ボス・ガス・ホイップ
装着していたゴーグルをウエストポーチに収納し、ピックはタオルで汗をふく。
一方、金髪の少女はアース・パイの裏側から地面のへりをつかんで――ピックのいる表面へと移動してきた。
その少女は、太い軸を持つ大きな風車を背負っていた。
彼女もタオルを取り出し、汗びっしょりの体をぬぐう。
同時に、強気な調子で言う。
「わたしを置き去りにするの、諦めましたね」
「ただの休憩ですよ、お嬢さん。……しかし」
ピックは、少女の背中に取り付けられた風車をまじまじと見る。
「そんな仰々しいものをどこに隠していたんです」
「あなたの事務所の横に置いていました。即座に使用できるよう」
後れ毛を揺らし、気丈な顔で少女は続ける。
「旅には不便でもないですよ。傘のように折り畳めますから。どうですかね、この風車の名前は『タイタン』で、ヒモでつながった石のほうは『ポニー』と言います」
タイタンに関しては、羽根の付いた頭をさまざまな角度にかたむけることができるようだ。
羽根自体の大きさや軸の柱の太さなども調整可能らしい。
ヒモをつかんで石を回す少女を目に入れ、ピックは小さくまばたきした。
「いいものをお持ちで。使いこなせるまで、相当の努力を重ねたのでしょう……?」
語尾にてピックは吐息を漏らす。
タオルをポーチにしまって、道の前方を見据える。
そこの地面には、とくに変わったものはない。
目につくのは雑草程度。
ちょっとした広場のようなスペースがあいている。
ここに突然――大きな影が浮かんだ。
その影が次第に濃くなる。
……直後。
その影の持ち主が、ピックたちのいる地面に落下してきた。
地響きが起こる……。
それは、大きかった。
生物の姿をかたどっていた。
ピックたちの背丈を優に超える、巨大ザリガニのかたちである。
ハサミと背中から朱色のガスが噴き出ており、正体は非生物の「ガス・ホイップ」だとわかる。
両のハサミがひらき、問答無用で二人を襲う。
少女は向かって右に、ピックは左にかわし――。
ガス・ホイップに、それぞれの飛び道具を投げつける。
野球ボール大の石「ポニー」と、白いブーメラン「スクイード」が、目の前のガス・ホイップめがけて飛ぶ。
ややスライドしつつ着地し、少女がピックに話しかける。
「これは強敵のガス・ホイップ――ボス・ガス・ホイップですね! 一撃で倒せる相手じゃありません。共闘しましょう!」
「無理していませんよね、お嬢さん」
ピックは目の前のボス・ガス・ホイップを見据えたまま、無感情に答える。
「――下がっていても、いいですよ」
「え、そうですか。ではピックさんをおとりにして自分だけで逃げます」
……ここで石と白いブーメランを受け、ザリガニの両のハサミにヒビが入る。
ヒモを引っ張って石……「ポニー」を回収した少女はザリガニに背を向けた。
地面であるアース・パイのふちを目指して走り、そこから飛びおりる。
一方、敵に接近して白いブーメラン・スクイードをキャッチしなおしたピックは、赤いブーメラン・オクトパスを背中から外す。
右手に白いスクイードを、左手に赤いオクトパスを構える。
いったん両腕をクロスさせ、その体勢から二つのブーメランを飛ばす。
ボス・ホイップのハサミ……ではなく、そのハサミと連結する腕の根もとをねらう。
二つのブーメランには速度差が生じている。
スクイードが速やかに、オクトパスが緩やかに、腕の切断を試みる。
二つの武器を手放したピックは、ザリガニの頭と尻尾によって攻撃されたが――。
――素早く地面を蹴り、寸前でよける。
ここで……ピックの立つ地面の下から、コツンという音が聞こえた。
ピックは後退し、戻ってきたスクイードを投てきした。
向かって左の、敵の腕にまとわりついているオクトパスに当てる。
スクイードが当たったことで軌道を変えたオクトパスが、ピックの手もとに帰ってくる。
続いてスクイードも再び弧をえがいて戻ってきた。
すかさずピックは、オクトパスをザリガニの足もとに、スクイードをザリガニの真横に投げる。
オクトパスが低空飛行で、ボス・ホイップの複数の足に絡みつく。
円に似た軌道が、敵の動きを封じる。
一方のスクイードは……大きな軌跡をザリガニのまわりに引きながら、残像によって敵を取り囲む。
ついでピックはウエストポーチからツルハシを引っ張り出し、地面にたたきつけた。
そうして軽い衝撃を起こしたあと、周囲を観察する。
地面となっているアース・パイ――その右の、途切れた空間から石が上がるのを確認した。
巨大ザリガニと対面したまま、ピックはさらにあとずさる。
次の瞬間。
――ザリガニの立つ地面に、放射状のヒビが入った。
続けてヒビが割れ、穴があいた。
割れた箇所から、風車が勢いよく出現する。
それは金髪の少女の背負っていた風車――「タイタン」だった。
羽根は真上に向けられ、高速で回転している。
風車は浮上しながら、その羽根にボス・ホイップの体を巻き込む。
ガスがはじける音が連続する。
巨大ザリガニの体がやや浮き上がり、安定を失う。
風車タイタンの出現と共にピックは、どこから出したのか小型のフリスビーを飛ばしていた。
フリスビーをスクイードに当て、その軌道を修正する。
これにより、ザリガニのまわりで残像を作っていた白いブーメランを手もとに戻す。
