とどまるワッフル・ハンガームーン
ところで、ロナとワッフルとクエンとヤマメが話しているあいだ……。
残りの二人――ピックとゼライドは、なにをしていたのか。
赤いオクトパス、白いスクイード、青い濃淡のクラーケン……これらのブーメランの破片を回収していた。
破片は――空間を取り囲むサン・クッキーの表面や、あたりに散らばるアース・パイに落下している。
最初はピックが一人で探していたが、それをゼライドが手伝った。
ピックはゼライドに礼を述べた。
「助かります。残骸を溶接師に売って……余裕をもって、次のブーメランを買いたいですからね」
♢♢♢
ちょうどワッフルとクエンのやりとりが一段落したあたりで、ピックとゼライドがロナたちのいるサン・クッキーの地面に戻ってきた。
ピックはヤマメの鎖鎌「カマキリ」の破片も袋に詰め、ヤマメ本人に渡した。
ヤマメは意外そうな顔をしながら感謝した。
ここで、ワッフルがピックとゼライドとロナに視線を送る。
「わたし、ヤマメさんとクエンさんの名前は聞いたんですが」
やや遠慮がちに言う。
「あとは……赤毛のお兄さんがピックさんで、藍色の髪のお兄さんがゼライドさん。そして金髪のお姉ちゃんがロナさんで合ってますか? これまでのみなさんの会話を聞く限り、そうなんじゃないかと」
「はい、間違いありません」
ピックたち三人は首肯した。
彼らとワッフルは、あらためて名乗り合った。
♢♢♢
「俺はピックくんに雇われて、ここに来た」
サン・クッキーの地面に腰を下ろし、ゼライドが話す。
ゼライドの右斜め前にピックが、左斜め前にワッフルが座っている。
もし時間があればピックとゼライドの話も聞きたいと……ワッフル自身が頼んできたのだ。
ゼライドは周囲の空気をボンベで吸いながら、しっとりとした声をはく。
「だから……ロナちゃんたちと違って、目的意識は低いほうなんかなあ……」
「それを言うなら」
ピックが、落ち着いた口調で言葉を受ける。
「わたしもロナさんに仕事を任された身ですよ」
「ピックくんは元々、旅に出る予定だったんだろ? ハンガームーン目的で。求めるものが、たまたまロナちゃんとかぶっただけでさ……ここに来た意味は、あったんじゃないの」
「自分を……おのれの体と心を、つなぎとめるもの。その正体をわたしは確かめたかった。この世界自体を固定する実在のハンガームーンに対することで、なにかヒントが得られるかと期待していました」
「ハンガームーンって、わたしのことですよね」
ここでワッフルが、自分の頭を軽くたたきながら口をひらいた。
ピックは、うなずく。
「はい、ワッフルさんのことです。わたしは、ちょっとハンガー自体にトラウマがありまして……。ですので、ハンガーのなかのハンガーである『ハンガームーン』と会うに際して内心ビクついていました」
「そ、そんなに怖かったですか」
「今は恐れていません。ワッフルさんは、想像以上に自由でした。そして最終的に自分以外のものの存在を受け入れ、新しい自己を確立しました。そんなワッフルさんを見て、思ったのです。自分をつなぎとめるものは……自分の内側のみならず外側にもあるのだと」
「なんか難しいですね……つまり、えっと」
ワッフルは、遠くで休むロナ・クエン・ヤマメの影をも目に入れつつ、ぼそりと言う。
「ピックさんの魂は、自分の体だけでなく、いろんな世界に引っかかっているんですね」
「そう言うこともできますね。あるいはわたしだけでない、すべての存在が複雑に引っかかり合って、世界は構成されるのかもしれません。そんな宇宙においては『ムーン』……衛星さえも一つの中心に……なにかを固定する『ハンガー』になりえるのでしょう」
「正直ピックくんの言うこと、ほとんどわからんけど、それってさあ」
ピックの息継ぎの瞬間に、ゼライドが言葉を挟む。
「ようは、『みんながいてくれて助かる』ってこと?」
「……そうですよゼライドさん。『みんな』とは必ずしも、人でなくてもいいのですが」
ピックは微笑し、言い聞かせるように静かに声を連ねた。
「みなさんと旅するうちに、新たな世界と出会うなかで……わたしは、たくさんのものに引っかかりました。誰かではなく、わたし自身の思いで、この星を楽しむことができました」
「――よかったです」
ここでピックの背後から声が落ちてきた。
振り返ると、ロナが後ろに立っていた。
「ピックさんは、自分の見つけたいものを探し当てたんですね」
ロナはピックとゼライドのあいだに座った。
位置をずらして場所を作ってくれた二人のうち、ゼライドのほうをロナは見る。
「ゼライドさんが得たものも……聞きたいです」
