ダンジョン・スワンプ
いったんピックとロナは、「青の空域」に向かう道を外れる。
やせぎすの男のあとを追い、アース・パイのはしから飛びおりる。
……今まで歩いていた道の下に、別のパイが縦に浮いていた。
男に続いて、ロナとピックがそのパイに着地し、重力の方向を新たにする。
イソギンチャクやキンギョに似たガス・ホイップを掃討しつつ道なりに進む。
途中、白い雲が漂う区間があった。
――そこを抜けた先に、村が見えた。
足を踏み入れると、少々湿度のある空気が襲ってきた。
あたりには、木造の小屋がぽつりぽつりと建っている。
村人の何人かが、やせぎすの男に駆け寄ってくる。
「――お帰り、クエンさん!」
どうやら、やせぎすの男の名前は「クエン」と言うらしい。
村に銀行は、なかった。
だが宿屋や料理店の看板は確認できる。
ロナとピックはクエンにより、家屋の一つに案内された。
なかで、十数名の村人たちと車座になる。
クエンから話を聞いたあと、村人の一人がこんなことを言う。
「――お二人が、沼のボス・ガス・ホイップを片付けてくれるそうですね。ヤツのせいで村の空気は悪くなり、我々も沼地を自由に動くことができない始末。よって、もう放置できません。が、村の者だけでは手に余る状況でして……。あなたがたが協力してくださるなら、ありがたい。……あ、もちろん謝礼は、はずみますよ」
「任せてください」
ロナが、自信ありげに胸部をたたく。
「……ついては、事前に相手の情報を提供していただければ助かります」
そんなロナの要望に――村人たちは首肯する。
先ほど「謝礼は、はずみますよ」と口にした村人がロナの言葉を引き取る。
「沼のボスは、大きな翼で宙を遊泳するんですよ。マントのような体で……ひし形のすみの一つに顔があり、その反対側のすみから長い針のような尻尾が生えているんです。針に毒はないので、そこは警戒しなくても問題ありません。一番の脅威は、マントで敵をつつむ攻撃です」
「ありがたい情報です」
背中に負った風車をつつき、ロナが口角を上げる。
「初見だと、どうしても対応が遅れますからね」
「はっはっは、これは頼もしいお嬢さんですな――」
そうして笑顔を向け合い、会話するロナと村の面々。
村人のなかには、ここまで案内してくれた、やせぎすの男――クエンの顔もある。
ちなみにピックも車座に加わった状態で……微笑している。
同時にピックは、村人たちの服装を眺めていた。
全員の服の袖や身頃に、同じエンブレムがあしらわれている。
そのエンブレムは――大口をあけたコミカルな天体の下に「ハンガームーン」というロゴがくっついて、できている。
クエンの羽織る上着にえがかれているものと、同一だ……。
♢♢♢
それからロナとピックは、村の奥の沼地に入る。
共に来てくれたクエンが二人に質問する。
「――本当に、お食事や休憩をされなくても、だいじょうぶですか」
「ええ、クエンさん」
じめじめした沼地を進みながら、ピックが答える。
「五日前には腹ごしらえをしたもので」
……この世界の人々は、十日に一回の食事で生きていける。
なぜなら周囲の大気に、水分や栄養素が多分に含まれているからだ。
つまり呼吸をするだけで、生存に必要な成分を摂取できるようになっている。
解剖すればわかるが、彼らの肺は胃と直接に連絡する。
あごの衰えを防ぐために、定期的に食事をとる必要はある。
また、食べ物や飲み物を体内に取り込むことで得られる楽しみも確かに存在するので、しばらくなにも食べないと、精神的に発狂する。
ずっと眠らなければ苦しいのと同じ理屈と言える。
ただし、おもに呼吸で栄養補給をする以上、それだけ空気に対して敏感に体が反応する。
たとえば……ガスだまりであるガス・ホイップを積極的に人々が駆逐するのも、それだけ空気が人々の生と密接な関係を持つためだ。
よくない空気のなかにいるときは、できる限り息をしないよう注意したほうがいい。
――この沼地にも、よどんだ空気が立ち込める。
ピックとロナとクエンは、必要以上に口をひらかずに目的地へと足を運ぶ。
あたりには植物が茂る。
茶色い木に交じり、大きな草本が無数にはびこる。
草と草のあいだに、濁った水たまりが……いくつも、できている。
クエンによると、それぞれの水たまりが底なし沼であるらしい。
三人の歩く、この地面……アース・パイは、かなりの厚みを有するようだ。
天井にも地面が広がる。
そこからも、数えきれない緑の草が生えている。
真上の地形の様子は、ピックたちの進む沼地とほぼ同じ。
つまり沼地が上下で向かい合っている状況だ。
ただし重力方向は上と下で百八十度異なる。
現空間におけるアース・パイは陶器に似たものでなく、完全に土の特徴を持つ。
