むきだしのハンガー
町を去ったロナたち一行は、ココア・サン・クッキーの入り口の関所を目指して赤の空域を進む。
地図を見ながら、アース・パイからアース・パイに跳び移る。
赤の空域のアース・パイは赤茶けた岩石。
地面に立つと、熱が伝わる。
……パイの公道の周辺に、赤っぽい雲が浮いていることもある。
その雲から雨がふったときは、温水が周囲のアース・パイに向かって花火のように放射される。
道中では相変わらず、人を襲う非生物「ガス・ホイップ」が多く出現した。
しかしロナの体感では、無の空域や青の空域のときよりも敵が強くなっている。
大きなハサミを持つカニ型や、高速で宙を泳ぐマグロ型などに翻弄される。
「あれ……?」
野球ボール大の石「ポニー」を十回投げてようやくマグロ型ホイップを倒したロナが、肩を上下させつつ、こぼす。
「ここのガス・ホイップって、こんなにしぶといんですか。赤の空域には、強いホイップがたくさんいるんですね」
「……そう思えるのは、ロナちゃんが強くなったからだろな」
ガス・ホイップの専門家とも言えるゼライドが、ロナに教える。
「より強いホイップは、より強い相手に攻撃衝動を向けやすいんだ。かつ、弱いホイップは格上にあまり手を出さない。……どの空域にもヤバいガス・ホイップと雑魚ホイップの両方がいるけど、どっちに遭遇しやすいかは本人の実力次第だぜ。今のレベルアップしたロナちゃんが無の空域や青の空域に戻ったら、もっと強いホイップと戦えるよ」
「……なんか、わかりました」
ポニーに取り付けられたヒモを、ロナが軽く回す。
「ゼライドさんと出会う前――無の空域でピックおじさんと追いかけっこしたあとボス・ガス・ホイップに襲われたことがあるんですけど……思えばこれも、ピックさんという強者にあのザリガニ型ホイップが引き寄せられた結果だったんですねー」
「……世界って、なかなかバランスとれてるだろ? 強いやつほど、強いガス・ホイップと戦わなくちゃならないから」
ここでゼライドが、視線を左の空中に向ける。
「……あ、ハンガーがあっちに浮いてる。ちょっと取ってくるわ」
ゼライドは、ピックと同じく鉱物を収集・販売する採鉱師だ。
ピックはアース・パイとサン・クッキーを専門的に扱うが、ゼライドはそれらだけでなく「ハンガー」も販売する。
物体を空中に固定するハンガーは、ほとんどがガスで構成されるこの世界で真価を発揮する。
重力を発生させるアース・パイを、足場なき空間に配置することができるのもハンガーのおかげだ。
だから……さまざまなかたむきの道があるし、町もある。
なおハンガーという名前は、衣服を引っかけるハンガーを語源とする。
おそらく昔年の人々は、物体を宙に引っかけるイメージからハンガーという単語を連想したのだと思われる。
ともあれゼライドは、視線を向けた空中に身を投げ出す。
左上半身をおおうスカーフからボンベを出し、下に噴射する。
トンネルでも出現させていた大きなアメーバ型のガス・ホイップを複数発生させる。
ガス・ホイップたちは互いにつながり、体を伸ばした。
そうして、橋のような足場となる。
ゼライドはこの橋を進み、ハンガーで固定されていない小さなアース・パイに近づいた。
浮遊するパイのそばに、クギ型の鉱物が漂っている。
それをつかむ。
そんなに大きくはないハンガーが、パイの陰に隠れていたのだ。
銀灰色のそれを持って橋を引き返し、ゼライドがロナたち四人の歩くアース・パイに戻る。
アメーバ型のガス・ホイップの破裂する音を聞きながら……。
歩きつつ、ハンガーをリュックにしまうゼライド。
彼を見て、ロナが再び口をひらく。
「わたしもピックさんへの支払いのために、宙に浮くパイのガレキを合法的に集めたりしてますが……むきだしのハンガーにお目にかかったのは初めてです」