「あ、わたしもっ!」
ワッフルが、ロナに便乗する。
持っていたボンベを地面に置き、ボサボサの髪をたたいて、うなるゼライド。
彼女たちは、「ココア・サン・クッキ―に住むガス・ホイップの鋳型」といった答えを想定しているのではない。
もっと心に関することを問うているのだろう。
「俺が得たのって、なんだろ。やっぱノリで付き合ったとこが大きいし……軽薄なんだよなあ、ピックくんたちに比べると」
それから左手を、自身の右肩にかぶせる。
そこには、コミカルな天体が大口をあけているエンブレムがある。「ハンガームーン」の厳かなロゴも、くっついている。
「分け合いたかったんだろうな。自分とは違う考えのヤツらと……生き方を」
うなるのをやめ、はきはきと話しだすゼライド。
「クエンさんとヤマメちゃんも……同じ組織の一員だ。けれど、たぶん二人と俺の考えは違うんだ。おまけに俺には、ピックくんのような哲学も、ロナちゃんのような信念も、ワッフルちゃんのようなこだわりも、ねえんだよな」
柔らかい表情で小さく息をはき、エンブレムから手をはなす。
「そんな俺が、おまえさんたちの生き方を分けてもらって得たものがあるとすれば、きっと……『友情』とか『親愛』とか『尊敬』とか、そういった言葉でさえ表現できない……俺自身を震わせてくれる、特別なようでありふれた――『空気』なんじゃないかと思うぜ」
「気になるんですが、ゼライドさん」
彼の左腕を軽く引っ張り、ワッフルが聞く。
「みんなの空気は、おいしかったんですか?」
そんな彼女の質問に――。
一瞬も迷わず、ゼライドはニヤリとして答える。
「俺が証人。メッチャうまいよ!」
♢♢♢
そして。
ロナ・ピック・ゼライド・クエン・ヤマメの五人が、この場を去ろうと歩みを始める。
このだ円体の空間の出入り口をふさいでいたアース・パイとタコ型のガス・ホイップは、すでにどかされている。
「わたしは、ココアのなかに残ります」
ワッフルが、出入り口近くのパイに立ち、五人を見送る。
「星をささえるハンガームーンのわたしがココア・サン・クッキーを離れたら、世界が不安定になるんですよね……。だから、これまでどおり通路を動き回ります。今は誰とも会わないように。うっかり襲ってしまいたくないから……もっと頭が冷えるまで待ちます」
「本当に……」
ロナが心配そうにワッフルを見つめる。
「一緒にいなくても……だいじょうぶ?」
「はい……わたしはハンガー。固定するものです。人間と違って十日に一度の食事も必要ありませんし……。それよりロナさん、わたしに頼みたいことは、ないんですか? そのために、わたしに会いに来てくれたんですよね」
「ありがとね、だけど今すぐには頼めない」
ついでロナは、はだしのワッフルに靴と靴下を渡す。ヤマメから、よければ貸してあげてと言われていたのだ。
「ワッフルちゃん。これ、あげる。ぴったりだと思うよ」
「はいてみます」
いったん浮いてワッフルは、自分でそれを足に通す。
「あ、ほんとだ。ありがとうございますっ」
このあとヤマメがワッフルに着替えを預けようとしたが、「だいじょうぶです」と返された。
ワッフルによれば、よごれた服も靴も分解して何度もきれいに作りなおすことができるそうだ。
♢♢♢
……なお。
五年後に落ちる巨大隕石から人類を守るために、世界を固定するハンガームーンを掌握して操作し、隕石の当たらない別の場所に星を移すのがロナの本来の目的。
今回ピックを始めとする仲間と共にハンガームーンと知り合えたのは、目的達成のために大きすぎる一歩であった。
しかし意志を持つハンガームーン「ワッフル」の心を「掌握」するのはロナの本意ではない。
かつ、ワッフルがロナの言葉に従って星の位置を移動させてくれるにしても……その重大な作業をロナの独断でおこなうことはできない。
だからロナは念願のハンガームーンと出会えたにもかかわらず、いったんワッフルと別れざるを得なかった。
もし勝手に世界を動かせば、ロナは全人類を混乱におとしいれる犯罪者として処理されるだろう。
(少なくとも星を動かす前に……政府を納得させるのは絶対。接触は今まで、さけてきたけれど――もうこれからは、向き合う以外に選択肢がない)
冷静に思考を巡らすロナとほかの四人をざっと見て、ワッフルが手を振る。
「ではクエンさん、ヤマメさん、ロナさん、ゼライドさん、ピックさん……みなさんと次に会う機会を楽しみにしています。とくにクエンさんとロナさんは、必ずですよ……!」
「またね」「じゃっ」「近いうちに」「元気でな」「お世話になりました」
六人全員が落ち着いた笑顔で、別れの挨拶を交わした。




