赤毛と金髪の追いかけっこ
体の向きを上下逆転させたあと――。
赤いブーメラン「オクトパス」に乗ったピックは、足裏の方向に白いブーメラン「スクイード」を投げた。
するとオクトパスごとピックが、スクイードの飛んだ方向に――吸い寄せられた。
さらに、回転しながら手もとに戻ってきたスクイードをピックはキャッチし、再び投げる。
それにより、もう一度ピックとオクトパスがスクイードの飛んだ方向に――吸い込まれるように移動した。
――赤いブーメランに乗ったまま白いブーメランを投げ続け、ピックが空中をぐんぐん進む。
オクトパスとスクイードは、重力を持つ鉱物「アース・パイ」で作られている。
今は――ピックの乗ったオクトパスが、投げられたスクイードの重力に引き寄せられるかたちで、空中を移動している。
スクイードの投げる方向やスピードを調整すれば、自在な飛行が可能となる。
そうしてピックは五百メートルほど進んだあと、つま先でオクトパスをたたいた。
同時に、ブーメランのたたかれた部分だけが空中に固定された。
直後、左右のつま先を軸にして体を半回転させる。
腹側に向かって胴を回し、もう一度体の上下の向きを逆転させた。
ついで再度、つま先でオクトパスを刺激した。
これにより、ブーメランの空中固定が解除された。
二つのブーメランにはアース・パイだけでなく、物体をその場に固定する鉱物「ハンガー」も仕込まれている。
ハンガーは一定の刺激を受けることによって、固定機能のオンオフを切り替える特性を持つ。
この特性をうまく利用して――。
ピックは適宜、宙にとどまったり流されたり、方向転換したりする。
続いてピックはオクトパスを蹴り上げる。
帰ってきたスクイードと共に、それを自分の背中に戻した。
目の前に新たな足場がある。
ピックはそこに着地し、走る。
ここもアース・パイにより作られた地面である。
このあたりのパイの材質は陶器に近い。
あちこちにヒビ割れが見える。
雑草も生えている。
じきに道が途切れる。
先には、なにもない。崖っぷちになっている。
代わりに、右手から奥に向かって壁が延びる。
ピックは崖っぷちに到達すると同時に――。
――ジャンプした。
ただし、なにもない正面ではなく、右の壁に向かってだ。
体を横にかたむけ、両足を右の壁につける。
するとアース・パイの重力効果により、そこが次の足場となる。
直前まで壁に見えていたその道を、走りだす。
ピック自身にも「横になった」という感覚はなく、「まっすぐ地面を走っている」という実感がある。
駆けながら振り返る。
先ほどまで走っていた地面が、左後方に延びる壁になっている。
(あのお嬢さんの姿は、まだ見えないな)
だがピックはスピードを落とさず、この地面も駆け抜け、もう一度現れた右の壁へと跳ぶ。
すると――やはりその壁が新しい地面と化し、ピックを迎え入れる。
……そして、ここで「異変」が出現する。
道の調子はこれまでと一緒だが、前方の道に「エビのようなもの」が待ち構えていたのだ。
視認すると共にピックは、背中のスクイードを投げる。
白いブーメランが高速で回転し、小気味いい音と衝撃を発生させてエビのかたちを粉砕する。
瞬間、エビの内部から、圧縮されていたガスが周囲に散る。
カラの部分も霧散した。
そのエビは本物のエビではない。
よどんだ空気がたまって生まれる「ガスだまり」が、生物の姿をかたどったものである。
表面から色付きのガスが噴出しており、そこから非生物だと判別できる。
……「ガス・ホイップ」の通称を持つその非生物は、人を始めとする生物を理由なく襲う。
また、ガス・ホイップはガスだまりの一種なので……よりよい空気の循環のためにも、できるだけ退治しておいたほうがいい。
――道の先には、エビ型のガス・ホイップが複数たむろしていた。
それらをすべてスクイードでなぎ払い、ピックは足をとめずに走る。
スクイードを投げるごとに背中のオクトパスが反応し、ピックの体が前方へと加速する。
「――そのまま全力で走ってください! スタミナ切れをねらいます!」
……後方から細く声がする。
振り返るまでもなく、あの金髪の少女が追ってきたのだとわかる。
声は、後方斜め上から聞こえる。
少女は、二つ前の地面……アース・パイにいるようだ。
ピックから見て、ちょうど少女は天井を走っている状態でもある。
ピックは微笑し、前方のガス・ホイップを全滅させたあと、次なる地面に足を踏み出す。
今度は前方の右と左に、向かい合った壁がある。
両方とも奥に続いている。
右の壁にピックは着地した。
さらに、その先に現れたガス・ホイップも蹴散らす。
天井にうごめくエビやイソギンチャク型のホイップたちにも、ブーメランを投じる。
取りこぼしたぶんは、体当たりで爆発させていく。
続いて右前方のホイップに向かってスクイードを――。
