戦略的撤退
クエンの娘のかたちをしたワッフルと交戦状態になったピックたちは、いったんこの場からの離脱を図る。
そのさなか、ピックのブーメランがワッフルに当たった。
瞬間――ワッフル自身のスピードが上昇するのみならず、空間が震動した。
サン・クッキーで囲まれた空間全体が、位置を斜め下にずらす。
それに伴い、浮いていたアース・パイのうち数十枚が、天井や壁にぶつかった。
同時に、ピック・ロナ・ゼライド・クエン・ヤマメは不自然なほど直観的に確信した。
(あの子が衝撃を受けると共に、ココア・サン・クッキーの固定がとけた……? とすれば彼女の正体は、ココアをとどめるハンガー……ハンガームーンに違いない!)
ただし……すでに中枢神経系にイメージを流し込まれていたクエンだけは、この確信に「やはり」を付けた。
ここで、一つの弾が発射される。
クエンが斜め下のワッフルめがけて銃撃したのだ。
右肩を負傷しているクエンはロナの風車の柱にまたがり、左手でハンドガンを持っている。
自身の単眼鏡を、右の上下のまぶたに挟んでいる。
しかし、ねらいは外れ……弾丸がワッフルの頭上を大きく越える。
「しまった。ロナさん、ヤマメ。彼女に攻撃を」
クエンの言葉に対し、二人の少女は言葉ではなく行動で返答した。
風車タイタンの軸の柱に乗って飛びながら、ロナは野球ボール大の石「ポニー」を、ヤマメは鎖鎌「カマキリ」を投げる。
すると、ワッフルの後背を固めていたサン・クッキーの群れが前方に移動し、盾となった。
ポニーも鎌も、はじかれた。
あと少しで、ロナたちは追いつかれる。
――と思われたタイミングで。
なにかに当たったかのように、ワッフルの左肩の上部が急激に前に出た。
みずから移動させた前方のクッキーに、肩をぶつける。
直後、ワッフルの動くスピードが落ちた。
すでにクエンの第二射が放たれていたのだ。
一番目に外した弾は、頑丈だが比較的遅い。
次に撃った弾丸は、貫通力はないものの、かなり速い。
そのまま撃ってもワッフルを取り巻くサン・クッキーに妨害されるだけと判断したクエンは、ロナとヤマメにクッキーの群れを前方に誘導してもらい、ワッフルの背後に隙を作らせた。
あとは速い弾で、まだ宙を泳いでいた遅い弾を撃つ。
前者の弾丸を後者の弾丸に当てて跳ね返らせる。
その跳弾によって、後ろからワッフルの肩をたたいたというわけだ。
なお角度の関係上、弾で跳ね返らせるだけではワッフルをねらうことは不可能だったので――あたりに浮遊する何枚かのアース・パイをも利用して跳弾を複数回発生させ、クエンは弾丸をワッフルの左肩に運んでいる。
(見た目が似ていようとも、あれは僕の子どもじゃない。もはや人間ですらないのも明らかだ。狙撃をためらう理由は皆無……)
結果、空間自体の揺れが収まった。
周辺のアース・パイの動きも安定する。
ココア・サン・クッキーが、再び固定されたようだ。
ともあれ先ほどのココアの震動により、この大きな空間の入り口が多少ロナたちに接近していた。
……入り口のそばで待っていたゼライドが自身の立つアース・パイを裏返し、体を逆さまに変えている。
「みんな、早く! こうなりゃ跳ぼうぜ!」
ピック・ロナ・クエン・ヤマメがパイに着地するのを確認したゼライドはアース・パイの地面を蹴った。
一方……スピードは下がったものの、ワッフルがサン・クッキーを連れて彼らに迫る。
この瞬間、五人の体が指先に至るまで動かなくなった。
クエンとヤマメは、先ほど同じ攻撃を受けている。
……が、今度は助けてくれる仲間もいない。
心臓も、とまっている。
死なないのは、死の進行さえ停止しているからだ。
精神だけは縛られておらず、ひたすら自身の滅亡を予見する。
迫るワッフル――。
彼女を取り巻くサン・クッキーが、アンキロサウルスの尾に似たハンマーを再び作る。
――そんな危機的状況でロナやピックたちが助かることができたのは、ゼライドが事前に仕込んでいたガスのおかげであった。
ゼライドはワッフルの「停止攻撃」を受ける前……。
自分のいるパイの裏にウミヘビ型ガス・ホイップ「ヌライア」を移動させていた。
あらかじめゼライドはパイの裏に、圧縮されたガスを配置してもいた。
ガスは薄い膜でおおわれ、はちきれんばかりである。
この膜をかみちぎる指示をヌライアに出していた。
地面を蹴るという合図を受けたヌライアは、指示どおりにあごを動かした。
直後、ガスが爆発した。
入り口付近の壁にも衝撃を与えた。
この爆発によりアース・パイ一枚が崩壊し――。
パイに立っていた五人は一気に、入り口とは反対の方向に撃ち出された。
