ヤマメとクエンの結末
ワッフル・ハンガームーンとロナたちとの戦いは終わった。
一方で。
勝利の余韻に甘んずることなく、サン・クッキーの地面の上でクエンは思う。
(ハンガームーンは沈静化した……殺すなら、ここだ)
クエンの目的は――五年後に隕石が世界に衝突すると知っており、かつそれを阻止しようとしているロナを殺すこと。
あわよくばハンガームーンを掌握し、星の固定を維持させたまま――世界に巨大隕石を当てること。
それで、みなと死を分け合うこと。
(クミナとワッフルだけが死んで……僕を含むそれ以外が生きているなんて不公平だ……我ながら正当性のカケラもない勝手な言い分だけど、元から僕は、そういう人間)
ここで彼の脳裏をかすめたクミナとは、妻の名前。
ワッフルはハンガームーンのマネしたほうではなく、すでに世にない実の娘のことを指す。
クエンは先ほどロナの風車に蹴りを入れたとき、靴と靴下を外していた。
あくまで蹴りの衝撃によって脱げてしまったと見せかけた。
(今、ロナさんが隕石の情報をピックさんたちにばらしたところで問題ない。みんな弱っている。ハンガームーンを即座に奪い去れば、こちらのもの。なんならピックさんとゼライドくんも、まとめて撃つ)
クエンは両腕を失ったが――隣から手が伸びてきて、彼の足もとに向かってハンドガンを落とす。
左から、左目に単眼鏡があてがわれる。
それが誰の手によるのかは……説明するまでもない。
はだしにした右足の指を引き金にかけるクエン。
そして、引く。
だが……正確には、ねらえなかった。
弾道は見当違いのほうに走った。
跳弾さえせず右横へと大きく、それていった。
彼の挙動に気づいたロナが、同じくサン・クッキーの地面の上からクエンを見返す。
「やっぱり、足じゃ当たらないか」
クエンはハンドガンを地面に置いた。
あてがわれていた単眼鏡が、静かに外された。
「練習しとけば……よかったな」
なお、クエンには「舌」で引き金を引くという手もあった。
だが以前、ロナたちの前でその芸当を披露していたため、警戒されていると彼は考えた。
よって足での狙撃を優先したのだ。
とはいえ舌で撃ったところで彼の手による銃撃に匹敵することはないから、どのみちロナを射殺することは不可能だっただろう。
♢♢♢
――すでにクエンは、ゼライドの予備の治療用ガスによって応急処置をほどこされている。
両腕は失ったものの、いのちを落とす心配はない。
脚を伸ばして、へたり込むクエン。
……彼のつま先の前に、しゃがむロナ。
「ちゃんとした病院で見てもらったほうがいいですね。一緒に引き返しましょう」
「……あんたの頭のなか、花畑を通り越して、お星さまでも咲いてんの?」
単眼鏡とハンドガンを両手にかかえたヤマメが、クエンの右隣に座を占め、ロナを見る。
「あたしに、クエンおじさまのような銃の腕はない。カマキリも壊れた。いくらピックくんのブーメランが三つもコナゴナになったとはいえ……ロナちゃんの武器は健在。ゼライドくんもいる。この状態だと、あたしたちはロナを殺せない」
ヤマメは単眼鏡を構え、それをロナに向けた。
「おまけにハンガームーンを落ち着かせたから、もう……あたしら用済みでしょ。今度こそ警察に身柄を渡すのが、いいよ」
「そうする意味も、なさそうだけど」
ロナが、単眼鏡を凝視する。
「警察にもヤマメちゃんたちの仲間、いるんじゃなかったっけ? で、釈放されると同時に多人数でわたしを殺しに来るんだよね。困ったなあ……連絡とられないよう、病院にもついていこっかな」
「しなくて、いいって。少なくとも、しばらくは大勢の力を借りても無理。クエンおじさまが回復するまでは、ロナちゃん殺せないって……一緒に旅して、わかったもの。でも勘違いしないでね。あたしたち、改心なんかしてないから」
ヤマメは、あおるように言葉を続ける。
「どうする? いっそ殺す?」
「殺さない」
ロナは即答した。
「どのみちクエンさんとヤマメちゃんも連れて帰らないと、関所で問い詰められるの。『あの二人は、どこに行ったのか』と。そして正当防衛を証明できないまま殺害容疑をかけられて投獄された挙げ句、わたしは終わる。ハンガームーンの先にあるわたしの最終目的を、そんなことで潰したくない」
「だったらせめて、いのちをねらわれていた憂さ晴らしにあたしのことボコボコにしたら? チャンスだよ、今はカマキリがないから抵抗も仕返しも、できないし」
「それも、やらないよ。だってここでヤマメちゃんをボコせば、わたしがヤマメちゃんの思いどおりに動いたことになるもの。――自分にヘイトを向けさせて、クエンさんをかばっているんだよね? なら、その思いとは逆の行動をとるほうが憂さ晴らしになるかなって」