――投げようとしたとき、後ろから鋭い風が吹き、野球ボール大の石が飛んできた。
(この石は、サン・クッキーか。……アース・パイで、おおっているな)
そのまま石が三匹のガス・ホイップに当たる。ホイップたちが爆発する。
石にはヒモが付けられており、それが引っ張られ、後方に戻る。
「――待たなくていいですよ!」
後ろから、例の少女の声が届いた。
どうやら先ほどの「石」は、自称十八の少女の攻撃手段らしい。
ピックはウエストポーチからゴーグルを取り出し、装着する。
そのゴーグルにはバックミラーが付いており、振り返らずに後方を確認できる。
ミラーは、正面と右と左に一つずつ。
……少女は、左後方の壁を地面として進んでいる。
その途切れまで到達し、左にジャンプし、着地する。
先ほどピックはそのポイントで右にジャンプしたから――。
これでまた、ピックの後ろの天井を少女が駆けるかたちとなった。
ピックの走る地面も、少女の駆ける天井も、重力を有する鉱物「アース・パイ」である。
そのため、互いに立ったまま頭頂部を向け合う……今の状況も起こりうる。
フロントのミラーをかたむけ、逆さまの彼女を確認するピック……。
野球ボール大の石を投げては回収し、ガス・ホイップを攻撃している。
その石から延びたヒモは、大きな「風車」の根もとに連結する。
少女は、横に倒した風車の太い軸に立っている。
羽根の部分は後方を向いており、絶えず回転を見せていた……。
どうやらピックのブーメランと同様、道具自体に仕込んだアース・パイの重力に引っ張られることで、空中を自在に動いているようだ。
少女は前進を続けていた。
パイでおおわれた石が、風車そのものを重力で引っ張る。
羽根の回転が、さらに彼女を前方に押し進める。
(速いな……振り切れるか)
背中のオクトパスを足もとに投げ、ピックはそれに靴の裏をつける。
体を前方に九十度かたむけ、地面に対してうつ伏せになる。
ただし地面よりもブーメラン・オクトパスの重力のほうが優先されており、ピックの体感としては「まっすぐ立っている」も同然だ。
頭部を前方に向けたまま――白いブーメラン・スクイードでガス・ホイップの群れを切り払いつつ、それに引き寄せられるかたちで道の先へと高速で移動する。
返ってきたスクイードをキャッチ。投げる。またキャッチ。投げる……その向きは、ひととおりではない。
右、左、上、斜めなど……スクイードがその都度違う方向に飛ぶ。
そのたびピックとオクトパスが、そちらの方向に引っ張られる。
ここでフロントミラーをのぞくと、ちょうどピックの真後ろの天井に少女が映った。
風車の軸に立ったまま金髪の頭頂部をピックのほうに向け、彼と並走している。
ピックは、彼女が石を投げて進行を妨害してくる可能性も考えた。
だから警戒したのだが、少女は前進とガス・ホイップの掃討に専念しているようだ。
……今のピックはブーメランを足場としている。
その足場が緩やかに回転し、ピックの顔が少女の進む地面を向いたとき、二人の目が合った。
少女が首を倒し、顔をピックに向けている。
互いに互いの笑顔が見えた。
――それも相当、不敵なそれが。
ここで……手もとに戻ってきたスクイードを彼女めがけて投じるピック。
かたや少女は、風車の根もとをピックのほうに向けた。
軸に乗ったまま高速で投球モーションをとり、石をぶん投げる。
石が、だ円の軌跡をえがき――。
この直前にピックを取り囲むように出現していたガス・ホイップたちを――立て続けに炸裂させた。
一方、ピックの手から離れたスクイードが――。
後ろから少女にせまっていたイセエビ型ホイップに直撃し、それを爆裂させる。
ブーメランが、自然にピックの手に返る。
石もヒモごと引っ張られて、少女の手もとに戻る。
そして……向かい合う二つのアース・パイが、同時に途切れる。
ここから先は、両方の地面のあいだに板状のパイがある。
新しい地面を構成するパイは、今までの二つのパイに対して平行に浮いている。
そちらに向かって二人は落ちた。
ただしピックと金髪の少女は同じアース・パイに落ちたが……それぞれ違う面に着地している。
ピックが着地した側が表ならば、少女は裏側に足をつけたことになる。
アース・パイの重力は表と裏の両方に働く。
よって、どちらの側に立つことも可能なのだ。
パイの裏側にいる少女が、表側のピックに話しかける。
疲れを感じさせない、はつらつとした声が――ピックの足もとから響く。
「ピックおじさん! さっきの事務所では……誰を置き去りにするって言ったんですか!」
「それはもちろん、『世渡りできないお嬢さん』を」
オクトパスとスクイードを背中に固定しなおして、ピックが下を向いて言う。
「……しかし少しだけ、あなたは違ったようですね。まさか追いつかれるとは思いませんでしたよ」