首を回して、周辺の空中を確認する……。
「赤の空域には、手付かずのハンガーが散らばっているのでしょうか」
「うんにゃ、違うよ」
ゼライドが首を左右に振る。
「その点に関しては、ピックくんも答えられるんじゃね?」
「……ロナさん」
ゼライドの言葉を継ぎ、ピックが自身の赤毛をなでる。
「むきだしのハンガーは見つけたら回収するのが暗黙のルールなのです。もちろん、公共の道や町などを固定するハンガーを奪うのは、犯罪ですが」
ロナと目を合わせ、ピックは続ける。
「むきだしのハンガーを放置すると、元々固定されていたアース・パイやサン・クッキーの位置やかたむきを変えるかもしれません。だから見つけたら基本的に即回収です」
「位置やかたむきを変えるとは、どういうことです。ピックさん」
「クッキーと同じで、ハンガーは刺激を受けてオンオフを切り替えます。固定機能がオフ状態のハンガーが移動し、既存の固定パイに付着することもありえます」
ピックは右の人差し指を、左手の平に当てた。
その手の平をかたむける。
「ここでアース・パイが、ずれたとします。このタイミングで、新しく付着したハンガーがオンになれば、ずれた状態でパイが固定されることになります」
「理解が追いついてきました」
納得したようにロナがうなずく。
「アース・パイに発生する一つ一つのずれが小さくても、余計なハンガーによる悪影響が積み重なれば、ずれの蓄積は大きなゆがみに成長する……結果、パイでできた道や村や町の崩壊を引き起こしかねない……というわけですね。だからむきだしのハンガーが放置されることはなく、パイに比べてハンガーをじかに見かける機会も少ないと……」
「はい。それゆえハンガーよりもパイやクッキーのほうが身近であり……したがってこの二種を専門的に売るほうがもうかります」
そしてピックはロナから視線を外し、やや上を向いた。
「とはいえハンガーは心理的に大きなものですよ。アース・パイ、サン・クッキー、ハンガー……わたしたちの生活に必要な三大鉱物……このなかで一つを選び取るならば、わたしはハンガーを選びます。いくら足場や光熱があっても、自分をつなぎとめるものがなければ不安ですから」
「……わたしはクッキーが一番ですね」
ロナは手に持っている石「ポニー」をたたき、光らせる。
「――暗いと、なにも見えないので」
「俺はパイがいいな。分け合う際に、わかりやすい」
ピックとロナの発言を受け、ゼライドも話題に乗った。
さらにヤマメとクエンも順に好みを明かす……。
「あたしもパイ優先かなー。足をつける地面がないと、家も建たないじゃん」
「ちなみに僕はロナさんと同じサン・クッキー派です」
こんな取るに足らない雑談も交わしつつ――。
五人は、ココア・サン・クッキーの入り口に近づいていた。
♢♢♢
この星の中心に位置する超巨大岩石「ココア・サン・クッキ―」は、世界に光と熱をもたらす。
一定の緩やかなリズムで消灯と点灯をくりかえすので、世界に住むあらゆる生き物に「時間」を与えているとも言える。
またココア・クッキーには、大気を世界にとどめるという役割もある。
星の持つ引力としては弱いものの、そのおかげで人々もほかの生き物も呼吸できる。生きていける。
かつて「太陽」と呼ばれた星があったが……。
その太陽の変化した姿が、ピックやロナの生きるこの世界である。
あまりにも長い時間が経過して縮小した恒星が、大きな岩石「ココア・サン・クッキー」となって……往古の光熱のほんの一部を漏らし続けている。
ここから欠けた小さな石が、いわゆる「サン・クッキー」として人々の生活に使われる。
ココアは自転も公転もせず、不動のまま。
ただただ宇宙に、ぶら下がる……。
ピック、ロナ、ゼライド、クエン、ヤマメは――。
そんなココア・サン・クッキーの入り口として設けられた関所の前に来た。
