ハンガームーンをどうして求める
赤毛の青年ピックと金髪の少女ロナは、ハンガームーンを求めて共に旅をすることになった。
――なおピックとロナの暮らす世界は、ほとんどが大気で構成される。
ようは宇宙に浮かぶ、ガス状の天体だ。
空中には、重力を持つ鉱物「アース・パイ」がところどころに浮く。
このパイを足場にして、人々の多くは生活している。
人々は、物体を空間にとどめる鉱物「ハンガー」をパイに仕込むことによって、足場が飛んでいってしまう事態を防いでいる。
そんな世界の中心にあるのが「ココア・サン・クッキー」という超巨大岩石。
ココア・クッキーあるいはココアと短く呼ばれることもある。
世界に広がるガス……大気は、このココア・サン・クッキーの引力によって球状にとどめられている。
よって世界は、ココアなしでは成立しない。
そして、このココアは自転も公転もせず、ずっと宇宙の定位置から動いていない。
そこから――ココア・サン・クッキーをその場にとどめる「ハンガームーン」が岩石内部に存在するのだと確実視されている。
もしハンガームーンがなかったら、星は――世界は、無秩序に揺れ動き、崩壊すると言われている。
人々の生活は、ハンガームーンを持ったココア・サン・クッキーを中心にして営まれているのだ。
また、ココア・サン・クッキーは一定時間ごとに暗くなったり明るくなったりする。
基本的にココア・クッキーの光線は、物体に当たった場合、鏡よりも少し弱いかたちで反射される。
あいだに遮蔽物があっても、ココアの光は遠くの空域まで届きうる。
ココアが明るくなれば世界全体が明るくなり、逆にココアが暗くなれば世界全体が暗くなる。
その光と闇の周期をもとにして、人々は「一日」を感じ取る。
ちなみに一年の期間は、三百六十日。
遠い昔に使われていた、人類のこよみを参考にしている……。
♢♢♢
――さまざまな向きといろいろなかたちのアース・パイを踏み越え、ピックとロナは一つの町に到達した。
ちょうどココア・サン・クッキーの光が弱まってきた頃合いである。
町は一枚の大きなアース・パイを土台にして、住宅や店舗を並べていた。
その目抜き通りを歩きつつ、ロナがピックに話しかける。
「そういえばピックさん。あのザリガニ型のボス・ガス・ホイップを倒したあとも結局ピックさんの事務所には戻りませんでしたが……施錠はだいじょうぶなんですか」
「業者に留守を預けてあります」
自分の肩に届くくらいの……ロナの頭頂部をちらりと見て、ピックは冷静に答えた。
そして通りに面する宿の一つに入る。
すぐにピックは手続きを済ませ、部屋のなかに消えた。
ロナも一人で宿泊の手続きをおこなう。
泊まる個室は、ピックの部屋とは別である。
寝台に横になったロナは、すうすう寝息を立て始めた。
♢♢♢
……窓から差し込む光を強く感じ、ロナは目を覚ました。
ついで宿屋から出る。
その建物の横で、ピックが本を読みつつ、待っていた。
彼は本を片手で閉じ、ウエストポーチにしまう。
「おはようございます、ロナさん」
「ピックおじさん、おはようございます。待っていてくれたんですね」
「……ちょっとだけです」
ピックは目抜き通りに出て、道なりに歩き始めた。
「ロナさんがお寝坊さんなら、また置き去りにしようと思っていました」
「早起きは、するものですね」
少しはにかみつつロナは、ピックの斜め後ろに移動する。
「あの……このあとわたし、銀行に行ってカード残高を確認したいんですが」
――地面から地面に跳んで移動することが一般的なこの世界において、大量の現金を持ち歩くのは荷物になって不便である。
よって多くの人は、銀行の発行するカードにより金銭のやりとりをおこなう。
たとえば宿屋の代金を支払う場合も、カードを提示してそこに記載された番号を相手に控えてもらう。
買い手と売り手は金額と番号を記した証明書にその場で印鑑を押す。
宿屋側がその証明書を提出すると、銀行は買い手の口座から売り手の口座に金を移す。
言うまでもなく、カードや印鑑、証明書を偽造・悪用した者は罪に問われる。
世界経済のほとんどは、かたちある貨幣によって回っているわけではないのだ。
ただしカードだけを見ても現在の残高はわからない。
支出入をメモしておくのも手だが、意図しない記入漏れが発生している可能性もあるので、定期的に銀行でカード残高を確認することが推奨される――。
