ココアに達する前の赤
ウツボ型のボス・ガス・ホイップを撃破したのち、ロナたち五人はトンネルを抜けた。
大きな山の形状にあいたトンネル――その先には、「赤の空域」が広がっている。
目の前の空中に……いろいろなかたちのアース・パイが、さまざまな角度で浮かぶ。
その圧倒される光景が、今までの空域と同じく視界の奥まで続く。
ただし赤の空域のパイは、赤茶色の岩石のようだ。
無の空域のパイのほとんどは陶器に似ていた。
青の空域ではガラス状のパイが多く見られた。
それらと比べ、赤の空域のアース・パイは重厚な印象を与えてくる。
ロナとクエンとヤマメそしてピックを背負うゼライドは、トンネルのあいた山から近くのアース・パイに跳ぶ。
パイのかたむきに合わせて体を倒し、重力方向を新たにする。
踏んでみると……岩石状のパイの表面は柔らかいのだとわかる。
しかし地盤自体は固く、靴でこすれば赤土が露出する。
あたりの空気が、ぼんやり赤い。
からい味が鼻孔と口内に入り込み、喉の奥まで刺激する。
そんな赤の空域を、五人が進む。
やはりパイからパイに跳びつつ――。
ピックが足裏をケガしているため、ひとまず病院のある町に向かう。
なお一つの空域から新しい空域に移る際は政府管轄の関所で検査を受けるのが普通だが、トンネルの近くにそれらしき施設はない。
代わりに……アース・パイの公道でパトロールをしていた警察が飛んできて、ロナやピックたちに対して簡易的な荷物チェックなどをおこなった。
結果はもちろん、問題なかった。
♢♢♢
――そして一行は、立方体のかたちをした大きな町に到着する。
青の空域には三角柱の町があったが……。
赤の空域のこの町は、巨大な正方形のアース・パイ六枚を組み合わせて作られたものだ。
もちろんパイがバラバラになったりどこかに飛んでいったりしないように、それぞれのアース・パイは物体をその場にとどめるハンガーで固定されている。
そしてアース・パイは板状の表と裏それぞれで重力を働かす。
よって町の区画は、二かける六すなわち十二面に分かれる。
立方体の外側の六面と内側の六面に人々が居住するスタイルだ。
町を取り囲むアース・パイを蹴り、外側の一つの面に着地するロナたち……。
着地用のスペースの近くに町の地図を貼り付けた看板が立っている。
その地図を頼りに、病院へと歩いていく。
地面は、やはり赤茶色の岩石のアース・パイ。
道の両側に並ぶ住宅や店の外観は、暖色系だ。
……ただし病院の建物は白く、目立っていた。
そこでピックは足裏のケガを見てもらった。
医者は患部に液体の薬品を塗って包帯を巻いたあと、「これで普通に歩ける。無理な動きをしなければ、あと数日で完治する」と言った。
本来ならもっと深刻なケガだったようだ。
しかしゼライドが治療用のガスを患部に使用していたおかげで、ピックのケガは比較的軽度で済んだのである。
ピックもゼライドも胸をなで下ろした。
しかし一番ほっとしていたのは、ロナだった。
病院の治療費については全空域共通の保険制度があるので、たいした負担にならないが――。
ピックのおかげでガス・ホイップに殺されずに済んだことを鑑み、ほかの四人も費用を出した。
♢♢♢
病院に寄ったあと、五人は銀行に向かった。
なお、すでにピックは自力で歩けるようになるまで回復している。
ボス・ホイップに破壊されたものとは別の靴をはいている状態だ。
……ともあれ銀行は、立方体の内側の区画にある。
外側の地面のところどころには、穴があいている。
ロナやピックたちはその一つをとおって、内側の面に移った。
外側とは異なり、ココア・サン・クッキーの光は内側に届かない。
よって六面の中心に位置する空中にはハンガーで固定された大きなサン・クッキーが据えられ、町の六方を照らす。
町の一つの区画を囲む前後左右の巨大な壁と真上の天井に、建物と人を並べて載せた地面が見える。
重力を持つアース・パイが根付いたこの世界においては、とくに奇異な光景でもない。
とりあえずピックたちは、今立っている地面を歩いて銀行に行く。
町の銀行の掲示板では、例のトンネル内のウツボ型ボス・ガス・ホイップの討伐依頼が出されていた。
ロナは、口に出さずに計算する。
(……報酬の額は、青の空域の村で提示されていたものよりも大きい。あそこの村で依頼を受注していたわけじゃないし……ボス・ホイップから回収したガスは、この銀行に渡そう)
そう考えたロナは、ほかの四人と相談したうえで――。
ウツボ型のボス・ホイップを討伐した証拠として、苦いガスの詰まった袋を行員に預けた。
ガスの袋を預かった行員は、驚いていた。
ただしボス・ガス・ホイップの討伐報酬が、即座に支払われるわけではない。
専門家による認証が必要であり、それには数日かかるそうだ。