一方、赤いブーメラン「オクトパス」のほうは、まだザリガニの足に絡んでいる。
タイタンの羽根とオクトパスに封殺されたボス・ホイップに、ピックはねらいを定める。
スクイードの、先が十本に分かれた形状を立て、そのまま投げる。
飛んだスクイードはボス・ホイップを縦に切り裂き、ヨーヨーのようにピックの手に戻った。
ピックは敵の周囲を回りながらスクイードをぶつけ、全方位からダメージを与えていく。
ホイップの体から、朱色のガスがぽんぽんと噴出する。
……が、ここでザリガニが左右のハサミを腕から切り離し、ピックめがけて飛ばしてきた。
飛んでくるハサミを落とすべく、戻ってきたスクイードをぶつけようとするピック。
しかしハサミは回り込むような挙動でブーメランを回避した。
ピックに二つのハサミが迫る。
直後、それらのハサミが――「石」によって砕かれた。
先ほどあいた地面の穴から野球ボール大の石が出てきて、ハサミに直撃したのだ。
ヒモにつながった石は急カーブをえがき、もう一方のハサミにも勢いよくぶつかる。
すでにヒビが入っていたハサミは二つとも、あっさり爆発した。
そして先ほど攻撃を外したスクイードが、武器を失った巨大ザリガニの腹部に直撃――ボス・ガス・ホイップの最後の体力を奪い取る。
瞬間、ボス・ガス・ホイップに蓄えられていたガスが一斉に爆裂し、四散する。
通常のガス・ホイップよりも派手な音と衝撃が発生する。
ザリガニのかたちが朱色のガスとなって周囲の空気に溶け込んだ。
手もとに戻ってきたオクトパスとスクイードをキャッチし、ピックは前を見る。
アース・パイでできた地面に、穴があいている。
そのそばに、石とヒモでつながった大きな風車が横たわる。
なおヒモの一部は、穴のなかに垂れている。
この穴の下から、少女の声が聞こえてきた。
「――やりましたね! わたしの協力がなくてもピックさんはボス・ホイップを倒せたんでしょうが、なんにせよわたしたちの息、ばっちり合うことが証明されました」
穴の向こうの声がはずむ。
「ピックさんが相手の動きをとめてくれたおかげで、アース・パイの裏側からわたしが攻撃できたわけです。……その前にわたしは裏側の地面をコツンとたたきました。言うまでもなく『裏から奇襲するから協力してください』って意味です」
「やはり、そうでしたか」
ピックは冷静に、少女の声に反応する。
「そして敵の動きを封じたわたしはツルハシで地面をたたいて、その衝撃を裏面のあなたに伝えました。『準備は完了した』というメッセージです。これを受けてあなたはパイの途切れから自身の石を飛ばし、『これから攻撃する』という合図をわたしに送ってくれました。だからわたしは真下の裏面からの奇襲に巻き込まれずに済んだのです」
オクトパスとスクイードを背中に戻したピックは、地面にあいた穴をのぞき込む。
「お嬢さん、あなたも機転が利きますね。ボス・ホイップには人語を解する種類がいるというのも、ご存じのようで。その可能性を考えたから――戦闘開始直後、素直に『裏から攻撃する』とわたしに伝えず、『自分だけで逃げる』とウソをついたのでしょう?」
「わたし、そんなに薄情でもないんですよ――」
……その言葉と共に、穴のなかへと風車のタイタンと石のポニーが引き戻される。
穴を介してピックは見た。
地面の裏側に立つ逆さまの少女が、風車を背負いなおす光景を……。
少女も穴の向こうからピックの顔をのぞき込む。
「――本気で仲間を見捨てるようじゃ、一緒に旅なんて、できませんよね、ピックさん?」
「旅をする仲間は誰でもいいわけではないという考えには同意します。……では、ハンガームーンの報酬として結婚するというのもウソですよね。おそらく、わたしの人格を試すために、あえて言ったことでしょう」
「いえ、あれは本気です。でないとわたし、結婚詐欺師じゃないですか」
金髪の少女が赤毛の青年ピックと目を合わせる。
一枚のアース・パイの表と裏にいるので……二人とも、互いの顔を見下ろしている。
「あなたの見た目、タイプですし。赤毛が素敵ですよ」
「わたしのほうは、そうでもありませんが。……ともあれ、わたしはあなたを置き去りにすることができませんでした。加えて、あなたは共にボス・ガス・ホイップを退治してくれたかたです。であれば、いつまでもただのお嬢さん扱いするのも不適切でしょう。お名前をうかがっても?」
「ロナ……です!」
「はい、ロナさん。あなたの実力と覚悟を見せられては、わたしも採鉱師として不誠実な態度はとれませんね。では依頼どおり、一緒にハンガームーンを探しましょうか」
ここでピックは、穴から飛びおりる。
アース・パイの地面の表側から裏側に移り、重力方向を百八十度入れ替えたうえで、ロナにうやうやしく礼をする。
「ただし、あくまでロナさんはお客さまで、わたしはそれに応える者。仕事を達成すれば、お金は、きっちりいただきますので……ご後悔なきよう」
「悔やむなんてありえません。よろしくお願いします、ピックおじさん」
「おや、まだ『おじさん』と言いますか」
そんなピックの返しは、とりあえず答えたかのような淡々とした言葉だった。
対するロナは二つ結びの金髪を揺らし、笑顔で応じる。
「嫌でなければ、その呼び方も許してください。だって――」
ロナが上半身をかたむけ、ピックに顔を近づける。
「――わたしは年上、好きなので!」