色あせた景観の関所だ。
全体的に灰色であり、派手さはない。
関所の門を通過する。
その奥には、大量の円柱が立っていた。
関所自体はあまり大きな建物ではないし、それを載せるアース・パイも小さい。
物理的には関所の外側から回り込んでココア・クッキーに入ることも可能だが……それをやれば不法侵入で捕縛される。
五人は、灰色の円柱の林を抜ける。
すると、一人の女と一人の男が現れた。
どちらも、灰色の制服を身にまとっている。
二人は、政府から派遣された「門番」である。
その二人組が、ロナたち五人を関所内の建物に案内する。
建物内では、全員のボディと荷物のチェック……そして感染症の検査が実施された。
空域の境界線にある通常の関所よりも入念なチェックだった。
体と服のあちこちを軽くつねられた。荷物を一つ残らずシートの上に並べるよう指示された。
この世界には政府が指定する感染症が十七あるのだが……各感染症について、その有無を徹底的に検査された。
銀行のカードの提示も求められ、犯罪歴がないかも調べられた。
……今からピックやロナたちは、ハンガームーンを求めてココア・サン・クッキー内部に入ろうとしている。
そこは、通常の空域とは異なる一種の閉鎖空間でもある。
その環境をよりよいものに保つため、危険物の持ち込みや犯罪者の侵入等を政府は絶対的に阻止しているのだ。
♢♢♢
一連のチェックは半日以上に及んだ。
五人全員、「問題なし」との評を得た。
次に門番の二人組はピックやロナたち全員を椅子に座らせ、質問する。
「一人ずつ、ココア・サン・クッキー内部に入る理由をお聞かせください」
「わたしは興味本位で来ました」
ハンガームーンの名をおくびにも出さずピックが言う。
「ココアを訪れたのは、旅の一環ですね。自分のよりどころが、ここにあるのではないかと……なんとなく期待してもいます。それと」
ピックは、左隣の椅子に座るロナをちらりと見る。
「こちらの金髪の彼女……ロナさんに雇われているから同行している面もあります」
「彼の言葉は真実です」
ロナが、ピックに続いて口をひらく。
「一人では心もとない旅でしたから、わたしはピックさんの腕を買ったんです」
真意をほどほどに隠しつつ、ロナが言葉を続ける。
「わたし自身は、ココア内部のハンガームーンをひと目だけでも見たくて、やってきた次第……なんですが、聞けばハンガームーンは見つかっていないとのこと……でも、せっかくここまで来たからには、観光していこうかと」
「わかりました」
門番二人は、うなずいた。
ついでゼライド、ヤマメ、クエンにも「ココア内部に入る理由」を尋ねる。
三人が、順番に答える。
「俺はピックくんに……赤毛の彼に給料をもらって、ここにいます」
「ロナちゃんが悪いことをしないか心配で、あたしは一緒に行動しています」
「僕も同じです。ロナさんは大変おてんばですから……見守らなければなりません」
……以上の発言から、門番は思っただろう。「お金持ちの金髪お嬢さま一人と、そのわがままに付き合わされた哀れな四人の一行が訪れた」と。
門番たちはロナを見つめる。
「ココア内部での滞在期間は、何日を予定しています?」
「とりあえず一年です」
「法律では、みとめられていますが……なぜ観光にそこまで時間を割くのです」
「ちょっと実家でゴタゴタがありましてね。親からは『しばらく帰ってくるな』と言われました。だから観光がてら、一年で頭を冷やすんです。といっても、あんまりココアが厳しい場所なら予定よりも早く引き返して別の場所に行きますけれど。その場合は三十日もたたず、この関所に戻ってくるかもしれませんね」
「そうですか」
追及することなく、門番二人は粛々と言う。
「では最後に試験をおこないます。失敗したら帰ってください」