植物以外の生物としては鳥や虫、小動物などが生息し、独自の生態系を築く。
そして出現する非生物――ガス・ホイップは、ピラニアやウミウシのかたちをしている。
やはり本物ではない。
ホイップたちは宙に浮いたり背後に回り込んだりして襲いかかってくる。
ピックは遠距離からブーメランを投げる。
接近される前にピラニア型を四散させる。
ロナは草陰に潜むウミウシ型のホイップに石の「ポニー」をぶつける。
ホイップから放出されるガスを目印にすれば、位置の特定は容易なのだ。
なお今の彼女は周辺の草に絡まないよう、風車「タイタン」の羽根を畳んでいる。
案内人のクエンも二人に任せっぱなしではない。
持ち物の単眼鏡をのぞき込みつつ、片手でハンドガンを構える。
ガス・ホイップめがけて、無音の弾丸を放つ。
ホイップを撃破するたび、ガスの音がはじける。
その音を連続させながら、三人は沼地の奥に踏み込んでいく。
♢♢♢
そして沼地の奥の奥で――。
ようやくピックたちは、村人の言っていたボス・ガス・ホイップを視界に捉えた。
草木の陰に隠れて、ピックとクエンが小声を交わす。
「ピックさん。あの白い腹を向けているマントみたいなヤツがターゲットです」
「見た目は……大きなエイですね」
ピックは、本の挿絵でその姿を目にしたことがある。
巨大なエイ型のボス・ガス・ホイップが翼を震わせ、大きな沼の上に浮いている。
長い針のような尻尾と両翼から、濃い緑色のガスが途切れなく噴出する。
ぼそりとピックがつぶやく。
「では作戦どおりに倒しましょうか」
草陰に隠れたまま彼らが散る。
エイの頭が反対側を向いた瞬間に、ピックが赤いブーメラン・オクトパスを投げる。
オクトパスが音なく緩やかに回る。
それにエイが気づき、体の向きを転換する。
左右の翼を広げ、迎撃態勢をとる。
ここで白いブーメラン・スクイードもピックの手から放たれる。
スクイードはエイへと向かわなかった。
まだ空中にとどまっていたオクトパスに直撃する。
スクイードの衝撃を受けたオクトパスが回転力を増し、エイに向かって押し出される。
エイは、左にかわす。
……直後、エイの左翼が爆裂した。
クエンがハンドガンで、弾丸を撃ち込んだのだ。
「いい狙撃です!」
大声を上げてピックは別の草陰に移動する。
一方、エイ型のボス・ホイップは周囲に視線を走らせる。
弾丸の発射されたとおぼしき木陰に尻尾を伸ばす。
しかし、すでに狙撃手は、そこにいない。
尻尾の針が、ただ木の幹をつらぬいた。
……そして草陰に落ちた白いブーメランが再び飛び出し、今度こそエイに向かって突進する。
ここで――。
天井の地面から、野球ボール大の石が高速で落ち、エイの右翼にめり込んだ。
それは、ロナの「ポニー」による攻撃である。
ボス・ガス・ホイップの遊泳する場所に着く前……。
ロナは別行動をとり、真上の沼地に潜伏していたのだ。
こうして――ボスに奇襲を仕掛けるために。
……天井に注意を向け、浮き上がろうとするエイ。
が、そばで滞空を続ける赤いブーメランに移動を阻まれる。
加えて、白いブーメランもエイに迫りつつある。
とはいえエイは間一髪で、白いほうのブーメランをかわした。
ついで、そのブーメランが返っていく草陰めがけて長い尻尾を突き刺す。
果たして手応えはなく……草を揺らしただけだった。
勢い余ってエイはバランスを崩す。――この瞬間。
三方から衝撃が、たたき込まれる。
ピックがフリスビーを取り出して投げる。
フリスビーに当たった赤いブーメランが斜め下に押し出され、エイの尻尾の根もとに食い込む。
同時に、エイの顔が弾丸を受けて破裂する。
野球ボール大の石がいったん天井の沼地に返ったあと再度超高速で落下し、胴の中心をえぐり取る。
直後――。
エイ型の非生物の蓄えていたガスが、一気に爆発した。
ボス・ホイップ特有の大きな衝撃と音響が、あたりの草木にこだまする。
はじける緑のガスのあいだを通り抜け、ロナが沼のそばに着地する。
風車のタイタンを地面に立てたあと、はしゃぐように言う。
「二人とも、さっきのポニーの超高速落下を見ましたか。あれはポニーをタイタンの風圧で押し出して実現させた技です。ともあれクエンさんもピックおじさんも、お疲れさまでした! 村のかたが教えてくれた『マントで敵をつつむ攻撃』を拝む前にボスを倒せましたし、これぞ完封ですね……お?」
ロナは金髪を震わせて、近くの木をじっと見る。
幹が、どろどろ溶けている。
その溶解した液を浴びた虫たちが死んでいる。
「ここ、さっきボス・ガス・ホイップが尻尾の針で攻撃したところですよね。……でも変じゃないですか。確か毒はないという話だったはず」
そんなロナの言葉が終わらないうちに――。
突然、彼女に銃口が向けられた。
クエンのハンドガンが、その銃口から弾をはく。