓があった。
墓石は一般的な形状だが、塔のように大きい灰色の物体が一つあるのみだ。
巨大な一個の墓の下に、亡くなった村人たちの遺体をうめているらしい……。
そんな大きな墓を飛び越え、二人はさらに前進する。
こうしてロナとピックは――村の入り口を隠していた例の白い雲の漂う区間に戻ってきた。
ただし今度は、パイの表ではなく裏を通過する。
雲を通り抜け、イソギンチャク型のガス・ホイップを片付けながら道なりに足を運ぶ。
一定距離を進んだあと、道の表側に移る。
突き当たりに来たところでジャンプし、その突き当たりを飛び越えた。
……そのまま突き当たりの裏側に着地する。
これでロナとピックは、もともと進んでいた崖の壁面に戻ったことになる。
当初の予定どおり「青の空域」方向に進路をとる。
「ピックおじさん、ごめんなさい」
うつむき加減のロナが、まぶたを小刻みに揺らす。
「わたしがクエンさんにノコノコついていったから……。結局のところ報酬はパーで、時間も浪費しました」
「ノコノコ同行したのは、わたしもです。ロナさんが謝るのでしたら、わたしも謝ります」
少しもためらうところなく、ピックは「ごめんなさい」と返した。
「それに、先ほどまでの時間は必要だったと存じます。遅かれ早かれクエンさんたちはロナさんに近づこうとしたはず。であれば、早い段階でそれに気づけたのは幸いです」
「慰めていただき、ありがとうございます……!」
うなずいたロナが背筋を伸ばす。
「でも本当に残念でした。クエンさんとは友達になれるかとも期待したんですが」
「ロナさんは年上好きでしたね。だから警戒しているにもかかわらず、彼を信じようとしたのですか」
「話がすべて本当で、裏がない可能性も否定できなかっただけです。そう言うピックさんは、どうしてクエンさんにノコノコ……」
「寄り道してこその旅だからです」
ピックの答えを聞いたロナは、口角を少しだけ上げた。
目だけは笑っていない。
そんなロナが、なにかを決意したように言う。
「だったらわたしも、すべてを無駄なく楽しみます」
この宣言は強がりを含んでいるのか、いないのか。
それは彼女にしか、わからない。