「あんたの言葉を聞く限り……」
目もとだけで笑い、ヤマメが言い返す。
「今までは表面的にそういうそぶりをあんまり出さず、あたしたちのことを克服したようでいて……実際はそうでもなかったってわけか。まあ共闘したとはいえ殺されかけた記憶は抜けないだろうし、当然よね。じゃあ最後に、おじさまを殴ってスカッとでもすんの?」
「ケガしている人を傷つけたら、被害者としてのわたしのアドバンテージがなくなる」
「ふーん。ロナってお花畑に見えて、なかなか打算的だよね……」
「そうだよ、わたしも……いくらトラウマを乗り越えるとか大層なことを口にしても、すべてを水に流せるほど大物じゃない。九割九分は『いい人』になりたいと思ってるけど、残りの一分は――」
「……天使でも聖女でもないってわけ?」
小さく息をはくようにヤマメは笑い、単眼鏡を膝に下ろした。
「思えばあんたが仲間にした二人も、そういう感じよね。ゼライドくんはチャラそうで実際は優しいけど、なんかガス・ホイップに対しては冷酷だし……ピックくんはマジメで誠実である一方で、計算高くてちゃっかり自分の利益も考えてるというか」
「ヤマメちゃんもクエンさんも、そんなふうじゃない?」
「節穴。……ふしあなロナ」
「かわいい二つ名、ありがとね」
「……やっぱ、あんた、頭お星さまだわ」
ヤマメの視線はロナから外れ、隣に移った。
「で……ワッフルちゃん」
そこには黒髪のボブパーマの女の子が立っていた。
小さなはだしの裏側を、サン・クッキーの地面につけている。
「浮くの、やめたの? よごれたくなかったんじゃないの?」
「ヤマメさん、わたし、まだまだ飛べますよ。けれど、なんとなく地に足をつけるのも悪くないんじゃないかと思って」
「ずいぶん、ものわかりがいいね。今まで、あん……ワッフルちゃん、体を奪おうとしてたじゃん……。それなのに、背中からクッキーに落ちた途端に態度を変えちゃってさ」
「最後の風車越しの一撃で、みなさんの体それぞれに魂の先約があるのだと理解させられました。みなさんの魂が体にちゃんと引っかかっているってわかったからには、もう奪えません。いや、体のほうが魂に引っかかるのかな……?」
ワッフルがまばたきをくりかえす。
「きっと、わたしが会ったことのない人の体と魂も、そうなんでしょうね。だったら、これ以上意地を張っても仕方ないかなって。確かに、わたしは間違えていたんです」
「なんか変な流れだね。ワッフルちゃんに一番ダメージ与えてたのって、あのサメ型のボス・ガス・ホイップだと思うよ。なのに……それをけしかけて手柄を横取りしたような、あたしらのことをみとめていいわけ?」
「ダメージ量じゃなくて、みなさんの魂が体に打ちつけられていることが、うれしかったんです。もちろんわたしは、生き物ではないあのサメさんにも尊敬を覚えています。みなさんが誘導したのだとしても、サメさんは本能に従っただけ」
続いてワッフルは、クエンの太もものそばで正座した。
「でも、みんなには謝らないと、だめだったの」
クエンの……上着の袖ごと吹き飛ばされた両腕を……布で縛られた両肩を上目づかいで見た。
「クエンさんには、とくにごめんなさい」
「僕には謝らなくていい」
このときクエンは、目の前のワッフルの顔を直視していなかった。
ワッフルの黒髪のほうに視線をそそいでいた。
「君とは比べ物にならないほど、僕は人のいのちを……体を奪ってきた。これは、そんな僕に対する天罰なんだよ」
内心で、クエンは自分の言葉を嘲笑していた。
人には、おこないに応じた報いがあるなど――そんな話を彼は一片も信じていない。
報いが本当にあるのなら、なにも悪いことをしていない自分の妻と娘が死ぬのは変だ。
また、二人を殺した人さらいを、わざわざ自分が殺す必要もなかったはずだ。
首を横に振りつつ、ワッフルが目をにじませる。
「天罰じゃないよ。奪ったのは、わたし……クエンさんの過去とは関係ないです……!」
それからワッフルは、クエンの両腕のあった箇所をじっと見つめた。
ワッフルは、銀灰色のハンガームーンを基礎にして今の女の子の姿を作り出した。
つまり彼女は人体を作成できる。
先ほどの戦いで負った傷も、すでに大半がふさがっている……。
だから、できると思ったのだ。
クエンの両腕を元どおりにすることも。
しかし……どんなに思いを込めても、手をかざしたりしても。
彼の腕は治らなかった。
それっぽいものは、できるのだ。
しかし腕らしきかたちはクエンの肩と結合せず、地面に落ちて塵と砕ける。
「ご……ごめんなさい」
ワッフルの体が震えた。
彼女はクエンの腕の修復を試みながら、何度も両のまぶたをぎゅっとつむった。
そして、すぐに目をひらいた。