ともあれ銀行に行きたいというロナの言葉を受け、ピックが答える。
「――でしたら、ロナさんと方向は一緒ですね。わたしも、留守を任せた業者にお金を振り込まなければならないので」
身をひねりつつ――。
混雑している通りを、ピックとロナは進んでいく。
そして道の途切れに達する。
途切れの向こうは、白い雲が浮かぶ空間だ。
その途切れから人々が現れたり消えたりしている。
ピックとロナも、とまらず歩き――道の途切れの外に足を出す。
二人の訪れたこの町は、アース・パイを基盤とする板状の地面に作られている。
そしてパイは表側だけでなく裏側においても重力を働かす。
表の町があれば裏の町もあるということだ。
一枚のパイの二つの面に、それぞれ反対方向の重力を持つ町が存在する。
両面の行き来は自由におこなえる。
ちょうど道の途切れで、表面から裏面に行ける。
ピックとロナは、途切れの外に足を沈ませる。
それを後方に持っていく。
ついで前方に倒れ、体の向きを百八十度回転。
裏側の町に両足をつけ、そちらの目抜き通りを進み始める。
寄り道もせず、まっすぐ足を運ぶピック。
ロナが少し前に出て、彼の隣を歩く……。
ピックが問うてくる。
「どうしてロナさんはハンガームーンを求めるのです」
「ちょっとお話できません」
このときロナは、心のなかで次のようなことを思っていた。
(……言えない。人類滅亡を阻止するためだなんて、ピックおじさん相手でも言えない。――五年後、人類を絶滅させるレベルの「巨大隕石」がこの星に確実に衝突する。だからココア・サン・クッキーを……星を……世界を固定するハンガームーンを発見しなくちゃいけない。ハンガームーンを掌握したうえでココアを動かし、隕石が直撃しないよう星の位置をずらすんだ。……万が一これがウワサになれば世界はパニックになってしまう)
気まずそうにうつむき、事情を話せないことをロナが謝る。
対してピックは、柔らかな微笑を返す。
「いえいえ、礼を欠いていたのは無理に聞き出そうとしたわたしのほうです。おわびに、わたしがハンガームーンを求めて旅を始めた理由を話しましょう」
「確か……『好奇心』に負けたんでしたっけ」
「ええ。ずっとわたしは採鉱師としての仕事に明け暮れていました。ただ、アース・パイとサン・クッキーを売り続ける毎日のなか、思ったのです。『自分をここにつなぎとめるものの正体は、いったいなんなのだろう』と」
「物理的には星自体の位置を固定する『ハンガームーン』が答えになりそうですけど、ピックおじさんが言いたいのは、もっと『心』に関わる内容ですよね」
「そうです。とはいえ人間を人間のかたちにとどめ、自分の心身を自分に引っかけ続ける根本の重力は確かめるすべがありません。あるいは心にも、それを固定する『ハンガー』が存在するのでは……?」
ピックは斜め上を仰ぎ、深くも浅くもない吐息をはいた。
「実在するハンガーのうち、もっとも強固に世界をとどめるものが……ハンガームーン。この偉大と対面できれば、わたし自身をつなぎとめるものの正体さえわかるのではないか――そう、期待しているのです」
「もし、なんの解答も提示されなかったら?」
「ロナさんに高値で売りつけます」
「……そうですか。それを聞いてなぜか、わたしの心にむらむらと新しい目標が生まれてきました」
ロナが、やや影のある微笑を作る。
「せいぜい、そこらへんのお嬢さんに先を越されないよう気をつけてください、ピックおじさん」
「採鉱師の絶対のルールは『先取こそ正義』……よって、ご自由に」
まるで楽しむかのように、二人は不敵に笑い合う。
話しているうちに、町の裏側の銀行に着く。
ロナはカードの残高チェックを、ピックは業者への振り込みを済ませる。
銀行から出たあとは、溶接師の店を訪ねた。
溶接師はアース・パイなどでできた道具類を修理・開発することで対価を得ている。
ロナは風車の「タイタン」と、それにヒモで連結する石「ポニー」の修理を頼む。
旅の道中でガス・ホイップと戦闘を重ねたため、細かい傷が増えていたのだ。
一方、ピックの赤いブーメラン「オクトパス」と白いブーメラン「スクイード」のほうは、ほぼ無傷であった。
しかし彼は店主の溶接師と真剣な表情で話し込んでいた。
「それでご主人。前に頼んでいた『クラーケン』の件ですが――」