なおガス・ホイップを使役するゼライドも専門家と言えば専門家だが……今回彼は報酬を受け取る側なので、「これは間違いなくウツボ型のボス・ホイップが倒されたあとのガスだ」と勝手に認証することはできない。
♢♢♢
報酬が支払われるまでの数日間。
ピックの療養も兼ねて――五人は町にとどまり、各自の時間を過ごす。
ただし暗殺仲間と連絡をとられると厄介なので、クエンとヤマメをゼライドが見張る。
これまでも……就寝中などに余計な行動を起こさせないよう、ゼライドはクマノミ型のガス・ホイップをクエンとヤマメに張り付かせていた。
ピックくんがまだ万全でない以上、クエンさんとヤマメちゃんの監視を緩めるわけにはいかない――そうゼライドは考え、気を引き締めていた。
一方、ゼライドの勧めもあって……。
ピックとロナは二人で時間を潰していた。
道をゆっくり歩きつつ――。
金髪の少女ロナは赤毛の青年ピックの両足をさりげなく見て、口をひらいた。
「なんか久しぶりに二人きりですね。ピックさんは、どこか行きたいところ、あります?」
「念のため病院には、数日通うことになりそうですね」
淡々と答えたピックは、そのあと少し熱を込めて付け加える。
「……病院以外だと、溶接師の店に行く予定です」
そういうわけで、ロナとピックは町の区画を移動する。
途中、ピックがロナに話しかける。
「ロナさんは、わたしのブーメランの残骸を集めてくれていましたよね」
「はい」
背中の風車の軸をひらいて、ロナは袋を取り出す。
「このなかに入っています。ただし取りこぼしも、あるかもしれません。……それとピックおじさんのえぐり取られた靴裏の破片も一緒に入れています。これは、いのちを救われたことへの感謝の一環です。どうぞ!」
「ありがとうございます」
ピックは礼を返して、袋を受け取った。
「非常に助かります。修復できないレベルとはいえ、細かいパイとハンガーが残っているため売却は可能なのですよね」
「オクトパスとスクイードの代わりは、どうするんです」
「同じ波長のものを新しく買います。特注品ではありませんので、すぐに購入できますよ」
「そうですか……ピックおじさん、今までどおりに戦えるんですね……よかった」
ロナが、安堵のため息をつく。
ちょうどこのタイミングで、二人は溶接師の店の前に着いた。
なかに入ったピックは、ブーメランなどの残骸の詰まった袋を店主に売ったあと……。
赤いブーメラン・オクトパスと白いブーメラン・スクイードを注文した。
支払いは、その場で済ませる。
金額と銀行カードの番号を証明書に書き入れてもらい、店主とピックが印鑑を押す。
加えてピックは、それらのブーメランと同じ波長のアース・パイを底に付けた靴一足を頼んでおいた。
ロナもそうなのだが、ピックは靴底に武器と同一波長のパイを仕込んでいる。
それによって足をブーメランに固定し……乗り物にしたそのブーメランから振り落とされないように工夫しているのだ。
♢♢♢
注文して一日後、ロナとピックは再び溶接師の店を訪れた。
細面の店主がピックに、注文どおりの品を渡す。
「……はい、ピックさん。新品のオクトパスとスクイード……それと、同一波長のアース・パイを取り付けた靴だよ」
「納得のいく出来です」
少し見ただけで、ピックが断言した。
「試しますね」
許可をとったうえで――ピックは新しい靴をはき、二つのブーメランを構えた。
店のあいたスペースで赤いブーメラン・オクトパスを放り上げ、そのオクトパスの中心に立つ。
内蔵されたハンガーを足の裏全体で刺激して空中にとどまり、上下に回転する。
ついで、オクトパスと同じ波長のアース・パイを有する白いブーメラン・スクイードを投げる。
スクイードの重力に引っ張られるかたちで、ピックは宙を移動する。
しばらく試したあと、ピックは二つのブーメランを背中に戻した。
店のゆかに足をつける。
「これらをそのまま、いただきますよ」
「どうぞ持ち帰ってください。もうお金は、もらっていますからね」
「はい。……そしてご主人」
ピックが、店主の溶接師をじっと見る。
「……『クラーケン』については、事前に聞いていますよね」
「ああ、それか。……ピックさん」
店主は、細面の顔を気まずそうに崩す。
「もちろんオクトパスやスクイードを渡したうえで、こっちから切り出すつもりだったよ。クラーケンは、すでに届いている。自信作だとさ」
……そもそも無の空域の町にて、ピックは「クラーケン」なるものを溶接師に注文していた。
しかし、以前にロナと訪れた段階では完成していなかった。
だから完成次第、クラーケンを赤の空域の町まで送ってもらったというわけだ。
旅を進めれば、ちょうど赤の空域に到達したときにクラーケンを受け取れる――そうピックは計算していたのである。