ワッフルのそばを過ぎる。彼女が反応できないスピードで。
加えて、爆発の衝撃を受けた五人の体が、停止状態から解放される。
ピックとヤマメとゼライドは、ロナの風車タイタンの軸につかまった。
かたやロナとクエンは、横倒しにしたその軸の柱にまたがっている。
立ちふさがるアース・パイのガレキをヤマメの鎖鎌が粉砕する。
減速しないよう、ロナがタイタンの羽根をプロペラのように後方に向かって回し続ける。
野球ボール大の石ポニーを前方に投げる。それに仕込んだアース・パイの重力により、タイタンのスピードを上げる。
ピックは左手でタイタンの軸につかまったまま、右手で白いブーメラン・スクイードを飛ばす。
脇に挟んだ赤いブーメラン・オクトパスが、スクイードの重力に引っ張られる。
手もとに戻ってきたスクイードを何度も投げて、風車タイタンの加速の補助および方向調整をおこなう。
ゼライドはスプレー缶型のボンベでガスを後ろに噴射し、ガス爆発の勢いが死なないように気を配る。
さらに――進路に立ちふさがる、あるいは襲ってくるガス・ホイップを、クエンのハンドガンが撃ち抜いていく。
こうして、一つの村ほどもある空間の……入り口とは反対側にあいていた出口に彼らは到達した。
出口は、五人が横に並んでも余裕で通れる穴のようだ。そこに入る。
やはり穴の先は、サン・クッキーでできた洞窟である。
後方を警戒していたゼライドが言う。
「宙を浮くあの子とは距離ができたが、まだ追ってきてる。しばらく全力で逃げよう」
五人は風車タイタンにつかまった状態で洞窟の通路を飛んでいく。
曲がりかどに来たときはゼライドがクリオネ型ホイップで中規模の爆発を起こし、その反動で左右に折れる。
「……壁にヒビが入っちまってるな。確か不当にココア・サン・クッキーを損壊すれば犯罪になるって話だったが今は緊急事態だ、言い訳できるさ!」
♢♢♢
――彼らが逃亡をやめたのは、周囲の通路を構成するサン・クッキーが暗くなり始めたころだった。
全員が汗だくで過呼吸のまま、クッキーの表面に倒れた。
各自は横たわった状態で目の前のクッキーをたたき、あかりをつける。
タオルで汗を拭きつつ、ロナが言う。
「大きな空間から出たあとの通路には多くの分岐がありましたね。ルートを複雑化させて、ときに引き返したりもしたわけなので……向こうも簡単にはわたしたちを追えない……これで、いったん逃げられたとは思います」
ロナの声を聞いて――。
ほかの四人が上体を起こす。
ただしゼライドはクエンのそばに寄り、もぎ取られた右肩に治療用のガスを噴射した。
うなだれたクエンが口をひらく。
「……すまない、ゼライドくん」
「可動域は縮小しただろうが、これである程度は右腕も動かせるようになるよ。……もちろん失った部分が再生したわけじゃないから、無理は禁物な」
ゼライドは優しく、クエンの右腕をさする。
「……それと、関所でピックくんが言ってたとおり、逐一、謝ったり礼を言ったりすることは、ねえから。『どうしても』ってとき以外は。だって、ここにいる全員が、全員に対して感謝と謝罪を思ってる……言われなくてもわかるよ。そういうもんだろ、人ってさ」
彼の言葉に対し、ほかの四人が黙ってうなずく。
呼吸を整え、ロナが切り出す。
「みなさん、すでにわかっているはずですが、一応確定しておきましょう。サン・クッキーの群れを連れて宙に浮いていた黒いボブパーマのあの女の子こそが、わたしやピックさんの求めるハンガームーンと見て間違いありません。まさかあんなに小さいとは思っていませんでしたけど……あの子が衝撃を受けると共にココアが揺れたり逆に空間の震動が収まったりしていたところを見るに、そうとしか考えられません」
彼女はポケットから方位磁石を出す。
「これも、さっきの空間において震えていました。あの女の子が磁石に反応するハンガーである証拠です。今は動きをとめていますが」
ついで磁石を布で何重にもくるむ。
「そもそもあの子は、わたしたちと同じ生き物じゃないですね。ガス・ホイップとも違います。宙を自由に移動するだけじゃなくて、サン・クッキーとアース・パイを形成し……手もふれずにそれらを操作していました。クエンさんの銃弾が当たっても血さえ出ていませんでした。また、一瞬でしたけどあの子とすれ違うときわたしのなかに……ビジョンともサウンドとも定義できない情報が流れてきました」
それをロナは言語化していく……。
内容は、クエンがむきだしのハンガームーンと対したときに理解させられたものと同じだった。




