名前かぶり
町をあとにしたロナとピックはガス・ホイップを蹴散らしながら、パイからパイへ……つまり浮遊する地面から浮遊する地面に跳んで移動していた。
ちなみに、現在二人が進んでいる空域に存在するアース・パイの見た目と材質は、ほとんどが陶器に近い……。
――道中、ヒマさえあればロナは周囲の空中に浮かぶ小さなアース・パイのガレキを回収する。
自分のツルハシを用いて切り取るのだが、さすがにピックと比べれば動作が遅い。
「わたしは採鉱師じゃないけれど……次の町で売って、少しでもピックさんへの支払いのほうに回さないと」
公道として浮かぶ大きなアース・パイのほうを所有・販売目的で破壊すれば犯罪なので、ロナもそれをやっていない。
ガス・ホイップとの戦闘において公道を損傷させるのは認可されているものの、正当な理由なく道のパイを切り取ると法律違反者となり、多額の罰金か相応の懲役刑が科される。
ただし、やむを得ず公道を破壊した場合でも行政への報告義務はある。
したがって前にボス・ガス・ホイップと戦った際にできたアース・パイの穴のことも、ロナはしかるべきところに報告していた。
ともかくロナがアース・パイを売りたいと思ったら、道ばたの空中に浮かぶ小さなパイを集めるしかない。
なおアース・パイが道ばたに落ちているも同然なら、パイを売るというピックの商売も成立しないのでは……とも思われるが、そうでもない。
パイにも品質の良と不良がある。
ピックのような正式な採鉱師でないと、その状態を正確に見極めることはできない。良質なまま保存しておくことも難しい。
この信用の違いにより――同じパイを売却する場合でも、素人のロナよりも専門家のピックのほうが、より高額で取引できる。
そのぶん責任は、後者のほうが大きいが。
「……すみません、ロナさん。そろそろ、今後の予定を話し合いたいのですが」
右斜め上にかたむくアース・パイに腰を下ろし、逆さまのピックがロナに声をかける。
風車「タイタン」の太い軸の柱――そこに乗っていたロナは、野球ボール大の石「ポニー」をピックのほうに投じる。
ポニーは、サン・クッキーをアース・パイでおおったもの。
そのパイの重力に引っ張られ、ロナとタイタンが浮き上がる。
ロナはピックの待つアース・パイの地面に足を向け、着地した。
ピックと重力の向きを合わせたロナが、彼の対面に座る。
地面に生えた雑草に左右の手の平を置き、ロナが淡々と言う。
「ハンガームーンを求める旅において、どのルートを選択するかという話をするんですね、ピックさん」
「はい」
首肯したピックが、ウエストポーチから世界地図を取り出す。
それを地面に広げる。
「ゴールから逆算して考えましょうか。ハンガームーンは、星の中心であるココア・サン・クッキーのどこかにあります。いったんわたしたちは、その『ココア』に到達しなければなりません。ココア内部への入り口は現在、違法なものを除き、三つ存在します」
「そのなかで一番近いのが、『赤の空域』に設けられた関所……で合っていますか」
「ロナさんも、すでに調べていましたか。はい、わたしも赤の空域を経由するつもりでした」
「となれば」
ピックの広げた世界地図に、ロナが指を這わせていく。
「今ピックおじさんとわたしのいる『無の空域』を出たのちに『青の空域』を通過し……赤の空域に達するのが最短ルートと言えますね」
「……それでいきましょう」
そう言ってピックが地図を畳む。
対するロナが、少しだけ首をかたむける。
「あとピックさん、速さだけを考慮すれば乗り物を利用するのも手ですが……できればわたしは『かち』を希望します。徒歩じゃないと、パイ集めに支障が出ますので」
……本当のところロナは、一刻も早くハンガームーンを見つけたいと思っている。
が、その前に報酬を払える状況を作らなければ、ピックからハンガームーンを買うことができない。
(わたしのほうがピックおじさんよりも先に発見する……なんて都合よくも、いかないよね。巨大隕石がぶつかるのは五年後のこと……きょうか、あすという話でもないし、焦りすぎたら転ぶだけ)
ロナは考えつつ、地面の雑草をなでた。
そんな彼女に微笑を向け、ピックが立ち上がる。
「ゴールに近づく過程を楽しんでこその旅です」
