ハンガームーンを所望する
「それでは、お嬢さん。依頼内容をお聞かせください」
事務所の室内で、赤毛の青年と金髪の少女が座って向かい合っている。
青年ピックが、黒い瞳を少女に向ける。
ピックと同じ黒い瞳で見つめ返し、少女が言う。
「ハンガームーンをください」
「申し訳ありませんが、当店ではお取り扱いしておりません」
まったく焦らず、ピックは自身の紅茶をすする。
「うちの商品はパイとクッキーです。ハンガーは専門外なものでして」
ハンガーとは……物体を宙に固定する、クギの形状をした鉱物である。
おもに、重力を持つ「アース・パイ」を空中にとどめておくのに使われる。
この「ハンガー」がないとパイは風にあおられ、無軌道に飛んでいってしまう。
なかでも「ハンガームーン」は、誰も目にしたことのないハンガー。
ピックたちの住む星は、ほとんどがガス……大気で構成される。
その中心には巨大岩石「ココア・サン・クッキー」が浮く。
ココア・サン・クッキーは、光熱を発する鉱物「サン・クッキー」の一種である。
このクッキーを固定する「ハンガームーン」が、ココア・サン・クッキー内部に存在すると言われている……。
ピックは少女に対して、事務的に言葉を継ぐ。
「知り合いにハンガー販売をなりわいとする者がいます。紹介状をお書きしますよ」
「いえ。ほかでもないピックさんに頼んでいるんです」
少女は紅茶のカップをテーブルに置き、両手にこぶしを作る。
「確かに一般的なハンガーなら、わたしも専門のかたを頼ります。しかしハンガームーンとなれば話は別です。相応の腕を持つ人でないと、必ずそこまでたどり着けません」
「巨大なココア・サン・クッキーのなかを探し回るわけですからね。有史以来、幾度となく調査がおこなわれたにもかかわらず、ハンガームーンを発見できた者はいないと聞きます」
「ピックさんなら、できると思います」
「お嬢さんは、なぜわたしをそこまで買うのです。『いちげんさん』のあなたが……」
「口コミです!」
僅かに口もとを緩め、少女が不敵な笑みを浮かべた。
「ウワサになっていますよ。ピックさんは、希代の採鉱師だと……。赤いブーメラン『オクトパス』を乗りこなし、白いブーメラン『スクイード』を如意にあやつる赤毛の青年。その採鉱スピードは世界のなかでも抜群との評を得ています」
「とはいえ、わたし以外にも優れた採鉱師はゴロゴロ」
「わたしが耳にしたウワサは、もう一つ。ピックさんは、もうすぐハンガームーンを求める旅に出るのでしょう?」
「……はい。お嬢さんが訪ねていなければ、すでに旅路についていました。ハンガームーンをひと目見たいという好奇心に負けて」
ここで一気に、ピックは紅茶を飲み干した。
「それにしても……依頼人の誰かとの雑談で、わたしは今後の予定をぽろっとこぼしていたようですね。隠すことでもありませんし、いいのですが」
「でしたら、ちょうどいいじゃないですか。ピックさんの旅の目的とわたしの依頼内容は矛盾しません」
「しかしハンガームーンを探すとなると……料金は覚悟してください。失礼ながら、お嬢さんには払えないと愚考しますよ」
「結婚してあげます」
「……はあ?」
わけのわからないひと言を聞いて、固まるピック。
彼に向けて、少女はカップを揺すってみせる。
「前金として、わたしがあなたの旅に同行します。そしてハンガームーンの現物を売っていただけたあかつきには、伴侶の契りを交わしましょう。……ちなみにわたしは、今年で十八です」
「お嬢さん」
ピックは、カラになったカップを無音でテーブルに置く。
「こう見えてわたしは金の亡者です。依頼の対価として、お金以外は受け取る気がありません。したがって、あなたの申し出には応えられません。ハンガームーンを発見したときにあらためてご連絡を差し上げますので、そのときまでに相応の金額をご用意ください」
「だめです。譲れません」
自称十八歳の少女がグイッとカップをかたむけ、中身をカラにする。
「その場合、あなたがハンガームーンを独り占めにする可能性もあります」
「……相手を疑うことは大切ですが、その疑念を向こうに悟らせないのも処世術ですよ。しかしお嬢さんの言い方は、わかりやすくて、わたしとしては助かります。確かにハンガームーンの正体によっては、魔が差すことも考えられるでしょうね」
「そんなリスクがあるから、わたしはあなたと共にハンガームーンを発見しなくては……ならないんです。見つけたそばからハンガームーンを買い取りたいんですよ」
「ちゃんとお金を払っていただければ、こちらにも文句はありませんが……あくまでわたしの旅についてくるつもりですか」
「気楽な一人旅を邪魔するぶんも上乗せします」
少女の態度は、かたくなである。
……ピックは、どうしようかと思った。
(このままだと、いつまでたっても出発できない)
「わかりました。ついてくるのは、かまいません。ただし、宿代や食事代は出しませんよ」
「当然のことです。そして、ありがとうございます」
「礼を言われると心苦しくなります」
ここでピックは、ちらりと事務所の出入り口を見た。
その扉は、あけっぱなしになっている。
「きっとわたしは、お嬢さんを置き去りにして先に行くと思います。そのときは諦めて、家に帰ってください」
「いいえ、逃がしません!」
カラのカップをそっとテーブルに置き、少女が前のめりになる。
「たとえ見失っても、もう一度見つけます」
「なかなかの意志ですね。……ところで」
ピックは椅子から立ち上がり、テーブルに置かれた二つのカップを片付ける。
「わたしが出入り口の扉をあけっぱなしにしているのは、お嬢さんの言ったとおり、いつでも逃げられるようにするためです」
ついで二、三回……その場で軽くジャンプする。
「……ただし、お客ではなく、わたしがね」
言葉が終わるやいなや、ピックは室内のゆかを蹴り――事務所から全速力で出ていった。
休業中を示す看板を外に立てる。
間髪をいれず、真上に向かって背中の「オクトパス」を投げる。
直後、ピックは空中で逆立ちになり、赤いブーメラン「オクトパス」の表面に足の裏をつけた。
ピックのブーメランは、重力を作り出すアース・パイを基本材料とする。
そこに乗れば、ブーメランの板そのものが正当な「足場」となる。
この場合……逆立ちになっても、髪が逆立ったり服がめくれたりすることはない。
ピックは逆さまの状態で、事務所の出入り口を見た。
なかから顔を出す金髪の少女が、彼の目に映る。
「できるなら、追ってきてもいいですよ。お嬢さん」
同時に、ピックは背中から白いブーメラン「スクイード」をつかみ、真上に飛ばした。
ただし「真上」というのは、事務所のそばにいる少女から見たときの方向だ。
今の逆さまになったピックの視点では、スクイードを飛ばした方向はむしろ「真下」である。
赤毛の青年ピックが赤いブーメランに直立して乗ったまま、白いブーメランの飛んだ方向へと高速で移動する。
まるで、吸い込まれるかのように――。