魂の先約(中編)
震動する空間のなか、ワッフル・ハンガームーンがクエンに迫る。
しかし真正面に割り込む者があった。
ヤマメである。
彼女は鎖鎌の中心に取り付けてある棒を持ち、鎖の両端の鎌をワッフルめがけて左右から飛ばした。
かたやワッフルはヤマメとの間合いをほどほどにあけ、相手の動きを停止させる。
ついでサン・クッキーを放つ。
加えて、ヤマメの両腕の後ろにアース・パイを生成。
空気中の養分をもとにしたパイである。
それが、左と右で都合二枚。
どちらも重力を持つ。
ワッフル自身が引っ張られないよう、ヤマメの背中の真後ろにパイは作っていない。
というのもヤマメの飛ばした二つの鎌が速度を失わずワッフルの横をかすめ、彼女の背後で交差して位置を入れ替え……ブーメランのごとく返ってきたからだ。
防御に回していたワッフルのクッキーを蹴散らすほどの力が鎌には加えられている。
鎌自体は当たらなかったものの――鎖の交差した箇所が背中に食い込み、ヤマメのほうに引き寄せられるワッフル。
このままだとヤマメの後ろに控えるクエンの銃撃の的にされると踏んだワッフルは、ヤマメに近寄る速度を上げすぎるべきではないと考えた。
だからヤマメの真後ろにパイを生成しなかったのだ。
ともかく放たれたサン・クッキーの二つの群れが、パイに引かれてヤマメの左右の腕を襲う。
当たる前からわかる。
速く、重い、防御不能の衝撃だ。
ヤマメは直感する。
よける時間は、ないのだと。自分の腕は、奪われたのだと……。
戦いの前にゼライドによって防御用のガス・ホイップを体じゅうに付けてもらっていたが――。
戦闘中、控えに回った際などに防御用ホイップを修復してもらってもいたが――。
それらでも、防げそうにない。
瞬間、案の定二つの腕が肩からもげた。
血しぶきを上げ、吹っ飛んだ。
ただし、それはヤマメの腕ではなかった。
クエンの腕だった。
彼は真正面に割り込んだヤマメが停止した刹那に、地面のパイを蹴った。
彼女に近づき、背後から自身の両腕を彼女の両腕の上に重ねた。
やせぎすではあるがヤマメと比べればクエンのほうが大きかったので、肩から指先までをカバーすることは不可能ではなかった。
果たしてヤマメの腕は守られ、クエンの二つの腕が失われた。
クッキーの群れはクエンの腕に命中して方向をそらす。
ケガしていた肩と連結する右腕は、すべるように斜め下に落ちた。
腕のもげる衝撃が伝わった直後、ヤマメの両腕の後ろにある二枚のアース・パイが砕ける。
そしてクエンの左腕は打ち上げられた。
左腕には、ハンドガンが握られている。
本体と別離したそれは、もう意味を持たないように見えた。
だがクエンの脳の伝えた指令は、肩が切り取られる直前に二の腕に到達していた。
かつ、腕の運動神経は独立してなお、ほんの数秒間だけ生きていた。
彼の指令が人差し指の先に届き、指が命令を実行するまでの猶予は充分にあった。
指令は明快。
引き金を引く、それだけだ。
ハンドガンが、斜め上から弾丸を発射する。
交差する鎖に背中を押され、前に出ていたワッフル。
彼女の右耳に弾は命中した。
なぜワッフルは必要以上に前進していたのか。
ヤマメの両腕の後ろに生成した二枚のアース・パイが、クッキーだけでなくヤマメの投げた二つの鎌をも引き寄せたからである。
そのため、交差する鎖――二つの鎌とつながるそれが、ワッフルの背中をより強く押す結果となったのだ。
かつ、今やヤマメの腕の後ろのパイは砕けている。
ために、二つの鎌は引き寄せられる重力を喪失した。結果、鎖が勢いに任せて一気にワッフルの周囲を回り、彼女の体に巻きついた。
現在のワッフルは、ヤマメの鎖に緩く縛られている。
この状態で耳に弾を受け、ワッフルのスピードが急速に下がる。世界の震動がとまる。
とはいえ、それは一瞬だ。
もう一度ワッフルがサン・クッキーを操作して自傷すれば解除される。
はずだったが……。
かなわなかった。
巨大なクリオネ型のガス・ホイップが背後に出現し、斜め上からワッフルを飲み込んだからだ。
自傷用のクッキーは透明なクリオネの外側に当たり、ぼよんと跳ねた。
クリオネの内部はヌルヌルしており、動きづらい。
クッキーも生成できない。
「ピックくん! 今のうちに! ふんだんに使ったせいで俺もガスが尽きた、もう捕獲は無理だ!」
刹那の隙を突き、クリオネ型ホイップのなかにワッフルを拘束したのは――無論ゼライドである。
彼の声は大きかった。
ホイップに捕らわれたワッフルにも聞こえた。
首を回したワッフルは、背後の……それも斜め上に浮くゼライドを目に入れた。
彼はトビウオ型のガス・ホイップにまたがり、真上に向かって口をひらいていた。
確かに彼はワッフルを封じ込めた。
しかし、もって二十秒が限界だろう。
ワッフルは、クリオネからのがれたサン・クッキーをカッターの刃の形状にして、自身にまとわりつくホイップを刻みだした。
そんな彼女に対処するためには、すぐにピックに攻撃してもらう必要がある。
ためにゼライドは、さけんだ。
その彼の焦りが、ワッフルにも情報を伝える結果となった。
事実、ゼライドが口を向けた真上のほうから白いブーメランが飛んできた。
カッター以外のクッキーの群れを移動させ、半球状のバリアをクリオネの上半身のまわりに展開するワッフル。
安全を確信したワッフル。
……直後、足裏になにかが当たったことに気づいたワッフル。
(なに? この、うねるような感触……)
それは、無音でクリオネのなかに忍び入り、ワッフルの両のはだしにふれていた。その正体は――。
赤いブーメランだった。……さらに。
赤毛があった。――ワッフルの眉間と赤いブーメランとを結んだ直線上の向こうに。
赤毛の青年がワッフルの真下で、新たなブーメランを構えていた。