揺れ動く目もとから、幾筋もの熱がこぼれる。
「ごめんなさい……ごめん……ごめんね……」
か細い声を出しつつもなおワッフルは、うつむかずにクエンを見続けた。
クエンはしばしの沈黙ののち、静かに口をひらいた。
「……ありがとう、治ったよ」
きょとんとするワッフルに対して、クエンは両肩を……僅かに残ったその部位を上下させる。
「見えないだけで、さわれないだけで、僕の腕は、ここにある」
彼の左隣で……ワッフルは腕の修復をやめ、押し黙った。
めちゃくちゃなことをクエンが言っているのは、わかっている。
しかし言外の意味を読み取れないほど、ワッフルはにぶくなかった。「もう無理しなくていい」と彼の言葉は語っていた。
それが単純な優しさではないことも理解した。
優しさの底に、失望や悔恨、怨念や拒絶までもが含まれているのを読み取った。
だからワッフルは黙って泣いた……いや。
それでは、だめだと考えた。
まばたきをくりかえし、涙を振り払う。
「クエンさんは、これから、ここを去るんですよね」
「うん」
「だったらもう一度、わたしに会いに来てください! そのとき、左右の腕を『完璧に』治してみせます。今は無理でも、修復できるようになるまでいっぱい練習します」
ワッフルの……震えを力一杯に抑えた声を聞いて、クエンは気づいた。
黒髪ではなく、彼女自身の顔を見た。
目の前で一生懸命自分を見つめているのは、娘ではない。
……そんなことは、わかっている。
だがクエンは、彼女が――ほかの誰でもない、世界でたった一人の、自分の意志を持つ女の子であることに今まで気づいていなかった。
顔が似ているからといって、娘と重ねはしない。……しかし、それが確定したならば。
彼女をその名で呼んでも、二つの存在は混ざり合わないはずだ。
「そうか……なら、ワッフルちゃん」
緩やかに口角を上げ、クエンは笑いかける。
「いつか僕は、再び君に会いに行く。その日が今から楽しみだよ。ありがとう」
その「ありがとう」は先ほどのものとは異なり、笑顔と共に発音された。
今のクエンの言葉が優しいウソではないという証拠は……ほほえみだけで充分だった。
ワッフルのほおが綻ぶ。
笑顔に涙が伝って落ちた。砕けた涙のカケラが散った。
うち一粒がクエンの脚部を越えて跳ね、ヤマメのほおを濡らした。
(あーあ、ホントおじさまって……罪作りなんだから。これじゃあたしを裏切る日は、いつになるやら。父母と同一視するわけには、いかないし……もっとゲスなこと、してほしいんだけどなあ)
ヤマメは心のなかだけで、自分で自分に苦笑する。
(それともクエンおじさまは、裏切ってほしいというあたしの願いを裏切ってくれているのかな? ある意味あたしの願いって、そういう意味でも実現してんのかも……いやいや、さすがにそう考えんのは、都合よすぎだってば。あきれるくらいに欲目だねー……)
そしてヤマメは、クエンの上着の背中と自分の手袋の甲をふれ合わせた。
大小の差はあるが……背中と甲のどちらにも同じエンブレムが見える。
大口をあけたコミカルな天体と厳かなロゴを組み合わせたエンブレムだ。
(おじさま、結局あたしたちの負けで終わったね……でも、これがひとつの区切りかもしんないね。だから伝えたいなあ……クエンおじさま、これまであたしと人生を分け合ってくれて……ありがとう。だけど天罰なんか似合わないよ。……あたしのすべてを助けたのは、クエンおじさまなんだから)
人さらいから自分を救い出してくれたこと……その後、村で毎日顔を合わせてくれたこと……一緒に旅ができたこと……先ほどの戦いで両腕への攻撃を代わりにクエンが受けたこと……そういった事実がヤマメを心奥から震わせていた。
(あたしはあなたが裏切る日まで、あなたをささえ続けたい。……許してくれるなら、これからも)
ついでヤマメの手が背中に当たっていることに気づいたクエンが、小さな声を出す。
「ヤマメも……ありがとう。君はずっと僕に、時間を分け与えてくれた」
「……うんっ!」
直接顔を見合わなかったが、互いに微笑したのがわかった。
(それだけで、報われるよ。あたし、ちょろ……)
彼女の下まぶたから、なにかが、こぼれそうになる。
ようやくヤマメは知った。
自分のほおを濡らしていたのは、自分自身のそれでもあったと。
ヤマメはクエンに、自分の腕をかばってくれたことについて言いたいことがあった。
しかし彼は……それに関して感謝も謝罪も拒んでいた。
同時に、少なくとも彼自身には「助け合って当然」という感覚もない。
彼女はそれを読み取り、受け入れた。
クエンとヤマメの関係は、そんな微妙なところに生きている。
その絶妙な関係性を、両者だけが知っている。