ピックは、つま先で地面をたたいた。
「喜んでわたしはロナさんと……お客さまと歩きますよ。自分の足で跳びながら」
♢♢♢
そしてパイを集めたりガス・ホイップを退治したりしながら、ピックとロナは旅を続ける。
ハンガームーンが眠るとされる、ココア・サン・クッキーを目指して……。
途中……二人は、とある「崖」の前でとまった。
ピックとロナの立つアース・パイに、別のパイが直角に接している。
その壁が、上に向かって延びている。
新たなパイに足を移せばそれが次の地面になるので、のぼるのに苦労はない。
崖の壁面にも重力が働く。
足の裏で壁にふれれば重力方向が九十度かたむく。
瞬間、先ほどまで壁だった表面が、足もとに広がる地面となる。
そこをまっすぐ進む。
ガス・ホイップは、周囲に見えない。
手持ち無沙汰になったロナは……取っても犯罪にならないレベルのパイを求め、首を上下と左右に動かす。
「……あれ? ここらへんには、ちょうどいいパイが浮いてませんね。次の町で換金する額も減ってしまいそうです」
「この先が、青の空域ですし」
事務的にピックが説明する。
「人通りも比較的多いので、めぼしいものは回収されているのでしょう。ホイップがいないのも同じ理由と言えます」
「……ピックおじさん、ハンガーはともかく、サン・クッキーはどこに落ちています」
「拾って集めるのは難しいと思います。クッキーに関しては……自分の庭を持って育てるのが通例でして」
「育てる?」
首を動かすのをやめ、ロナが不思議そうに言う。
「生き物みたいな表現ですね」
「サン・クッキーは、『生きた鉱石』と呼ばれることがあります。熱や光を発する岩石なのは確かですが……そのままにしていたら、いずれ機能を失います」
「でもココア・サン・クッキーは、そんなことありませんよね」
「……それ以上は秘密にしておきます。商売敵を増やすわけには、いきませんから」
「であれば仕方ないですね……大人しくパイ集めに専念します。あとは、町でガス・ホイップの討伐依頼もチェックして効率よく報酬を得ることにしましょう」
自分の後れ毛をいじりつつ、ロナは臆せず笑ってみせる。
このとき――。
二人の後ろから、くたびれた声が届いた。
「それ……個人の依頼も受けてくれますか」
「どなたですか」
声に反応し、ロナが振り返る。
そこに、やせぎすで長身の男が両腕を垂らして立っていた。
壮年のようで、黒髪のところどころに白髪が見える。
顔は整っている。
服装の色合いは暗い感じだ。
ゴワゴワしていそうな大きな上着を羽織っており、それが目立つ。
ピックも男につま先を向け、いつからそこにいたのかと聞く。
すると男は、自分から見て左のほうを指差した。
その向こうに壁はない。空間が広がっている。
「あっちに村があるんです。つい先ほど、そこから来ました」
ついで男が「急に声をかけて、びっくりさせてしまいましたか。僕は存在感がないんですよ」と薄く笑う。
ロナも合わせて笑顔を作り、なにか頼みたいことがあるのかと問う。
男は答える。
「村の奥に広がる沼地に、大きな翼を持つボス・ガス・ホイップが居座るようになったんです。最初は村人だけで対処しようとしましたが、どうも歯が立たず……きのう、とうとう死人も出ました。だから僕が外に出て、腕利きのかたを連れてくることになったんです」
そして「ボス・ホイップ討伐のあかつきには充分な報酬を払う」と、そのやせぎすの男は付け加えた。
ロナは、いったんピックの様子をうかがう。
が、とくに彼は言葉を発さない。
どうやら依頼を受けるかはロナに一任するつもりのようだ。
自分で結論を出し、やせぎすの男にロナが伝える。
「……では引き受けましょう」
「ありがとうございます。僕についてきてください」
そう言ってやせぎすの男は、先ほど指差した方向に足を向ける。
このときロナとピックは見た。
男の羽織る上着の背中に……大きな口を持つ天体がコミカルなイラストでえがかれていたのだ。
絵の下に、厳かな雰囲気のロゴが配されている。
そのロゴのあらわす文字を、思わずロナは発音していた。
「ハンガームーン……?」
それを聞いたはずなのに――。
やせぎすの男は、なにも反応しなかった。