果たして店主が取り出した「クラーケン」なるものは、やはりブーメランだった。
ピックが微笑して受け取る。
ロナは、その光景を見る……。
ピックの新たな武器のクラーケンは、存外に小さかった。
オクトパスやスクイードよりも羽根が短い。
まるで触手のように、うねった形状をしている。
クラーケンは、十二枚羽根のブーメランのようだ。
青い濃淡の入り乱れた模様を持っている。
♢♢♢
ピックの用が済んでから……。
ロナは、傷んでいたポニーとタイタンを溶接師の店主に修理してもらった。
そして外に出て、ピックとロナは二人きりで町を歩く。
赤の空域の大気は、町のなかでも赤い色。
病みつきになるほど、からい。
「いつまでも吸っていたくなりますね……ピックおじさん」
「そうですね。ところでロナさんが行きたいところは、ありますか」
「そろそろ、なんか食べましょう」
ロナとピックは料理店に入り、食事をとる。
赤の空域のガスをもとにして作られた、からい調味料のかかった肉料理をたいらげた。
♢♢♢
一方、ゼライド・クエン・ヤマメの三人は……。
ロナ・ピックのいる地面と向かい合う、町のアース・パイの区画にいた。
やや広めの公園に入り、そこに設けられた長椅子に座っていた。
長椅子は足を持たず、つり下げられている。
横に長いブランコのようだ。
クエンの左隣にゼライドが、右隣にヤマメが腰かける。
椅子をきしませ、ゼライドが問う。
「そういえばクエンさんにヤマメちゃん。暗殺仲間としばらく連絡をとっていなかったら、向こうも変だと思ったりする?」
ゼライドは横目で二人の顔を見ていた。
反応したのはクエンだった。
「いえ……。僕たちは『標的をしとめるまで連絡しない』と伝えたうえで村をあとにしました。不用意に連絡をとって暗殺についてのやりとりが警察に押さえられても、困りますからね。確かに警察内に仲間はいますが……数えられる人数が紛れ込んでいる程度ですし、当てにはできません」
「信用するよ。でさあ……俺、前から二人とは……もっと語りたかったんだよな」
周辺の赤いガスを深く吸って、ゼライドは声の調子を落とす。
「クエンさんとヤマメちゃんはハンガームーンなわけだから……当然、同じハンガームーンである俺の仲間だ。まあ暗殺仲間ではないとしてもさ……ここにロナちゃんやピックくんとは異なるつながりを感じるよ」
彼の右肩の上着には、やはりエンブレムが目立つ。
大口をあけたコミカルな天体と、ハンガームーンの厳かなロゴ。
それと同じエンブレムが、ヤマメの両の手袋とクエンの上着の背中にも見える。
大小の違いは、あるものの……。
ヤマメが自身のエンブレムを指でなぞる。
「うん、あたしも……分け合うことは大切だと思うからハンガームーンになった。少なくとも一部の人だけが割を食うのは、おかしいから」
「僕も、ヤマメと同じ動機を持ちます」
クエンが椅子を少し揺らす。
「しかしゼライドさんは、そんな僕たちがロナさんを殺そうとするのが理解できないのでしょう。生きる機会も、みんなで分け合うべきなので……」
「そこなんだよなあ、俺には、よくわからんくて」
「明かしますが……僕は職業柄、たくさんの人を殺してきました。殺したほうが、みんなのためになる者たちを。その先に『分け合える未来』があると信じるなら……僕はロナさんだって容赦なく始末します。個人的に好感を持っていても」
「あたしもクエンおじさまと同じ気持ち。いや、まあまあ私情も大きいけど」
……以上の二人の決意を聞いて、ゼライドは否定もせずに、うなずいた。
「話してくれて、うれしかったよ。俺もおまえさんたちのことは好きだし……ロナちゃんの殺害は、容赦なく阻止する。ココア・サン・クッキー内のハンガームーンを見つけた日には、互いに――気持ちよく、その場の状況に身を任せよう」
ゼライドは、つり下がった椅子から立ち上がり――。
両腕を真上に伸ばすのだった……。
♢♢♢
それから三日後……専門家の分析を受け、かつトンネル内部の調査を済ませた銀行が、ウツボ型ボス・ガス・ホイップの討伐事実を認証した。
ロナたち五人は、銀行が発行した手持ちのカードを行員に見せる。
続いて証明書に必要事項を記入のうえ、押印。
これで、報酬を五等分した額が、各自の口座に振り込まれたことになる。
警察と同じく銀行も世界全体で共通の組織なので、そのぶんの金銭は基本的にどこの空域でも使える。
(だいぶ残高が増えた……!)
とくにロナは、心のなかで小躍りしていた。
(ピックおじさんへの支払いも、現実味を帯びてきたかも)
……さてピックの足裏のケガも完全に治った。
病院の医者も「完治した」と明言した。
こうして五人は、赤の空域の町から出た。
そろそろ……。
ハンガームーンが眠るとされる、超巨大岩石ココア・サン・クッキーに入る日も近い。




